第93話『課題』
最強と最強の対決。
フィーネのように桜香が優勢などと言う部分は存在しない。
いや、能力や理屈では単一の系統しか持ち得ないクリストファーに桜香は優っている。
計算の問題、常識という道理では桜香は勝っているのだ。
しかし、彼はそこを超えてくる。
理屈のない強さこそが、彼を王者足らしめる要素であった。
「ふむ……流石は凶星の系譜か。抜け目ない」
「何を……?」
「予定が狂った、ということだ。演出家たちもあの女を甘く見過ぎだな」
「葵さん、ですか!」
本来ならばクリストファーを含めた総力での衝突を予定していたのだろう。
それが葵の横殴りで頓挫したのだ。
「なるほど、これは俺がやるしかないようだ」
「……よく言いますね。最初から乗り気じゃなかった癖に!」
「何、やり残したことの1つだ。結果は独力で確かめたいと思っていた。我儘ではあるが、ロマンという奴だ。許せ」
苦笑しているが皇帝の戦意は高まっていく一方だった。
桜香の額には汗が浮かぶ。
黄金の魔力からは健輔の原初の魔力とは違うが、嫌な予感を感じる。
一切の過程を無視して、統一系を貫いてくる――そんな予感がするのだ。
「本当に、理屈じゃない人ですね」
「よく言われる。では」
構えを取ることもない。
王者たる者にそういったモノは不要だと言わんばかりの完全なる我流。
只管に自我を高めた男が進撃を開始する。
「ふっ!」
「くっ!?」
無造作な移動。
一見隙だらけだが、迂闊に踏み込めない圧力を伴っている。
「出鱈目な……!」
「よく言う。俺の魔力に干渉したのは、貴様が始めてだよ。なるほど、理不尽な才能だな」
桜香の剣とクリストファーの拳がぶつかり、桜香の剣に纏っていた魔力が砕け散る。
正確には虹色に強制的に戻された、というべきだろうか。
桜香の制御力を的確に拳で撃ち抜く。
無論、代償がない訳ではない。
普通の桜香、統一系を持ち得ない状態に押し戻しただけであり、引き換えにクリストファーの魔力も突破されていた。
ぶつかれば彼もダメージを免れない。
「貴様の強さは理解した。しかし、やることに変わりはないな」
「っ、面倒臭い人ですね!」
多様性をたった1つの性能で押し潰すのがこの男である。
すなわち、我は王者、という自負だけが彼の武器であった。
桜香の言葉に爽やかに笑い返す。
九条桜香と余裕を持って相対できる魔導師など、世界広しと言えどこの男しかいない。
「いくぞ」
「また、ですか! この力、理屈がさっぱりわからない! 何者ですか!」
想いで強くなる魔導でも限度があるだろう。
この男だけが想念を持っているのではないのだ。
誰でも1度は思う疑問を桜香は男に叩き付ける。
同じ領域にいるからこそ、異質さと理不尽さがよく見えるのだ。
フィーネには才能があった。
しかし、この男には本当に強い意思しかない。
「知れたこと。我が名はクリストファー、我は最強の魔導師なり」
当たり前のことのように皇帝は答える。
わかっていたことだが、想像通りの答えに桜香のボルテージが上がっていく。
その名は私のものでなければならない。
高まる想いは桜香の中ではまさに正義であった。
「それは、私のモノだ! あなたではないッ!」
「ほう、囀るものだ。ならば、力で示してみせろ。俺を確かに超えている、と納得させてみるんだな」
クリストファーの戦い方に技巧など皆無である。
彼にあるのは彼の美学だけ。
健輔の戦いにあるのが健輔の信念と執念、そして努力ならば注ぎ込むのが1つだけでそこに匹敵するこの男は怪物だろう。
桜香の才能に自らの美学のみで追いつき、追い抜くだけの強さを持っている。
「頭のおかしい、突破力ですね!」
「ふっ、俺も口数が多くなるほどにこの試合は心が躍る。強者の全力に応えるためにも、俺の輝きも最高でなければならないッ!」
ただの拳が統一系を砕き、桜香の防御を突き崩す。
喧嘩殺法と言うべき本能に等しい五体の運用は皇帝が誰にも寄り掛かるつもりがないのをよく示していた。
如何なる事象も背負うのは、王者の証だと背中で語っている。
技術を身に付ければ強くなるのは間違いない。
クリストファーはそう言う努力を否定はしていなかった。
むしろあらゆる努力と輝きを全肯定する男である。
「あなたは、自分で築きあげたものだけを誇るのですか!」
「そうだ。己の夢は己の力で実現させる。何も不思議ではない。友と歩むことはあっても、それは行先が同じだっただけだ」
独自の人生観はそれがクリストファーの強さである。
桜香の攻撃全てを勘だけで迎撃していく様は、無軌道に見えて筋が通っていた。
理不尽の権化。
何1つとして魔導のセオリーに沿わない王者。
しかし、彼は確かに魔導の王者であった。
常識を超えているが、同時に何故か正しさを感じてしまう。
「あの時と、同じ……! 2年前よりも、強くなっているのにどうして――」
「強くなっても、いや、強くなったからこそ変わらないものがある。俺の理想は常に俺自身だよ、九条桜香。お前、どうなのだ」
「愚問、私は最強だ!」
桜香の返答にクリストファーは瞳を細める。
答えになっていない、ということは彼にとってはどうでもいい。
2年前戦った時は焦りを見せてもどこかで冷めていた者が必死な姿を見せている。
それだけで彼にとっては驚愕の事態だった。
観察眼には自信があるからこそ、桜香の才能は開花しないと思っていたのだ。
この試合だけでなく、今まで見てきた全ての試合がそれが勘違いだったことを示しているが、こうして1対1で拳を交わすことでようやくクリストファーにも桜香が強くなった理由が理解できた。
「芯が出来たか。最強は、そのために必要なもの。なるほど、わかりやすいな。故に強固でもある、か」
誰よりも頑強な精神の持ち主が桜香を賞賛する。
心の強さは得ようとしても簡単に手に入るものではない。
彼にも転機というものはあったのだ。
1人で強い、などというのが妄想なのはよくわかっている。
独りよがりではない王者としてあるために、クリストファーも努力を重ねたものだった。
「ふっ、決めたのだな。自分にとっての『最強』を。強くなる訳だ」
「ええ、その通りです。私には、私のやることがある!」
「ならば、言葉は無粋。力で語れ」
「言われずとも――最初から、そうするつもりですよ!」
大技を使わずに桜香は力の制御に集中する。
経験則からこの手の輩には1発逆転の大技が通用しないとわかっているからだ。
必要なのは奇抜さを押し潰せる正当な強さ。
無意味に全身を覆う力を極限までセーブする。
――その姿は健輔が桜香と戦う時の姿に良く似ていた。
リソースの集中による格上との戦闘。
桜香が内心で王者をどう思っているのかがよくわかる。
「はああああああああああああああッ!」
「あの時の冷めた女がこれほど熱くなるか。これだから、人生は面白い」
力押しなのは変わらないが、工夫が見られるのは相手がそれだけの傑物だからである。
刀身に纏わせる分の魔力も絶妙に制御して、桜香は深く自分を理解していく。
統一系の制御に梃子摺っていたのが嘘のように普通の魔力と変わりなく操作が可能となっていく。
この試合を通して会得したものを、最良の相手で研ぎ澄ませているのだ。
「俺の黄金を凌駕するか。その黒は」
「あなたを砕く。これは、それが出来る強さだ!」
「やれるのか、束ねただけの力で。俺の独尊を」
「やってみせます!」
2人の魔力がぶつかり弾けて空中に消えていく。
煌めく金と黒は絶対値ではほぼ互角の強さだったが、徐々に黒が黄金を押し始める。
王者の、クリストファーの唯一の弱点。
それは理想の制御が不可能なことだ。
圧倒的な強さを身に纏えるが、桜香のような制御は完全に夢である。
自らは最強である、とう自負が具現化したのが黄金なのだ。
力は高まり、尽きることもないのだが、汲める量には限界があった。
弱点と言っても本来は問題になるようなことはない。
限界を超えた更にその先、シンプルな力のぶつかり合いだからこそ起きることだった。
「俺の限界を見せつけるか、流石だな同類」
「あなたに同類と言われたくありませんッ!」
「む? ああ、なるほど俺は間男か。これはいかんな。我が美学にも沿わん。だが――」
言葉とは裏腹に力は籠っている。
浮かぶ表情は笑顔で、黄金はこれまで以上に猛っていた。
「――この戦いは、完遂させて貰う。俺の、勝利でな」
王者ではなく1人の男として連れ添う流星たちに栄光を見せてやりたい。
そう思う程度には情が湧いている。
かつてのチームには王者として最後まで栄光を齎せなかった。
如何なる言い訳もしない彼の傷。
埋め合わせ、という訳ではないが、王者としてだけではなく人間としてシューティングスターズに賭ける想いが彼にもあった。
「貴様は強い。俺が認めるほどに、それでも――それだけだ!」
「私の強さを、その一言で片付けますか! 王者の傲慢、目に余るッ!」
クリストファーに一歩も引かない在り方は桜香の今を表している。
過去ではなく未来のために戦う裸の王様。
栄光は過去になり、主役ではなくなっても本物の輝きは灯っている。
「俺にも男としての意地がある。女から託されて、滾らないものかよ」
「ならば、私には乙女としての意地がある。男から託されて、熱くならないものかッ!」
「どこまでも、平行線だな。俺と、貴様はな」
「こうなるのが、運命です。ぶつかるか、手を繋ぐかで選択肢はもう残っていない」
桜香は自らを一途だと自負している。
少し目新しいものが映ったからと切り替えるほどミーハーではないのだ。
本当に大切なモノが何なのかは理解していた。
「なるほど、それは仕方がないな」
「ええ、仕方がないのよ」
クリストファーの在り方に敬意を持っても、好意を持たない。
強すぎる在り方は桜香の目にも毒でしかなかった。
彼をまっすぐに見つめて超えると宣言できるアリスや健輔はやはり凄い奴なのだ。
誰だって自分と比べて、己の矮小さが嫌になる。
どうして、こんなに小さいのだろうか、と。
ハンナなどの極限の努力をした者にも容赦なく突き付けるからこそ、クリストファーはあまり好かれていなかったのだ。
尊敬は出来ても共感が出来ない、というべきだろうか。
遠くで拝すべき光が傍に降りて来れば、人は戸惑うしかない。
「あなたの強さが、羨ましい」
「ふっ……繰り言だ。意味のない、仮定だな」
永遠に続くかと思われた戦いだったが、終わりは唐突に訪れた。
双方共に全力域の戦い。
桜香は消耗を抱えて、クリストファーは事実上の無傷。
圧倒的な優位を誇った『皇帝』であるが、それでも桜香を倒するには至らなかった。
どちらも極限だが、極限域の戦いだからこそ些細なことが大きく響く。
同領域の戦いならば、多様性に優る桜香の方が時間稼ぎに最適である。
皇帝はシンプルに纏まっているゆえに、桜香を出し抜くだけの手札がない。
「己の未熟に慙愧の念が絶えんよ。……まだまだ、甘いということか。我が身の枷がこうも作用するとはな」
「はぁ、はぁ……あなたが現役ならば、私の負けでした」
クリストファーが転移の輝きに包まれる。
勝敗を分けたのは、時間という魔導師にもどうにならない力だった。
皇帝は強いが僅か数分で桜香を倒せるほどではない。
正面からの戦いしか存在しない王者だからこその欠点。
普通は問題にならないことが、極限域だからこそ問題となったのだ。
「……見事だ。不滅の太陽。名に恥じぬ強さに、敬服しよう」
「嬉しくありませんね。勝利を拾ったようで、気分が悪い。あなたは本当に酷い人です」
勝っているのに負けたような気分なのは桜香にとっても屈辱である。
誰にも負けないと誓ったのに敗北を幻視してしまった。
自らの不甲斐なさに死にたくなる気持ち。
眼前の王者も持っているだろう想いに、共感しつつ才能の怪物は精神の怪物を見送る。
「よき戦いでした。この夏に、お互いにさらなる高みに至らんことを」
「そうだな。期待していよう。ここは、想像よりも遥かに熱く、面白い。我が内にもないものがあるだろうさ」
「……ええ、本当にそうだといいですね」
客観的に敗者なのは間違いなくクリストファーであるが、桜香は内心で顔を歪めていた。
この戦いで敗北を喫するのは自分だったと確信がある。
葵の横槍が無ければ、他の面子が自爆覚悟で桜香を足止めしただろう。
そんな周囲が全て敵の状態で皇帝に勝てるとは思えない。
「……どこまでも、どこまでも……本当に、遠い道のりですね」
自分だけを抱えて疾走しているのに、誰も彼も桜香に追いつき、追い越していこうとする。
先頭を走っているのは自分のはずなのに、追い抜かれる気分を味わうとは思ったこともなかった。
健輔は桜香に勝てる魔導師ではあるが、匹敵する存在とは言い難い。
同格、と断言できる存在に桜香も感じるところがあった。
「今までのままでは、きっといけない」
クリストファーの敗北は他人事ではない。
激化する世界大会。
強くなる健輔たち。
1人で頂にいる桜香に追いつく時が必ずやってくる。
その時に、まだ孤高を気取っていてよいのだろうか。
優香にも突き付けられた命題。
たった1人であることへの意義が問いただされる。
「本当の勇気は、不可能への挑戦。……確かに、私に不足しているものでしょうね」
前を行く覚悟は、前途がわからないからこそ輝く。
未知を既知へと塗り替える行為は、誰も知らない景色を切り拓くからこそ尊いのだ。
わかり切った結末、形のある成果。
そんなものに囚われていては、桜香は本当の意味で羽ばたけない。
「今は、まだ――」
覚悟を決めるには、桜香もまだ幼い。
知らないこと、出来るかはわからない挑戦に怯える心を押し殺して、少女は才能と情熱だけで必死に天を総べる。
進んだ道のりはまだ半分にも到達していない。
最強の目覚めはまだ遠く、同様に可能性の発露もまだ見えない。
この夏、最後の陽だまりが齎すであろう成果。
まだ見ぬ地平の先に、各々の答えが待っているのだった。




