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自由への願望

耳障りな音楽で、目を覚ました。枕が足元にある。寒い。毛布はベッドからずり落ち、おれの体はこの朝の寒さをもろに受けてしまっていた。廊下では、寮生達の足音が聞こえる。おれは毛布を掛けなおそうと、左手を伸ばし、毛布をつかんだ。しかし持ち上げる気力は、もう無かった。

廊下のスピーカーから流れるこの大音量の音楽は、一階にいる寮監督によって、毎朝7:20分に流される。その音楽に目を覚ました寮生たちは、7:30からの「朝の集い」のために、一回ラウンジに集合するのだ。

うんざりしていた。この縛られた環境に。自由の無い環境に・・・・・・

音楽が鳴り終わった。もう頭の中では、今流れていた音楽が何なのか、分からなくなっていた。いつからこんなに目覚めが悪くなったのだろう。目覚まし時計を見ようとするが、動くことを完全に拒否してしまったおれの体はその「時計を見る」という行動でさえ受け入れなかった。


(大丈夫・・・あと3分くらい・・・)


音楽が消え、静かになった部屋の中で、おれの意識は再び遠のいていった。


―――――――ドン!ドン!ドン!


反射的に半身を起き上がらせていた。


(しまった!)


叩かれたドアを見てみると、のぞき窓から二つの目が、おれの顔を不機嫌そうに睨んでいる。きっとあの目は将平だろう。


(・・・またやっちまったか。)


目に違和感がある。将平の顔が認識できるということは、おれの目にはコンタクトレンズが入ったままなのだろう。昨夜いつ眠りについたのか、思い出せなかった。ドアの鍵を開け、おれは廊下に出た。


「すまんな・・・」


将兵は何も言わなかった。おれに目を合わせることも無く、不機嫌そうな顔で階段へと向かった。寮生同士の朝は、こんな感じでお互い不機嫌だ。普通の家庭でも、朝はどうもイライラして、親や兄弟に当たってしまうだろう。それが俺たちは、この「寮」という環境の中だから、その矛先は同じ寮生、つまり友人に向けられる。こんなやり取りの後に言うのもなんだが、将平はおれの親友だ。そんな仲の二人でさえ、朝はこういう状況になってしまうのだ。


おれ榊原秀明さかきばら ひであきは、今から一年前、誠明せいめい高校に入学した。それは同時に、誠明寮への入寮も意味する。そう、この誠明高校はいわゆる全寮制の高校だ。


おれはタオルを取って洗面所に向かい、顔を手早く洗ってそのままラウンジに駆け下りた。ラウンジに下りると寮生たちが、眠そうな顔をしながら座り込んでいる。「朝の集い」が始まっているのだ。その固まりとは少しはなれた後ろ側で、3,4人の生徒が眠そうな顔をして正座していた。おれと同じように寝坊した奴らだ。この朝の集いに遅刻すると、集い中は正座、集い後はラウンジの雑巾掛け、というしょうもない罰が課せられる。当然ながら今日はおれも対象者だ。しぶしぶその「遅刻組」の中に正座をした。前を見ると、寮監督の松岡がおれを睨んでいる。どうやらおれが最後の遅刻者だったらしい。

「集い」とは言っても、寮内の連絡を、この寮監督がおれたちに伝えるだけだ。主たる目的は、寮内に生徒が全員いるか確かめることだった。松岡がなにか連絡しているようだが、再び眠気が襲い、全く耳に入ってこなかった。朝っぱらからこんなおっさんの話に耳を傾ける奴なんか、この中にはいないのだ。

集いが終わり、寮生たちは食堂へと向かった。


「おい。遅刻した奴らはちゃんと雑巾がけしてから行けよ!」


(分かっとるわボケ。)


おれは眠気と戦いながら、濡らしてもいない雑巾を手に取り、適当に地面の上を滑らせた。松岡がおれを見下ろし、腕組して立っている。


(んだよ・・・おまえの朝の選曲が最悪なんだろうが・・・)


雑巾を滑らしながら、思い出していた。今朝流れていた曲は懐かしい、あのTHE虎舞竜の「ロード」だったのだ。確かに名曲だが、朝の目覚まし曲がこれはないだろう。

松岡がおれたちを監視するのをやめ、事務室に入っていった。おれはすぐさまその乾いた雑巾を放り投げ、食堂へ向かった。すると、さっきおれを起こしに来た将平が靴箱で待っていた。


「おう、待ってたんか。」


「・・・ああ」


おれと同様、まだ眠そうな顔をしながら言った。


朝食を終え、部屋に戻った。この後、寮生は30分ほどで学校に行く準備をしなければならない。おれが部屋に着いた頃には皆、洗面所や廊下に集まっていた。将平が口に歯ブラシを突っ込んだまま、洗顔中の坂口をいたずらに蹴っている。パンツ一枚の谷口が、鏡を相手に髪を整えていた。

この30分という時間内で学校に行く準備を全て終えるのはなかなか大変だった。その上、寮生の生徒数に対して、水道やトイレの数が少なすぎるのだ。


「おい橋本ぉ!はよせえや!待っとんじゃ!」


「ちょい待ってえな。もうすぐ出そうなんじゃけん。」


そんな便器ドア越しの会話も、毎朝のようなことだ。


「あぁ!紙無いやん!」


橋本の情けない声が聞こえる。


「誰か取ってぇな!」


「どあほう!おまえが毎晩そこでしこっとるけんすぐ無くなるんだろうが!」


洗面所からの佐竹の言葉に、髪をいじっている谷が笑っていた。


「ちゃうわ!おれここ一週間くらい我慢しとんじゃけん!」


「そんなんどうでもいいわぁ!はよ終わらせえや!」


ドアの前で橋本が出るのを待つ外山が怒鳴った。

歯ブラシをくわえた将平が、地面に転がっているトイレットペーパーを取り上げ、橋本の入っている便器の個室に上から思いっきりダンクした。鈍い音が聞こえて、橋本の情けない声が聞こえた。おれたちはそれを笑いながらみていた.


「やっべ!制服洗ってなかった!誰か制服貸してえや。」


洗顔を終えた坂口が言った。


「おれの貸したろか?」


橋本を馬鹿にしていた佐竹が、そういって言って部屋に帰り、シワシワのYシャツを手に戻ってきた。


「昨日干したばっかであんま乾いてないけどな。」


そう言いながら坂口に渡したそのシャツは、水分をたっぷり含み、向こう側が透けて見えていた。


「いやいや!全然乾いてないやん!」


坂口は苦笑しながら、そのシャツを受け取った。当然ここは男子寮であり、女子寮とは別所となっている。男子だけの生活の場でこそ営まれる、この男臭い生活はおれは嫌いではなかった。

そんなことをしているうちに、もう登校時間になってしまった。もう何人かの生徒は学校へ向かったようだ。おれは部屋で、コンポから流れるCHEMISTRYの音楽を聴きながら、ネクタイを締めていた。鏡を見ようと、身をかがめた。不意に、電気が消え、音楽が止まる。


(くそ!松岡め・・・)


各部屋の電気設備は、下の事務室にあるブレーカーによって管理されている。松岡が寮生を早めに部屋から出すために、全部屋のブレーカーを落としたのだ。

電気さえ管理されているというこの状況に、毎朝憤りを感じていた。なんで高校生のおれたちが、こんな見知らぬおっさんの管理下で生活させられているのだろうか。全寮制の高校を選んだ理由の一つに、親からの縛り付けから逃れたい、という気持ちもあった。高校生だけの、大人のいない自由に憧れてと共にこの寮に入ったのだ。一年経った今、おれは現実の生活に失望していた。

着替え終えたおれは、スクールバックを手に取り部屋を出た。


「将平―!もう行かなやばいぞ!」


「待っとけぇ!」


将平の声が部屋の中から聞こえてきた。おれと将平の部屋は3つ隣の部屋に位置する。この親友も、おれと同様、この生活に不満を抱いている一人だ。おれたち二人は階段を下りながら愚痴っていた。


「松岡の野郎ブレーカー落とすの早すぎだろ!?」


「なぁ!?あほかあいつ!!そんで自分はのんびり事務室でコーヒー飲んでんだろ!?」


将平が壁を殴って言った。


「ほんと何様のつもりなんやなぁ・・・あのおやじ。」


「あぁ!まじむかついてきた!」


今度蹴りを入れた言った。


―――――ドゴッ


とてつもない音がした。同時に俺たち二人は固まった。おれはこいつを止めなかったことを、後悔していた。なんでこう手加減知らずなんだこの男は。階段の白い壁には、直径50cm程度の巨大な穴が、見事に空いていたのだ。


「おい・・・これやべえって・・・」


寮内の公共物破壊には、他の違反より、ずっと大きな罰が課せられる。しかもおれには、このような前科が幾度か有った。そして最悪なのが、今日の寮監督担当が、松岡だということである。寮監督は4,5人ほどの人数でローテーションされている。その中でも寮生たちから最も恐れられているのが、この松岡なのだ。もしあいつがこれを知れば、怒り狂うのは目に見えている。まして前科のある将平だ。あの松岡なら停学処分の可能性もある。おれはまだパラパラと崩れる落ちる穴を見ながら言った。


「逃げようぜ。今ならばれねえって。部屋にもまだ何人か残ってるはず・・・」


突然、将兵がおれの言葉をさえぎるように手を上げた。将平の顔を見た。その目は、階段の下に釘付けになっている。いやな予感がした。おれはその視線の先を見た。


(・・・終わりだ・・・)


絶望的だった。そう、松岡が立っていたのだ。きっと今の轟音を聞き、かけつけたのだろう。彼の手は思いっきり握り締められ、わなわなと震えていた。額に浮かぶ血管がしっかり目に取れた。


(何もそこまで怒らんでも・・・)


為す術も無く、おれたち二人は立ち尽くしていた。


「こらぁ!おまえらぁ!!!」


松岡の怒鳴り声が、寮内に響き渡る。おれたちは咄嗟に、今下りてきた階段を再び駆け上がり、全速力で逃げ始めた。何故走り出したかは分からない。もう見つかったのだ。逃げてももう何の意味も成さないのだ。でも俺たちは走り出した。まるで長い間、この時を待っていたかのように。


「何逃げとんじゃこらあ!止まれぇ!」


止まるわけ無いだろ。おれは将兵の後ろを走っていた。廊下では、やっと服を着替え終わった谷口が、おれたちをみておもしろそうに笑っている。こういう時、怒られる対象の人間は必死だが、それを見る傍観者というのはのん気なものだ。将平は笑う谷口を蹴り飛ばし、おれの部屋の前まで来たところで、後ろを振り向いた。


「おい!はよ鍵あけろ!」


「まてぇ!せかすなや!」


後ろから松岡が追ってくる足音が聞こえる。おれは鍵を刺し、部屋のドアを開けた。何故か笑がこみ上げてきた。松岡に捕まったら、もうただじゃすまない。いや、捕まらなかったとしても、どうせまた学校から帰れば俺たちは寮に帰るのだ。俺たちのやっていることは全く持って無意味だった。そんな絶望的な状況の中で、何故かおれは、いや将平までもが笑っていた。こんな恐怖と緊張は、寮生活をしている俺たちには、経験することはない。久々のスリルに、俺たちは自然と笑みがこぼれていたのだ。

ドアが開いた。まず将平が入り、次におれが入る。速攻でドアを閉めた。


「おい!鍵閉めろ!とりあえずベランダ出るぞ!」


将平に言われまでもなく俺は鍵を閉めていた。再び松岡の声が響いた。


「おまえら自分が何やってんのか分かってんのかぁ!」


そりゃわかってますよ。部屋の中が見えないよう、ドアの覗き窓を、朝使って投げ捨てたタオルをガムテープで止め、覆い隠した。おれは将平を見た。ベランダに出る窓の前で、何か苦戦している。


「なんでおまえの部屋の窓開かんのじゃあ!」


「あぁ!」


忘れていた。おれはベランダエロ本を隠していたのだ。さらに誰にも見られないためにも、細工して鍵が開かないようにしていたのだ。決して見られるのが恥ずかしいとか、そういう理由で隠したわけではない。この男集団が生活するこの寮内で、エロ本は存在が発覚した途端、すぐさま取り合いが始まってしまう。おれは誰にも汚されたくないお気に入りの3冊を、そこに隠していたというわけだ。こんな場面であだとなるとは・・・


―――チャリン


おれたちはその音に、敏感に反応した。ドアの向こうで聞こえる音。そう、この音におれたち寮生は、恐怖を覚

えている。寮監督が持つ、マスターキーの音だ。鍵を閉めただろう俺たちの行動を見て、ポケットからあの鍵を出したのだろう。マスターキー。つまりどの部屋の鍵でも簡単にあけてしまう。おれたち寮生の最大の敵。寮監督はめったにこのマスターキーを使うことは無い。部屋内に違反物や他室訪問者を見つけた時など、強制的に生徒の部屋に入らなければならない時にのみ使うのだ。だからこそ、おれたちはこの金属音に敏感になった。その音が、だんだん近づいているのが分かる。


「くそ!しゃあないな・・・」


そういうと将平はおれの部屋にあった竹刀を手に取った。三日ほど前の夜、おれはわけあってどうしても空腹に耐えれなかった。おれは剣道部の佐竹から竹刀を奪い取り、そのまま橋本の部屋へ押し入った。竹刀を振り回し、縮み上がった橋本から、チーズパンとじゃがりこを奪い取った。そのときの竹刀をそのまま部屋に置いていたのだ。まさか、と思ったのもつかの間、将平は思いっきり竹刀を振りかぶった。


「おいやめろぉ!」


エロ本のありかがばれてしまうのが嫌だったからではない。壁に風穴をあけた上に、こんなしょうもないことで、部屋の窓を「パリーン」とでも割ったりでもしてしまったら、俺たちの罪はさらに重くなってしまう。しかしおれの声も虚しく、将平の腕は振り下ろされた。


―――――バキッ!


予想外の音。窓は割れていなかった。その代わりに、おれが細工した鍵が、ひんまげられて、将平の足元に落ちた。将平は鍵だけを壊したのだった。こいつのこの器用さには、いつも驚かされる。将平が窓を開ける。


「おまえらぁ!いいかげんにしろぉ!」


もう松岡が部屋の前まで来ている。


(ベランダに逃げてどうする!?)


ここは2階だ。将平も考えていなかったようだ。

その時だった。後ろで鍵の刺さる音が聞こえた。ゾクッという寒気が、背中をなでた。この一年で、自分以外の人間から鍵を開けられることに、ひどい恐怖がうえつけられていた。迷っている暇は無い。やってやろうじゃないか。


「将平!」


おれは叫んだ。そして笑った。将平がうなずく。


(おまえなら分かるだろう。おれたちがするべきことが。)


お互いの顔がそう言った。おれは将平と自分のバッグを手に取った。


 ―――――カチャ


後ろで鍵が開く音が鳴った。それと同時に、おれは走り出した。バッグをベランダから投げ飛ばした。二つのバッグが、宙を舞う。バッグだけではない。将兵も、宙を待っていた。そしておれも、ベランダの手すりに足をかけた。

後ろでドアの開く音が聞こえた。おれはまだ笑っていた。


「よっしゃあーーーーー!!!」


手すりを蹴り上げ、おれは飛び出した。この縛られた環境下である、寮生活から・・・


高校二年生になった、春の日のことだった。


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