第9話『進む先に何があろうとも』
朝の洗礼を浴びてからそれなりの時間を経て、時刻は既に昼となった。
学生たちの一時の休息時間。
健輔にとっても大切な時間なのだが、ここにも確かな変化はあった。
目立つことこの上ない異物が1つ入り込んでいる。
「どうして、いらっしゃるんですかね。……フィーネさん」
「はぁ、何かおかしなところでもありますか?」
周りが制服に身を包んでいる中1人だけ私服というのも目立つが、それ以上に銀の輝きとその美貌が目立つことこの上ないとしか言いようがないだろう。
何より高貴な雰囲気と食堂が微塵も噛み合っていない。
異邦からやって来た侵略者。
美しき女神は何を言いたいのかわからないと首を傾げる。
可愛らしい動作ではあったが、裏にあるものを考えると健輔は少し怖くなってしまう。
助けを求めて視線を横に動かしてみるが、
「健輔、言いたいことはわかるけどさ。無駄だよ、諦めなって」
あっさりと諭されてしまう。
親友の言葉に肩を落とすと、追い打ちとばかりに追加の情報が入ってくる。
美咲の善意の忠告が健輔のハートを砕きにくるのだ。
「私たちのコーチだから、校内には自由に入れるわよ。朝からアホなことしてたんだから、それぐらいは悟りなさい」
「……そういや、そうだったな」
「健輔さん? どうしてそんなに落ち込んでいるのですか? 朝の模擬戦がそれほど?」
「いや、関係ないよ。優香に落ち度は何もないさ。うん、俺がいろいろと疲れているだけかな……」
奔放な女神は健輔たちのやり取りをニコニコと見守っている。
外見や雰囲気、普段の在り方などは冷たい感じのする人物なのだが、実際のところの彼女はかなりお茶目であった。
遊びが多いというか、余裕があると言うべきだろう。
包容力、他には柔軟性などが普段の振る舞いにも溢れている。
今朝戦ってみても思ったが、彼女の下で戦うのは確かに高揚するだろう。
ヴァルキュリアに所属する戦乙女たちが逸るのも無理はない。
「……俺に、被害がなければ素直に感心するだけで済むだけどなぁ」
微妙に近い距離にドギマギするのもあるが、それ以上に周囲の視線が痛い。
大輔の死んだような瞳での攻撃はまだ温い方である。
またお前か、みたいな視線が1番辛かった。
これらの厄介なところはフィーネが全てを理解した上で無視していることだろう。
健輔はあの一瞬だけ面白そうだと言う目になった彼女の表情を見逃さなかった。
真由美と同じくこういう遊びには理解がある方らしく、健輔は頭を痛めるしかない。
葵や優香のように無自覚に攻撃するのも困るが、自覚があるのもそれはそれで困るのだ。
「ふふっ、悩んでいますね」
「悩みの原因はあなただと思うんですけど?」
「あら? これでも容姿には自信があるのですが、お嫌でしたか? 殿方は見目麗しい女性からの好意は嫌いではないと思っていたのですが」
普通に考えれば傲慢な発言だろう。
美しさと強さ、おまけに頭の良さまで兼ね備えた彼女でなければ失笑を貰ってもおかしくはない。
普通ならば嫌味になるであろう発言だが、銀の女神が語れば当然の事実になる。
恐ろしいと言えば、恐ろしいものであろう。
「自信満々ですね。はぁ、あなたらしいですよ。……まったく、3強はどいつもこいつも俺の心臓に悪い」
「トップはこれくらいでいいんですよ。謙虚は日本の方の美徳ですが、何事も過ぎたるは及ばざるが如し、でしょう? 全体の器というのはリーダーに左右される面もありますからね」
フィーネの言葉に思い出すのは、彼女と同じ3強である。
健輔もその言葉を否定するだけのものは持っていない。
彼らが頂点にいたからこそ超えたいと思った。
確かにそのような側面があるのは事実であったからだ。
「それに私は皆さんと食事を摂りに来ただけじゃないですよ。一応、課題を出しておこうと思いまして。メールなどでも良かったのですが、こういうのは口頭の方がいいですからね」
「課題、ですか。健輔たちと朝にやった模擬戦関連ですかね」
「ええ、正解ですよ。高島さんにも関係あるので心して聞いてください」
箸を使うのに少しだけ苦労しつつ、フィーネは健輔たちをゆっくりと見渡してあることを告げた。
朝の模擬戦。
あの戦いから彼女が感じたこと、それは――
「――昨年度の持ち味が失われているのに、何も考えていない。このままだと負けますよ。それと、昨年度の再現にも意味はないです。真由美さんの代わりは、この学園にはいないですからね」
笑顔のままで軽く世間話でもするように、これからのクォークオブフェイトの核となる問題点を射抜く。
普通ならば激昂してもおかしく指摘。
あまりにも直球過ぎる言葉だったが、
「愚問だな。そんなことはわかってるさ。真由美さんは真由美さんで、代わりにあの桐嶋って1年生を据えようなんて考えてもいないさ」
「あまり舐めないでください。あの時よりも強くならずに世界最強にはなれないですよ」
「僕も同感です。どこのチームも去年を超える力を必ず身に付ける。僕たちも例外ではない」
「姉さんを超えるために足踏みするつもりはありません。こちらも、考えがない訳ではないです」
次々と飛んでくる反論の言葉にフィーネは笑顔を見せる。
今までよりもさらに柔らかく、同時に深みを増した笑顔は彼女の真意を悟らせない。
それでも1つだけ確かなことはあった。
彼女は健輔たちの言葉に喜んでいるのだ。
「……確かに、その想いを受け取りました。ふふ、杞憂で良かったです。だったら、こちらも遠慮なしでいきますね」
「望むところですよ。……それよりも、使い方がわからないんだったら教えましょうか?」
雰囲気は恰好よく、微笑む女神は様になっている。
手元に変な持ち方をした箸が無ければ完璧だっただろう。
健輔の指摘にフィーネは僅かに顔を伏せ、
「お……お願いします……」
顔を赤くしながらフィーネは助力を乞う。
完璧に見える女神は実態はそこまで化け物ではない。
天すらも引き裂く1撃を放つ女神も、今だけは異国の文化に苦しむ少女でしかなかった。
フィーネの提言を受けて、という訳ではないがチームの方向性を話し合うために放課後にミーティングが開かれる。
クォークオブフェイトの大凡のレベルを把握し直したフィーネもアドバイザーとして、その場に臨席していた。
いつもように何処か捉えどころのない3年生。
多少面白くなさそうな顔をしている2年生。
それをニコニコと見守るフィーネ。
各々の様子は異なれど、全員がやるべきことは理解していた。
「葵さん、よろしくお願いします」
「はいはい。さてと、フィーネさんから連絡を受けたから、って訳でもないけどチームとしての方針はそろそろ共有しておくべきだし、早めに終わらせますか」
「昨年度からの課題、後は今の課題についてだね。目標は世界大会優勝。それを成し遂げられるようなチームにならないと」
「そういうこと。じゃあ、まずはフィーネさん。お願いしてもいいかしら?」
葵がアドバイザーたる女性に意見を求める。
葵と香奈、他にも和哉などの間には簡単な合意は既に存在していた。
しかし、それが正解だとは彼らも思っていない。
強豪チームを率いたリーダーにしてエースだったフィーネの意見を疎かにするつもりはないのだ。
真由美も統率者としては優れていたが、単純な能力でならばフィーネは彼女すらも超えているだろう。
葵では足元にも及ばない。
足りないところは足りないと認めることが出来るのが葵の美徳であり、健輔にも受け継がれた強みだった。
「はい。ふふ、あなたも良き将になられそうですね」
「ありがとうございます。……少なくとも、真由美さんを超えるつもりではありますよ。いつだって、壁は乗り越えるものですから」
「わかりました。私も微力を尽くしましょう。では――」
穏やかな雰囲気は変わらないが、フィーネの中で何かが切り替わる。
全員が背筋を伸ばして耳を傾けた。
「――まず固めるべきはチームとしての方向性でしょうね。昨年のあなたたちは個性を活かしたチームでした。しかし、それには筋が通っていたからこその強さがありました。翻って、今は無秩序な在り方になっています。これは看過できません」
好き勝手やっているように見えて、実際のところは真由美という強固な土台に支えられていたのが昨年度のクォークオブフェイトである。
何をしようが最後には彼女がいる――この安定感、さらには戦術の核となる要素があったからこそ世界の舞台で戦えたのだ。
真由美が真っ先に落ちることもあったが、存在すらもしていない今年とは意味が異なる。
結果としての撃墜と最初から存在しない今は表面は似ていても同じではない。
失った核の代わりとなるものを組み上げるのは急務であった。
「現在はチームの傾向として前衛が強いです。世界に誇るレベルの強さですが、前衛魔導師には接敵しないと力が発揮出来ない弱点がありますからね」
「その前衛も世界最強には届かない。前は桜香に1点集中出来たからこそ、食い下がれたけど今年は無理でしょうね」
「はい、今の状態で……そうですね、私が言うのもあれですが、昨年のヴァルキュリアと戦えばあっさりと負けると思いますよ。凶星がいない、そのことの意味は大きいです」
後衛魔導師は接近されると弱いという弱点がある。
しかし、それは当然の弱点であるし、どうにかするための壁が前衛である以上、己の仕事を完遂出来ていないような状態では何も言えないだろう。
「後衛は牽制、ダメージ源と役割が多いからな」
「だよねー。相手を行動させない、って意味でも真由美さんがいることの意味は大きいよ。健輔たちは強いけど、全体での連携はそこまで上手くないしね」
「健輔さんには問答無用の強さがありません。脅威度は高いですが、直ぐに戦況を覆せるほどの強さではない」
「優香ちゃんも同じでしょうね。今はまだスマートに強い。エース故の凄みがいるわ。それは私にも言えることだろうけどね」
現在の中核は葵、健輔、優香の3人だろう。
3人がランカーであり強さも十分なのだが、彼らを核にするにはあまりにも個性が強いのが問題だった。
葵は基礎力を大幅に高めた格闘家であり、接近戦において無類の強さを持っているが接敵しない限りはそこまでの脅威ではない。
砲撃などの遠距離攻撃に対しても絶対と言えるほどの防御力は保持しておらず動きを止めるだけならば容易だという弱点があった。
健輔については言うまでもなく単独状態での不安定さがある。
1年生には圧倒出来ても同じ学年には難しいだろう。
しかも相手は健輔を研究してくるであろうトップ魔導師たちである。
ノーマークに近い去年とは前提が異なっていた。
強さの幅も今年は昨年ほどの上がり幅を維持出来るかは不透明である。
チーム全員を捧げるほどに今年は余裕があるかと言われれば微妙なのだ。
ルール変更の影響、バックスの参戦は健輔の理不尽さを少しであろうと緩和してしまう。
「ルール変更の影響を受ける健輔。私は後衛に有効な遠隔攻撃手段がない。優香ちゃんは強いけど、どちらかというとテクニックより。昨年度と比べると明らかに場を制する力が欠けているわね」
優香に関しては火力はあるが、葵とほとんど同じ理由により弱点が浮き彫りとなってしまう。
場を制する、こちらの都合の良いようにコントロールする力が欠けているのだ。
昨年度は真由美が1人で場をコントロールしていた。
彼女のおかげで健輔たちは自分がやりたい相手とぶつかれたと言っても良かった。
今はそのための剣が存在していない。
「問題点は認識していただけましたかと。では、解決策ですが、まずは昨年は忘れましょう」
「へ……?」
驚きの声を上げたのは誰だったのだろうか。
少なくとも健輔がその中に入っていたことは間違いなかった。
忘れる、と言うフィーネの意見を受けて葵は納得したように頷く。
「ああ、やっぱり、そっちに行くわよね。こっちとずれてないようで安心したわ」
「あらら、皆さんがしっかりなされているので、やることが少なくて少し寂しいです。黄昏の盟約やアマテラスのコーチたちは毎日フル稼働のようですし、お役に立てているのか不安になってしまいます」
「あそこには事情がありますからね。それに安心してください。あなたの出番も多くなりますよ」
「あら、期待してしまいますよ?」
本当はわかっていたのだろうにフィーネはおどけたように葵に問う。
最後の説明は自分でした方がいい、と遠回しに譲っているのだ。
フィーネはあくまでもアドバイザー。
このチームを導くのは葵だと自分の立場を弁えている。
「端的に言えば、真由美さんがいないんだから前と同じには出来ないわ。でも、制圧力は重要でしょう? そこを補う方法は考えているわ」
「バックスでの防御陣の構築。私たちはそっちの方にチームの力を傾けるようにするよん。美咲ちゃんにはいろいろと頑張って貰ってるからね」
「ご期待に沿うかはわからないですけど、サラさんにも負けないくらいの防御術式を生み出して見せますよ」
火力の不足をバックスの防御力で補う。
それこそが新しいクォークオブフェイトの在り方となる。
単純な戦闘能力、正面からの戦力は間違いなく世界有数なのだ。
後衛の火力アップという単純な強化を選ぶのではなく、全体的な戦術の転換へと舵を切ったのである。
「勿論、個々の連携や後衛の強化は平行して行うわ。でも、生粋の砲台が桐嶋朔夜の1人しかいない現状ではそちらに重きを置く訳にはいかないの」
「あの子は優秀だけどねー。ぶっちゃけるとその分野で戦いを挑んでも純粋な格上には通用しないってのもあるからさ」
朔夜は将来性などは抜群だが、かと言って世界に通用するかは別問題だろう。
少なくともアリス・キャンベル、『星光の魔女』と2人の純粋な上位互換がいるのだ。
おまけに彼女を真由美の代わりにするということは核として扱うことになる。
残念なことだが、そこまでの信頼は彼女にはない。
「方向性は理解しました。では、今後の方針は?」
「前衛陣の切り込み能力、つまりは砲撃への対処能力などの強化、他にはバックスとの防御連携を中心にします。1年生はまずはいろいろと仕込むのからかな。教育担当はよろしく」
「私は全体のサポートに回ります。準備を万端にすれば決勝戦の桜香の真似事も出来ますし、必要なことは遠慮なく申し付けてください」
決めるべきこと、伝えるべきことはこれで終了。
薄々と各々が感づいていたことだが、正式に言葉にすることに意味がある。
これにて、クォークオブフェイトの方向性は定まった。
「さあ、明日からビシバシといきますか」
『了解ッ!』
全員の声が一致して戦意を高める。
やると決めたら誰も迷わずに走り出すのがこのチームの特徴だった。
変わったものもあるが、変わらないものも此処にある。
「――――頑張ってください。私もお手伝いしますから」
1人だけ輪の外で女神は彼らを見つめる。
未練がましく優勝の幻影を追う自分を少しだけ自嘲しながら、輝く彼らの姿を心に刻む。
ただ1度の挑戦。
既に過ぎ去った結末でも、彼女もまだ夢を見たいのだ。
だからこそ――彼女は祈る。
「夢よ、どうか形に……」
意味はなくても、見たいと願うのだ。
心に偽りはなく女神は全霊を賭す。
それが結果として、かつての後輩たちの前に立ち塞がることになろうとも彼女は受け入れるだろう。
仮に、レオナたちが健輔たちを超えるほどの領域に至るならばそれはそれで彼女の望みに合致するのだから。
動き出す運命の欠片たち。
今はまだ外様の女神だが、彼女が彼らの中に飲み込まれるのは遠い話ではない。
猛る万能の白が虎視眈々と女神の翼を狙っている。
敗北からもうすぐ3ヶ月。
佐藤健輔という男の可能性が再び羽ばたくのはそう遠くない日であった。