第126話『私が認めている』
笹川真里は九条桜香を愛している。
一目惚れであり、人の形をした才能に恋をしたと言ってもいいだろう。
やること全てが全肯定で、否定など微塵も頭にない。
これだけを聞けばアマテラスの先輩たちと大差ないように聞こえるが、致命的に異なる部分がある。
彼女は肯定することで、相手に選択を強いるタイプなのだ。
高すぎる信頼で、相手を潰す。
私が愛する人ならば、この程度はやれる。
過剰な期待は普通は重荷となって相手を潰してしまうだろう。
逆に何も思うところのない人間にはごく普通に接することが出来る、というなんとも傍迷惑な性質をしていた。
流石は桜香に惹かれた存在である。
彼女の才能も凡人には強すぎる輝きなのは変わらない。
「で、自信満々だが、何か作戦とかはあるのか」
「ないわよ」
佇む4人の内、唯一の男性が真里に尋ねる。
真里の記憶の中に残っている稀有な男性――俊哉の問いに真里は胸を張って断言した。
桜香に対する勝算など考えてもいない。
透けて出ている態度に俊哉の顔が引き攣る。
わかっていたことでも改めて言葉にされると衝撃は隠せない。
「知ってたけどさ。お前さん、バカだろう」
「あら、成績は結構いい方よ。桜香様ウォッチで忙しいから意図的に手を抜いているけどね。大丈夫よ、考えなしではないから!」
「現状が既に考えなしじゃないかよ……」
ウィンクは可愛らしいし、少しだけ出た舌もアクセントとしては悪くない。
中身を知らなければ俊哉もときめくことが出来たはずである。
しかし、残念なことに全てを知っている彼は気力だけを一掃されていまう。
非常に微妙な気分だが、なんとか押し殺して俊哉は気力を振り絞った。
「……やっぱり、分の悪い賭けじゃないか。ああ、嫌だ嫌だ」
「そんなに落ち込まないでよ。私、これでもあなたのことを評価しているのよ。驚きなさいな、男性の中で、ちゃんと名前を憶えている10人の中に入ってるのよ」
「あのさ、それって上限値が10人いってないだろ」
真里の言葉にストレートに突っ込みを入れる。
既に俊哉は悟っていた。この手の輩に遠慮など不要である。
真っ直ぐに殴っていかないと自分の望む方向にはいってくれない。
「凄いわね。よくわかってるわ。ふふん、以心伝心。これならいけるわよ! 多分、10分は戦えるわ!!」
嬉しそうに、そして当たり前のように限界を見切る。
真里の放つ絶望的な時間を俊哉もまた素直に受け止めた。
「10分か。まあ、十分かな。残りはどうするよ」
「さあ? 戦いになるのはそれぐらいだと思うだけだもの。後は蹂躙されるのを繰り返すだけじゃないかしら。その時にならないとわからないわね」
ふざけているように見えても、真里の中では冷徹な計算が行われている。
誰よりも、何よりも、桜香も見つめてきた。
合理的な事実を積み上げていくだけでこの結果は導ける。
奇跡の介入があっても、勝利は覚束ないし、そもそも引き寄せられるとも思えなかった。
努力の果てに、積み上げた軌跡の果てに奇跡を掴んだ男とは条件から何もかも異なっている。
再現することは不可能であろう。
勝てないことなどよくわかっていた。
「……あなたたちは、どうしてやる気なんですか」
悲観的な話題を楽しそうに話す異次元の生命体。
脇から見ていた亜希は絞り出すような声で尋ねる。
この選択が、未来が、何よりも怖かった彼女にはこの段階で楽しいなどと思う感性が信じられない。
「ん? どうしても何も、折角の機会なのにどうしてやる気がないんですか。二宮さん」
「……あなたはハッキリと態度が変わりますね。侮蔑しているのがよく出ている」
「だって、あなたに敬すべき点がないんですもん。怒るならご自分を怒ってくださいよ。何1つとして誇るべき点がない、ゴミである身を、ね」
真里がニコニコ笑顔を浮かべて全力で亜希を煽る。
いや、煽るという認識もないのだろう。
正直に話したら結果的に煽っているだけなのだ。
言われた亜希の機嫌は急激に悪化しているが、真里は不思議そうに彼女を見るだけであった。
間に挟まれる俊哉が最大のダメージを受けている。
「あのさ、一応共闘するんですけど。この雰囲気、どうするんだよ」
「別に問題ないわよ。最初からその人、人数に入ってないもの。雑魚に構う余裕なんかないわよ」
「わかった、わかったからこの話題はもうやめよう。俺からのお願いだ」
戦いが始まる前に内紛でぶっ壊れてしまそうである。
俊哉はこれ以上ないほど強い口調で真里を遮った。
連携もクソもない状態で戦いに挑むのは勘弁して欲しかったのだ。
「よく一緒に入れますね。あなたもいろいろと言われてたのでは?」
「ん、あー、まあ最初は露骨に無視とかされましたけど、合宿からは大分マシになりましたよ。ああやって気に掛けてくれるくらいにはなりましたし」
尊敬できる人物たちを大量に発見して真里は機嫌が非常に良い。
合宿における他チームからの評価は勤勉な後輩、となっていた。
猫を被る必要がないほどに、他のチームは彼女の評価対象として基準を十分に満たしている。
翻ってアマテラスの酷さにも繋がっているのだが、少なくとも真里にとっては合宿は良い環境であり、良き機会となっていた。
「後、1つだけ訂正しておきます」
「何でしょうか」
「俺も、あなたたちは嫌いですよ。何も尊敬できない」
「っ……強くもないのに、随分な物言いですね」
癪に障る言葉に亜希の語気が強くなる。
実力で言えば大したことがないのは俊哉も同じなのだ。
同類からの見下しなど認められるはずもない。
お前もこうなる、という意思を籠めた強い視線。
亜希らしくない、と言えばそうなのだが、彼女にも余裕がない。
この状況がとうとうやって来てしまったことによる焦燥感は大きかった。
「それですよ。今更だし、説教は柄じゃないので、そこだけは訂正しときます」
「あなたが、私に、ですか」
「ええ。何やら桜香さんを神様のように崇めているので、忠告です。別に大したことじゃないですよ」
客観的に見ていれば、亜希が何を怖がっているかなど容易く判断できる。
俊哉は一言だけ、素直な感想を伝えた。
「友達なんでしょう? 見栄なんて張らずにぶつかってあげればいいじゃないですか。喧嘩の1つでもやって、ようやく1人前ですよ」
合宿で健輔などにボコボコにされながら、怒りと共に見上げたからわかったものがある。
真剣に向き合って貰えることの嬉しさと、応えることの出来ない恥ずかしさ。
あまり熱血ではないと思っていたが俊哉の中にも人間として譲れない部分はある。
期待されていて、重いなどと思うような人間にはなりたくない。
「外見だけ繕っても中身はボロボロだ。それじゃあ、ダメじゃないですか。それでいいんだったら、俺は別に構わないですけどね」
「それは……」
「自分の体面だけを気にしてたら友達なんてやれないでしょうに」
スタイリッシュに、優雅に、美しく。
余人が描くヒーローはそんな存在だが、現実はそう簡単ではないだろう。
泥臭く、挫折し、見苦しい。
一皮むけば全員が大したことのない存在なのだ。
求めているものも個々が違う。それでも繋がろうとしているのは何故なのか。
桜香には桜香の事情がある。亜希はその部分を一切汲んでいない。
これでは友達とは言い難いだろう。
「話は終った? 私はいくわよ」
「ああ、悪い。一応、俺からはそれだけです」
「あなたは……」
何かを言い返そうと前を見ると、左側の袖が引っ張られる。
視線を向ければ、1人だけ眠そうな表情をしていた後輩がハッキリとした瞳で亜希を見ていた。
「カッコ悪くてもいいけど、何もしないのはダメだと思うな」
「えっ……」
「それだけ。失敗することもあるけど、やっぱりちゃんとしないと。じゃあね!」
言うだけ言って後輩たちは前に進んでいく。
無鉄砲、考えなし、後先知らず。
形容する言葉はいくらでもあるが、亜希はどれもが違うように感じていた。
あれはきっと、
「勇気。……そう、私の勇気が問われているのね」
怖くて怖くてたまらない。
ここが最後だとわかっている。
震える掌をに視線を落として、亜希は自分に問いかけた。
何をしたいのか、どうするのか。
「答えはずっと前から決まってた。そっか、私も、腰が重かったのね」
握り締めた掌はもう震えていない。
やるべきことをやるべき時にやる。
この戦いはただそれだけの儀式なのだ。
胸は痛いがやり通すだけの意義がある。
見上げた顔に迷いはあるが、それでも後ろだけは見なかった。
亜希にとって、世界大会よりも大切な戦いがついに幕を開ける。
戦場に立った亜希が感じたのは、覚えるのない感覚だった。
あまりにも冷たく、重い空気。
「ははっ、素敵!」
笑顔で何かを理解する真里に反応する余裕もない。
空気が叩き付けてくるのは存在としての格の差である。
これこそが九条桜香の本気――上位ランカーの本気なのだ。
今までとは常に後ろか前のどちらかに桜香がいた。
そのため、アマテラスのメンバーは本当の意味でランカーの怖さを知らない。
上位、下位などの違いなどランカー間だけで通用する差である。
ただの魔導師に過ぎない亜希にはどちらも遠い壁なのは変わりはない。
「……お前の度胸に感嘆するよ」
「あら、惚れそう? ダメよ、私は桜香様の虜だもの。頑張ってあの人を超えてね」
「はっ、冗談言うなよ。……こんなのに勝とうとか、クォークオブフェイトの奴ら、頭おかしいじゃないか」
「そこがいいじゃない。実際に勝利した、って言うのも含めてとんでもないでしょ?」
桜香がやけに執着する男性のことを此処に至って亜希も理解する。
この圧力を乗り越えて、迫ってくる存在。
興味を惹かれるのは当然だろう。
亜希も問い質したことが山ほど生まれている。正気の所業とは思えない。
『双方、準備はいいかしら?』
響く声で亜希だけでなく挑戦者たる4人は現実を認識する。
アマテラスそのものである最強の魔導師との戦い。
これから彼らは自分たちの主と戦うのだ。
奔放な真里も含めて、全員が表情を引き締めた。
これより先で余計なことを考えていては勝負にもならない。
『では、スタート!』
フィールドは合宿ではオーソドックスな空。
地上は砂浜が見えている少人数用の戦闘空間で彼女たちは対峙していた。
つまり、この場所は視界が開けているのだ。
「散開ッ!」
「っ――!」
「わぁ!」
「桜香っ!」
真里の叫びに従って4人がバラバラに回避する。
九条桜香に距離など関係ない。
全てにおいて既存の魔導を上回る怪物が彼女である。
漆黒の輝きが一切の容赦なく天を裂く。
魔力を集めて、放っただけの攻撃。
砲撃というほどに洗練はされておらず、単純な脅威としては明らかに真由美やハンナの方が上であろう。
しかし、そういった常識を粉砕するのが『不滅の太陽』なのだ。
「黒、ということは……!」
真里の額に汗が浮かぶ。
一切の手加減なし。
本当の意味での全身全霊の最強に彼女を崇拝するからこそ、笑うしかなかった。
統一系を破った魔導師は現在、僅か2名しか存在していないのだ。
片方はかつての最強たる魔導の王者『皇帝』クリストファー・ビアス。
もう1人は真里も認める変幻自在の魔導を操る『境界の白』佐藤健輔。
あの2人だから出来た偉業をこのメンバーで再現しないと勝負にもならない。
「出来る訳、ないわよね!」
「桜香、あなたは――」
「――本気ですよ。全力、と言ったはずです」
亜希の言葉を遮り、空間を超えて最強が姿を現す。
滾る魔力はかつてなく高ぶっているが、表情はいつになく冷めていた。
能力的には一切加減していないが、心の方は乗り気ではないのだ。
このような蹂躙は桜香の美学に沿っていない。
結果として蹂躙になるのは仕方ないが、何をどのようにやっても蹂躙にしかならない展開を好むほど残酷な性ではなかった。
それでも此処に至ったのは彼女が持つべき責任だからである。
「1年生たちは、これからを計るために。亜希、あなたは――」
冷めた視線に確かな感情が宿る。
ここで終わるか。それとも、
「――今までのチームで良いのかを、過去を、問わせて貰います。何か言いたいことがあるのならば、刃を以って語りなさい」
最強の魔導師降臨。
太陽の眷属が主の真実を知る戦いが始まった。




