第110話『未来への展望』
各々が自己の課題を見直して、1日が終わりに向かう。
順当な滑り出しをみせる強化期間の中で健輔は静かに思考に沈む。
夜の海を見つめながら、砂浜に座って思うことは王者たちの強さについてであった。
深く思考して立ち止まることも必要なことである。
特に自らにとっての転換点がやってくると理解しているのだから、やっておいて損はないだろう。
真由美との対峙は健輔が歩んできた道のりに等しい。
根本の部分に『終わりなき凶星』は絡んでいる。
規模としては世界大会にも微塵も及ばないが、健輔の中での比重は何も変わらない。
王者や桜香との戦いに匹敵する想いをどのようにぶつけるか。
1人でゆったりと考えていたのだが、
「……あー、なんだ。用があるなら話し掛けてくれていいんだぞ?」
扱いに困る来訪者が彼の思考を妨げる。
彼女にそんな意思はないと理解しているだが、海を見て黄昏ている姿をずっと見つめられるのは健輔も恥ずかしい。
相手の意思の硬さは知っているため、健輔は面倒になる前に自分からアクションを起こした。
「いえ……その、ごめんなさい。お邪魔でしたか?」
「別に邪魔じゃないけど、その……気になる」
「ご、ごめんなさい」
勢いよく頭を下げる彼女、九条優香に健輔は苦笑する。
自己主張の強い女傑たちの中でもトップクラスの能力なのに、なんとも控えめであろう。
桜香とは別の意味で優香もやはり魔導師たちの中から浮いている。
美咲ですらも反骨心、というべきものを備えているのに、彼女の中にはそれが薄いのだ。
かなり前から気付いていたが、稀有な性格をしている。
「用事はなんだ? 聞きたいことでもあるんだろう?」
「は、はい……実は――」
語られるのは美咲たちからの評価。
先ほど思い浮かべて感想も含めて、健輔はなんともドンピシャなタイミングであることに改めて苦笑する。
九条優香は運が良い。
以前から思っていたが、間違いではないだろう。
「優香の戦う理由か……」
「はい……その、健輔さんだったら答えを知っているかなと」
「いやいや、優香の心の中は俺にもわからんよ」
「そ、そうですよね。ただ、少し、本当に少しだけ期待しただけなんです」
少しだけがっかりしたような姿は見間違いではない。
指摘する野暮ではなかったが、健輔も頬を掻いて誤魔化すしたなかった。
実際に健輔は他者の心などわからないのだ。
機微には聡い方であるが、自らの完全でも無欠でもないと理解している男には優香が望んだハードルは些か高かった。
いつも一緒にいる2人。
共に並び立つ姿は自然なものであった。
見慣れた光景。
しかし、周囲の景色が今日は少しだけ特別であった。
太陽ではなく月が照らす夜の中、2人は未来への展望を語り合う。
「期待って。何をだよ。優香は面白い奴だな」
「ぅ……ご、ごめんなさい」
「何で謝るんだよ。怒ってないさ。ただ、昔に比べると柔らかくなったな。そっちの方が楽しそうで俺から文句はないけどさ」
「や、柔らかくですか? 柔軟は毎日していますけど」
「いや、物理的な柔らかさじゃないから」
素でボケる優香にツッコみを入れて、1年前の光景を思い出す。
既に彼方となった記憶に彼女との模擬戦はしっかりと刻まれている。
幾度も敗北し、その度に後を追い掛けた。
後悔はないし、正解だったとも思っている。
こうして隣にいるようになるとは微塵も思っていなかったが、なってみると非常に楽しい間柄であった。
真面目で実直な優香は練習相手としてこれ以上ないほどに素晴らしい。
「ま、美咲たちが言うことにも一理あるな。ちょっと爆発力が足りんだろう。枷がある。それも自分で作ったような感じの奴がな」
「枷……」
「俺や、龍輝の万能系にはリミッターあるが、優香のは多分精神的な枷だろうさ。悟りみたいなもんだろう」
「さ、悟りですか?」
「おう。世の中、単純だと思えば単純だし複雑だと思えば複雑なもんさ」
楽観的だが、健輔の価値観はそんなものである。
未来という理想を描くために現在に全力を尽くす男はあまり後ろを振り返らないのだ。
グダグダ悩んでもやらねばならない時というのは必ずやってくる。
札が足りない中で勝負するなど、生きている人間ならば須らく経験がしたことがあるはずだった。
健輔や優香だけが特別なのではない。
「桜香さんを超えたいと思っているが、同時に超えられないとも思っている。挑戦も、勝利を狙うのも本音だけど、裏にはそういう気持ちも等量であるんだろう?」
「そんな……ことは、ない。……と言いたいですが、どうでしょうか。私も自分が自分でわからないですね」
冗談ではなく本当にわからないのだろう。
健輔のようにすっぱりと割り切れるのならばとっくの昔に振り切っているはずなのだ。
良い意味でも悪い意味でも優香は真面目だった。
健輔にはない美徳であり、同時に悪癖でもある。
「難しく考える必要はないけど、まあ、優香らしくはあるさ」
「……私、らしい」
舌で言葉を転がして、優香は咀嚼に励む。
うんうんと唸っている姿を微笑ましく思う。
自然体、肩の力が抜けている姿を見せてくれることが増えていた。
健輔も腐っても男なのだ。
これほどの美少女が気を許してくれているというのは素直に嬉しかった。
「桜香さんに勝つために、夢を形にするために何が必要なのかを考えればいい。ただ強くある。魔力を高めればいいって領域の話じゃないのさ」
「私の、私だけの強さ」
「どんな形でも構わないさ。究極的に別に魔導の試合で勝つ必要もない」
魔導は手段であり、目的ではない。
健輔は魔導には深く感謝しているが、そこだけは履き違えるつもりはなかった。
大事なのは初志であり、魔導に傾倒することではない。
感謝はしても崇拝などするつもりはなかった。
優香が魔導で成したい事は何なのか。
考えれば、きっと答えは出るだろう。
「九条優香にとって、九条桜香とは何なのか。もう1回考えればいい。難しく考えないでな。一生追いかけるのも、それはそれで楽しいんじゃないかな」
「姉さんとは、何なのか。私の戦う理由。……難しいですね」
優香の戦う理由は彼女の中で明確である。
隣にいる男性に少しだけ視線を移して、直ぐに顔を伏せてしまう。
実力では上だと言われたが、優香はただの1度も健輔よりも自分が強いとは思えなかった。
姉に正面から立ち向かう勇気が欲しい。
未だに何処かで畏れがあるのは、健全な関係とは言えないだろう。
前進したからこそ、次の問題が顔を覗かせている。
「難しいですね。心って」
「決着を付けたのに、だろう? いや、本当に難儀だよ。合宿で鍛えるほどに1人でやれるかもって何度も思い直しちゃうしさ」
「ふふ、健輔さんらしい、というと不快ですかね」
「いんや、俺らしいだろうさ。決めても何だかんだでもっと良い道があるんじゃないかっていつも思ってるからね」
効率だけを重視するのもあれだけ無視しぎるのもあれだろう。
バランスよく生きているからこそ、健輔には悩みが付いて回る。
迷う強さを選択したからこそ、その道からは外れることが出来ないのだ。
たった1つを信じるのか。
それとも、常に迷いと歩むのか。
姉と健輔、それぞれの選択が優香は見える。
「私が、どうあるべきか」
声は夜に消えて、優香もまた思い悩む。
答えのない思いをループさせて、2人は並んで月を見る。
未熟者たちの悩みは終わることがない。
大きく羽ばたく日のために、若人たちも今だけは翼を休めるのだった。
「若人たちが悩んでるねぇ」
「年寄りみたいに言うのはやめてくださいよ。私もあなたもまだ10代なんですよ」
「どうでもいいが、あれでいいのか?」
「ん、女性の年齢をどうでもいいとは。デリカシーがない」
「むっ、それはすまない。淑女の扱いは俺もまだまだ未熟者だ。友には率直に語れ、とアドバイスを貰ったのだがな」
テーブルを囲む4人。
コーチたちは先日に引き続き、今後についての話し合いを続ける。
幾分か打ち解けたのは戦いの中で結ばれた友情、とでも言うべきだろうか。
仲が悪かった訳ではないが、そこまで接点のなかった者たちである。
間には確かに溝が存在していた。
まだ昨年度の、現役の時の心を引き摺っていたのである。
しかし、新時代の到来と変わっていく後輩たちを見て、彼らの心境にも変化が訪れていた。
確かに戦いが終わったこと。
この先はもう、彼らは主役ではないということを受け入れられたのだ。
何だかんだでまだまだ現役のつもりだったのだが、やはり時代の流れというのは存在していた。
「いろいろとやったけど、この辺りでひと段落かな。健ちゃんのためにも明日は頑張らないとね」
「うむ、良き戦いを。凶星、貴様もまた素晴らしき魔導師であった」
「ありがとう。あなたも見事な王者だったわ。非常に悔しいけど、あなたが敵だったから遣り甲斐はあったわ」
「光栄だ。非才だが、やり切った意義を感じるよ」
皇帝が引っ張り続けた果てに今がある。
クリストファーが歴史に刻んだ小さな足跡は確かな養分として魔導に根付いた。
才能ではなく執念が導いた栄光は、可能性だけならば誰でも平等だということを世の中に示した戦いでもある。
健輔も王者の歩みに影響を受けているのは間違いなかった。
「じゃあ、当初の予定通りに明日からは各自好きにしてくれていいよ。ある程度の顔合わせは終ったし、好きに誰かを育てようか」
「型がないのはやり易いですね」
「ん、楽。個性は大事だと思う」
合宿の見極めは終了。
ここからが本番となる。
コーチたちは去年の存念を片付けに、現役たちは更なる果てに進むためにお互いを利用していく。
どちらにも益があるからこそ成り立つ関係性。
どちらかに寄り掛からないバランスは絶妙に保たれていた。
これこそが上位チームの上位たる由縁である。
「合宿の最終日、最後の戦いに向けての研究もしないとね」
「コーチとしての戦術も整理すべきでしょうね。枷の存在は確かに面倒ですが同時に新しい発見ともなります」
「時の縛鎖は俺にも如何ともし難い。太陽を落とせなかったのは業腹だ」
「いやー、割といいところまで追い詰めておいてそれはないよ」
「ん、強すぎる」
「寝言は寝て言ってください。皇帝、私が怒りますよ。時間ぐらい縛られてくれてないとやってられないです」
女性陣からツッコミに王者が言葉に詰まる。
最強の王者の日常で女たちに勝てるほど達観はしていなかった。
6つの視線を受け止めてから、彼にしては非常に珍しいことに瞳を逸らす。
「その、なんだ。……俺に言われても困るんだが」
王者ではなく、1人の人間らしい部分を見せて今度は女性陣が反応に困る。
泰然とした姿以外にもこんな姿があったのか、という新鮮な驚きもあった。
忘れてはいけないが彼もまだ10代である。
日本でならば成人していない年齢であった。
「おっと、そういえば伝達事項があった。昨日を含めての調整の結果なんだけど、香奈子ちゃんの方はちょっと優香ちゃんが詰まってるから待ってあげてね」
「ん、承知している。夢幻は可愛い子」
「ですね。あれだけ真摯に悩んでいる。早々に姉に見切りを付ければいいのに」
「優香ちゃんの中では桜香ちゃんもヒーローなんだよ。ま、憧れは消し難いものじゃないかな」
過ぎ去る時間は全員に平等で、立場も強さも関係なかった。
コーチはコーチで新しい関係を築き上げていく。
合宿も顔合わせは終わり、全員が目的に向かって歩き始める。
目的を探す者もまだ残っているが、必ず何かが残るだろう。
見果てぬ先を夢見て、現代の魔法使いたちは明日も激しくぶつかり合う宿命にあるのだった。




