第104話『立脚点』
1人で指定されたフィールドに来ること。
健輔に告げられた言葉はそれだけであった。
告げた相手から考えれば何が起こるのかはなんとなくだが理解できる。
胸に浮かんだのは健輔にも把握できない複雑な感情、ただ1つだけ。
最後に本気でぶつかった日のことは今でも覚えている。
あの時もある種の卒業試験だったが、今度は半人前からの卒業ではなく、本当の意味で近藤真由美の下から抜け出るための激突となるのだろう。
魔導師としての成長の一区切りとして真由美と戦い、そこで健輔は自分の道を見出した。
やるべきことは同じ、健輔は彼女に在るがままの強さを見せればいい。
「……戦うのは楽しみなんだが、少し寂しいのはなんとも言えないな」
『マスター……』
「いや、戦いたくないとか、そういう訳じゃないんだが……。まあ、何事も終わる時は少し寂しいってだけさ。まあ、決着はいつか付くものさ」
見つめる掌は去年よりも少し大きくなったように感じた。
実際、入学時よりも少しだが背も伸びている。
見える景色は実力に合わせて変化していき、健輔は一廉の魔導師となった。
しかし、まだ何処かで自立しきれていないのは後悔があるからだ。
棘のように刺さる敗北。
決勝で果たせなかった約束は彼の心の中にまだ沈殿している。
この後ろめたさ。
きっと真由美は気付いている。
「――そう思ったから、この組み合わせですよね?」
「そうだよ。まあ、イベントだよね。区切り、でもいいけどさ」
「区切り、ですか」
「うん。どういう形でも、物事は終るものでしょう? 健ちゃん、ううん、佐藤健輔という魔導師はいつまでも近藤真由美に囚われてちゃダメだよ」
言外に私くらいは超えていけ、という高い壁を示している。
最高の後衛魔導師。
正しく彼女の戦場で戦えば、今でも勝てる可能性は微妙だろう。
この構図、1対1という正面での対決は健輔に有利であった。
近接戦闘が可能な距離というだけで真由美には不利なのだ。
「だったら、模擬戦でやってくれた方が嬉しいですね。真由美さんを信じていても、この構図は俺に有利が過ぎる」
「あらら、やっぱり気にしちゃう?」
「しちゃいますよ」
真由美の笑みに健輔は苦笑いで応じる。
この状態で勝っても健輔としては納得が出来ない。
後衛に前衛を強いることが可能な時点でフェアではないのだ。
チームとして、今ならばヴァルキュリアのコーチとしてぶつかって貰った方がまだ納得は出来る。
「ま、予想はしてたよ。実際、今の健ちゃんは強いしね」
「光栄です。真由美さんにそう言って貰えると、安心できます」
「良く言うよ。鋼の心臓をしているくせに」
呆れたように真由美は言う。
健輔の肝の太さを彼女はよく知っていた。
昨年度、健輔を信じて戦場を託したこともあるのだ。
誰よりも可能性を信じていたからこその決断である。
暖かく見守ってくれた真由美に健輔も深く感謝していた。
だからこそ、超える時はフェアでなくてはならない。
「言われると思ってた、ということは何か解決策があるんですよね?」
「勿論だよ。今日はとりあえず話だけ、って感じだしね」
「良かったです。どうやってボイコットするかを考えずにすみました」
「……ちなみにどんな方法でボイコットをするつもりだったの?」
問いに健輔はニヤリと笑い返す。
現在の実力でなんでもありの逃亡を行うと当たり前だが凄いことになる。
真由美が引き攣った表情を浮かべるのは仕方がない。
「あれだね……。霧島くんの悪いところに似てるよ」
「褒め言葉ですね。ありがとうございます」
「うわぁ……可愛くないなー」
唇を突き出して拗ねた表情を浮かべる。
去年の健輔はまだまだからかい甲斐があったのに図太くなってしまった。
男子は3日会わないと変わると言うが、物凄い変化であろう。
真由美は少しだけ嬉しくなる。
「なんというか……あれだね。健ちゃんにも余裕が出来たみたいでよかったよ」
「余裕、なんですかね? カツカツのような気がするんですけど」
「自分のことだけに一生懸命な内はまだまだだけど、周囲にも目が向いたならいい傾向でしょう。うん、お姉さんとしても妙なことにならなくて安心です」
「妙なことって……」
「俺が、あの時に――とかって、変な責任感を拗らせていたら無理をする必要があったかも、ぐらいの話だよ」
健輔が言葉を失う。
見事に見抜かれたいたことに、と言うよりもやっぱりこの人には勝てないという思いからだろう。
驚きから表情は苦笑に変わる。
「思い上がり、ですかね」
「勿論。あの戦いでの敗北を背負うのは私の特権だよ。悔しかったらリーダーになるんだね。素質は……あんまりないけど、まあ、支えてくれる人がいれば大丈夫だよ」
「ないんですかっ」
「戦闘でホイホイ自爆するようじゃダメだよ。チームを背負う重圧、今までとは違うからね。道を捻じ曲げれなかった健ちゃんじゃダメかな」
逆に言えば、今の健輔ならばやれないことはないということだった、
勝利のために矜持を秤に掛けることもある。
真由美はそう言いたいのだろう。
「なるほど、まだまだ未熟者ですか。それにしても特権と来ましたか。本当に真由美さんは凄いですね」
「当たり前じゃない。私の選択、私の後悔、私の敗北だよ。どれかが欠けても今の私じゃないからね。どれも大切なものだよ」
敗北は辛かったが、既に過去なのだ。
現在に至り、未来に繋げるための糧になったものに真由美が抱くのは感謝だけである。
見据えるのは常に先。
そんな彼女だったからこそ、健輔も道を邁進することが出来た。
「はは、俺にはまだ縁遠いですね」
「うむ、理解できるように頑張りたまえ」
「努力します。ご教授、ありがたく」
胸を張る真由美に強く頷き返す。
葵とも違う師弟関係。
この場に健輔が来れたのに真由美の存在は小さくない意味がある。
その人に恩を返すためにも、健輔は全霊を超えて戦いを挑む。
「じゃあ、明日の練習でぶつかろうか。3対3。ルールは基本形式。そっちが選ぶのは決まっているでしょう?」
「勿論」
「私の方は、そうだね。あおちゃんと、さなえんを呼ぶよ。いつかの続きにはちょうどいいでしょう?」
「はい、望むところです」
葵と優香が激突することで真由美は壁を失う。
もう1人前衛を入れた方が優位には立てるのだろうが、近藤真由美と言う女性がそこまで単純な算術をしていないことは知っていた。
結局のところ、これは形式を整えるためのものなのだ。
本質的には1対1がある。
「卒業試験だよ。私に健ちゃんの今を見せて」
「ええ、全霊でお相手します」
持てるものだけじゃなく、可能性も賭けて決戦に挑む。
世界大会の決勝戦にも負けぬ気迫で健輔は明日を待ち望むのだった。
健輔が真由美と青春をしている時、同時刻に圭吾は死地へと赴いていた。
あまりにも唐突にすぎる激突。
ぶつかることも考えたことがない相手と死力を尽くして戦闘している。
「この技、懐かしい女を思い出させる。是非に貴様とは語らいたいと思っていた」
「それは、光栄だね……!」
決死の表情で逃げる。
背後からは彼が敷いた陣を苦も無く突破する王者。
午後からの練習で高島圭吾は地獄を見ていた。
あまりにも理不尽な差。
単純に強い、というどうにもならない理由で彼は粉砕されようとしていた。
「健輔は、こんなのに勝ったのか……!」
漏れる言葉は親友への感嘆である。
仮に圭吾がこの相手に通じる力を持っていたとしても勝てる、というイメージが微塵も湧かない。
あまりにも差があり過ぎて、実態を掴むどころか想像でも何も描けなかった。
黄金に触れたところから魔力は消滅。
なんとか穴を開けようと1点に魔力を集中させても結末は同じ。
格上の魔力は干渉が難しいがこれは常軌を逸している。
いくらなんでも干渉した側が砕けるのはあってはならないだろう。
しかし、圭吾が理不尽をどれほど憤っても結末は変わらない。
「っ、ウオおおおおおおおッ!」
「よい気迫だ」
全ての経験と知恵が意味を成さない。
これこそが魔導の王者、『皇帝』クリストファー・ビアスである。
既にわかっていたことを現実として再確認しただけだが圭吾には衝撃であった。
彼が勝ちたいと思う女性は、1対1ならばこの王者と競ると評されていたのだ。
遠すぎる目標に何度目かもわからない絶望を味わう。
幾度味わおうとも慣れない苦味。
非才な己への憤怒は留まるところを知らなかった。
「それでも……!」
「良き目だ。だからこそ、貴様には言っておきたいことがあった」
「僕に?」
一瞬だが、確かに身体が止まった。
あまりに意外な言葉だったからこそである。
圭吾は本当に普通の魔導師なのだ。
王者が気に留めるような相手ではない。
「意外そうだな。あまり勘違いして欲しくないが、俺にとって強さとは指標の1つだ。決して絶対の基準ではない」
強者は等しく賞賛すべきだが、かといって強さだけに主眼を置いている訳ではなかった。
在り方を尊ぶのが王者の基準。
クリストファーにとって、真剣に何かに打ち込む圭吾は尊敬すべき敵であった。
強者に好かれてはいなかったが、逆にランカー以外からは人気がある。
最強の王者、絶対の魔導師。
未だに彼こそが『皇帝』であり、後継はいないという者が多いのも人気の現れであった。
才能ではなく矜持で頂点にいるからこそ、彼の背中に人々は夢を見る。
もしかしたら、自分も――と。
「故に、貴様の在り方が少し気になる。技も、気概も、見事に練り上げているが――停滞しているな」
「っ、流石は王者と言うべきなのかな。そうだね、伸び悩んでいるのは間違いないですよ」
「やはりか。では、1つアドバイスをしよう」
「アドバイス……?」
圭吾は胡乱な目で皇帝を見返す。
疑っている、という訳ではないが一体何をアドバイスするのか、という思いが顔に出ていた。
言い方は悪いが、王者の強さは彼だけのものだ。
他の誰かが真似をしたからといってモノに出来るような単純な強さではない。
強く意思を持っていても大半の者が掠りすらもしない偉大な頂。
桜香のように天与の才の方がまだ納得できる強さを持つ者。
そんなクリストファーのアドバイスがまともだと思う方がおかしいだろう。
「ふっ、そのような目をするな。これでも観察眼には自信がある」
「は、はぁ……」
「単純だ。貴様、誰かの力を上手くアレンジしているが――自分だけの形はないのか?」
「……それは」
皇帝が言わんとすることを察して口を開こうとするが、王者は目で圭吾を制する。
まだ終わっていない。
強く瞳で訴えかける姿に圭吾は口を閉じた。
「言いたいことはわかる。全てをオリジナルでやって上手くいく、というのは些か以上に博打が過ぎる。俺が言いたい自分の形とは、そういうことを言いたいのではない」
「……では?」
クリストファーはニヤリと笑う。
意外と茶目っ気がある王者は殻を破らんとする男に1つの刺激を与えた。
「勝利している自分を思い描け。その相手に如何にして勝つか、ではない。勝っている己を想像しろ。それが、貴様の道となる」
「い、今一意味がわからないんですが……」
「何、単純なことだ。どうやって勝つか。これは現実的な手法の話だが、まず諦めろ。同系統であれに勝つなど夢よ」
紗希は相手への干渉という分野で間違いなく頂点に立つ。
クリストファーの魔力防御すらも突破可能な時点で並大抵ではないのだ。
不敗、と讃えられたのは伊達でもなんでもなかった。
圭吾の決意は素晴らしくとも、そのまま紗希を模倣して違う要因を吸収したところで彼女に勝つのは厳しい。
しかし、だからこそ皇帝は圭吾に訴えるのだ。
勝利している自らを描け、と。
「敗北の可能性など、捨て置け。楽観するのだ。己は、勝てるとな」
「結局、あなたの強さ理論ですか?」
「さて、俺の言葉をどう捉えるのかはお前の役割だ。俺が決めることではない」
「……まだ、実感はないですが」
目を瞑り、再度開く。
王者の言は抽象的で圭吾には理解できない。
仮に健輔が聞けば何か得るものはあったのだろうか。
そう思うと口元は少し緩んだ。
圭吾が諦められない理由に、親友は深く絡んでいる。
健輔に負けたくない、という想いと健輔が努力しているのだから自分も、という2つの柱が圭吾を支えていた。
必死に立ち上がる凡才。
自らをそう理解しているからこそ、圭吾にはまだ王者の言いたいことがわからない。
勝利。
個人で誰かから確かに何かを勝ち取った経験が圭吾にはなく、それがある種の枷になっていることに気付いていないのだ。
現実を見つめることと、自らに制限を付けるのは結果は似ていても意味合いは異なる。
「健輔もあなたのことは評価していましたしね。精いっぱい、受け止めようと思います」
「今はそれでいい。いつか、貴様は戦う時が来るだろう。その時に己を信じられるように勝利を描け。栄光に餓えろ。それこそが貴様を強くする」
「飢えに耐える、ですか」
「ここまで耐えたのだ。――いけるだろう?」
無理か、それともいけるのか。
問いかける笑みに圭吾は笑う。
「愚問。やるからには、目指すは勝利だよ」
「うむ、それでいい。貴様は漢だ。膝を折った数だけ、立ち上がれ。必ずお前は強くなれる。――この俺が、保証しよう」
「諦めない限り、かな!!」
「ああ――その通りだ!」
相手は圧倒的な格上だが、親友は必ず立ち向かう。
ならば、自分も立ち向かうしかなかった。
友とは対等、横並びの存在。
背中だけを拝するなど絶対にお断りであった。
親友の在り方に恥じないように高島圭吾は只管に挑戦を続ける。
負け続けた在り方がいつか力になる日のために、今はただ耐え続ける戦いへとその身を捧げるだった。




