第109話『太陽を追い掛ける』
「桜香様、桜香様! まさかあんなに近い距離で接することが出来るなんて! これは日記で記録しないとダメよね! 後、この手は洗わないようにしておかないと」
「……汚いぞ。多分、聞いてないだろうけどさ」
「う、うふふふ、桜香様ぁ~~」
砂浜をごろごろと転げまわる美人に俊哉は乾いた視線を向ける。
俊哉は自分をあまり物事に動じないタイプだと思っていた。
その事が勘違いだったと、俊哉は自らの増長を深く恥じている。
本当に動じない男だと言うのなら、この意味不明は状況にも冷静に対応できるはずだ。
ある種の悟り、諦めの脅威で目の前で転がる『物体』を見つめる。
「ったく、なんなんだよ。この、アマテラスとかいうチームはさ」
普段ならばもう少し反応があるのだが、今日はいくら話し掛けても全部無視されている。
傷つくような心はしていないが、空気のように扱われるとは思っていなかった。
普段の擬態に妙な感動を覚えてしまっている。
「……でも、こいつらでもマシなのか」
右は桜香様と言いながら転げまわる変態。
あの辺りが実は桜香が歩いた場所だと知れば俊哉は引き攣った笑みを浮かべたのだろうが、幸福なことに知らずにすんでいた。
そのため、まだ真里の印象は変態で留まっている。
あまりお近づきになりたい人物ではないが残念なことにまだマシな部類がこれなのだから俊哉は詰んでいた。
もう1人、左隣にいる人物もいるのだが、こちらも俊哉は早々にコミュニケーションを諦めている。
何せ立ったまま寝ているのだ。
合宿の最中なのにマイペース過ぎるだろう。
「……まともなのが、いねぇ……」
天を見上げて、瞳を覆った彼を責められる人間はいない。
常識というものが如何に大事かを理解した俊哉は今後は真面目に生きようと強く決めていた。
こんな変な奴らと一緒に走り抜けられる自信が微塵もない。
「どうかしましたか?」
「へ?」
声を掛けられて、視界を元に戻してみるとそこには女神がいた。
銀の髪に、神秘的な雰囲気はそれだけで1つの美を形成している。
桜香を筆頭に美人はかなり見てきたが、これほど浮世離れした美人は知らなかった。
「……え、へ?」
「あの、大丈夫ですか?」
「は、はい! えーと、ど、どちら様でしょうか?」
「あら? これはすいません。申し遅れました。私はフィーネ・アルムスターと申します」
名乗られた名前を聞いて、俊哉の中で先程の印象と称号が合致する。
眼前の魔導師は彼が怪物と認めた存在と近しいモノ。
頂点の領域にいる傑物なのだ。
神秘的な雰囲気も当然であろう。
ベクトルは違えど、桜香と同じ領域ならば神秘的にも感じる。
「女神……」
「あら、太陽の眷属がその名を言いますか。隣の方たちなんて気にも止めていないのに」
「いや、これは例外でしょう」
人前で転がるような奴や寝ているような奴が標準だと思われるのはアマテラスの名誉に関わる。
チームに愛着はそこまでなくても、このままでいいとは欠片も思っていなかった。
必死で思考を巡らせる俊哉の姿にフィーネはくすくすと品良く笑う。
健輔が見れば、いつもと違って気持ち悪いと言いそうな笑みであった。
何も知らない俊哉にはまさに女神の微笑みだが、無知というのは時には幸せなことだろう。
「さて、御二方、そろそろよろしいですか?」
「ぐっ……!?」
放たれるのはただの魔力の波である。
フィーネを中心として四方に魔力を流した。
桁の違う力が叩き付けられたことで、俊哉も含めて3人の身体に負荷が掛かる。
「話を聞く体勢になりましたかね? 河西俊哉くん。大隅杏さん、笹川真里さん」
優しく見えてもフィーネも女神。
桜香に比する怪物であるという事実は不変である。
最近はクォークオブフェイトの流儀にも染まった彼女は言うまもでなく結構な脳筋になっていた。
「物事は何事も最初が大事です。あなたたちの個人の理想や、望みは尊重されるべきだと思います。ですが――」
独白は続く。
高まる圧力は女神が戦闘態勢に移ろうとしている証であった。
教育には時に愛ある拳が必要。
葵の持論だが、フィーネも共感するところがある。
優しく導き過ぎた結果がイリーネやカルラの苦境なのならば責任の一端は彼女にあった。
「――年長者には礼儀を示しなさい。桜香以外にも傅くつもりがないと言うのならば、尚更に矜持を持つべきですよね?」
笑顔は美しい。
しかし、発する雰囲気は明らかに友好的ではなかった。
心を鬼にしてフィーネは厳しく太陽の欠片たちを導く。
厳しさこそが愛にもなる。
クォークオブフェイトの流儀で彼女は太陽の欠片たちに確かな恩寵を与えるのだ。
彼らが付いていけるのかは、主たる桜香にも予想出来ない。
予想できないが、愉快な結末になるのは確かなのだった。
魔導師の強さとは、一体何なのか。
この合宿の中で強くなることを目指すものたちは皆がこの事を意識している。
どうすれば、どうやれば、どうなれば強いのか。
わかりやすい例は3強であろう。
彼らは方向性こそ異なれど魔導の世界に君臨した傑物たち。
彼らを目指すことが強さ。
これも別に間違いではなかった。
ウィザードなどのクラスは存在しているが、純粋な強さで言えば3強たちは間違いなく最上位クラスなのだ。
得手不得手などの相性問題はあるが、大抵のウィザード・レジェンドにも勝利できる。
個人の強さの到達点。
このように表現することに嘘はない。
「あなたのお姉さんがいるのはそういう領域な訳よね」
「はい。私の認識と相違ありません。中々に難しいことですよね。どうすれば、強くなれるのか」
「優香みたいにある部分は極まってると余計にそうでしょうね」
「優香様は才に溢れておりますからね。一般論で考える訳にもいかないでしょう」
微笑み合うのは3人の美少女。
美咲と優香がヴィオラと共にある種の哲学的な問題に挑む。
合宿とは身体を動かすだけにあらず。
魔導とは学問でもあるのだ。
これも立派な練習であった。
「1度立ち止まる、という選択は悪くないと思います。優香様は出来る事が多い。整理されるのは大切なことでしょうね」
「ありがとうございます。姉さんを目指していたから、そこまで深くは考えていなかったんです。最初の目標はもう超えてしまいましたし。情けないことですが、立脚点が定まっておりません」
「優香はムラが多いわ。落とさないはずの相手から落としたり、逆に勝てない相手に健闘もする。健輔とは別の意味で心臓に悪いわね」
「ご、ごめんなさい」
「いいのよ。別に怒ってる訳じゃないの。ただ本当にあなたたちは似てきたなってだけだから」
小さくなる親友に笑みを向けて、美咲は弁解する。
責めている訳ではないのだ。
優香の個性をしっかりと把握しきれていない参謀側にも問題がある。
「ヴィオラ、敵から見た九条優香とはどういう存在かしら? 率直に教えてくれる」
「難しいことを。エースで、難敵。こんな在り来たりな答えを欲しているではないのでしょう?」
「勿論。私から見たアリス・キャンベルと引き換えにしましょうか」
「別に対価など構いませんのに」
「性分よ。借りを作るとか、あんまり好きじゃないわ」
美咲ではどうしても味方からの観点が混じる。
欠点を上げるのが難しいほどに高レベルで纏まっているのに、健輔よりも安定感に欠けているのは何故なのか。
第3者によって形にして貰える機会を逃すのは無しだろう。
1つでも多くの観点を収集することは間違いなく今後においてプラスとなる。
「まずは整理すべきでしょうか。魔導師の強さとは」
「スペックに限るならば魔力とスタイルでしょうね。ただ、それだけじゃないわ」
「ええ、精神の爆発。怒り、後は矜持でもいいですね。精神力も換算されているのでは、というのは通説です」
「最後は技量や経験などの部分でしょうか。才能型はどうしても生まれ持った才能を活かす方向のため、パワー型が多いです」
持たざる者たちと違い、持っているからこそ彼らは力押しが選択できる。
だからこそ、同類同士の戦いではより素晴らしいものを持っている方が勝利するのだ。
フィーネと桜香の関係もその部分に集約すると言っても過言ではない。
そして、健輔が桜香に勝利できたのは同じタイプではない――つまりは非力だったからこそ勝利できたのだ。
優香が勝てなかった理由もそうだが、中途半端な輝きでは真正たる桜香には届かない。
「優香様は持っている者。しかし、これ以上の領域に進むには才能が足りない。だったら、やるべきことは他の方々と同じになります」
「経験、努力で補う訳ね。後は知恵もそうかしら」
立ち止まるまでが長かったが優香も他の人間と同じだけの努力を要求される。
現状の問題点はそこであった。
美咲が桜香に指摘したように努力の形は人それぞれである。
天才とバカのやることが同じで辿り着く場所も同じかと問われれば、大抵の人間の答えは否であろう。
両者は交わらないからこそ、お互いしかいけない場所がある。
九条優香には九条優香の努力が必ずあるはずだった。
「えーと、その……」
「わかってますわ。どれも既に優香様はこなしておられる。となると、次の問題でしょうね。バトルスタイルと、後は精神性でしょうか」
「精神性、ね」
意味深に呟く美咲にヴィオラは少しだけ表情を硬くする。
あまりいい事を言えないのだ。
友人とはいえ緊張するのは無理からぬことだろう。
「無礼を承知でいいますが、優香様にままず勝利の希求が薄いかと」
「私の、勝利への渇望ですか?」
「ええ。悔しい、と思ったことがないのではないでしょうか」
「――――それは」
優香の顔から色が消える。
何処かを見つめる瞳に、答えられない現状は肯定の意を示していた。
非常に整っているからこそ、微妙に生気が抜けた今の状態は非常に怖い。
触れてはならないことに触れてしまったような感覚がヴィオラと美咲を襲ったが、流星の参謀は意に介していないふりを続けた。
ここからが本題なのだ。
前座で折れる訳にはいかない。
「否定、出来ますか? 申し訳ないとは思っても、優香様は悔しいと感じたことが、ほとんどないのでしょう」
「……そう、ですね」
悔しさを感じていない訳ではない。
しかし、優香の後悔は薄いのだ。
闘争を好む性質ではないからなのか。
理由は不明であるが、彼女の中には敗北からの奮起と言う言葉が存在していない。
負けることを是としているのではなく一般論的な不屈さが当て嵌まらないのだ。
優香には優香だけの負けらない理由と立ち上がる理由がある。
「データは確認しました。言い方は悪いですが、黄昏の盟約のメンバー、水守怜でしたか? 彼女に負ける理由はないと思うのですが」
「でしょうね。どこを見ても優香と互角になるような要因はないわ。確かに葵さんばりに戦闘が上手いけど、逆を言えばそれだけよ」
勝利への執念。
負けたくない、という想念の差が最終的に相討ちに持ち込まれた遠因であるのは間違いないだろう。
戦い方を含めて見直すべき部分は多い。
優香は真面目にやっているが、真面目だけではやっていけない時が来たのだ。
曝け出すものを曝け出して、九条優香は舞わないといけない。
「私は……決して手を抜いている訳じゃないです」
「わかっております」
「あなたが真剣なのは理解しているわ。問題は、きっと譲れないラインが違うってことよ。普段は意識してないけど、絶対にあるはず」
健輔が諦めない、と誓っているように決して譲れない一線がある。
優香のラインには桜香が関わっていることは間違いなかった。
勝敗よりも優香にとっての比重が大きいもの。
姉への思いだけではない。
今の優香にならばきっとわかることがある。
「相手の執念に負けないものをしっかりと掴み取りましょう」
「今度は、相手に同じだけのものを返せるように、ね?」
2人の友人。
得難い友の言葉に優香は静かに頷いた。
彼女も薄々思っていたこと。
周囲から取り残されている部分を解消しないと優香も次に進めない。
胸の熱を、言葉にするのだ。
「姉さんには、負けない」
最強を思い、2番手の自分を呪う。
どれほど振り切っても、幾度も現れる姉という試練。
今度こそ本当に乗り越えるために、刃を用いない優香の戦いは静かに幕を開けたのだった。




