第105話『変わる立場、始まる想い』
どうしてこれほどまでに憧れているのか。
レオナは自分に問いかける。
昨年度の終わり、チームを引き継ぐと決まってから彼女はずっと自分に問いかけてきた。
答えが出ないことはわかっている。
何故ならば、理由などないからだ。
あえて理由を付けるのならば、美しさと強さに惹かれたということなのだろうが、レオナはこの想いを言葉で定義したくなかった。
チームを率いる立場になった今でも彼女は女神の背中を追い続けている。
それでも、いつかはこういう日がくると思っていた。
否応なく過ぎていく時間の流れ、女神にも逆らえない絶対に摂理に光の女神は寂しそうに先代に笑いかけた。
「話を、でしたか。フィーネ、さん」
「ええ、レオナ。久しぶり、というほど離れた訳でもないけど、毎日顔を合わせた日々から考えるとやっぱり久しぶり、なのかしら?」
「え、えーと……」
茶目っ気の在る言葉に変わりはない。
レオナが憧れて、そして今も追い続けているフィーネのままである。
居場所に帰ったような、逆に近すぎて光に焼かれるような居心地の悪さもかつて何も変わらない。
他の者がどう言おうともレオナにとって彼女こそが至高の魔導師。
揺るがない頂点なのだ。
「ふふっ、困ったことがあったら笑って誤魔化すのは前と同じね」
「うっ……気付かれますか」
「ええ、気付いちゃうわ」
真由美から言われた言葉を思い出す。
力は十分、才覚もあり努力も重ねている。
あなたに足りないモノは後はたった1つしかない。
何事にも負けない、と思う意思だ。
図星と言えば図星であった。
レオナは心の中で自らを常に2番に置いている。
それではどうやっても、心の中の1番すらも超えていく連中には勝てない。
現実として弁えてはいる。
「伸び悩み、というのは誰にでもあるものだわ。桜香も今の状況から考えると健輔さんに負けるまでは伸びていなかったということになるしね」
「……そう、ですね」
唐突に思える語りだが、レオナはフィーネが何を言いたいのか理解していた。
この場で伸び悩んでいる人物は1人しかいない。
「リーダー向きではない、というべきなのかしら。あなたは脇に控えてこそ輝く光。そういう風に自分を定義している。私なんて、が口癖だった」
「流石です。私のことを、良く見て下さっていたのですね」
「仲間の力を把握するのはリーダーの務めよ。まあ、基本だからこそ、こなせる人が少ないところでもあると思うわ」
スサノオの元リーダー健二がリーダーとして不適格だったのもこの部分である。
正確に仲間の力を把握して、彼らに伝えて指導できる者。
この条件を満たさないと本質的な意味でリーダーは務まらない。
個人で完璧に満たしているのは、おそらくハンナと真由美ぐらいしか存在しないほどにハードルは高かった。
フィーネは甘すぎて、桜香はそもそも他者と認識を共有出来ず、皇帝は彼の歩みに付いていけない。
立夏でもギリギリ満たせず、武雄は真摯さが足りなかった。
現役世代はまだ結果は出ていないが、少なくともレオナは届かないだろう。
「あなたの場合は、少し考え過ぎね。見なくてもいいところまで見ているわ」
「……本当に、フィーネさんには勝てないです」
「思えば、光を最初から使いこなしていたものね。1人でやるようになってから急に伸びたというよりも、1人でやろうといけないから考えたって方がしっくりとくるわ」
レオナの思考力は素晴らしいが、フィーネからすると無駄に心配しているように感じていた。
健輔は熟慮しながら猛ダッシュをするタイプだが、レオナはじっくりと考えて動けなくなるタイプである。
健輔も大事なことは立ち止まって考えているが、レオナはなんでも重く考えすぎるタイプなのだ。
「私は、あなたに完璧なリーダーになって欲しい訳でもないし、私を超える最強の女神になって欲しい訳じゃないわ」
「存じています。多分、そうなんだろうなと思ってました」
「でも、あなたは納得いかないのでしょう?」
困ったように笑うフィーネにレオナは申し訳ない気持ちになる。
しかし、それでも譲れないものがあった。
憧れを必ず超えないといけない、などと誰が決めたと言うのだ。
レオナは憧れに、ずっと焦がれていたいのだ。
超えたいのでも、並び立ちのでもない。
「時代が時代なら、私はフィーネさんに仕えていたのかもしれないですね」
「あら、私は嫌よ。大昔に女神、なんて名乗ったら碌な事にならないわ。宗教論争なんてするつもりないもの」
「そう言う訳じゃないですよ。もうっ、話を逸らすのが上手いんですから」
レオナが何を思い、何をしたいのか。
フィーネは全てを理解して、その上でヴァルキュリアを預けた。
お互いにこれは承知していることである。
「それで、答えは出たのかしら?」
「いいえ。今でも何も変わりません。私にとって、あなたは憧れの人。これを変えるつもりはないです」
仮に重い、鬱陶しいと思われていようが自らの心を偽るつもりはなかった。
ここだけは絶対に譲れないレオナの境界線である。
「でも、少しは変化があるんでしょ? ここで、私に聞いて欲しいことが」
「はい。ふふっ、まるで告白みたいです。少し、心臓がドキドキします」
「私、ちゃんと殿方が好きだからね?」
「知ってますよ。私も、男の方が嫌いではないです。これは、そういうのじゃないですよ」
わかってはいるが、思われる方としてはなんとも痒いものがあった。
「はいはい。茶化してごめんなさいね」
「もうっ! ……1つだけ、約束して欲しいことがあります」
「何かしら?」
言葉にするのはなんとも難しく悩みに悩んだのだが、いざ本人を前にするとレオナの中で言葉がスルスルと出てくる。
あの日々はなんだだったのかと、内心で苦笑してから真剣な瞳で切り出した。
憧れは変わらない、変えるつもりもない。
しかし、
「あなたに憧れることと、2番手でいることの意味は違う。私は履き違えていました。勝手に、ここでいいのだと」
「……そう。じゃあ、あなたは」
「はい。在り方は変わりません。でも、勝手に評価するのだけはやめます」
レオナの中にあった奇妙な天秤が確かに壊れた。
誰かに憧れることと、並ばない、追い越さないなどというのは関係がない。
仮に実力的に下になったら憧れの対象でなくなるのか。
そんなことはないだろう。
己にはないものだからこそ、憧れて手を伸ばしたのだ。
同じものが手に入る訳はないと理解していて、近づこうと必死になった。
最初の気持ちを忘れてしまい、評価に囚われてしまったのだ。
「気付けば、無駄に曇った瞳が勝手に格付けをする。憧れとは、そうではないのに」
「近づいて以外と大したことがないと思っただけかもしれないわよ」
「かもしれないですね。でも、やっぱりあり得ないと思うんです。定義したくないと言って、別の枠に嵌めていたら意味がない」
理由はないが、とにかく好きだ。
こんなものでよいと魔導はレオナに教えてくれた。
使命だの、誇りだの重責だのと考えるのが間違いなのだ。
無駄な虚飾は不要。
たった1つを抱えて、努力をすればいい。
そのためにもしっかりと伝えよう。
最初に会った頃のように、瞳を輝かせて。
「私は、あなたを超えてみせます。背中を追い掛けた私が学んだものをお返しするために」
「期待してます。レオナ・ブック。光を指し示す魔導師よ」
宣誓は終わり、レオナは譲れぬ熱を胸に世界を駆け抜ける。
世界で最も輝いている属性を手にして、本当の意味で玉座に挑む。
清算は終って次は旅に出る番だった。
フィーネがそうであるように、レオナにも新しい出会いがきっとある。
大事な話は終わり2人は本当に軽い雑談へと移行していく。
覚悟だけで変わることはないが、覚悟しかなければ変わらないものはある。
光の旅路はまだ始まったばかりなのだった。
小柄なのは彼女もそうだが、目の前の人物にはオーラがある。
朔夜はどこか他人事のように、流星を評価していた。
偉そうだが、春頃に朔夜が患ったものとは異なる。
本当の意味での自負と自尊、そして他者への敬意が彼女の瞳にはあった。
「さて、真希さんに……確か、朔夜だったかしら?」
「は、はい。……初めまして、アリス・キャンベル、さん」
「ええ、よろしく! それと、アリスでいいわよ。同じ砲撃魔導師、壁なんて取っ払っていきましょう」
迸る自信が彼女を輝かせるのは気のせいではない。
行動の端々から感じるのは日々の鍛練だった。
この状況でもアリスは魔力を制御を行っている。
健輔が日常的にやっていたものと同等、つまりは部位のコントロールであった。
バトルスタイルが似通っている、というと語弊があるだろうが、健輔とアリスは発想の根本の部分が似ている。
足りないからこそ不足を見つめて、現実的な打開策を用意していく。
挑戦者として、彼らは非常に近しい立場であった。
「アリスちゃんは強くなったというか。私は完全に追い抜かれたね」
「あら、真希さんにそんな風に言って貰えるのは嬉しいわ。ずっと、練習は欠かしてないのよ? 今でも去年に教わったことを実践してるの」
「うわぁ……これは、流石だね」
苦笑する真希の顔には勝てない、という文字が浮かんでいた。
割り切る、いや、割り切ってしまう真希ではこの領域に至れない。
魔導が好きで努力するというものは多い。
多いが、明確な一線としてランカーに至るような者とそれを分けるラインはあった。
朔夜は真希とアリスを通して、その限界を見ている。
「さてと、この3人ということは?」
「まあ、大体お察しの通りだね。久しぶりだし、ちょっと怖いかも」
「先輩? あの、それは一体……」
誰かが背後から近づいている。
わざわざ気配を殺している段階で怪しいとしか言えない状況であった。
ゆっくりと視線を背後に送る。
「おっ、気付いた。いい反応速度だね。常時感知式は起動してるんだ? 偉いぞ!」
「あ、ありがとう、ございます」
朗らかな微笑みは彼女が陽性の人間であることを教えてくれる。
実際に彼女は善人であり、後輩の面倒見もいい素晴らしい人物なのだが、1つだけ困った部分があった。
リーダーという重責から解放されたことで、葵や健輔に繋がる要素が以前よりも表に出るようになってきているのだ。
人を育てるのが好きな性質とある種のコレクター気質。
ここにバトル大好きという要素が悪魔合体した結果、教え子を地獄の特訓に叩き込んで笑顔になるスパルタ教師は誕生する。
「構えは、私と似てたよね? アレンジはしてる?」
「えっ、はい、少しだけ撃ち難かったので」
「うんうん、大事だよ! 魔導ではカスタマイズ、っていうのは本当に大切だからね。ま、健ちゃんみたいに全部自分でやります、っていうのも極端だけどさ」
「は、はぁ……」
限界を超えて3強に近づいた女傑。
彼女こそが近藤真由美。
間違いなく魔導の歴史の中でも最強の後衛魔導師である。
最高であるハンナに総合力では一歩譲るが純粋な後衛としての完成度で彼女に優る可能性があるのは、史上最強の砲撃魔導師と謳われた『制覇の女帝』ぐらいであろう。
特殊な能力ではなく技量の果てにいる人物と同じ領域で語られる時点で『凶星』もまた怪物である証左であった。
何よりも恐ろしいのが、真由美には特別優れた才がないことであろう。
健輔ですらもセンスという武器を持つのに対して、真由美にあるのは普遍的な頭脳の優秀さと諦めの悪さだけだった。
彼女が数多の尊敬を集める理由の1つでもある。
「此処に集まった4人の特徴、っていうのはまあ、わかるよね?」
「当然です! 後衛、それもレベルの高い、ですよね?」
「おっ、流石はアリスちゃん。私の愛弟子の1人だね」
「へへっ、ありがとうございます」
照れたような顔には本気の尊敬がある。
姉に匹敵するというだけでアリスには崇敬の対象だ。
しっかりと敬っているからこそ、期待に応えようと必死であった。
そんな様子に朔夜はなんとも不思議な感慨を抱く。
真由美が凄い人物なのはわかるが、朔夜にはそこまでの崇敬が湧いてこない。
尊敬していない、という訳ではなく、違うと感じているのだ。
この人を追い掛けるのが自分ではない。
言葉にすれば、そんな思いであった。
「ふふん、良い顔だね? 考え事?」
「す、すいません。お話の最中に」
「いいよー。大事だからね。自分について考えるのは魔導師には必須だよ。どういう己で在りたいか、っていうのはバトルスタイルも決めちゃうからね」
強い魔導師は確たる自己を持つ。
クリストファー然り、健輔然り、そして真由美もであった。
桜香や優香のような才能に優れた者たちはどちらかと言えば例外に属する。
多くの魔導師は非才の身を心で磨くのだ。
「あなたの系統、バトルスタイルは私と似てるからね。参考にしてね! まだふわふわしてるけど……きっとやりたいことが見つかるよ。貫きたい、というのがきっと根幹にあるはずだからね」
「貫きたい……」
「皆が皆そうじゃないけど、砲撃型を選んだ人はそんな思いを籠める人が多いらしいよ。無意識でもね」
派手に、そして確実に閃光で貫く。
これこそが砲撃型の強さだと真由美は語る。
朔夜にとっては初めての同系統の先輩。
健輔たちを導いた凶兆の印が、朔夜を次のステージへと導いていく。
「ま、最初は軽くいこうか。とりあえず、私との撃ち合い。障壁は切ってね。撃ち負けたら直撃してもらうから。ちなみに直ぐに復帰しないと追撃するからそのつもりで」
「えっ……」
幻聴かと思うような無茶なメニュー。
しかし、平然と練習に向かうアリスと真希を見て、朔夜は先ほどの言葉で真実だと悟る。
健輔たちが如何に自分たちについて考えて導いてくれたかを彼女はこれから知っていく。
ここからの練習は付いてくる前提のものではない。
不甲斐ない者たちを振り落すための試練である。
朔夜の合宿は赤い閃光に覆われて開幕した。
この先で彼女の悩みに答えが出るのかは、妙にニヤニヤしている真由美だけが知っている。




