第114話『それぞれの形』
本命からは離れた戦い。
お互いに付き添いだと理解している両名のある意味では義理での参戦。
九条優香と藤田葵の戦いは傍で行われる戦いと比べると非常に地味であった。
「ハッ!」
「フンッ!」
健輔と真由美ほどではないが、2人もお互いに関係が深い。
クォークオブフェイトの中では安定した戦力として組むことも多く、お互いの癖はそれなりに把握していた。
優香がこうくるのならば、葵はこのように動く。
お互いに優れているからこそ、戦いは決まったルートを進む。
想定外が起こりえる可能は0ではないが、覆すためのピースが足りない。
よって、結果は分かり切っていた。
一定時間、それこそ真由美と健輔の決着が付くまでの間、優香は決死の猛攻を繰り広げて、こうして敗北を喫する。
「っぁ!?」
「――終わり、ね」
遥かな閃光を見送って、同時に優香の剣が弾き飛ばされる。
「葵さんの、勝ちですね」
「ええ、また私の勝ちね。優香、あなたは……いえ、ここで言っても詮無きことだわ。お疲れ様、いい戦いだった」
「はい……」
暗い顔は葵が飲み込んだ言葉の意味がわかるためである。
変わらないのね。
寂しそうに呟く姿が容易く幻視できる。
魔導に限らず積み重ねた技術には基礎が必ず存在しており、始まりの形から脱却することは中々に困難なことであろう。
健輔が真由美から巣立ったように、何かしらの切っ掛けが必要となる。
基礎を押さえた上で、目指すべき頂。
優香も理屈ではわかっている。
「どこまでも、どこまでいっても、まだ未熟」
既に葵はこの場にいない。
葵は自他に厳しい人物である。
傷つけたからといって、簡単に手を伸ばしてくれるような人ではなかった。
悩み、苦しむことを是としている。
苦難を超えた先に真実の光があると、葵は信じていた。
肩に掛かる期待に優香ですらも、時に弱気になる。
「先輩たちは遠い。姉さんも、遠い。そして……」
1つ、確かな差が生まれた。
最後の線を超えて、健輔はきっと、駆け抜けていくのだろう。
優香にはその光景が簡単に想像出来てしまう。
無駄に優秀な自らの想像力をこの時ばかりは呪ってしまうそうである。
「付いていけるのかな」
彼女の弱音は誰にも届かず、空へと消えていく。
隣にいるには対等でなければならない。
姉と同じ場所に立とうとする男に付いていけるのか。
優香の才覚が及ばない領域がついに見え始めた。
時間は平等に過ぎ去っていく。
優香が足踏みする時間もまた平等に流れ去ってしまうのだ。
今はただ敗北を噛み締めて、望む未来へ心を飛ばす。
決断の時は、直ぐそこにやってきていた。
真由美を討ち取る。
思い描いて、夢を見て、必死に努力をして――ついに健輔は1つの結果を手に入れた。
フィーネに、皇帝に勝利した時も深い感慨があったが、今回はそれだけではない。
ある種の寂寥感も胸を満たしてた。
真由美は自分よりも強く、偉大である。
まるで子どもがヒーローを信じるように、健輔は彼女を信じていた。
強さではフィーネたちの方が上であろうとも、憧れたのは真由美なのだ。
理想に手を掛けて、一抹の寂しさを感じるのも無理はなかった。
「そ、そうか……勝ったのか」
「うん、あなたの勝ちだよ。流石だね、健ちゃん」
優しく微笑む真由美に、こみ上げるものを感じるが意地で流れるのを阻止する。
健輔は男である。
そして、極度の意地っ張りであった。
涙を流すのは人前ですることではないと己を縛っている。
「健ちゃん」
「はい……」
真由美のライフは0になり、決着は付いた。
勝者と敗者。
明確に分かれたラインが2人の立場を違う場所に置く。
もう、佐藤健輔は近藤真由美の背中だけを追う人間ではなくなっていた。
とっくの昔でそうであったが、心の中にあった1つの甘えが完全に消滅したのだ。
ここから先は健輔が1人でやっていかないといけない。
「何か、特別に言うことはないよ。でも、そうだなー。1つだけ、言わせて貰うなら――」
敗者の真由美が勝者の健輔よりも清々しい表情なのは彼女も戦いを終えたからだろう。
確かな成果を確認した以上、落ち込む必要はないと思っている。
「――勝ちなさい。あなたなら、きっと桜香ちゃんにも負けないよ。私はそう、信じてます。私と出会ってくれて、ありがとう」
「っ……ご指導、ありがとうございました」
勢いよく健輔は頭を下げる。
強さで上回っても、健輔は真由美を尊敬していた。
これからもきっと、それは変わらないのだろう。
変わらない関係と終わる関係。
健輔は魔導師として、本当の意味で自立する。
寄りかかっているだけの自分では辿り着けない場所に行くのだ。
上位ランカー、いや、最強たる者たちが頂で待っている。
「必ず、あなたの弟子が最強を倒します」
「うん。頑張ってね」
負けられない理由がまた1つ増える。
昨年度の世界大会で健輔は真由美の夢を叶えさせることが出来なかった。
誰が何を言おうがあの時に自らと向き合うことを怠った健輔の責任を自らが痛感している。
真由美には見せないし、当然優香にも見せないが彼だけは絶対に忘れない。
「はい。……今度こそ、必ず」
掌を見つめて、強く握り締める。
ここは到達点ではなく、そもそもとして始まりですらもない。
既に健輔は最強を倒すために進んでいる。
それでも、ここは1つの頂であった。
目指すは遥かな先。
ゴールはまだまだ見えないし、きっと躓くこともあるだろう。
しかし、やり切ると決めたのならばやり切るだけである。
最後まで挑戦を続ければ、必ず夢は叶うと信じていた。
「じゃ、宿舎に帰ろうか。お姉さんは疲れたよ」
「回路の方は大丈夫なんですか?」
「うーん、微妙かなぁ。さなえんに制御を頼んでるんだけど、ちょっとガス抜きがいるかも。健ちゃん、よろしくね」
「りょーかいです。なんか、妙に懐かしいですね」
小さいが強い背中を心に刻む。
この姿を忘れない限り、自分は必ず踏破できる。
健輔は確信を持っていた。
相手が誰であっても、きっと近藤真由美よりも戦い辛い相手などこの世にいない。
勝ちたくない。
初めてそう思ったのが、この人だったのだから。
負けたくなる心を押し殺した、純粋に楽しめなかった初めての戦い。
この戦いを無意味にしないために、健輔は歩き続ける。
止まらない理由ではなく、止まれない理由が生まれた。
自らのため以外の理由をようやく手に入れて、佐藤健輔は天に輝く星々に挑むことを強く意識するのだった。
「実に面白い」
「わかり切っていましたが、それ以外に言うことはないのですか」
「ふっ、女にはわからんよ。男が己の信念以外で戦う理由を得た。奴はもっと強くなるぞ」
「……多少、気に入らない部分もありますが、私は許容しましょうか。真由美さんにはいろいろとお世話になりましたしね」
「あなた達は……」
遠方から戦いを見守る3つの影。
かつての最強と今の最強。
卒業してからも圧倒的な存在感は僅かにも陰らない。
歴史に刻まれた最強たちがここにいる。
皇帝――クリストファー・ビアス。
女神――フィーネ・アルムスター。
太陽――九条桜香。
如何なる伝説にも劣らぬ最新の伝説たちは新しいライバルの誕生を静かに祝福していた。
桜香だけが僅かに不機嫌そうだが、全員がある種の高揚感を得ている。
「中々に面白い能力だった。自信と……後は挑戦への気概が感じられた」
「技量ならば負けない。まあ、あのモードは全身で主張していますからね」
「言い訳になりますが、私たちがその辺りが苦手なのは1つの事実でもあります。非常に癪なのも事実ですけど」
三者三様の意見だが、彼らの意見は一致している。
ミラージュモード、侮りがたし。
健輔が用意した牙は自らに届きえると認めていた。
実際、攻撃面では今までと変わらないが桜香を筆頭に全員が守りよりも攻めに比率が傾いている。
フィーネこそ例外ではあるが、技量で健輔に優る領域にいる訳ではなかった。
才能があるからこそ、あの形態は確かな脅威となる。
「特異な現象、ようは『純白』の魔力に頼らない力。確かな逆転への一手としてあのモードは用意されました」
「だろうな。我らの魔力とも同化が可能。魔力による防御はあれの前には完全に無意味であろうさ」
王者の断言。
黄金の魔力による守りすらもあのモードには無意味だと認めていた。
ミラージュモードは影であり、幻影であり、同時に鏡でもある。
鏡に拳を放てば、傷つくのは自らであった。
クリストファーは理想で現実を捻じ曲げるがそのために現実を深く理解している。
理想とは都合の良い妄想であってはならない。
彼の信念に正面からぶつかる健輔の理想が垣間見えた。
「現実では、負けない」
「健輔さんらしいですね」
「ああ、流石は『境界』だな。弱者と強者の狭間で我らに堂々と主張しているよ」
桜香の誇らしげな笑みをフィーネは横目で確認してから健輔に視線を移した。
真由美と共に消えていく背中はとても小さいのに以前よりもずっと大きく見える。
「まだまだ上を目指す。旅路は一段落ですが、続きもありますしね」
「また1人、楽しみな魔導師が生まれた。姫も喜ぶだろうな」
「さて、次は誰がこの領域にきますかね」
前年度は3強が完成した年でもある。
彼らに対抗する牙は既存のものしかなく、可能性に賭けたクォークオブフェイトが一矢報いたに過ぎない。
しかし、今年度は前提条件が異なる。
あらゆるチーム、あらゆる魔導師が完成した3強クラスを念頭において戦いに臨むのだ。
彼らは彼らなりに考えた刃を必ず携えてくる。
「加熱する戦いに、新しい形で関われる幸運」
「その年に王者である誇り」
「そして、決して負けないという意地」
彼らが生み出した争いの混沌から磨き上げられた戦士たちがやってくる。
健輔ですらもその1人に過ぎないと全員が確信を持っていた。
投入されるウィザードやレジェンド、かつてのランカーたちも必ず今に影響を与えるだろう。
激化している戦場に抱くのは希望しか存在しない。
「準備は整ったな」
「私たちもまだまだ上を目指す義務がある。個人としては勿論ですが」
「――チームとしても、ですね」
桜香の呟きに2人は反応しない。
その先は今を戦い抜く最強だけに許されたものだ。
彼らでも踏み込んではいけない領域だった。
「承知していますよ。私のやるべきこと、やらないといけないこと。このままではいけないでしょう」
「その割には、貴様の行動は鈍いな。情が邪魔をするのか」
「さて……」
チームメイトの大半は顔も覚えていない。
桜香にとってはいくらでも湧いてくる有象無象。
これも絶対の真理ではある。
「……私の心も、それなりに難儀な形をしていますから」
「知っている」
「同様に、です」
「……そんなにわかりやすいですか?」
「ええ、ハッキリと読み取れるぐらいに」
「貴様よりも面倒臭い女などこの世にはいない」
「い、言ってくれますね……! ま、まあ、いいですよっ」
同格の存在。
多少の差はあれど、似たような天才たちだからこそ桜香は少しだけ本音を――弱音を漏らした。
健輔の前では最強であるからこそ言い出せないことも、近くて遠い関係の彼らには言える。
「別に何か特別なものを欲して、友達になった訳じゃなかったんですけどね」
「……そう言ってあげればいいのに、あなたも大概不器用ですね」
「しかし、相手の気持ちもわからなくはない。自らに自信がないのだろうさ。どうして、何故、言い方は悪いが普通の感性だからこそ気になるものだ」
自らの容姿に自信がない者が物凄い美人から告白されれば善良な性格であれば狼狽えはするだろう。
問題はその後である。
何かの冗談ではないのか、もしくはこれは罠ではないのか。
猜疑心、というものが心に湧き上がってくるのを止められる者がどれだけいるのだろう。
「私が何を言ったところで彼女を追い詰めるだけでしょう」
「ふむ、道理ではあるな」
持つ者に持たざる者の気持ちはわからない。
桜香には親友が――亜希が苦しんでいることがわからないのだ。
そもそもとして、理由など欲していなかった。
一緒に過ごしてきた時間だけで別にそれで良かったのだ。
いつからか、追い詰められたような表情を見せるようになった幼馴染に桜香も何もすることが出来ない。
魔導を始めてからは自分に閉じこもってしまい、その間に広がった溝もある。
全ては自らの成した結果。
自己に理由を帰結させて、達観して受け止める姿は確かに優香の姉であった。
どちらも非常に不器用である。
「バカですね」
「……女神」
そんな桜香を一刀両断する声。
呆れたような声はフィーネが心底からあり得ないと思っている証拠であった。
無駄な心配に、無駄な気配り。
3強の中でも他の2名とはコミュニケーション能力のレベルが違う女性はあまりにも不器用すぎる姿に眉を顰める。
「友達だから、気を使わずにぶつかりなさい。親友、なのでしょう? 稀有ですよ。人付き合いが小器用だと、私みたいに深い友人関係は築けませんからね」
フィーネには親友と呼べる存在はいない。
桜香よりも遥かに社交的であるが、それ故に壁を超えてくれる存在はいなかった。
亜希の悩みは、きっと桜香と友人でありたいと強く願うからなのだろう。
慈悲に縋って友人でいることにも耐えられず、かといって匹敵しようとするほどに努力も出来ない。
正確には努力を重ねても届かなかった。
凡人だからこそ折れてしまうのも無理からぬことだ。
諦観が全てを支配する彼女だからこそ、桜香がぶつかってあげないといけない。
「言葉がダメなら、拳で語ればいいでしょう?」
「それは……」
クォークオブフェイト式のコミュニケーション方法が伝わってはいけない人に伝達される。
この場に真由美がいれば引き攣った笑みを浮かべて制止したのだろうが、満たされた状態で帰った彼女は残念なことにこの場にはいない。
そうなってしまうと止められる者は王者しかいないが、当たり前だがクリストファーが止めるはずもなかった。
むしろ深く頷いて納得している。
誰もストッパーがいないからこそ、事態は思わぬ方向へと進んでいく。
「でも、亜希と戦えば……」
「瞬殺でしょうね。でも、100回でも付き合えばいいでしょう。必要ならば健輔さんと向き合わせてしまえばいい。……あの子のために出来ることを、あなたがやるしかないでしょう」
斬り捨てるならば、このままいけばいい。
しかし、桜香の心の中に迷いがあるのならば――
「決断するのは、いつだってあなたです。まあ、年上のお節介ですが。そういう道もあると思いますよ」
アマテラスを真の意味で最強にする。
健輔に頼まれたことをフィーネは忠実に実行していた。
どの選択肢が最良なのかは誰にもわからないが、桜香が選ばないと何も始まらない。
「選ぶのは、私」
「理由がいらないなら、作ってあげなさい。安心したいのですよ」
「確かな役割か。なるほどな。ジョシュアも、そう思ってくれたのだろうか」
桜香とクリストファーには共通点がある。
親友の存在、そしてその関係性。
二宮亜希が桜香にとってのジョシュアに成れるかは他ならない桜香に掛かっていた。
悩む太陽。
彼女が選ぶ選択は、
「そうですね。最強は、きっと――」
出会いによって、答えは変わっていく。
九条桜香が目指すのは真実の最強。
決して変わらぬ答えはそこにあるのだった。




