第96話『何のために』
今までも強くなるには更なる特訓が必要である。
合宿こそがその場ではあるが、闇雲にやっても効果は下がってしまうだろう。
だからこそ、健輔は自らの過去を振り返って、その上で能力の道筋を決めてきた。
シルエット、シャドー、決戦術式。
過去の全てを含んだ上で、回帰の果てに健輔は1つの到達点に到着している。
『原初』。
健輔が暫定的に名付けた自らの力だが、当然のことながら意味がある。
意味としては始まり、つまりは『魔素回路』から発想を得た力であった。
目論見自体は昨年度の段階から少しずつ、明確化したのは世界大会の後であろうか。
自らが纏った『純白』への考察から健輔はいくつかの道を見出して、その中でこのルートを選択した。
一言で言うのならば、魔素回路の――つまりは魔力の性質を自由に決められる状態を常としているのだ。
この状態に至ったことでの最大のメリットは万能系の弱点である出力に対するリミッターを無視できることである。
制御の難易度も格段に上昇しているが、健輔にはどうしても出力を覆す必要性があった。
「――と言うのが、俺の現状だな」
「なるほど、健輔様はあの統一系とぶつかった力の正体に行きついたのですね。流石ですわ。私程度では、入口にも至れなかったのに」
「見事だな。俺からも賛辞を送ろう。境界の主よ」
「お、おう……ありがとう?」
健輔の説明を聞いていた聴講生の内、存在感を感じさせる2人が絶賛する。
やり辛いことこの上ないが、素直な感嘆を前にしては健輔も何も言えない。
そして、もう1人。
健輔をジト目で見つめる人物がいる。
「えーと、レオナさん。……何か?」
「いいえ、詳しい説明ありがとうございます。……あなたの強さに納得していただけですので、気にしないでください」
「そ、そうすっか。は、はは……」
健輔の顔に力のない笑いが浮かぶ。
険悪、ではないがなんとも言えないやり辛さがある。
アメリカ組は独特の空気を身に纏い、ヨーロッパ組はツンとしたものを感じさせて、最後のおまけに同郷の者は沈んでいた。
「えーと、亜希さん? 話、聞いてますか?」
「……聞いているわ。気にしないで進めてちょうだい」
明らかに聞いてない、というか話し掛けるなオーラが出ている。
健輔の米神に青筋が浮かぶ。
慇懃に対処すれば、相手は相応に苛立ちを感じる。
この程度で怒ることはないが、沈んでいるから優しくしようなどいう殊勝な態度は健輔には存在していない。
亜希の心情など完全に無視して、健輔は再度問いかける。
「……あの、話、聞いてますか?」
魔力を高めながら、威嚇する。
日常ではアウトでも、魔導では正当な権利なのだ。
殴らないと理解できないバカは殴るに限ると健輔は判断していた。
ノータイム、即断での反応に亜希も慌てる。
「っ、聞いているわ。……ごめんなさい、その……態度が悪かった」
「わかればいいです。こちらもこんな事はしたくないのでさせないで下さい。というか、一丁前に悩んでいるぐらいなら早く行動してください。何もしないんじゃ今までと同じですよ」
「それは……」
「優香から聞いてますから。というか、この組み合わせ、桜香さんも絡んでいるに決まってるじゃないですか」
集まっているメンバーは錚々たるメンツ。
亜希が入り込んだ理由など1つしかない。
健輔は相手を見下すことはしないが評価は行う。
二宮亜希のスキル、及び性格についてもきっちりと評価していた。
「……それは、どういう」
「昨日の試合、あれだけ無様だったのに、何も思うところないんですか? ってことですよ。一緒に合宿してもメリットないでしょう。あなたたちみたいな雑魚」
「ざ……!」
「雑魚以外にどう言うんですか。俺、バカなんで語彙が貧弱なんですよ」
表情が歪む亜希を一瞥する。
それだけで亜希から戦意が萎んでいく。
怒りを抱こうが、所詮は行動に移せない。
二宮亜希について聞いていた健輔は本当にその通りの人物像であることに妙な感動を持っていた。
怒りでも行動に移せない。
筋金入りの不動態勢である。
行動派の健輔からすると何とも奇怪に見えた。
「ま、今はそれでいいですよ。この班がやるのは、只管に動き回ることですしね」
「ああ、話は聞いている。実に面白い練習だ。境界よ、貴様も勿論参加するのだろう?」
「当然です。祭りは見るよりも、やる方が好みなので」
魔力を循環させてゆっくりと戦闘態勢に移る。
通じ合う2人を見て、レオナが嫌そうな顔を浮かべたのを視界の端で確認しつつ、健輔は厳かに訓練内容を通達した。
「種目は……鬼ごっこかな。ゴールは差し詰め、逃げ切ったらということころで。鬼といっても掴まえずにボコボコにしてきますけどね」
「あら、健輔様、もしかしてその練習」
「おう、制限時間はないぞ。昼飯もなし。鬼の役目は、只管に相手をぶちのめすだけだな」
「……それは、どうやれば終わるんですか」
レオナの質問に健輔は満面の笑みを浮かべる。
首筋がチリチリする感覚を味わいながら、光の女神は悪童の答えを待った。
出来れば、予想から外れて欲しいと願ったモノは、
「返り討ちにすればいいんだよ。ま、不足の事態があったらその時点で棚上げかな。それ以外は撃墜じゃないと終わらないっすよ」
あっさりと一刀両断される。
桜香ですらも仕留めきれない最強の魔導師。
王者との時間無制限のデスマッチ。
心が折れるまで続けられる地獄のマラソンはこうして始まるのであった。
「ガッ!?」
明らかに女性が出していい感じでは声を漏らしながら、亜希は何度目になるかもわからない攻撃を受ける。
大地に叩き付けられて、痛みに顔を歪めるのは仕方がないだろう。
彼女もベテランではあるが、あくまでもベテランでしかなかった。
場違いにも程がある。
彼女の感想は間違いではない。
「どうして、私が――」
「ふむ、余裕だな」
「っ!」
聞こえてきた言葉に慌てて飛びのくが、
「グっ!?」
「隙だらけだ。他の奴らを見習え。これは鬼ごっこだぞ。1番弱いのから潰すに決まっているだろう」
「あっ……」
「ふっ!」
起き上がろうとしたところに蹴り。
強制的に立ち上がらされた後に、脇腹に強烈な拳。
意識が朦朧とした様を見せると気付けとばかりに僅かな刺激。
繰り返されたパターンは既に1時間。
この練習が始まってから亜希が只管に殴られ続けた時間であった。
「私、ばかりを――」
「狙っていないさ。お前にそこまでの価値はない。奴らが上手くお前を囮にしているだけだな。その程度も気付けないか?」
「えっ……」
「ターゲットの変更。この練習はより総合的な動きをマスターするためのものだ。己のレベルを、些か過信し過ぎだ」
王者は冷徹、そして客観的に正しい事を告げる。
亜希の機動はベテランレベルではあるが、本当にただそれだけであった。
昨年度の隆志や妃里が実戦で鍛えられたベテランならば、彼女は年数だけは長いベテランである。
中身が伴っていない。
「無駄な3年だったな」
「――――ぁああああああああああッ!」
自分の中にこんな衝動があったのか、と驚きながらも亜希は刃を振るう。
手に持つのは桜香と似た直剣型の魔導機。
お揃いしたのは、友人だったからか。
それとも憧れを形にしたかったからなのか。
亜希にももはや理由は把握できない。
激情と共に振り降ろされる刃。
感情という燃料が投与されて、それまでよりもマシな斬撃が皇帝へと放たれる。
しかし――、
「幾分かマシだが、この程度ではな。彼我の差はしっかりと認識しておけ」
「そ、そんな……」
――片手で掴まれてしまう。
クリストファーからすると特別なことをしたつもりはない。
彼は『魔導世界』を用いて自分を最強とした魔導師である。
基礎的なスペックで彼に勝てるのは桜香ぐらいであろう。
歴代のウィザード、レジェンドでも彼ほどの基礎スペックを持つ者は皆無である。
基本に忠実でぶれる事がない。
誰もが認識して、実践していることを究極域にまで高めたのが、王者『皇帝』クリストファーなのだ。
優香ほどの怒りならばともかくとして、ようやく怒った程度の亜希の怒りでは何も影響を与えられない。
溜め込んだモノが爆発した訳でもなく、ただ衝動的な熱量では王者に何も伝わらなかった。
「技巧もどこかで見たことがあるものばかりだ。色、というものがないな」
「私は、努力を……!」
「重ねた、か? その手のセリフは聞き飽きたな。そもそも、貴様」
王者はいつも通り、いや、少しだけ面倒臭そうに表情を歪めて亜希に言葉を投げつける。
「何をもって、自分のやったことを努力と捉える?」
「へ――」
問答は終ったと言わんばかりに皇帝が攻撃に移る。
相手への配慮、などという優しさはない。
彼は不器用な男だと自分を認識している。
出てくる言葉は正論で直球。
普通ならば言わないようなことも遠慮せずに全力でぶつけてくるのだ。
「境界が、夢幻が、かつてならば凶星も女帝も、ましてや女神も。誰1人として、俺と戦う時に努力を理由にしたものなどいない」
これだけ頑張ったから報われるべきだ。
この手の思想と上位ランカーは無縁である。
何故ならば敵もまた自らに匹敵するだけの何かをしてきていると理解しているからだ。
報いとは与えられるものではなく、勝ち取るものである。
この部分こそが、ランカーに成れる者とそうでない者を決定的に分ける1つの要因だと言えた。
「貴様たちの言う努力とやら、些か軽いな。報酬ありきの努力など、努力と呼べるか。掴めるかわからないからこそ、貴様たちも努力したのだろう? 手段と目的を入れ替えてどうする。苦難も困難も、全て平等だ」
「……あ、え……でも……」
亜希が何も言い返すことが出来なかったのは、心の何処かでクリストファーの言葉を肯定していたからだろう。
亜希ぐらいのレベルのベテラン、しかもそこで足踏みする者に共通しているのが、報酬を求めるところにあった。
隆志や妃里など、クォークオブフェイトのかつてのベテラン勢はベテランの上位でギリギリ準エースなどに届かないレベルだったが、あれは本人たちの素養や時間的な制約が関係している。
全てのものが努力すれば報われる、とそう言われる魔導でも個人差による成長のタイムラグは流石に存在した。
多くのものが最終的にマスターやエキスパート、マイスターになれるのは事実である。
ランカークラスに手を届かせるものもいるだろう。
しかし、それには時間という資産が必要なのだ。
「努力とは、時間を捧げて『今』に『未来』を引き寄せることだ。試合に対する情熱の差、ようはやる気の差が実力に繋がる。無論、未来という不確定を確実に呼び寄せられるかはわからんがな」
ゲームでも本気でやる者と楽しんでやる者では腕に差が出る。
才能などで後者が前者を凌駕することもあるが、往々にして強い者は時間を費やしたものだ。
報われるかが別として、費やした分の何かは必ず得ている。
そこから先は得たモノ同士をぶつけ合うのだから努力と成果は別の問題なのだ。
「相手を見たか? 勝つために、己を貫くためにやったことは? 当たり前の時間を当たり前のように費やして、当たり前の時間を身に付ける。これを、努力というのか?」
「……それは、でも……」
「アマテラス。貴様たちの最大の間違いは、自分たちのそれを努力、などと称したことだ。お前たちがやったのは学習だ。努力とは、届かぬ頂に手を伸ばすことだ。届く時間を早めるものではない」
王者の言葉に亜希は考えさせられる。
桜香との友情だの、在り方だのをこの男は考慮していない。
距離があるのならば、限界を超えて走る。
彼は意思でそれがやれると実証する男だ。
上位ランカーの世界とはそう言う者たちが集っているのだと信じていた。
「ほう、先ほどよりもマシな目だ。――否定されて、多少は目が覚めたか?」
「……至らないのも、バカなのも認めますが、全てを否定されるつもりはないです」
「よく言う。そうやって、美しく言葉を飾るから詰まらんのだ。いい機会だ。1つ面白いことを教えてやろう」
構えを解いて、クリストファーは楽しそうに口を開く。
彼は3年間、魔導の世界で頂点に君臨した。
最後に敗れはしたが、誰もが彼を王者と認める。
そんな彼と正面から戦って負け続けた女がいた。
朴訥に、ただただ己の在り方を誇るだけだったクリストファーに他者への尊敬を強く意識させてくれたのは、間違いなく彼女であった。
「女帝が、ハンナ・キャンベルが俺に噛み付いた理由だ。――俺の瞳が、気に入らない、だったかな。俺も何を言われたのかわからなかった言葉だ。どう思う?」
「えっ……そ、それって」
「ああ、理由になってない。しかし、それだけで十分だったらしい。それだけで、あの女は3年間俺に負けても立ち上がり続けた。素晴らしいことだよ」
言葉を飾らずに真っ直ぐにぶつかってきた。
だからこそ、小細工なしでぶつかって粉砕したのだ。
彼は最初から王者だったが、今の形になったのにはハンナを含めた全ての敵と仲間たちが関係している。
変わらないように見えて、王者も成長していたのだ。
力だけでどうにも出来ないものがあり、同時に負けても美しいものがある。
「姫も変わらない。俺と毎日戦い、粉砕されて、新しい戦法を考える。そして、砕かれる。敗北の数など既に数えきれん。上位ランカーでも、そうなる者たちが大半だ」
3強には確かに敗北は少ないが、それでも0ではなかった。
泥にまみれて誰もが進んできた。
桜香も同じように進んでいる。
「ぶつかった者たちに、そして仲間に恥じないように輝きを増す。――太陽の姿勢に、貴様は何も思うところはないのか?」
「……私は」
「我が仲間たちは、皆が俺の我儘に付き合ってくれた。1人違わず、戦友である。さて、貴様たちは戦友だと胸を張れるか?」
意見をぶつけた青春の日々。
全てが上手くいった訳ではなく、去った者などもいた。
それでも残った者たちもいたのだ。
歩んだ日々に嘘はない。
「全力でやるからこそ、尊いのだ」
クリストファーはその言葉を最後として戦闘を再開する。
亜希は言われた言葉を反復しながら、必死で回避行動を行う。
最強のチーム。
自分たちではなく、他者から見た時にどうなるのか。
己の中で理由を完結させていた者に先を行く者から確かに楔が撃ち込まれた。
変わらないように見えて、変わっていく。
この合宿を通して、亜希の身にも変化は訪れる。
停滞など、強大の熱量を持つ者たちは許しはしない。
暴走するバカたちに巻き込まれる彼女の運命はまだ結末には至らないのだった。




