第8話『女神の名の下に』
迫る2つの色をフィーネは落ち着いた様子で迎える。
現役世代としては間違いなく最強クラスの魔導師、さらに言えばついこの間に新世代を叩き潰した健輔の強さに疑うところなど何も存在していない。
器用貧乏から器用万能のレベルまで持ってきた男と最初から全方位で優秀だった女。
彼らの組み合わせに確実に勝てると断言できる魔導師は今では桜香しか残っていない。
しかし、それらの全てが現役に的を絞った際の話である。
なるほど、確かにフィーネは1度は健輔に敗北していた。
事実は事実として他ならぬ女神も認めている。
認めた上で、彼女は笑うのだ。
「力はある。技術も同様、度胸も申し分ない。あなたたちには、私から指導するようなことはほとんどないですね」
冷静に2人を観察しながら、フィーネはある意味で自分に課せられた役割を放棄したかのような言葉を放つ。
客観的に見て健輔と優香にフィーネからの指導、つまりは将来の道筋を示すことは不要であった。
既に自分の道を定めている2人に彼女が出来るのは、現実の険しさを叩き込むことだけである。
引退した世代。
健輔と優香を相手取り勝利できる可能性を持つ数少ない1人である彼女は不敵な笑みで槍を構えた。
「はあああああッ!」
「くらえッ!」
左右から同時に放たれる攻撃。
彼らの連携に綻びはなく、仮にこれが現在のランカーたちならば撃破はそれほど難しくない。
そう思わせるほどに完成度は図抜けていた。
敗戦から更に磨いた刃はかつての平均を大きく塗り替える。
それでも――、
「――想定が、甘い」
――頂には、まだ遠い。
優香とリンクして、理想の姿に近づいてはいるが今の健輔と優香の状態は出力が大きく上昇しただけであった。
本来の理想としては、優香と健輔を同時に世界大会決勝戦レベルの高みに導くことなのだが、流石にまだまだ錬度が足りなかったのだ。
「流石ですっ!」
「はは、これくらいじゃないとな!」
そして、こうなることを健輔たちもわかっていた。
世界大会において、健輔は彼女を道連れにすることで試合では確かに勝利を勝ち取ったと言える。
これを否定することは誰にも出来ないだろう。
佐藤健輔という魔導師はただの非力な万能系ではなく、世界最高レベルの魔導師である。
九条優香という魔導師は優れた才を持つ天才魔導師であり、現役では世界で2番目に強い魔導師である。
この前提は正しく機能しており、事実として健輔は下級生を叩きのめしていた。
では、そんな彼らの猛攻を容易く者は一体、何者なのだろうか。
「ふふ、そちらも十分に体は温まったみたいですし――」
彼女こそが欧州を総べた女神。
3位という順位ではあったが、その力の真価において『皇帝』と『太陽』に劣るものではない。
かつての戦いでは発揮しきることが出来なかった実力が、全てを終えて故郷から遠く離れた日本で解放される。
「――全力で、参りましょう」
『リミットスキル『空間展開』』
魔力を以って、空間を創造する。
彼女の切なる願望が投射された創造系の極致の1つ。
世界で2番目の展開範囲を誇る常識外の異界が此処に降誕する。
リミットスキルと術式の合わせ技。
彼女を彼女を足らしめるその術式の名は――、
「術式展開『ヴァルハラ』発動!」
――『ヴァルハラ』。
彼女にとっての楽土が此処に誕生した。
健輔と優香の表情に緊張の色が浮かぶ。
この空間の効果は知っているのだ。
世界大会で受けた洗礼、刻まれた脅威は忘れられるはずがない。
周囲の魔素を煌めく銀の光が埋め尽くす。
彼女に集う魔力の流れを見て、健輔は口元を大きく歪めた。
「すげえ……」
彼女の『ヴァルハラ』を参考にして、健輔は決戦術式『クォークオブフェイト』を生み出したのだ。
周囲から力を集めて、高みに至る。
その発想は健輔に大きな影響を与えた。
フィーネは才能で言えば間違いなく桜香に匹敵する人材であり、健輔や優香を凌駕している。
そんな掛け値なしの天才が仲間の助力を前提とした術式を持っているのだ。
不思議であると同時に、健輔はとても嬉しかったのをよく覚えている。
「健輔さん、まだ此処の設備は旧ルール化での物ですから、フィーネさんは得意とする属性を完全には使えません」
「わかってる。……それでも、届くかはかなり怪しいけどな」
「あれに2人で勝てるくらいにはならないと、去年から成長していないことになります。わかっていることでしょうが、世界大会の時のフィーネさんはあの人の全力からは遠い状態です」
「……理解してるさ。あの人は、自分に負けない星がいる時にその輝きを無限に高めるからな」
フィーネを参考にして戦い方を組み上げたからこそ、健輔は敵のことを本当によく理解していた。
手を抜かれた訳ではないが、本来のフィーネ・アルムスターは更に上がある。
それを念頭に置いて戦うべきだと、健輔も理解していた。
健輔がフィーネの影響を受けたように、フィーネも健輔の影響を受けている。
味方だけでなく敵の輝きを利用することを彼女は学習しているはずなのだ。
上手く使われると非常にマズイことになるのは明白だった。
「ここからは、前との違いを意識しないとな」
「はい。では、改めて参りましょうか」
健輔たちの奥の手にフィーネも奥の手で応じる。
両者の挨拶は終わり、朝の日課は気付けば類稀な激戦となった。
加速を続ける物語、終焉は直ぐそこに迫っている。
技術、心構え、指導者としてフィーネがあれこれと世話を焼く必要はないほどに健輔たちは完成している。
既に彼らは精神面も含めて、魔導師としては最高レベルに固まっているのだ。
そのため、フィーネがすることなどそこまで多くない。
「だからこそ、見定めましょう。あなたたちの行く道はこのままでよいのかを」
雷雲がフィールドを覆い始める。
風が吹き荒ぶ、圧力が増していく。
銀の魔力が濃度を天井知らずに上昇させていき、対峙する敵をその奔流だけで潰してしまう程の圧力が生まれる。
「フィーネさん!」
「優香――では、健輔さんは後ろですか!」
並みの魔導師ならば、フィーネがおまけとして作り出したこの自然現象すらも突破出来ずに敗北するだろう。
それを易々と乗り越えて、蒼き乙女は空を駆ける。
どちらも戦場に輝く極星。
煌びやかな星光が手加減抜きで衝突する。
「はあああッ!」
「やはり、止めてきますかッ!」
銀の槍の一閃が、蒼き双剣を弾き飛ばす。
3ヶ月前、世界大会から比べれば優香のレベルは大きく上昇している。
用いる固有能力の凶悪さも考慮すれば、互角は無理でも戦いにはなるはずだった。
しかし、実際の光景は優香と健輔、どちらもが意図していないものとなっている。
明らかに前に戦ったよりもフィーネが強くなっていた。
条件は大きく変わっていないはずなのに、生まれた明確な差に優香の心に影が差す。
「ちィ! これでも無理か!」
「甘い! 私が1人なら弱いと思いましたか!」
「まさか! そんなアホな想定するかよ」
「そのようなこと、あり得ません!」
周囲から魔素を無尽蔵に吸収することでフィーネの魔力は底なしに上昇していく。
おまけに消耗した分の魔素をリサイクルとばかりに使用した魔力から回収するのだ。
あまり目立っていない彼女が持つ強み。
他の頂点、例えば桜香の場合は有り余る出力で正面から粉砕するのが最大の脅威であり、同時に彼女の弱点もそれだと言えるだろう。
リミットスキルと固有能力を組み合わせた無限の成長は恐ろしいが物理的な限界点というのも存在していた。
太陽の輝きは終点に至ってしまえば潰えてしまうのだ。
これは何事にも避けられない反作用とも言うべきものだろう。
そして、王者たる皇帝にも類似の弱点が存在している。
敵手に合わせてドンドンと強くなる彼は逆説的に敵のレベルによっては本領を発揮出来ないこともあるということになってしまう。
この事が彼の弱点となる訳ではないが、明確な枷があるのは間違いなかった。
仮にそれを超えたとしても今度は想像の限界が彼を待っている。
それすらも超えるからこその王者であるが、本当に超えられるのか、という問題はあった。
何より、いつかは限界を超えるかもしれないが、成長の瞬間の齟齬、その僅かな隙を突かれてしまえば彼でも敗北してしまう。
世界大会の結末はそのことを暗示していた。
では――女神はどうなのか。
「仕切り直す!」
「健輔さん、後ろへ!」
「すまん!」
優香を盾にして、フィーネの猛攻を凌ぐ。
健輔に系統を切り替える隙など与えないと言わんばかりの烈火のような進攻。
彼女の後輩たる火の乙女を思い出させる攻撃姿勢。
健輔の表情に苦いものが浮かぶ。
「っ、本当に、厄介な人だな!」
「あなたに言われたくありませんよ。有体に言って、それは同族嫌悪と言うべきものでしょう?」
揶揄を含んだ笑みに健輔は問い返せない。
同時にそれは内心の驚きを隠すための沈黙でもあった。
女神には健輔たちを相手にしてなお余裕が見受けられている。
実力に自信があるからこそ、驚きを禁じ得ないのだ。
「余所見をする余裕が、ありますかッ!」
「ええ、私を止めたいのならば、最低でもチームの総員を持ってきなさい。あなただけでは、物足りないですね」
女神の持つ強み。
それは能力の多彩さとそれを楽に維持出来るだけの継戦能力である。
健輔がフィーネを目標としたのは、姿勢に憧れたというのもあるが、他の要因としてこの類似性があった。
健輔が系統の可変で可能性を示すのに対して、フィーネは取りえる手段の豊富さで可能性を作り出す。
出来ることに差があったが、方向性は極めてよく似ていた。
重なる在り方、目指すべき背中。
追いかけて、憧れたことに一切の嘘はなく、健輔は全力で対峙している。
だからこそ――差は決定的なものとして現れてきた。
「優香っ!」
「はあああああッ!」
「テンペストッ!」
『魔力、偏向。光よ集え』
何処からか光が生まれ、空間内に展開された鏡を反射しながら健輔たちを取り囲む。
世界大会でもあり得たかもしれない光景。
彼女はたった1人で、『ヴァルキュリア』を凌駕する怪物であった。
試合を終わらせるべく最大級の攻撃術式が2人を捉える。
前のめりすぎる2人の姿勢を見抜いたフィーネの完璧なタイミングでの術式展開。
既に脱出するような機会は失われていた。
「マズイっ!」
「障壁、展開!」
健輔が周囲の魔力に干渉することで防御に入ろうとし、優香はオーソドックスに障壁を展開する。
守りに入る優香を見て、フィーネは強く言い放つ。
「これで何度目ですか。あまり言わせないで欲しいですね。甘い、です」
『術式発動『ジャッジメント・レイ』』
「プリズンフォーメーション」
光で囲まれた牢獄に裁きの鉄槌が舞い降りる。
最大規模の空間展開を上に伸ばした防御不能の一撃。
学園側でも観測されたとんでもない攻撃を見て、健輔は戦慄を隠せない。
「れ、練習で使う規模の技じゃないだろう……」
今更ながらに健輔は思い知る。
3強というのは誰もが常識の上を爆走する怪物なのだ。
1人だけ常識人、などということはあり得ないのである。
「これを、超えないと……」
単独で抗えるようにならないと、世界の頂点には手が届かない。
道連れではいけない。
奇跡でもいけない。
勝利を己の意思で引き寄せられる領域まで、健輔は昇らないといけないのだ。
この頂に存在する怪物たちを、凌駕すると誓ったのだから。
「今は、負けてやるさ。練習なんだ、1000回でも甘んじて受け入れてやるよ」
「はい。だからこそ――」
健輔は優香と見つめ合い、柔らかく笑ってから頷きあった。
「――絶対に叩きのめしてやる」
「勝利を、私の希望に捧げてみせます」
朝の清浄な空気を天の裁きが引き裂いていく。
日々の日課、いつも変わりのない日常は特大の挨拶から幕を開けるのだった。
「……何、あれ」
「見ての通りですよ。瑞穂、あなたもこの世界に足を踏み入れたなら覚悟はしておいてください。あれよりも強いのが今の世界1位です」
天に立ち上る光の柱を見つめながら2人の少女が語り合う。
片方はエース。
世界を代表する魔導師の1人にして、雷光を司る者。
もう1人は新人。
健輔とは少なくない因縁を持つ少女。
一見して共通点のない2人だが、ある目的にだけは通じる部分がある。
2人とも、なんとしてでも万能の可能性を持つ男を振り向かせたいと思っていることだった。
雷光は矜持のために、そして少女はある意味で復讐のためであろうか。
いろんな意味で恥を背負った日のことを彼女はしっかりと覚えていた。
「……か、覚悟はしてたんだけど。やっぱり、傍で見ると怖いわね」
「当然でしょう。フィーネさんはいろいろと運のない方ですけど、それを補って余りある才覚の持ち主ですから。桜香さんだけが最強ではあり得ません」
呆然とする少女――滝川瑞穂は傍にいる異国の少女の言葉を胸に刻む。
形式上は健輔の最初の弟子。
空を飛ぶことを褒められた少女は並みならぬ意欲でチームに入った。
雷光の戦乙女――『クラウディア・ブルーム』もそのことは素直に認めている。
「あなたの執念、見事です。1年の差をなんとか埋めて戦闘魔導師として、見れるぐらいにはなりました。その上で、あの光景を覚えておいてください」
「いつか、必ず、絶対にぶつかるから?」
「ええ、何よりも本来の健輔さんもあの領域にいけますから」
「……そう、だよね。うん、わかってた。ありがと、クラウ。私のために今日は連れ出してくれたんだよね」
「ふふっ、それだけじゃないですよ。私のため、でもありますからね」
健輔が単独ではフィーネに勝てないの事実だが、忘れてはいけないことがある。
決戦術式を用いた健輔は彼女の干渉を遮っているのだ。
相討ちに持ち込めたのは出力が釣り合ったことでフィーネの万能性に抗することが出来たからである。
フィーネは3強の中で最も安定感があり、同時に持続性にも優れている。
しかし、それが常にメリットになるとは限らない。
率直に言えば、彼女は爆発力に欠けているのだ。
他の2人が爆発力があり過ぎるだけなのだが、結果として彼女は瞬間出力に劣ることになる。
それを補うための仲間だったのだが、本領を発揮する前に健輔に嵌められたことが敗因となったのだ。
もっとも、仮の話となるが彼女があらゆるスタンスを捨てて、勝利だけを求めるならばあの状況でも逆転出来るだけの可能性はあった。
そんなことをすれば既にそれはフィーネ・アルムスターではないが、もしもを論じたくなるだけの力を女神は持っている。
「コーチとしてのフィーネさん。……おそらく、いろいろと以前とは違うでしょうね」
かつては女神としてフィーネの美学があった。
卒業してもあり方事態は変わらないだろう。
問題は現在の彼女の職務である。
「それって、どういうこと?」
「健輔さんたちを鍛えるために、やれることは全部やるだろう、ということですね。これは負けていられませんか」
クラウディアはフィーネの姿勢を確認して1番辛い予想が当たってしまったことに溜息を吐く。
「ハードルは高いですね」
「……私、結構辛い練習を乗り越えたんだけどなー。なんなの、あれ?」
仮に生身であんな攻撃を受けたら消し炭になるだろう。
そんなものを平然と放つ方も凄いが、受け止める方も同じくらいには凄かった。
「我らのライバルが強いことを確認出来て嬉しいのは嬉しいですが、少しだけ力も抜けますか」
「嬉しい、っていうのが既に凄いけどね。はぁ、健輔のこと、ちゃんと殴り返せるのかなぁ……」
悲喜交々、複雑な感情を持て余すの少女たちはその場を後にする。
激突はまだ遠く、姿さえも見せていない。
それでも、彼女たちは健輔たちの背中を見て、歩みを加速させていく。
相手を超えるために、相手に最高の姿を見せるために乙女たちが自分を磨き上げる。
季節はまだ春。
熱い夏はまだ先だが、水面下では既に動きが生まれているのだった。