第92話『感情』
この怪物をどうしよう。
勢いよく喧嘩を売ったはいいが、実は勝率というものを考えた上でのことではなかった。
怒りに支配されていた優香はともかく、それなりに冷静だったはずの美咲がこのような愚挙に走ったのには当然だが理由がある。
まずは第一として、健輔のためであろう。
この最強の魔導師とやらは、自分を倒した存在を特別に見たがっている。
早い話が最初、というブランドに目を奪われているのだ。
これから先、本当に九条桜香が『不滅』なのかもわからないのになんとも余裕のなることだろう。
そして、第2点。
これこそが美咲がこの場にいる理由だった。
それは――
「最強だか、なんだか知らないけど……私の努力は、あんたを喜ばすためにあるんじゃない!!」
「割り込んだ分際で、逆ギレですか!」
「ええ、そうよ。何が悪いのかしら? 他所のチーム、いいえ、1人で競技をやっている人はわからないでしょうけど、あの危なっかしいのは、傍で見てやらないと怖いのよ!」
「なるほど、納得も理解も出来ませんが、1つだけハッキリしました。あなたとはスタンスが合わないようですね!」
「ええ、相互理解できて、とても嬉しいですわ」
彼女たち3人は周囲の状況も目に入らないのか、只管激突を繰り返す。
美咲の技量で桜香を捌くなど不可能だが、2人の間に立つものが見事な壁として機能していた。
美咲の乱入で落ち着いた結果、出力の向上に制限は付いたが、逆に理性によって刃が研ぎ澄まされている。
先ほどまで自分が使っていたのだ。
理解など直ぐに終わっていた。
この辺りの習熟の早さは間違いなく姉妹であろう。
「み、美咲、その……」
「良いから、優香はそのままでお願い」
「は、はい!」
頬を赤らめて友人に弁解しようとするのは、先ほどまでの狂態に思うところがあるからだろう。
親友の初々しい姿には苦笑しか浮かばない。
眼前の似た容姿の女性にはない可愛らしさがあった。
「でも、どうしようかしら。本当にノープランなのよね」
戦いを通じてわかったことは、本当に桜香は強いということである。
全ての能力値が限界を突破しており、かつ成長の途上なのだ。
美咲の理性は、この戦場で真っ当にこの存在と戦える者たちが数名しかいないことをしっかりと理解していた。
徐々に傷つくのは自分たちのコンビのみ。
たった1人で九条桜香は強さを示す。
群を圧倒する個。
人が思い描く超人である彼女に常人の理は通じない。
「連携で力を増せば勝てる、とでも言いたいのですか! 浅はかな!」
「っ!」
「美咲ッ!!」
優香を前衛に美咲が援護する戦法。
常識的で王道の戦法だったが、それゆえに桜香には届かない。
桜香は非常識を常識に変える怪物。
溢れんばかりの才能が周囲を圧迫してしまう。
同じ領域の傑物だけが、ぶつかることを許されるのだ。
桜香は多少優秀な存在程度では倒せない。
「特別、特別! うるさいわよ、このへタレ女!」
「な……こ、この状況で、まだ言いますか!」
「バカじゃないの! 戦闘で勝てば私を言い負かせるとか、まさか夢を見てるのかしら! 良いご身分ですね。こんなお昼からお外で昼寝かしら?」
「あなたに言われると、本当に腹が立ちますね!」
統一系による圧倒的な力の爆発。
この試合で幾度も繰り返してきた蹂躙の戦法を美咲は眉1つ動かさずに見つめる。
才能の爆発、圧倒的な力、特別な才能。
別に表現などどうでもいいが、だからどうしたと美咲は言いたい。
健輔が、優香が、そして圭吾が同期の者たちは皆持てるものを必死に磨いている。
他者との優劣でしか物の価値がわからない方が愚劣であろう。
オンリーワンがいいとまでは言わないが側だけを見て素晴らしいというつもりもなかった。
「そう、だったら嬉しいわ。怒らせるために、此処に来たんだもの」
「……いい性格をしていますね!」
美咲に才能がないとは言わないが、磨くことを怠ったつもりなどない。
在るだけで強いなど、そんなバカなことを現実にしようとしている怪物に知らしめる必要がある。
健輔は特別だから桜香に勝利したのではない。
「あいつの、努力の意味を履き違えているから、あなたが嫌いなのよ!」
「私の何が履き違えている、というのですか!」
「強くあれ、超えるべき壁として。ええ、掛け値なしに本音でしょうよ。強大な相手を超えるからこそ、勝利は喜びを齎すのよ。困難のない人生なんて、生きているとは言い難い!」
そして困難を踏破するために努力するからこそ、その姿勢は尊いのだ。
努力とは何も練習をすることではない。
困難とは何なのか。
この部分を九条桜香は履き違えている。
最強としてあることで健輔の壁となる、と言えば聞こえはいいがようは健輔がやれと言ったから才能を使ってそこにいるだけだ。
怪物としか言いようがなく圧倒的な強さを持っているのも事実だが、それで本当に困難だと言えるのだろうか。
まだ上がある、と断言できるのはきっと美咲だけではない。
「自分には出来ないこと、存在しないことに挑戦するのを勇気と言うのよ! あなたは、自分に出来ることを全力でやっているだけじゃない!」
「っ――」
桜香の剣が一瞬だが間違いなく鈍る。
図星だったからなのか、それとも別の理由からなのか。
彼女にもわからなかったが、目を逸らしていた何かを突き付けられた。
九条桜香は世の人間とは一線を画している。
これが事実だとすれば、彼女が行うべき努力もまた形が違うのは当然だろう。
持てる者には持てない者とは違う苦難があるはずなのだ。
「皇帝を見ればわかる! あの人は、本当は自分1人で完結している。なのに、あえて他者への意識を持っている。これは、殻に閉じこもってはいけないとわかっていたからでしょう!」
固定された術式から砲撃群を放たれる。
魔力の流れを操作した防御術はアルメダのものと似ていた。
美咲の姿勢に驚いたのは、桜香よりも優香だっただろう。
叫ぶ親友の言葉は優香にも当て嵌まる。
己に出来ないことに挑戦することが勇気であり、努力だと叫ぶ美咲に優香は自らを鑑みていた。
「姉さんだけじゃ、ない。これは……もしかして、健輔さんにも」
美咲の何とも言えない叫びはもどかしいものを吐き出すかのようなものだった。
確信があるが言えないのは、自らの考えを絶対だと思っていないからだろう。
彼女の言い分では桜香も優香も一切の努力をしていないことになる。
しかし、それは違う。
どんな形であれ自らも努力を重ねたと断言はできるのだ。
それが持たない者と同じ意味だったかは別としても、美咲が否定してようものではない。
「ああ、もう! こうなるのがわかっていたから、あなたと敵として会いたくなかったのよ! 何が言いたいのか、私もわからないじゃない!」
「り、理不尽すぎるでしょう!」
「最強、とか言われて調子に乗っている人に言われたくないわよ!」
美咲が気迫で圧しているというのもあるが、奇妙な拮抗が生まれたのは偶然ではない。
仮にも健輔の戦闘パターンを組み上げたのは美咲である。
桜香の動きなど目を瞑っていても脳裏に浮かぶ。
相手が桜香に限ってならば、美咲も健輔ばりのセンスを発揮できる。
映像から癖を見抜くために分割思考で時間の合計では数年単位で観察を続けてきた。
忘れてはいけない。
健輔があれだけ戦えたのは彼の努力もだが、美咲の努力が合わさったからこそなのだ。
格上キラーの片割れ、しかも相手はいろんな意味での宿敵。
美咲が奮起しないはずがない。
「う、動きが重なるっ」
体捌きに健輔を幻視する。
非常に腹立たしいのは、桜香の乙女心だろう。
自らにも成し得ないことをしている相手に対する嫉妬だった。
才能があろうが出来ないことはあると、桜香も弁えてはいる。
その上で腹が立つのは止められないのだが、人間である以上は仕方がないだろう。
如何に超人であろうとも、ソフトは何も変わっていない。
何処にでもいる少女としての側面も桜香にはきちんと備わっている。
そう言った方面での超人は静かにこの戦闘を見守る黄金の男だけなのだ。
「気圧されていては、決着を付けられない」
桜香の戦闘経験がここから先で1番危険な選択肢を提示する。
このままずるずると引き摺られるのが最悪のパターンだろう。
いろいろと言われているが、桜香にも1つだけ確信を持てることがある。
ここは自らの負ける場所ではない。
「私は、最強だ!」
「知ってるわよ!」
美咲が障壁を展開するが、桜香の一振りで砕け散る。
正しい力関係が発揮されてしまえばこんなものだった。
データだけで測れるほど桜香は甘くない。
「させないッ!」
「優香ッ!」
予想通りに、今まで通りに優香が割って入る。
双剣と高機動型の攻撃に偏ったバトルスタイル。
表面上は優香も桜香と同じ攻撃型に分類される魔導師に見えるが実態は違う。
優香が普段以上の力を発揮するのは誰かと一緒にいる時、誰かを守る時なのだ。
姉である桜香にはそれがよくわかっていた。
「いつもより、鋭い」
普段はどれだけ言ってもどこかで迷いを抱える太刀筋が滑らかにハッキリと動く。
誰かのために、自分では無い人のために刃を取る時に優香の力は発揮される。
中でも美咲は最高の存在だろう。
健輔では守りよりも、一緒に攻めるという意識が働くため微妙に噛み合っていないのだ。
その点、美咲は優香にとって庇護すべき存在である。
「雪風!」
『術式起動!』
「優香!」
「力だけならば、先ほどの方が上かもしれないけど……!」
桜香が感嘆するほどに優香は枷から解き放たれていた。
元来武器を振るうような精神性を持っていないのが優香なのだ。
振るうための理由を常に欲している。
チームの勝利のために全力なのは事実だが、自己評価の低さはこういった部分にも影響を及ぼしていた。
自らのために振るう刃に意味を見出せないのだ。
桜香は自分との特訓を通じて優香に自信を与えることで力を引き出すつもりだったが、余計なお世話だったとも言えるだろう。
「あなたは、これにも気付いていたのですか?」
「友達を真剣に見つめなくて、誰を真剣に見つめるのよ!」
「――そう、ですか」
友人を見捨てた。
そう言っても過言ではない桜香には耳に痛い。
美咲が言うことは正論であり、だからこそ正しく、胸に響くと同時に不快感を掻き立てる。
人は楽をしたがる生き物なのだ。
正しさというのは、重すぎて背負うには辛いが自然と見つめる強さが美咲にはある。
端的に言えば桜香のように捻くれた人種には非常に眩しく映るのだ。
「健輔さんがあなたを相棒にしている理由、少しわかったかもしれません」
「えっ……」
「教えて、あげませんけどね!」
どれほど気圧されようとも桜香は最強である。
言われた言葉は確かに痛く、衝撃を覚えるものだった。
健輔の望む最強を目指すばかりで幾分目を逸らしていた部分はあっただろう。
己の弱さに目を背けては至れない道。
そういったものがあるのは、桜香にも認められる。
「あなたを認めましょう。その上で、私は拒否する! 私の道は私が決めるッ! 正しさが決めるのではない!」
「開き直ったわね!」
「ええ、これが傍若無人、というものでしょう?」
不敵な笑みは自信に溢れて、美咲の言葉を跳ね返す。
桜香は確かに自らの意思で戦場に立っている。
ようやく、この戦いにやってきたばかりの雛に負けるほど柔な心はしていない。
美咲に美咲の想いがあるように、桜香にも桜香の覚悟がある。
正しい保証などないが、後悔だけはしない。
それだけわかっていれば十分だった。
「お礼を言いましょう。私はまた、1つ上にいく」
「それを――」
「――私たちが、黙って見ていると思いますか!」
友人同士のコンビネーションが加速度的に連携を向上させる。
初めてとは思えないほどの美咲の体捌きに、いつもとは見違えるような優香の力。
レジェンドさえも粉砕しかねない最高峰の連携を魅せつけるが、最強の魔導師はたった1人の強さで凌駕する。
彼女は1人であることで強さを魅せつける者。
歩む道は違うが、先に進んでいる者だった。
ようやく道に気付いた者で勝てるような相手ではない。
「愚問。あなたたち程度の障害で、私が諦めると思うかッ!」
剣を構えて黒が集う。
この終盤でも、いくつもの激戦を超えても彼女の力に陰りはない。
純粋な力で桜香を凌駕するなど、2人は不可能である。
増大する脅威を前に出来ることなどない。
「集え、漆黒の終焉」
この戦闘中に身に付けた術式の発動を今度は最大出力でやってのける。
進化する怪物に限界はない。
戦場で得た全てでどこまでも、どこまでも昇り詰めるのだ。
チームも、妹も、全てを置き去りにして太陽は天に輝く。
「さようなら。今回は、私の勝ちですよ」
厳かに宣言する言葉。
当然のものを告げる、という姿勢に曇りはない。
正しくなくとも、熱に殉じると決めたのだ。
迷うつもりはない。
しかし、正しい少女たちに感じ入るものはあった。
「では、これで。――あなたのこと、嫌いではないです」
「そう、ですか……。私も、嫌いではないですよ」
「美咲ッ! くっ、雪風!」
『ダメです。あれは、今からでは……』
最後の足掻きとばかりに優香の『蒼い閃光』が美咲によって増幅させて放たれる。
決して弱くはない一撃。
それでもどこかで敗北を予期してしまった2人では、受け止めることも困難だった。
「――それでは、これにて。次はもっと良い試合になるでしょう」
優香も、そして美咲も、自分自身も。
より高みで会おうと告げて、
「術式発動――!」
黒い閃光が全てを塗り潰すかのように、2人を飲み込むのだった。
「これで、私の勝ちです」
クォークオブフェイトの誇る2人は圧し折られて、戦場には最強だけが残る。
ここで1つの結末が定まった。
九条桜香はやはり最強であり、現役世代に止められる者は少なくとも今は存在しない。
「些か、時間を掛け過ぎました……。探索は苦手ですが、この後はどうしましょうか」
クォークオブフェイトの参謀陣を探すのか。
それとも他のチームを叩き潰すのか。
選択肢はいくつもあるが、選べるのは1つだけである。
何よりバックスの喪失により桜香は情報が不足していた。
しかし、得ていた情報から考えるともはや消化試合であろう。
シューティングスターズが残っているが、彼ら程度では問題にならない。
「クォークオブフェイトはほぼ壊滅。残存を探す手間よりもわかりやすい方からいきますか。いえ、面倒臭いのが1人残っていましたか……」
脅威の継続戦闘能力。
力だけで全てを押し通す桜香だが、ただ強いだけならば普通はとっくに息切れをしている。
目立たないが、この継続力も桜香の最強を支える一助であろう。
終盤において出会ってしまえば如何なる魔導師も多少は疲れている。
そんな状態で倒せるほどこの最強は甘くなかった。
「まずはやはり葵から……」
目的を定めて飛び立とうとした時、
「ふむ。急ぎの用事があるのか」
「っ――!」
誰かの声が響き、桜香はすぐさまその場を飛びのく。
声の聞こえた方向。
先ほど桜香がいた場所から少し上の空域で、腕を組み静かにこちらを睥睨する男性がいた。
纏う魔力は黄金。
そう、現役で桜香に勝てる可能性がある者は健輔を除いていない。
ただ、忘れてはいけないだろう。
ただ1人、かつて桜香の上に君臨した存在のことを。
この場で正面から桜香に勝てる可能性を持つ唯一の存在。
「皇帝、クリストファー・ビアスッ! どうして、ここに……あなたは!」
「制限時間をオーバーしたな。何、単純なことだ。アリスがヴァルキュリアを先に仕留めたのはそういうことだよ。化け物には、化け物をぶつける。道理には合っているだろう。ちなみに、シューティングスターズの全戦力もこちらに来るぞ」
「ヴィオラ・ラッセル……! 最初から、計算通りということですか!」
いくら桜香でもこの男相手に最強、などとは名乗れない。
公式戦で彼に敗北を刻んだのは健輔ただ1人。
紗希ですらも敗北を喫した黄金の王者。
フィーネとの間に因縁があるのならば、当然この黄金との間にも切れない縁がある。
「さあ、始めようか。女神だけ、というのは些かにずるいだろう? 俺とも1つ、踊っていただけると嬉しいな」
「……いいでしょう。避けてはいけない相手です。ここで、私の最強を証明する」
あるはずだった決勝戦。
誰もが考えた最強対最強の激突。
戦うべき時代を超えて、揺るぎなき精神と天に至る才能がぶつかり合う。
この試合、最大にして最後の決戦の火蓋が切られた。