一章 青の春(2)
私が初めての放送をする予定の月曜日の朝は、いつもより一時間以上早く起きてしまった。楽しみで仕方がなかったからだ。山辺先輩と会えるかもしれないのだから緊張もするし、早起きをするのは当然のことだ。
いつもよりゆったりと歯を磨き、いつもより丁寧に髪をとかし、何度も時計を確認しながらテレビを眺めた。
そして、普段の登校時刻より三十分早い時間になったことを確認すると、すぐさま家を飛び出した。
意識していないのに、学校へ向かう足は速くなる。普段は少なくとも十五分は掛かる道程を、十分で歩いて来てしまった。
早朝の校庭は、運動部の人すらいない。その光景を見ると、自分が今から誰もいない学校にたった一人で入ろうとしている変質者であるような錯覚に陥った。
それでも私は足の速度を落とすことなく、まっすぐ放送室へと向かった。人気のない廊下を進みながら、私は苦笑した。
――なんだか泥棒にでもなった気分だ。
長い廊下を進み、放送室のドアの前に立った。ゆっくりとドアノブに手を掛け、手首を捻り、手前に引っ張る。
「あれ、えーと。最近入部した人?」
放送室には先客がいたようだ。窓からの朝日で顔は良く見えないが、椅子に座っている。
私はかなり早く来たと思ったのだが、そうでもなかったのかも知れない。
「あ、はい。倉田梢といいます。よろしくお願いします」
私は挨拶をすると、放送室の中へと足を進めた。段々と椅子に座っている人物の顔が鮮明に見えて来た。
「山辺孝之です。よろしく」
驚いた。長い夢を見ているのではないかというくらいに上手くことが運びすぎているようにも思えた。
私は先輩の機材を説明する声を聞きながら、必死でノートにメモを取った。一通りの説明が終わると先輩は言いづらそうに言った。
「倉田さんは、朝の放送を担当してもらうお思います。それと……クラッシックは流さないでください」
いったいどうしたことだろう? クラッシック以外の音楽を流してはいけないという話は聞いたことがあるが、クラッシックを流してはいけない学校なんて存在するのだろうか?
「それは、校則か何かで決まっているのですか?」
私は一応確認してみることにした。もしかしたら、以前問題が起きて禁止になったのかもしれない。私が通っていた小学校では、こっくりさん禁止令が出された時期もあったほどだ。
「いえ、あの。別にいいんですけど……」
先輩は困った顔をしていた。岬先生にでも言われたのだろうか? どちらにせよ先輩を困らせるのはいけない。
「分かりました。確かにクラッシックは眠くなっていけないですよね」
私はそう返事をすると、時計を確認して教わったばかりの朝の放送の準備をする。マイクの電源を入れ、大きく深呼吸をした。
「みなさん、おはようございます。朝の放送を始めます。今朝の一曲目は……」
全校放送なんて人生で始めてだった。口の水分はなくなるし、心臓はバクバクと早鐘を打つ。
それでも私は放送を終えることができた。
「最初は緊張するでしょうが、そのうち馴れますよ。それじゃあ」
そう言うと山辺先輩は放送室から出て行こうとした。
「あの、先輩」
私は何を思ったのか山辺先輩を引き止めた。先輩も驚いたような表情を浮かべて振り返る。
「え、あぁ、はい。何ですか? 分からないことでも」
「いえ、あの。この間はありがとうございました」
私の言葉に、先輩は眉をひそめた。あのときのことを覚えていなかったとしても不思議ではない。私は余計なことを言ってしまったのかもしれない。
「……もしかして、教科書ですか? 別に気にしなくても良いのに」
先輩はそう言うと、今度こそ本当に部室から出て行った。