第132話『鏡合せ』
自覚があるかと問われると、彼女にも自覚はあったのだ。
戦闘中、練習中の状況で前にいるのは女神。
手を抜いて勝てるような相手ではなく極限の集中力で立ち向かう必要がある。
それでも彼女は考えてしまう。
嫌な予感と同時に感じたある種の寂しさ――そして、喜び。
混ざり合ってよくわからない色になった感情はある人物の闘志を感じたからだろうか。
「何処を見ていますか?」
「……空を、見ています」
振るわれる槍に容赦はない。
しかし、彼女もまたかつての姉の位置に並んだ存在。
女神の――かつての3強たるフィーネ・アルムスターの技を危なげなく捌く。
それだけでも彼女の強さは証明されている。
双剣に力は滾り、健輔がいないのにいつも以上に身体は絶好調だった。
まるで来る戦いに備えて身体の準備が出来ていくかのように枷が消えていく。
いつも心の何処かにあった不安を今だけは忘れることが出来ていた。
「なるほど、空ですか」
「はい」
交わす言葉は穏やかで戦闘中の気配すらも漂わせない。
あまりにも素早い速度で躱される剣戟だけが戦いの最中であることを周囲に教えてくれた。
最上位ランカーに相応しい戦い。
基礎の1つ1つが必殺の領域に至った両者は大技を放つことがそもそも困難となる。
桜香もそうだが、最強に近くなったものたちは通常の攻撃こそが必殺の威力を持つようになるのだ。
小手先だけの技など強者には不要である。
「はっ!」
普段は見られない戦闘光景。だからなのだろうか、また1つ珍しいことが起こる。
剣戟という会話の中で、唐突に優香が前に出たのだ。
自己主張、果敢な攻め。
1番縁遠い言葉なのに、不思議と自然な動きで優香は前に出た。
前のめりの選択肢。彼女らしくないが、彼女の相棒から考えれば無謀な選択ではない。
「雪風!」
『承知』
「珍しい。いえ、面白いと言い直しましょうか!」
優香が冒険に出る。
中々にない珍事にフィーネは快く応じた。
フィーネもまた人を育て、導いてきた魔導師である。後輩の成長は望ましい。
殻を破ろうともがく相手から逃げるような心は持っていなかった。
「やああああああッ!」
「力押し……!」
吹き出る魔力が刀身に集い、巨大な力を宿す。
膨張した魔力は健輔が見抜いたように中身がスカスカなものではない。
彼の前で舞う時のように彼女の全力が確かに籠められていた。
女神が力に驚く程度には、優香の魔力も規格外である。
「なるほど、流石に姉妹。というのは、あまり好きではないですか?」
「愚問! 好きなはず、ないでしょうに!」
「ふふっ、ええ、わかっていますよ。一応、というやつです」
優香の強い言葉にフィーネは新鮮な感動を覚える。
活動的とも違う。主張するべきことをしっかりと主張する姿は確かな成長の表れだった。
魔導師というのは魔導を通して自己表現を行う。
口調、振る舞い、あらゆる部分に『自分』が出てくるのだ。
強い魔導師であればあるほどにそれは避けられない。
その中で優香は強さに反して自己が希薄だった。まさに優等生、濃い目の連中の中では埋没しかねない珍しい上位ランカーであるだろう。
フィーネの印象は少なくともそうだった。健輔や他の連中と比べても優香はなんとも大人しい。
潜在能力は高いと思わせてくれる場面が多かったため、これからだと思っていた。
「手を抜く訳ではないのに、なんとも難儀な性格をしていますね」
「……指摘されるまでもありません!」
「わかっていたのですか? いえ、今も自覚はないのでしょうが、薄々勘付いていたというところですか。あなたはいろいろと敏い方ですからね」
「……私の不徳は、私の責任です。健輔さんは、関係ない!」
「ええ、わかっています。そんなに怒らないでください」
いつになく感情が表に出ているのは優香の柔らかい部分が刺激されているからだ。
フィーネがやっているのではなく、ある男がいるというだけで刺激されているのである。
なんとも罪作りな男性に苦笑してしまう。
「不器用な子です」
何がどうして、こうなったのか。
理由はいくつか思い浮かぶがフィーネは口から出すことはなかった。
何を言ってもこの責任感が強い後輩が1番辛いであろう。全力で相対してきたのに、彼女自身も知らぬところで手抜きになっていたのだ。
真剣に取り組んでいたからこそ、後悔の念も強い。
「過ぎ去ったことに足を取られますか」
「そんなつもりはないです!」
剣と槍。得物の違いはあるが、技量の差はそれほど大きくない。
今までで最高の戦いを見せる優香にフィーネは微笑む。
仕方のないことが世の中にはあり、今回の事もその部類だと言ってあげるのは簡単なのだ。理屈の上では間違っていない。
優香の出力が健輔以外の前で落ちてしまうのは、ようは期待されてしまうためである。
桜香のように出来るはずだ。そのような期待を持たれることを恐れている。
ある種の背反と言えるだろう。姉を超えたいと思うのと、姉のように思われたくないという2つ想いは彼女の中で知らない間にぶつかっていたのだ。
結果が今までの戦績となっている。
「気付け、というのも難しいし。はてさて、どうしましょうか」
根本的な解決は健輔がなんとかするだろう。ならば、フィーネがすることはたった1つ。
その時に全力が出せるように鍛え上げておくだけである。
意図的に全力を出せるのと、健輔の前だから全力が出せるでは意味が違うのだ。
コーチとして指導はしておくべきだろう。
何よりこの日に至るまで優香の変調を見抜けなかったという責任もある。
フィーネも違和感は感じていたが、原因が突き止めれなかった。
見抜ける方が稀なのだが、フィーネの職責上知らなかったで済ませてよい話ではないだろう。
「とりあえずは、全力でやるようにしましょうか」
細かいことを考えるのは燃え尽きてからでよいだろう。
実にクォークオブフェイトらしきフィーネは決断をする。
女神の闘志の高まりを受けて、優香の魔力も高まっていく。
優香にしては珍しく気を失うまでフィーネとの戦闘に没入する。
応じる女神が驚くほどに鬼気迫る姿は彼女の方でも来る戦いを感知している証なのだった。
「反則だろ、あれ……」
「戦闘データは見たけど、これは酷いねぇ」
「むしろ食らいついただけ偉いわよ。なんだかんだでワンパンくらいは入れたんでしょう? 同じことが出来るの世界を探しても両の指で数えきれるわよ」
結局、健輔は桜香にボコボコにされた。
アマテラス戦を見た時からヤバさは理解していたが、実際に体験すると辛い。
万能系が通用しなくなることも含めて想定はしていたが本当に現実になるとは恐ろしい限りだった。
「統一系の常態展開、ってだけじゃないんですね」
「そだね。解析した感じだと、中身の配分も秒単位で弄ってるんじゃないかな。当然ながら対策相手は健輔だけど」
「桜香は健輔以外に倒されるつもりがないんでしょう。だから、あんたへの対策は完全にしてくるわよ。初見以外の技は通用しないことも想定しときなさい」
「……なんて無茶苦茶な人だよ」
苦い表情で溜息を吐く。
わかっていても桜香の強さを再度体感した重荷はある。
あれに勝利する。
それも完全に勝つためには周囲の排除も必要となるのだ。
考えるだけでも無理ゲー臭が漂っていた。
「物理攻撃、魔力攻撃、どちらも穴が見当たらないね。何とも怖いというか、恐ろしい人だよねー」
「香奈、あなたはあなたの視点でまずは解析して見て。健輔も、同じようにお願い。各自の観点で補完するようにしましょう」
「うん、わかったよー」
「了解です。……クソ、やっぱり次に行かないとダメか」
「原初で対処できないとは思わなかったね。思ったよりも桜香ちゃんの強化ペースが速い。早めに『次』を形にしないとダメかもよん」
原初をモノにして喜んでいたら、次のステップに進まれた。
あまりの進化速度だろう。
想定の範囲内でも現実になると思うところはある。
「昇る準備は大体出来てるんでしょう? だったら、今の拘りの早く解消しておきなさい」
「……うーす。ちなみにいつから気付いてました?」
「最初からよ。健輔は惚れっぽいもの。周りにいる誰かの長所をいつも羨ましがってるじゃない。だから、答えは簡単だったわ」
「ぐぅ……」
葵の涼しい横顔に何も言い返せない。
なんとなくだが、健輔は万能系の発現理由がわかってきていた。
度を超えた我儘で、優柔不断なものしか発現できない、何でも出来て同時に1つを極めれない系統。
びっくりするほどに健輔の心の形に似ている。
確定ではないだろうし、他にも理由があるのだろうが健輔が発現した理由の一端にこの心の動きがないとは思えなかった。
「あらあら、珍しく思案顔ね。頭を使うことを覚えたの?」
「人のことを脳味噌筋肉で出来てるみたいに言わないでくださいよ。……す、少しだけ自分を顧みているだけです」
「ありゃりゃ、これは重傷だよ。反省とか別に今やらないといけないことじゃないでしょうに」
「気にすることないわよ。健輔なりの儀式でしょう。やることも、やるべきことも見えてるのに足踏みしたがるのがこの子だもの」
葵の言葉は突き放しているが全幅の信頼が籠められている。
最後はなんだかんだで勝手に決断して、勝手に進むだろう。
周りはレールがずれていないかだけを気にしたらいいのだ。
これほど楽で、だからこそ扱いの難しい後輩はいない。この先こそが健輔にとって最高の場所だと信じ切る者でなければ導くことは難しいだろう。
藤田葵は自らがそれに足る者だと確信している。ここまで共に歩んだのは伊達ではない。
「何をするのかはわかってるんでしょう。だったら、遠慮しないの。あの子に失礼よ。いいえ、あなたにはこっちの言い方の方が好みかしら」
「……何をですか?」
意味深な笑み。
健輔を導き、優香を見守ってきた真由美に比するクォークオブフェイトのもう1人の母は断言する。
「優香を本当の意味で姉から解放してあげなさいな。この世には、姉を超えるような存在ぐらい普通にいるんだと教えてあげるといいわ」
「そうそう。怖がる必要なんてないんだしね。わざわざ倒せるレベルで留まるのに意味なんてないって、健輔がやるしかないでしょう」
先輩2人の言葉にあれこれと悩んでいた健輔の心が静かになる。
染み渡る、というよりも自覚したというべきだろうか。
焦燥感は感じてたが、己から湧き出るよりも何かを見ていて感じるものに近いと思っていた。それも当然であろう。
優香の溢れる可能性が他ならぬ本人によって制御されているのだ。
本能で枷を感じ取っていた男が勿体ないと思ったのは当たり前だった。
「ああ、そっか――」
スッキリとした表情は疑問が氷解したからか。
それとも、初めて会った日の感動を思い出したからだろうか。
九条桜香よりも、何よりも早く接触した最初の規格外。
紗希という身近だった存在を除けば圧倒的に輝きを見せてくれたのは彼女が初めてだった。
「――だから、気に入らなかったのか」
他の誰が見誤っても、健輔が見誤ることなどあり得ない。
人生の中で間違いなくもっとも羨ましい輝きだった。
クリストファーや健輔のように意思で凌駕するのではない。
純粋に、呼吸をするように何者にでも成れる可能性に健輔は嫉妬したのだ。
桜香とは方向性が異なるが、間違いなく天上の才能を持っている。
あの輝きを、自ら消させるなど間違っていると断言できた。
「あらら」
「男の子だねぇ。……ただこれ、女の子をボコボコにする決意をした証でもあるから、その辺りは微妙だよね」
「それを言わないの」
「ごめんごめん。まあ、良かったっていうのはわかるよ。きっと、優香ちゃんは待ってるはずだからね。報われた方が先輩としては嬉しいよ」
合宿の半ばを過ぎて、先に至るために必要な戦いがまたやってくる。
環境を変えていく力は伝播し、全ての魔導師が影響を受けていく。
健輔も例外ではなかった。
振り返りは過去の反省を呼び起こし、心の存念を引き出す。
桜香を前にしても気を囚われてしまったことを認めて、健輔は健輔らしく決意した。
口元に描かれた弧は高揚を示す。
時も場所も違えど、2人は同じ結論に至る。
年月が2人を寄せたのか、それとも――。
誰も知らぬことではあったが、確かに2人は最高のパートナーなのであった。




