第121話『地獄への招待状』
白藤嘉人はこの合宿で確かな成果を残している。
自惚れる訳ではないが、能力の割には頑張ったと自分で自分を褒めたいだけの戦果を勝ち取ったのだ。誰にも否定できない偉業。
九条桜香から勝ち取った小さな勝利。
少し天狗になっていたと言われれば否定はしない。
否定はしないが、ここまでやることはないだろうと真剣に抗議したかった。
慢心もあったし、調子に乗っていたが、このやり方で目を覚まさせるのは最悪だと嘉人にはハッキリとわかる。
「ぬわああああああああああ!?」
決死の覚悟で逃げる。
何処までも逃げる。
背中を見せた完璧なる逃亡であり、地上を全力で翔ける姿はある種のオーラを纏っている。
時には地を這うように飛び、時には全力で疾走し、時には姿を消す。
あらゆる方法で逃亡を図るが、彼の努力を全て丸裸にする存在がいた。
天から全てを見下ろす太陽がこの場にはいる。
「いつまで逃げるつもりですか。この戦いは、あなたが私に勝たないと終わらないですよ」
「勝てる訳、ないでしょう!!!! この戦いに、意味なんてない! 練習にもなりませんよ。早くやめましょう!」
「ふむ、意味ですか……」
「そうです! 最強に勝てとか、一体何を言ってるんだ、あの人たちは!! 役割が違うだろうがよ!」
魂からの叫び。
嘉人は冷たい表情で君臨する太陽に懇願する。
この戦いは、そもそもが戦いの体を成していない。
意味がないからやめよう、と強く意思を発していた。
言っていることに筋は通っており、嘉人の言い分は間違ってはいないだろう。
桜香にはほとんどがメリットが存在していない、というのは一面において事実である。
嘉人を1対1で蹂躙する意味が彼女にはないからだ。
1000年の時間があっても埋まらない格差。
生き物としてのレベルがずれている相手に勝とうなどと思うのが過ちだろう。
健輔のように恐竜だとわかっている生物に正面から戦いを挑むのは間違いなく少数派だった。
大半はこの嘉人のように叫ぶ。
意味などない、と。
「なるほど、主張はわかりました。では、結論から。――見解の相違ですね。意味はありますよ。私にとっても、あなたにとっても、ね」
「は、はああああ!? あ、あり得んでしょう!」
「信じる信じないはともかくとして、私はやめませんよ? よって、あなたには拒否権がありません」
桜香の真っ直ぐな死刑宣告。
嘉人はこの戦いが不可避となったことを悟る。
何をどうやっても、正面からの戦闘力勝負で勝てる相手ではない。
勝てるビジョンが思い浮かばないのだ。
「クソ、クソ! どうしろって――」
「まずは、1回目」
「なっ!?」
一瞬、嘉人の知覚範囲がぶれた隙を狙って桜香が懐に入る。
避ける時間も、守る時間もない。
否、そもそもが何も出来ない状況では相手にならなかった。
あまりにもレベルが違う魔人。
何をどうやっても嘉人の牙は届かない。
彼の本分は他人を動かすことであり、自らの技で道を切り拓くことではないのだ。
ごく普通に、大した理由もなく、彼が粉砕されることは確定してしまった。
「あり得んだろうが、こんな展開!」
世の理不尽を叫ぶが現実には何も変わりない。
これこそが当然の結末であり、帰結であった。
合宿で得た華々しい成果。
嘉人に自信と、誇りを抱かせた大切な勝利が毒となって主に牙を剥く。
光に飲まれて、大地に伏せる嘉人の脳裏にはここから先の絶望だけ読み取れた。
「健輔さんからの頼みごととはいえ、弱い者イジメは性に合わないですね」
クレーターを見て思うのは憐れ、という感想であった。
健輔たち先輩の守護の下、トリックスターとして試合を運ぶのは楽しかっただろう。
実際、桜香も一杯食わされた側なのだ。
思うところは当然ある。
「しかし、必要ではありますか」
八つ当たりなどする性質ではないし、結果的に勝利した試合自体はもうどうでもいい。
問題は嘉人がこの先、クォークオブフェイトにとってのウィークポイントに成りかねないということだろう。
自らの力で盤面を描けない。
彼がしたことは流れに多少細工を加えた程度だ。
嘉人がそうするだろう、と予想していた健輔たちの読みと仲間の献身がないと、そもそもが上手くいかない。
「仲間が必要なのに、自分の成果と思う。その手の魔導師にとっては禁忌の思考ですね」
「そうですね。嘉人は少々、調子に乗り易いですから」
「仕方のないことだろう。境界や破星もまだ手を抜いている。本当の脅威がよくわかっていない」
桜香の独り言に応える影。
健輔がセッティングした地獄が並みのはずがない。
遠慮なく、容赦なく、最高の環境を用意している。
健輔ならば感涙するような素敵なフィールドが嘉人を出迎えていた。
真面目に健輔は変わって欲しいと思っているが、後輩のために涙を呑んで譲ったのだ。
嘉人が知れば笑顔で譲るのは間違いない、世界最強の教育現場。
「流れを破壊する力、現実の脅威を教え込む。託された命題はしっかりと教え込みますよせっかくの、健輔さんからの頼みごとですからね」
かつての3強にして、現役最強の魔導師。
九条桜香は、恋する男からの頼みごとに燃えている。
よって容赦は皆無。
頼まれた通り『全力』で嘉人の努力を無に帰す。
「私はコーチとして、どうにもならない状況のレクチャーをする義務がありますからね。あなたと意気込みは同じですよ」
本人が語る通り、フィーネ・アルムスターはコーチなのだ。
チームの中で問題になりそうな部分は芽の内に摘んでおくべきだろう。
問題になる前に器を知らしめる必要がある。
「後続からの切なる頼み。我が友と似たところもある曲者だ。あの手のタイプの制御は得意だ。任せて欲しい」
そして、最後に残った王者というサプライズ。
たった1人の魔導師のために3強が揃う。
健輔のコネが炸裂していた。
ようやく起き上がろうとしていた嘉人は感知してしまったこの現実に対して呪詛の念を吐いている。
誰が用意したのかなど、直ぐにわかってしまう。
付き合いももうすぐ半年なのだ。
先輩の思考回路くらいは嘉人も完璧に把握していた。
「……は、ははは、おいおい、まだ追加があるぞ」
乾いた声は誰が接近しているかを感じているためである。
質と量、どちらも3強に劣るが感知できるパターンから割り出された名前は最悪であった。
脳筋の祖。
健輔と葵を育てた最悪がやってくる。
おまけとばかりに、破壊の黒き王までセットとして付いていた。
絶対に勝てない牢獄。
健輔たちは逃がすつもりがないのだ。
ハッキリと全てを理解した時、嘉人の中で何かが切れる。
「いいさ、いいさ。やってやろうじゃないか。絶対に、見返してやるからな! 先輩!」
なんだかんだで、彼もクォークオブフェイト。
逆ギレした上で、受けて立つことを選ぶ。
地獄に落とされたが、底は既に見えているのだ。
後は上がるだけだと本能で理解している。
「おっしゃ、こいや!!」
威勢よく練習再開の言葉を響かせて、返礼で大量の魔力を叩き込まれる。
この日、嘉人はあることを悟った。
この苦行を乗り越えないと、このチームでは生きていけないのだ、と。
浮かれていた自分も一頻り呪ってから、先輩たちへの逆襲を考える彼は確かにクォークオブフェイトの系譜に連なっているのであった。
直接的な面識はないに等しいが、この訓練に際してある程度の情報は手に入れている。
自らの知らないクォークオブフェイト。このようなこともあると理解はしていたが、なんとも不思議な感覚であった。
「感傷かな。まあ、仕方ないと言えば仕方ないけどね」
眼下で桜香に襲われている少年は必死に逃げている。
魔導師としては非常に無様であり、恰好が良いとは言えないだろう。
しかし、戦闘という観点から見れば間違いではなかった。
彼が存在している限り、敵は彼を警戒する必要がある。
柔らかい脇腹を見せてしまえば、突ける程度の牙を持っていることを先の模擬戦で証明しているのだ。
逃げるという行為にはそれなりに勇気がある。
恥も外聞も知らぬと駆けていけるのは嘉人がしっかりと自らの立場を理解していたからであった。
「皇帝。右から攻めて、その子隠れるつもりだよ」
『むっ、なんとも抜け目のない男だ。ますますわが友を思い出す』
「お願いするよ。フィーネさんは、全部を更地にする感じでお願い。私も上から攻撃を落とすようにするよ」
『了解。……本当に容赦ないわね』
苦笑する雰囲気は呆れているというよりも納得の意を含んでいた。
真由美もこの手の反応には慣れている。
フィーネは葵などから予測はしていたのだろう。
衝撃度はそこまで大きくはない。
「これが、我らがチームの方針だからね。よくわかってるでしょ?」
『ええ、わかっているし、同意見ですよ。嘉人は少し甘くみているところも多いので』
「健ちゃんもあおちゃんも優しいからね」
嘉人が聞けば絶対に反論する言葉だが、この場にそれを否定するものはいない。
実際のところ、葵は無理の限界を見極める事に長けていた。だからこそ、本当に無理なことはやらせない。
健輔も葵の方針を引き継いでいるため、大差はなかったが真由美だけは違う。
必要ならば大きな負荷を掛けることもある。
無論、壊すようなことはないが、本当に限界だと思わせるだけの事もするのだ。
あの健輔も1年前の春にしっかりとトラウマを刻まれている。
「小賢しさも悪くはないけど、あなたの問題点は正道から逸れていること」
正道を知った上で邪道となり相手を潰すのならばいいのだが、あまりにも聞き分けが良すぎる。
自己の限界にあっさりと見切りをつけるのは上位チームのすることではない。
限界に挑み、超えるのをエースでなくても要求されるのが上位チームだ。
何故ならばクォークオブフェイトを含めた上位チームの『敵』とは須らくが限界を超えているのだ。
同じ領域にいかずして、戦えるはずがない。
「桜香ちゃん、しっかりと覚えておいてね。こうやって、叩き潰すんだよ?」
『はい。……絶対に忘れません』
この地獄の特訓は嘉人のためだけのものではない。
嘉人はまだ無自覚に踏み入れただけであるが、自覚的に挑むことを放棄している連中がいる。
彼らの目を覚ますために必要な暴虐を桜香が身に付けるのもこの特訓の目的なのだ。
結果的に嘉人は下手をしなくてもアマテラスのメンバー以上の地獄に放り込まれる訳だが心優しい先輩たちは笑顔で全てを受け入れていた。
「うん、それじゃあ――いくよ!!」
葵たちのイイ感じの笑顔を思い出して、つい笑ってしまう。
地上は文字通りの意味で地獄絵図になっているが、葵たちはこれが嘉人のためになると信じて送り出していた。
麗しい信頼関係だが、確実に嘉人に景色を楽しむ余裕はないだろう。
真由美の視界には決死の表情で逃げ続ける姿しか映っていない。
この状況を楽しむほどの豪胆さは流石にまだ望みが高すぎる。
「正道だけじゃなくて、全てを哂う余裕。後は、どんな状況でも楽しむ不敵さ。非常に嫌なキャラになるだろうけど、まあ、頑張ってね」
最終的にどのような形になるのかは嘉人が決めればいい。
今は真由美たちが知っている曲者たちが備えているものを身に付けられる状況に放り込むだけだった。
ここから何を掴むのかは本人の努力次第である。
真由美たちが強制するものではない。
『大丈夫ですよ。彼も、クォークオブフェイトです』
「……そっか。うん、そうだね。ありがとう、フィーネさん」
『いいえ。私の後輩がお世話になってますからね。この程度はさせてください』
「ははは、受け取っておきますね」
和やかな雰囲気は地上を駆け抜ける嘉人には見えない。
涙で視界を歪めた彼の決死行1日目はこうして終わりに向かう。
これがまだ始まりに過ぎない、という事実を知らず解放に向けて必死に走り続けるのだった。




