第116話『見据えるべきもの』
魔導に限らず物事には相性と言うものがある。
相性を凌駕する圧倒的な力も世の中にはあるが、彼あるいは彼女は数少なく希少なため、一般論で語るには適さない。
圧倒的な強者を除いた者たち、ごく普通のものたちにとっては相性を覆すのは至難の業なのは間違いないことだった。
多少の不利程度ならばともかく、もし相性が絶望的なものだったらどうなるのか。
この戦いは端的にその結末を示していた。
彼は強者であるが、その強さは圧倒的ではない。
フィーネとランクは同じでも明確に差が存在している格。
それこそがこの場での優劣を決めてしまっていた。
「ぐっぅ!」
アレクシスは歯を食いしばって必死に回避機動を取る。
総合能力ではこの合宿に参加する者たちの中でも最高峰だが、彼はその能力を使いこなせているとは言い難い。
イメージではもっと鋭く、早く飛べているはずなのだが、思ったよりも速度は出ていなかった。
彼を捉えようとしている攻撃がその証拠である。
「バカな……! 格落ちのランカーがここまで、やれるのか」
額の汗を拭う。
世界ランク第3位。
『理の皇子』アレクシスは圧倒的な砲撃群に押し潰されそうになっていた。
彼を追い詰める存在こそ、現在はランク外となった前年度のランカー。
『星光の魔女』クレア・オルブライトである。
「う~ん、あんまり調子よくないかも」
アレクシスから遥かな上空。
目視では確認できないほどに距離を取った魔女は自らの砲撃に不満げな言葉を漏らす。
直ぐ傍に展開された巨大な魔導陣には恐ろしいまでの魔力が充填されて、休みなく暴力を地上に撒き散らしていた。
攻撃の規模がハンナや真由美と比較しても1段階ずれている。
戦略級とも称される圧倒的制圧力に皇太子はそもそも接近すらも出来ていない。
真由美はその火力と防御を移動要塞と謳われたが、こちらは真正の要塞である。
不動である限り、彼女を超える破壊力は中々に難しい。
昨年度のランカーはやはり3強が有名だが、その下にも3強の冠を持つ者たちはいたのだ。
総合力のハンナ、後衛としての完成系たる真由美、そして遠距離の極みにいるクレア。
距離がある状態で準備さえ整っていれば、彼女は3強にも届き得る魔導師であった。
「それにしても、今年の3位は弱いわね。アレンの方が上じゃないかしら? 多分、正面戦闘なら術式を封じられても問題ないわよね。あーでも、前年度の順位があったかぁ。本当に面倒臭い制度だわ」
整った唇から漏れだす評価はあまり芳しくない。
数多の強敵とぶつかり合った経験を持つ彼女にとって、あの程度の芸は見慣れている。
もう少し隠し玉があるかと思っていたが、拍子抜けもいいところだった。
確かに強いのだが、己の特性を履き違えているように見える。
「術式を解体するのは凄いけど、距離がある状態じゃね。近接戦闘ならいける、っていうのは自然な考えだけど」
現役では最高の経験値と錬度を誇るのがクレアである。
才能の塊で、現在進行形で伸びているがアリスでも彼女には絶対に勝てない。
何故ならば1つ年下であるにも関わらずハンナや真由美と互角だったのが彼女なのだ。
最高学年たる3年生にもなれば、円熟した能力を備えるのは言うまでもない。
アレクシスの能力は確かに凄いが対処方法がない訳ではなかった。
むしろ、知ってさえいれば対処自体は簡単な能力であろう。
視認されて、認識されていなければどうとでも出来る。
何より、空間展開内で複数の特性を持つなど正気の沙汰ではない。
皇帝ですらも1つに集中してこその結果なのだ。
複数の能力を同時に発動させれば精度が落ちるのは当然だった。
「チグハグね。強いけど、弱い。……なんて言うのかな、自分を制御できない皇帝、かな? うーん、これも違うがする」
才能はトップクラス。
実際の実力も観察する限り確かにランカーの域にいる。
問題は何か、と考えた際に脳裏に過ったのは皇太子の態度についてであった。
飢えた狼。
勝利を希求する姿は迫力を感じさせた。
しかし、同時にクレアは失望も感じてしまったのをよく覚えている。
「自信がない。……そっか、ランカーらしくないのね。あー、それは困ったなぁ」
おそらくだが、才能と実績が噛み合っていないのだ。
昨年度の世界大会、本来ならば1回戦敗退こそが分相応だったのだろう。
問題はくじ運の良さなのか、それとも運命の悪戯なのか。
原因はともかくとして、予想以上に勝ち進み、桜香とぶつかってしまったのが彼らにとっての悪夢の始まりであろう。
本当のトップを気構えが出来る前に見てしまった。
しかも、ここで1年生ばかりのチームでリーダーがアレクシスとであることが裏目に出てしまう。
誰も彼を導けないのだ。
結果、トラウマとなった力が彼から本来の持ち味を削いでしまっている。
「うわぁ、弱い者いじめじゃないのよ……」
困ったように頬を掻く。
休みなく作業は進んでいくが、このままでは遠からずに相手を撃墜してしまう。
アレクシスが勝つにはなんとか接近して、一撃を加えるしかないのだが、もはやそれは叶わない望みであった。
クレアもバカではない。
弱点への対策はしっかりと行っていた。
彼女は準備に時間が掛かるが後衛としての戦術を確立させている。
未だにバトルスタイルもない能力頼りの男では相手にならない。
「図ったわね、あの性悪……。何が、君も世界3位と戦う機会が欲しいだろう、よ。こんなのまだまだじゃない」
身の丈に合わない評価に応えようと必死になっている後輩を粉砕するほどクレアは悪趣味ではない。
最初からこういう反応になることも含めて、この戦いに誘導した性悪に呪いの言葉を吐いてから仕事に取り掛かった。
「あーあ、いやだいやだ。……良い能力も、本人がダメだと宝の持ち腐れね」
全ての能力が見事に噛み合っていない存在に憐れみの視線を送り、同時に天罰の光は地へと降り注ぐ。
現状において、どう考えても釣りあわない力が皇太子を苦しめる。
彼の前に光明はまだ見えないのだった。
「おー、流石は星光の魔女。素晴らしい攻撃だね」
「同意しますが、本当にイイ性格していますね」
「ははっ、君もそう思うかい? 僕以上のナイスガイはクリスしかいないと思うんだよ」
「皮肉です。まったく……」
合宿の全てを観測する2人は各地の戦いを見ながらリアルタイムでメニューを変更する。
バックスとして最高峰だからこその技能。
この分野のみに絞れば間違いなく世界でも最高の環境であった。
「全てわかっていて、何も忠告しませんでしたね?」
「聞く耳がなかったしね。既に失敗してるのに自分ならば大丈夫、とか思っているバカは痛い目をみないと反省できないのさ」
「まったく……」
「君に冷たい目で見られるのは嫌じゃないけど、弁解させて貰うと一応、我らが皇子のことを考えてだからね?」
情という観点からすれば最悪であるが、合理的に考えれば左程痛い失敗ではない。
自らを見つめ直すからこその反省である。
我武者羅に努力しただけで報われることはないのだ。
ジョシュアの言は莉理子とスタンスが異なるが悪い事ではなかった。
「武雄さんと同じく反対し難い方ですね」
「心優しいのはいいことだけど、男なんて殴られてなんぼさ。肉体的な痛みは流行じゃないけど、心は強くないとね」
「最終的に反発しても、それはそれでいい。あなたはそう思うのですね」
「所詮はコーチ。僕を外様として扱っているのは彼だからね。ああ、彼のチームメイトにはしっかりと説明しているよ」
アレクシスの矜持など彼からすると容易く裏を掻ける。
悪意がある訳ではないが、性質の悪さは一級品であった。
頭脳勝負では皇太子はこの男の敵にすらもなれていない。
味方すらも嵌めて最善を尽くす姿は参謀の鏡だが、なんとも真似をしたくない姿である。
「他所のチームの事情です。こちらの影響がないのならば構わないですが、わかっていますね?」
「ははっ、勿論だよ。皇太子は脳筋戦法をやりたいようだけど、お前には向いてないって教えたいだけだからね」
「言葉で言えばいいのに。面白い方を選ぶ愉快犯っぷりは変わらないですね」
参謀をやるような男子は全員こうなのだろうか。
莉理子は過去を振り返るが約1名以外は別に該当しない。
やはり彼らが特殊だと思うべきであろう。
「強いバックス魔導師は性格が悪い。そんな風評が立っても知らないですよ」
「いや、真理だと思うよ。君たちの感受性に立ち向かうには多少はあくどくいかないとダメだと個人的には思うかな」
「楽しんでいるくせに殊勝な言葉ですね」
呆れたような、いや、実際に呆れている。
武雄もそうだが本音と建て前を上手く融合させて事態を面白い方向に誘導する癖が彼らのような男にはあった。
愉快犯的な気質に踊らされた魔導師は少なくない。
これまではジョシュアを完全に制御する男がいたが、既に彼も自分の道にいる。
分かたれた2人は異なる方向性で世界に波紋を起こそうとしていた。
「スパルタな先輩で、皇太子も大変ですね」
「何、期待の裏返しという奴さ。彼ほどの才があるのに、あれほど巡り合わせが悪い奴を僕は知らないよ」
「挫折の経験、ということですか」
「ああ、才能があるものは挫折を味わうことが少ない」
才能ゆえに踏破出来て、失敗した後は2度目はないように注意を払うのが天才である。
しかし、如何なる天才もミスをミスとして認識できなければ改善は不可能だ。
結果として、才能と異なりいくつもの挫折を味わうことになる。
「運が悪かったのをミスとは思わないだろう? まさか、九条桜香とあの段階で正面から戦うの間違いだった、なんて思わないしね」
「実際、あれはミスとは言い難いですね」
「だろう? じゃあ、その後に皇太子がすべきことは何だったのか。ここでのミスとはそこを指すのさ」
桜香にあまりにも圧倒的に粉砕されたゆえに彼は自らの適性に気付く機会を失った。
落ち着いて自己を見直せばなんとかなったかもしれないが、至るべき機会を摘み取った男がここにいる。
多少の挫折、程度では困るのだ。
「数えきれないほどの敗北。屈辱からの怒り。彼の中に渦巻く感情に折れるのか。それとも――」
「――立ち上がるのか。なるほど、確かに難しい問題ですね」
「立ち上がれば、現役どころかウィザードにもいないほどの『敗北の経験』を備えた天才が生まれるよ。いや、実に楽しみだ」
自分の作品がどのような形になるのか。
クリエイターの顔をしながら、彼は微笑む。
笑顔には愛が溢れているが、アレクシスが望んでいるのかは誰にもわからない。
与えられる試練は苛烈で容赦がなかった。
情が存在しないからこそ、相手の限界を見極めて、彼はギリギリまで追い詰める手法に長けている。
「性悪。あなたを封印していた王者はやはり規格外ですね」
「そうだろう? 僕が知る限り最高の男さ。だからこそ――」
王者すらも打破する存在を生み出したいとも思っていた。
誰にも打ち明けたことのない野心を胸に秘めて、ジョシュア・アンダーソンは笑う。
星の輝きに消し飛ばされた彼らのリーダーを嘲笑いながら愛でている。
世界最高峰の曲者が揃った彼らの合宿。
世界最強が揃ったクォークオブフェイトたちの合宿とは対極にあるが、厳しさは何も変わらない。
この環境で彼らも自らを研ぎ澄ます。
広がる脅威は、此処にも確かに存在するのだった。




