第120話『同志』
健輔という男は良くも悪くも影響力がある。
現時点でクォークオブフェイトの中心は間違いなく彼と葵なのだ。
片割れの様子がおかしくなれば全体に波及するのは当然だった。
とはいえ、チームに齎される変化はそこまで劇的なものではない。
より重要なのはもう1つの方。
ランカーとして健輔の変化が他のランカーに影響を与えることだった。
「あー、その、大丈夫ですか?」
「……いえ……そのっ」
レオナは小さくなって体育座りをしている。
発せられる拒絶のオーラに健輔も何も言えなかった。
衝動的な行動からの失敗。
健輔には結構覚えのあることだが、優等生なレオナには初めての体験であった。
感情のままに暴れたことへ、羞恥心が暴れているのだ。
楚々とした振る舞いで常に余裕に溢れていた人物と同一人物には見えない。
「気にしてないんで、続きやりませんか。時間が勿体ないですよ」
「わ、わかってます。反省会を、しているだけです。本当に、それだけですからね」
「えっ……あっ、はい、わかりましたから! 睨まないで下さいよ……」
伏せた顔を上げて、涙目で睨んでくる。
こういう態度を取る女性に勝てたことは1度もない。
健輔も諦める最強の敵である。
かつてのサブリーダー、近藤隆志も言っていた。
泣く子には勝てないから諦めろ、と。
「……陽炎、どうしてこうなった?」
『さあ? マスターの方に不備はなかったと思いますが。過去最高のバイタルでしたよ』
「だよなぁ……。全力でやったのにどうしてこうなったよ……」
光の女神を侮ってなどいない。
健輔は現時点で持てるモノを全て投入して戦ったはずなのだ。
何が気に入らないのかがさっぱりわからない。
焦点のズレた言葉を吐き出す男に、か細い声で否定の言葉が届く。
「別に、その……戦いに不満があった訳ではないです」
「へ?」
悩む健輔にようやく再起動したらしいレオナが話し掛ける。
微妙に声が震えているが、気にしないようにして続きに耳を傾けた。
地雷を踏むことに定評のある健輔でも見えているものをわざわざ踏みにいく趣味はない。
「あなたの……雰囲気が、以前と変わっていたので……」
「雰囲気?」
「……自覚がないんですか?」
問われて思い浮かべるが特に疑問に思うところはない。
いつも通りであり、何も変化はさせていなかった。
強いて上げるのならば、いつもより深く集中できたことだろうか。
頗る快調であった。陽炎が過去最高と評したのに何も疑いを持たない程度には自覚もある。
「う~ん、多分だけど集中のし易さくらいしかないかな」
「でしたら、それが原因だと思いますよ。おめでとうございます」
「何がおめでとうなんだよって、じゃなくて、ですか?」
健輔の問いかけにレオナは言いたくなさそうに顔を歪める。
教えたくないというよりも、嫉妬心だろうか。
自分よりも上にいった存在に対する当然の感情が垣間見える。
それでも矜持に従って、新たなる女神は答えを口にした。
「欧州では、ランカーとしての評価で実力以外にもう1つ重要な要素があるんです」
「重要な要素?」
「一言で言えば、格です。勝てないと思わせるだけのオーラを持つ者を、上位ランカーと呼んでいます」
ランカークラスが並立したことがある欧州ならではというべきだろうか。
今年度でもそうであるようにどれほど強くともランキングからあぶれてしまう者は一定数生まれる。
過去にランカーが増えすぎてランキングからだけでは強者が見分けられない、という時代が存在したのだ。
ランキングにはいないが、ランキングにいる者よりも強い。
こうした隠れた存在になった強者を見分けるために生まれたのがレオナの言うところの雰囲気での強者を見分ける方法である。
「運や流れなど関係なく本当に強い魔導師が持っている、とされているものです。確定した何かがある訳ではないですが、まあ……凄みと捉えて問題ないと思います」
「本当に強い魔導師ねぇ」
レオナの言うことはわかるが健輔にはしっくりとこない。
真由美との戦いでいろいろと心境は変わったが本当に昨日までと何かを変えたつもりはないのだ。
嘘を吐く意味などないことから言っていることを疑ってはいないが、随分と現実味の薄い話であった。
レオナから見て強者と感じるということは、それ以下の者たちも同じだろう。
ハッキリと傍目からわかるほどに実力が上昇したとは思えなかった。
「信じられませんか?」
「そりゃあ、真由美さんに勝ったのは嬉しいけどさ。それだけで劇的に変わるものか? まあ、あなたが嘘を吐くとは思わないから、本当だとは思いますけど」
「当然の言葉ですが、あなたが言うと釈然としないわね。まあ、いいでしょう」
レオナは一旦言葉を区切り、次の瞬間に魔力を放出した。
噴き出す魔力は中々のもので健輔に次ぐランカーとして遜色ないものである。
「どう思いますか?」
「ん?」
「ですから、どう思うのか、と聞きました」
「どう思うって……」
質問の意図がわからずに眉を顰める。
中々の実力だ、などの感想を求めているのだろうか。
とりあえず率直な意見を述べてみる。
「普通にランカーとして見事だと思うけど」
「なるほど。では、こう聞き直しましょう。怖いですか? 自分よりも上だと、感じましたか?」
「あん? いや、それは」
「感じないでしょう。でしたら、あなたは強くなってますよ」
レオナは魔力を鎮めてから改めて健輔に告げる。
健輔は常に相手を格上と想定して対処を進めてきた。
姿勢として間違ったものではないが、強者たる態度なのかと言われると微妙だろう。
強い者には相応の振る舞いがある。
立場に応じた振る舞いというのは必要なものであった。
皇帝が王者だからこそ、多くの魔導師が奮起したのである。
過去には暴君が、もしくは圧倒的な女帝がと変わることのない真理。
健輔はそういった時代を背負った魔導師たちには雰囲気が劣っていた。
もっとも、それも過去の話である。
真由美たちがそうであったように認められるだけの何かを健輔も手に入れたのだ。
レオナにはそれがよくわかる。
「時代を代表する。正しくその領域に来たということでしょう」
「……つまり?」
「近藤真由美が、『終わりなき凶星』がそうであったようにあなたも何かしらの先駆けになる。いいえ、もうなっているのでしょうね」
万能系で戦闘という道を切り拓いている。
困難な道のりを走破するからこそ、名が上がるのだ。
今後の魔導に影響を与える偉大なる魔導師たち、名実共に健輔はその領域へと踏み込んでいる。
「まだしっかりとした自覚はないのでしょうが、魔力の密度が上がっています。力が上がったように感じられる現実的な要因はそちらでしょうね」
「はあ? この短期間でか? いやいや、確かに精神的には重要だけど、それだけで……」
「変わるのが、魔導です」
レオナの断言に言い返す言葉はない。
確かに真由美を倒したがあの領域にいると言われても納得できないのは無理もなかった。
憧れとは遠く、追い掛けるモノ。
手に入れて守るべきものではない。
「失礼ながら、私はあなたが自分に似ていると思っていました」
「へ?」
唐突なレオナの語りに目を丸くする。
戸惑う健輔に気付いてはいるのだろうが、彼女は特に気にした様子も見せずに続けた。
「同じ、追い掛ける者ですからね」
「……ああ、なるほどね」
「自らを弱者として、誰かを追い落とすのが佐藤健輔ならば」
「自らを従者として、誰かに付き添うのがレオナ・ブックか」
正確だ、と言いたげに優しく光の女神は微笑む。
レオナの健輔への当たりのキツさも根本には同類への反発があった。
レオナからすれば歪んでいるのは健輔の方である。
憧れを追い越そう、倒そうなどというのはある意味では矛盾している思考であろう。
倒してしまえば憧れは憧れではなくただの現実になってしまうのだ。
健輔は既に超えられない憧れはない、と自らで証明してしまった。
自己のアイデンティティを己の行動で消滅させる。
端的にアホの所業だが、少しだけレオナにも意味がわかるようになってきた。
「憧れは超えたところで憧れのまま。あなたは、そういう方なのでしょう?」
「……ま、まあ、その面と向かって言われるとあれだけど、その通りかな」
普段は決して言うことはないが、健輔はいろいろなものに憧れている。
真由美に、葵に、優香に、そして親友の圭吾にも。
己の中にないモノを常に羨ましがっている。
ようは極端な欲しがりなのだ。
結果として、発現した能力にも願望が現れている。
皇帝の在り方にも、フィーネの在り方にも、桜香の在り方にも彼は一抹の憧れがあるのを隠すことは出来なかった。
勝ったぐらいでは、手に入るとは思えない。
他人は何処までも遠く、追い掛けるに値する。
行動と意思で、健輔は理屈としては正しかったレオナに理屈じゃないことを教えてくれた。
「憧れはいつまでも憧れで。私も1つ上にいける。あなたのおかげで」
「お、おう。よくわからんが、良かったな」
涙目から気付けば視線に変化が生まれている。
一切の汚れが存在しないキラキラとした瞳に健輔は怯む。
前の微妙に敵意がある方がやり易かった。
悪意には反撃をすればいいだけ対処は容易である。だが、好意を無碍に出来るほど健輔は終っていない。
「ふふっ、どうすればわからない、ですか?」
「ぐっ……」
レオナの真っ直ぐな視線に怯んでいることを見抜かれている。
非常に恥ずかしいが、見抜かれてことは仕方ないと受け止めた。
こういう場面で勝てた試しなど1度もないのだ。
流石の健輔も自分には向いていないと諦める。
「そんなに俺ってわかりやすいか?」
「いいえ、そんなことはありませんよ。かなり単純だとは思いますけどね。私がわかるのは、そうですね。同類の特権ということにしておきましょうか」
「なんだよ、それ」
子どものように無邪気な笑み。
光の女神の異名のままに、彼女は穏やかに微笑んでいる。
しかし、女神がそれだけの存在のはずがない。
「では、あなたにわかりやすく教えてあげましょう」
健輔と対峙して、確かな変化を見届けた。
レオナも既にフィーネとの決別は果たしている。
健輔のような卒業はまだ先であるが、この場にいるのはフィーネの後継者というだけではないのだ。
彼女にも意地があり、矜持がある。
1番近くて、遠い上位のランカーに思うところがあった。
「私も、強くなったということです」
「――へぇ」
指向性の魔力が健輔に叩き付けられる。
昨日までのレオナとは何かが決定的に違う。
肌に電流が走る感じは、上位ランカーと対峙した時の緊張感と似ていた。
質が向上した、というのは間違いではないようである。
健輔が同じ領域にいる、と称した意味もなんとなくだが理解できた。
「なるほど、試運転か?」
「お付き合いをお願いします。ダンスを、一曲如何ですか?」
「女から言うことじゃないだろう。――ま。構わないさ。今のお前さんなら本当に楽しくやれそうだしな」
お互いに晴れて1歩踏み出した者同士。
もしかしたら、何処かで道が交わる可能性もあったかもしれない2人。
しかし、現実は彼らを敵として出会わせた。
ならば、やることは1つだけだろう。魔導師としてごくごく自然な形。
門出を祝う全力の戦闘が幕を開ける。
「いくぞ、レオナ・ブック!」
「きなさい、佐藤健輔!」
先人を超えて、新しく時代を創る。
全ての魔導師がそうしてきたように、今度は健輔たちの番が回ってきたのだ。
2人の後ろを振り返るつもりはなく、立ち止まるつもりもなかった。
練習だが、熱くぶつかり合い、想いを高める。
レオナとの2戦目。
先ほどよりも激しい戦いが、幕を開けるのだった。
美咲がいない状況では健輔は十全の力を振るえない。
彼にとって未だに単独での『原初』は遠く、真由美を凌駕したと言ってもまだまだ未熟な部分があるのは事実であった。
対して、光の女神にそのような枷は存在していない。
最終的な強さでは健輔が凌駕していても完成度では足元にも及ばないと断言してよかった。
『術式発動が早いです』
「わかってる!!」
降り注ぐ光の雨を迎え撃ち、健輔は相手の観察を続ける。
『光の女神』レオナ・ブック。
先代のフィーネと比べるとあらゆる面で劣り、女神の名が持つ意味から考えると些か力不足な点が目立つ。
しかし、これは彼女の本質を掴んでいないとしか言いようがないだろう。
フィーネが自らの後継に相応しいと選んだのは伊達でもなければ酔狂でもない。
レオナが相応しいからこそ継がせたのだ。
真実、力不足の存在ならばフィーネはその名を託したりはしていない。
彼女のそういったシビアな面を健輔はよく知っていた。
「期待だけじゃない、やっぱり何かあるんだろうな」
健輔が真由美から巣立ったことで何かが変わったように、フィーネから巣立ったレオナにも何か変化がある。
先ほどの会話からその程度のことは読み取っていた。
『現状、最速の発動速度以外に見るべきところはないですが』
「まあ、それだけでも脅威のは事実だよ。甘くみるのはよくないだろうさ」
データが示すのはレオナの早さについてだけ、大きな変化はないように見える。
次々と術式を展開して、戦い方を変えていく様は総合力の高さを見せつけてきていた。
ここで健輔はあることに気付く。
彼女と自分には憧れに対する姿勢以外にも似ている部分がある。
「……なるほど、確かに似ているな」
レオナの言葉が戦闘になるとよく実感できた。
心や立場、などという抽象的なものよりも余程わかりやすい。
健輔のバトルスタイルとレオナのバトルスタイル。
始まりがパワー不足という点も含めてよく似ている。
力不足を補う多様性。
視点の置くところを含めて何とも言えないシンパシーを感じていた。
「光の剣、応用力も高いな!」
「でなくば、勝ち残れないので。あなたも同じでしょう?」
「ハッ! 違いないな」
健輔も魔導機を双剣に切り替えて応戦する。
美咲がいない状態、つまりは『原初』ではなく『回帰』のレベルだと健輔とレオナに大きな差は存在していない。
対応力においては健輔が優り、それを活かすだけのセンスがあるため、最終的に勝つのは健輔ではあるだろう。
しかし、学においてはレオナが優っている。
「その程度で!!」
一瞬で展開される術式。
見覚えのない術式に健輔は判別を陽炎に託すしかない。
「これは――!」
「穿て、光の涙!!」
『警告。周囲に術式展開。全方位――囲まれています!』
「この描かれ方は、まさか」
いつの間にか描かれていた術式が健輔を囲んでいる。
レオナが光で術式を描くのは知っているが、これはそれだけで説明できない。
その場で素早く展開する技術がレオナの技であり、遠隔地に術式を隠蔽するものでははずだし、不可能な所業である。
「――墜ちろ!」
「断る!!」
極太のレーザー攻撃。
単純だが、ゆえに速度においては最速を誇る変換された物理事象に破壊系は意味をなさない。
回帰といえ、健輔が押されている。
レオナの確かな実力がここにあった。
「やはり、これでは決まりませんか」
それでも、どうしよもない差こそが『格』である。
攻撃で悪くなった視界が晴れるとそこには無傷の男がレオナを見据えていた。
万能系の対処能力。事前の準備をしないといけないバックスと違い、その場の機転で健輔は全てを凌駕する。
「はは、なるほど、なるほどね。さっきのは、移動する際に纏っている魔力で描いていたのか?」
「ええ、そこそこの出来だったでしょう?」
「俺以外ならば相応のダメージは与えられるさ。上位には厳しいだろうけどな」
「でしょうね。手品でしかないのが私の技術です」
「いやいや、謙遜ですよ。――俺には、とても重要な技術だ」
レオナが健輔に練習を申し込んだ理由を理解する。
奇跡的なまでに、両者は必要としているものが被っていた。
健輔は美咲抜きで『原初』の領域に至りたいが、どうしても時間が足りない。
必死に勉強すればいい、というだけの話だけではなく、制御の問題があるのだ。
美咲は制御のみに集中すればいいのと、溜め込んだ知識量でなんとか出来るが、健輔は両方が欠けている。
後者はなんとかなるが、前者だけは解決できない問題となってしまう。
しかも、相談しようにも美咲も戦闘中の術式操作に関してはまだ手探りなのだ。
経験も欠けている以上、健輔が独学でなんとかするしかなく、当然ながら時間が半端なく掛かる。
「俺の問題は、あなたが解決してくれると?」
「ええ、ですから――」
「――あなたの問題を、俺は解決すればいいのか」
レオナは非常に優れた魔導師である。
確かな地力を持ち、バックス的な観点も持っていた。
美咲のように専門家ではないが、変わりに違う観点を保持している。
ここから得られるメリットは大きい。
自らの特性を利用して、魔導陣という大規模火力を即時展開するだけの術を生み出したのだ。
健輔や美咲が協力すればもっと凄いことも出来る。
ある意味では非常に魔導師らしいのがレオナ・ブックであった。
「ふふ、ご理解いただけて嬉しいです。私は……戦闘がそこまで上手くありません。あなたに勝てない理由の1つであるのは間違いないでしょう」
「でしょうね。選択が遅い。正確に言うならば」
「決断力に難がある。真由美さんにも言われましたよ」
優秀な魔導師だが、戦闘に一抹の不安がある。
レオナが欠けているのが、その部分ならば解決できるのは似たような万能タイプのこの男だけであろう。
お互いが足りないモノを相互に補完できる関係。
レオナ・ブックと佐藤健輔。
2人は隠れた相性の良さを持っていた。
「では?」
「そこを変えたい。いいえ、変えます。そのためにも、力を貸してください」
差し出す右手は親愛の証であると同時に宣戦布告である。
学んだことを活かして叩き潰す。
籠められた意思は苛烈であった。
覇気に満ちた眼差しと揺るがぬ意思に健輔は笑う。
ここにも1人、強大な魔導師がいた。
そして、強大なものが己に戦いたいと主張している。
これ以上ないほどに理想的な状況だった。
「いいだろう。同じ下位ランカー仲間として、一緒に上位を倒しにいこう」
「ええ、よろしくお願いします」
同盟はここに成る。
お互いがお互いの持ち得る全てを相手に伝えることで2人が強くなっていく。
女神が真価を見せ、境界は天に至る。
そのために必要なものが揃ったのだった。




