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三章 白の秋(1)

「告白しちゃえば良いじゃん」

 文化祭が近付いた放課後の屋上。昼休みはいつも三年生ばかりだが、この時期の放課後になると、屋上もめっきりと寂しくなる。

 葵はコンビニで買ったパックの牛乳をすすりながら、まるで息が苦しいなら呼吸したら良い。と同じようにそんなことを言った。

「で、でも。同じ部活だし」

 そうなのだ、断られたらこれからずっと気まずいではないか? 現に以前ラブレターを書こうとしたときも、一行も書くことができなかった。

 秋の冷たい風がスカートを揺らした。葵の短いスカートに目をやると、細い足に鳥肌がたっているのが見えた。

「三年生ならもう引退じゃん。第二ボタン下さい! とか言っとかないと先越されるよ。あっ、でも山辺先輩なら大丈夫か」

 確かに三年生は文化祭前に引退する人が多い。山辺先輩も、台本が仕上がったら引退するのだろうか?

 山辺先輩が引退したら、放送部はいよいよ廃部になるかもしれない。

 葵は牛乳を飲み終えると、ストローを奥歯に挟んだ。良く分からない行動だ。

「ちょっと葵、山辺先輩なら大丈夫ってどういう意味?」

 私が訊ねると、葵は潰れたストローを口から出して答えた。

「いやいや、別に深い意味はないよ。とにかく、私は格好良い人がタイプだし、応援してるから」

 そんな言い方をしたら、まるで山辺先輩が格好良くない人みたいではないか。私は少しムッとしたが、あまり深く考えないことにした。

 葵は牛乳パックを潰すと、「じゃあ私、文化祭の準備あるから」という言葉と共に、私の視界からいなくなった。

 私のクラスは、担任の岬先生はもちろん、クラス委員長の鈴木さんすらやる気がないので、文化祭の出し物は「何かしらのレポートを書いてくる」という夏休みの宿題をそのまま掲示することになっていた。クラスメイトも皆文化祭という行事に関心がないのか、反対意見は一つも出なかった。鈴木さんに到っては、ミスコンテストに力を注ぎたいという意図がバレバレだった。

 他のクラスは、演劇やお化け屋敷や出店など、夏休み中も忙しく準備をしていたらしい。

 葵のクラスは確か、冥土喫茶とやらを行う予定らしいが、宇宙人のコスチュームプレイでもするのだろうか?

「寒!」

 まだ九月だというのに、頬を撫でる風は冷たい。早く冬服になれば良いのに。そんなことを考えながら、私は放送室へ向かった。

 放課後の部室には先輩がいる。下校時刻の放送をするためだ。最近は、文化祭の台本が仕上がったかどうか毎日先輩に訊きに行くのが私の日課となっていた。

 掃除をしたばかりだと思われる廊下は、窓から射し込んでいる夕日に照らされて、光沢を放っていた。私は歩きながら、先ほどの葵の言葉を思い出した。

 ――告白しちゃえば良いじゃん。

 頭の中をぐるぐるとその言葉が回る。

 どうしよう、山辺先輩が放送部を引退したら、告白する機会なんてやってこないだろう。だとしたら、今日のように先輩に会えるうちに告白した方が良いのかもしれない。

 そう考えると、心臓が今までよりも速く動き出す。それとは裏腹に、部室へ向かう足取りは重い。

「着いちゃった」

 私は小さくため息をついた。心臓が口から出てしまいそうなくらい速い。

 ふと、初めての放送をした日を思い出した。

 いつまでも廊下に突っ立っているわけにもいかないので、私は仕方なくドアに手を掛けた。

 ひんやりとしたドアノブの温度が心地良い。

「お疲れ様です」

 私は努めて普段通りの声を出した。

 山辺先輩は、机の上に参考書を広げている。

 いつも通りの部室、それが私を冷静にしてくれる。早鐘のように動いていた心臓が、少しだけ元に戻ったような気がした。

「あぁ、倉田さん。台本ならまだです」

 先輩がいつも通りの返事をする。抑揚のない声だ。

 いつもの私は、返事を聞いた後さっさと下校するのだが、今日は違った。

 葵の言う通り、誰かに先を越される可能性もあるのだ。それに、明日台本が完成したら先輩は部活を引退するかもしれない。今のようなチャンスを逃したら、一生後悔するだろう。

 山辺先輩は、いつまでも部室に留まっている私に訝しんだ目を向けた。

「あのー、先輩」

 私は極力明るい声を発した。

 少しの間収まっていた心臓が、また速くなる。それに伴うように顔が赤くなる。私は秋の冷たい空気に感謝した。

「何ですか?」

 先輩は眼鏡を押し上げながら言葉を返した。人差し指ではなく、中指を使う。

 やっぱり格好良い。

 窓から射し込む夕日に照らされて、まるで映画のワンシーンのようだ。

「あの、私……」

 さっきまであんなに速いと思っていた心臓の感覚がない。

 それだけではない、ひんやりと冷たい空気を感じていた皮膚も、鞄を痛いほど握りしめている掌も、熱く感じた顔も、なにも感じないのだ。

 ただ、機械のように唇が動く。何度も頭の中で考えた言葉を、ロボットみたいに話すのだ。

「私、山辺先輩のことが好きです」

 そう言った後、感じなくなっていた感覚が一気に戻ってきた。

 鞄を握った掌が痛い、身体がダルい、頭がクラクラする。

 先輩の方を見ることができない。先輩はどんな表情をしているのだろう。

「あー、えーと。まぁ、倉田さんの気持ちは分かりました」

 先輩のその言葉を聞いた後、私はもう、この狭い部室に存在し続けることができなかった。

 冷たいドアノブをぐるりと回し、廊下を走る。

 走って、走って、近所の公園まで辿り着いたとき、

 やっと冷静になることができた。涙が溢れて来ると思ったが、そんなことはなかった。

 ただ、苦しかった。


 そんなことがあってから、私が放課後の部室に顔を出すことはなかった。

 文化祭の日が近づいているにも関わらず、先輩の台本が完成したという報告はない。明日にでも岬先生に訊いてみよう。

「えー、フラれた?」

 葵と下校するのは始めてだ。

 秋の風はますます冷たくなり、ショートカットである私の首筋は、マフラーをしなければ寒さを防げない。

 葵は相変わらず、寒そうな丈のスカートに、暖かそうなルーズソックスという奇妙な組み合わせの服装だ。

「んー、多分」

 そうだ、はっきりとフラれた訳ではない。しかし、あの雰囲気はどう考えても嬉しそうではなかった。今思うと、面倒臭そうに返事をしていたような気もする。

「なに多分って。じゃあさ、梢の失恋記念に合コンセッティングしてあげるよ」

 人が失恋したというのに、葵は嬉しそうにそう言った。とても慰めているようには聞こえない。

「合コンって、合同コンパでしょ。私は遠慮しとく」

 合同コンパというものは、華やかな飲み会というイメージがある。どう考えても、私のような野暮ったい人間が参加するのは不自然だ。

「あっそう、まぁ気が向いたら言ってよ」

 葵はそう答えると、一つの自動販売機の側で足を止めた。鞄を漁り、財布を取り出す。

 いったいどうしたというのだろう?

「うわー、冬限定の苺牛乳だ。これ美味しいんだよね」

 葵は嬉しそうな声を発しながら、小銭を自動販売機に入れる。

「梢も何か買ったら?」

 そう言われ、私は自動販売機に目をやった。

 一番目立つ位置に、「オススメ」という文字が踊っている。

「じゃあ、私はホットココアにしようかな」

 葵にならい、私も財布を出した。

 購入したココアの蓋を捻り、冷たくなった唇を押し当てる。少し首を傾けると、甘ったるい液体が食道を通って行く。

 私と葵は、甘い液体を飲み込みながら、公園のベンチに座った。

 冬の公園は、人が少ない。日が落ちるのが早いからだろう。

「そういえば、坂本さんがいなくなったのって、文化祭の日だったよね」

 葵がおもむろに声を発した。文化祭が近くなり、思い出したのだろうか?

 久々に、坂本さんの名前を聞いた。放送部が孤立する原因となった坂本さんの失踪事件。

 いったい何があったというのだろう? 放送部の人間だったということは知っているが、岬先生や山辺先輩の口から彼女の話を聞いたことはない。

「私色々調べたんだけど、当時は岬先生が疑われてたみたい」

 葵はパックの牛乳を飲み終えると、ストローを奥歯に挟んだ。奇妙な癖だ。

「あんな性格だし、でも坂本さんは死んだわけでもないただの行方不明者だから、家出ってことになってるらしいよ」

 私は最後の一口のココアを飲み込んだ。缶の飲み物は飲みにくい、首を目一杯傾けなければならないからだ。ほどよい甘さのココアが舌の上を通る。甘いものに慣れるのは怖いのかもしれない。「うまい、もう一杯!」と言ってしまいそうになる。

「へぇー、そうなんだ」

 私はあまり坂本さんという生徒に興味がなかった。ただの家出少女なんて、今さらドラマでも流行らない。放送部の人たちがその話題を出さないのも、警察の人に疑われていたりして、あまり良い思い出がないからだろう。

「なんか興味なさそうじゃん」

 葵は飲み終わったパックを公園のゴミ箱に投げた。「苺牛乳」と可愛らしい文字でプリントされたパックは、綺麗な曲線を描き、見事ゴミ箱へ吸い込まれて行った。

「まぁ、あんまり興味はないかも」

 私も葵にならい、空になったココアの缶をゴミ箱に向かって放った。缶はパックより重さがあるからなのか、ゴミ箱へ行きつく前に地面へ落ちてしまった。

私は仕方なく立ち上がり、缶を拾い上げてゴミ箱へ捨てた。

「でもさ、山辺先輩のことだったら興味あるんじゃない?」

 私はゴミ箱に足をぶつけてしまった。僅かな動揺。足元に目をやると、ローファーの爪先が土で汚れていた。

「い、いや、もうそれは終わったことだし……」

 駄目だ、口調もつかえてしまう。あれこれと考えれば考えるほど、頭の中が白くなってゆくのが分かった。

「私は暇人だから、ついでに山辺先輩のことも調べたんだ。知りたい?」

 葵は楽しげな微笑みを口に浮かべ、足を組んで見せた。

 ゴミ箱の件も含めて、私は目の前にいる佐藤葵という人間に、ひどい劣等感を抱かずにはいられなかった。

「そりゃ、知りたいですよ」

 思わず敬語を使ってしまう。山辺先輩と何らかの関連があるなら、坂本さんのことも興味津々だ。

「坂本さんが去年の文化祭の日にいなくなった。ていう話はしたよね」

 葵はなぜだか組んでいた足を戻して、真剣な顔をしている。

 私は小さく相槌を打った。

「それで、当時山辺先輩は放課後の放送を担当してたらしいの。でも文化祭のあとからは友達に任せっきりだったらしいよ」

 葵はそこで言葉を切った。唇を湿らせ、大きく息を吸う。

「二年生は油絵の授業があるらしいんだけど、山辺先輩は毎回画材道具を持ち帰ってたんだって。しかも文化祭が終わったその日から毎日」

 私は脱力した。今の話だと、坂本さんがいなくなった辺りから山辺先輩が油絵に嵌まっていたということ以外は分からない。

 坂本さんの失踪話とはどういう関係があるというのだろう?

「ふーん、それだけ?」

 葵はヤレヤレと頭を横に降った。足を反対に組み直し、首を少し傾げて見せた。自分がどう見られているのかを計算したのではないかと疑うほど、モデルのような華麗な動きだった。

「それで私、山辺先輩の油絵はどんなもんなのか見てみたわけ。去年の作品がまだ美術室に残ってたからね。美術部の先輩に頼んだら一発だったよ。で、その絵がめちゃくちゃ上手いの。遠近法みたいなの……パース、だっけ? あれとか凄いし、色も立体的だったし」

 葵は雄弁に山辺先輩の描いた絵について語った。葵がここまで他人のことを誉めるのを見るのは初めてかも知れない。

 あまりにも語るので、私もその絵を見てみたくなってしまった。

 パースではなくパースペクティブだったと思うのだが、聞かなかったことにしよう。

「私もその絵見たいな」

 私がそう言うと、葵は勢い良く立ち上がり鞄を握った。

「じゃあ、見に行く? 確か市役所に飾ってあったと思うよ、なにかの賞を取ったとかで」

 私は腕時計に目をやった。もう六時を回っている。辺りももう暗くなっていた。

「えっ、今から?」

 私は驚いて先を歩く葵に声を掛けた。

 すると葵は短いスカートをひらりとなびかせながら振り返った。長い髪を耳に掛ける。

「大丈夫だって、まだ六時だよ」

 そう言いながら私の手を取った。

 私と葵は市役所へと続く道を歩いた。

 大通りなので、店の灯りで十分に明るい。街灯などいらないくらいだ。

 私は、山辺先輩の絵を見るだけだというのに、まるで告白した日のように緊張していた。市役所に飾ってもらうなんてかなり上手いのだろう。

「そういえば、梢、この前の合宿どうだった?」

 段々と市役所が見えてくる。まだ閉まっていないようだ。たくさんの窓からは煌々と灯りが漏れている。

「あぁ、岬先生が怖い話をしてくれたよ。心霊スポットがあるっていう。どこだかは教えてくれなかったんだけどね。有名な話みたいだから葵も知ってるかも。教会の話だよ」

 岬先生の話しだと市役所と同じ公共の建物らしいが、場所を聞いていなかった。

 しかし、なぜ山辺先輩はあのとき、あの場に行くのをあれほど拒んだのだろう?

「ふーん、私は知らないなぁ。昔流行ってた話なんじゃないの? まぁ今度詳しく教えてよ」

 確かに、今流行の話題なら葵が知らないはずがない。きっと今の三年生あたりなら知っている人がいるかも知れない。

 葵は答えながら市役所の扉を開けた。暖房が効いているからか、冷たくなった皮膚を暖かい空気が通り抜けて行った。

 階段の近くに、それはあった。

 どこか焦燥感のあるその絵は、小さな箱の中に人間の首だけが描かれていた。

 黒い髪は流れるように長く、美しい光沢を放っていた。どす黒い色が、タイル張りの床に鮮やかな血痕を散らしている。

 絵のタイトルは、『断罪してください』とある。

「上手いよね、普通ここが歪んじゃうのに、綺麗に描けてる」

 葵は興奮したように絵を誉めていた。

 確かに上手だが、正直気持ちの悪い絵だ。ひどく現実味のある、まるで本当に見たままを描いたのではないかと錯覚するくらいに。

 私は絵のタイトルも気になった。『断罪してください』とはなんとも宗教っぽくはないだろうか。

 私はその絵を見つめ、しばらくの間放心状態になってしまった。

 「魅せられる」とはこのことを言うのだろう。その絵は確かに人を惹き付ける何かがあった。

 写真とは違う、見たままを描いたというような単純なものではない。自分のとても好きなものを、恐ろしいほど主観的に描いた作品という言い方がぴったりだ。

 好きな人の仕草は、どんなに気持ちの悪いものだとしても華麗なものに見えてしまう。脳内の美化フィルターを通した世界。とでも言うのだろうか? 私は山辺先輩に見えている世界を知りたくなった。

「あっ、もうこんな時間。帰らないと」

 葵の言葉で我に返り腕時計を見ると、七時を指していた。流石にそろそろ帰らないと、まずいかも知れない。

 私達は市役所をあとにした。

 葵と別れたあと、私は歩きながらあの絵を思い返してみた。

 立体感のあるタッチ。なんともいえない焦燥感。『断罪してください』というタイトル。

 山辺先輩は、何を思い、あの絵を描いたのだろう?

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