プロローグ
天祥学園。
巨大な人工島であり、日本が持ち得る魔導技術の粋を集めて生み出した技術の結晶たる場所。
学園機能が中核となっているだけで街の中では普通の営みが行われており、全島の機能が完成した状態からも増築が進められている。
通常のアクセス方法は船もしくは飛行機になり、最近だと新しく転送ゲートが選択肢に入るようになってきた。
便利な転送系の技術だがまだまだ不安定な面も多く、何より一般人は物珍しくは思えど使用にまでは至らないケースも多い。
安全性、というのはそれなりに担保されているが日常的に使用となるとまだ問題があるのも事実だった。
そのため、旧来の移動手段たる船や飛行機もまだまだ現役なのである。
そして、天祥学園の入り口として最も活発なのは空の港たる場所だった。
「……ふう、空の旅というのはやはり自分で飛ぶのとはまた違う感じですね」
手元にはキャリーケース、白いワンピースを基調にして清楚な感じで着飾った美女がゲートからやって来る。
どこにでもいる旅行者の装い、不審な点などは何も存在していない。
彼女は何をするでもなくただ歩いているだけだった。
しかし、ただそれだけで数多の視線、それも男女を問わずにを惹きつけてしまうのは、彼女の持っている美しさだけではないのだろう。
その場にいるだけで発する輝き、オーラのようなものが人を惹きつけてしまうのだ。
「ここが、健輔さんたちの学び舎ですか。……良い空気ですね。これならあれだけ強くなるのも理解できます」
まるで、視線を集めることなど慣れていると言わんばかりに彼女は気にせず進む。
慣れているのは当然だろう。
昨年卒業したといえ、彼女は魔導の世界において疑いようもなく頂点に立った人物。
流れる銀の髪と美しい瞳。
人間離れした美貌は変わらず、私服を着込んでいる分だけどこか大人びて見える。
「テンペスト、時間までまだ余裕がありますか?」
『問題ないです。我が主』
「では、少し見て回りましょうか。これから1年間、私がお世話になる場所ですからね」
『時間に問題はありませんが、主、質問をよろしいでしょうか?』
「なんですか? 今は気分がいいので、ある程度は答えますよ」
銀の女性は己の胸元から話しかけてくる愛用の武器に笑顔で応える。
今はカードのような状態で首に掛かっているそれはある人物と同じタイプに切り替えたために出来るようになったものであった。
卒業に合わせて新調したそれを女性は殊の外気に入っていた。
これも世界大会で出会った1人の男性の影響と言ってよいだろう。
無愛想よりも愛想がよい方が楽しいと思う程度には彼女は茶目っ気に溢れている。
『レオナ殿たちに黙っていてよかったのですか? あの方たちは主を頼りにしていると思いますが』
自らの武器の問いに銀の髪を持つ女性は曖昧に微笑む。
質問を煙に巻く時に見せる彼女お得意の笑顔だった。
後輩たちに対しては必殺の威力を持つ微笑み。
どんな男であろうと陥落せずにはいられない魔性の微笑みである。
――彼女的には残念やら、嬉しいやらと複雑だがある男性にはまったく効果がないのが最近の悩みだった。
そんな心の中での複雑な模様は無視して、あっさりと質問に答えを返す。
「あの子が今の『女神』ですよ? 私が口を出したら、あの子の意思と努力が曲がってしまいますよ、というのが建前です。本音としては、びっくりさせたいだけですよ。あの子たちならかなりいい感じのリアクションをしてくれると思いますから」
微笑みながら彼女は故郷の後輩たちを思う。
彼女を気遣ってくれる優しい心根の持ち主たち。
出来れば傍で見守りたい気持ちもあるのだが、それではいつまで経っても彼女の下から巣立てない。
遠くから見守ることこそが、成長に繋がることもあるのだ。
『差し出がましいことを申しました。主の深謀に道具風情が口を出し申し訳ありません』
「ふふ、気にしないでいいですよ。今の私が身軽で、ちょっと意地悪なのは自覚してますからね。本音はびっくりさせたいってだけなんですから、そんなに重く考えないで」
執事のように職務に忠実な魔導機に感謝を述べる。
チームから離れて、1人になった彼女にとっては最後の戦友だった。
彼女の3年間の挑戦は終わりを迎えて、今は次のステージに進んでいる。
今までとは異なる道、異なる世界で彼女は努力を重ねていた。
『楽しそうですね、主』
「それは勿論。最初からやる、というのは大変ですけど、遣り甲斐がありますから。それに今年の目標を考えると今から、血が滾ります」
『新しい魔導のために、ということですが、何をするのですか?』
魔導機からの疑問に再び曖昧に微笑む。
主が問われたがっていたためにあえて聞いたが、このような反応になることをテンペストは理解していた。
彼女が世間で言われているほど真面目ではないことを忠実なる魔導機は知っている。
「あ、何か考えてますね? もしかして、呆れちゃいましたか?」
『いえ、私如きでは主の深謀を覗くことも出来ないことに、思うところがあっただけです。先の大会でも力及ばず……』
「それは言う必要はないですよ。まったく、誰に似たのか。考えすぎです。全ては一期一会、あの戦いは全力でしたよ。たらればの話は好きではないです」
頂点に君臨した者が後悔など抱えてしまえば、それだけ世界が狭くなってしまう。
人は上に立つ人間には大きな人間であって欲しいと願っている。
彼女はそれを忠実に果たした女性だった。
いや、彼女だけでなく、王者として君臨したあの男もそのように考えていた。
正しいのか、それとも間違っているのかはわからないがそれが魔導の世界に齎したものは大きいだろう。
彼らが頂点にいたからこそ、超えたいと願った魔導師たちによって全体のレベルが大きく上昇したのだから。
自分はやり切ったし、未練はあれど後悔はない。
彼女はそのように魔導機に答えた。
『失言でした。お許しを』
「ふふ、っと、あまり立ち話もあれですし、観光がてら、待ち合わせ場所に急ぐ――」
「あら~それは~大丈夫ですよ~」
当初の目的に立ち返ろうとした彼女に声を掛けるおっとりした声の女性。
特徴的な声の持ち主に、声を掛けられた銀の女性はゆっくりと振り返った。
「なるほど、天祥学園は優秀な教師をお持ちのようですね。私に気配を悟らせないなんてそうは出来る芸当ではないのですが」
「う~~ん、そういう訳じゃ~ないんですけどね~。まあ~、納得してくれるなら~別に問題ないですよ~」
雰囲気をスパッと切り替えた女性に間延びした口調で話す女性は困ったような表情で応じる。
見た目を含めて、いろいろと対照的な両名は表面上は和やかに会話を続ける。
「健輔さんの担任、というのもお聞きしております。あの人があそこまで伸びたのも、あなたが絡んでいるのでしょう? それならば、無条件で信頼出来ますよ」
「佐藤くんは~何もしなくても~ああなったと~思いますけどね~。そんなことよりも~挨拶させていただきますね~」
おっとりとした童顔の女性は豊満な身体を揺らして、銀の女性に勢いよく頭を下げる。
年齢は童顔の女性の方が10は上なのだが、そうは見えないのはある意味での人徳だろうか。
「改めまして~大山里奈と申します~」
「ええ、よろしくお願いします」
童顔の女性――大山里奈。
天祥学園の教師の1人である彼女はこの日、新学期が始まろうとする日に新しい人材を迎え入れるためにやって来たのだ。
目の前の銀に輝く美しい女性こそ、彼女の目的であり、学園の目的だった。
「それにしても~学園側の提案を~受けてくれて~良かったですよ~」
「渡りに船、と言うのでしたか? 私の目的にも合致していましたから。これから1年間、それ以上になるのかはまだわかりませんが、よろしくお願いします」
「はい~。ようこそ~天祥学園へ~」
ニッコリと微笑む里奈に銀の女性も微笑み返す。
そう、今回のことは彼女にとっても良い提案だった。
魔導とは関わるが、魔導競技とは離れてしまう大学生活。
仕方がないと、ある程度は諦めていたが、可能ならばまだまだやってみたいことはあった。
あの決勝戦を見て、彼女もまた疼くものがあったのだ。
彼女の戦いは確かに終わりを迎えた。
終わったが、新たな戦いが始まらないとは1度も言っていない。
何より自分の限界に挑んだとは、まだ思えないし、信じていなかった。
チームのためではなく、自分のために彼女は天祥学園にやって来ることを選んだ。
「――ええ、本当によろしくお願いします」
――フィーネ・アルムスター、来日。
天祥学園へ銀に輝く最強の『女神』が舞い降りる。
健輔の知らないところで新たなるステージがゆっくりと動き始めていた。
新ルール、新しいトーナメントの形、新しい技術。
革新を迎えた魔導が今までを超える激闘を演出する。
短い休息は終わりを迎え、新しい戦いの日々が始まるのだった。