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2 王、拾いました

 どーしようかな、…これ。

 足許を見下ろして思うのはそれだ。

 酒場の入り口。

 床に突っ伏すようにして、黒髪が海藻のような―――いや、氷海の中に広がる海藻は優美で広やかな美しさと氷海の厳しさを感じさせるから、これをそう喩えるのは違うだろう。

 床を這うように倒れている薄汚れた黒髪――多分、黒いのだろう――埃といろんなものにまみれているので、いかに酒場が清潔感を求めていなくともご遠慮いただきたい風情かもしれない。服らしきものを着ているが、外套らしきものも古びていてほつれ、埃まみれで本来の色が最早不明だ。地色はこれも黒なのだろうか。

 それで、床に倒れ伏している相手をみつめて、かれは立ち止まっているのだが。

 酒場の入り口だ。このままおいていては営業妨害だろう。

「うーんと、どうしようかな?」

倒れ伏している相手はどうよく見積もっても浮浪者の類いにしかみえない。貌はうつ伏せているし、波打つ黒らしき髪が腰のあたりまで伸びているのは本来なら貴族階級の特徴だが。そもそも、浮浪者などというものはこの氷華では殆ど見かけない。

 要は寒すぎて浮浪者なんてものは存在できないくらいに自然が厳しいのだ。

 しかし、なあ、…。

民が倒れているのなら、救護院などへ運ぶ必要があるが。

 民、じゃないんだよなあ、…。

困った、と見つめてみているが、相手が起き出すようすもない。

一応、生きてはいるのだろうが。

「あ、そうだ」

先日、兄上にも使っていただきたく、と紹介を弟に受けた掲示板を思い出す。連絡するのに面倒だから、常なら独断専行で普通にこの件も処理していたのだが。

「まあ、いいか」

それで、一応掲示板にのせてみて。それから、返ってきた返事にうれしくなって笑んでいた。

「便利だな!」

連絡の為に単純に問いかけてこの速度で返事があるというのはとても便利だ。そんなことをおもいつつ、かれは相談したかれらに礼を書き込む。

 そして、まだ倒れている相手にしゃがみ込む。

 背に、一つ結びにしている見事な銀髪が流れ落ちる。まっすぐに流れ落ちる銀の滝は、まるでその持ち主の性分をあらわしているかのようだともいわれる。

 常にまっすぐで、迷うことのない。

 さらに、苛烈でさえある白銀の輝き。

 それは、この氷華という国を覆う氷雪の厳しさと苛烈な自然を思い起こさせる。

「うーん」

 しゃがみこんで、しばし観察する。

 無邪気に明るくさえみえる見事な翠の瞳が、対象を観察する。

 春の短い季節に現れる美しい緑を想わせる、明るい翠瞳。

 鮮やかに美しい翠を瞳として、彫像に嵌め込んだかとも想える美貌で。長身に細身、無造作に胴でくくる帯は、その身分を確実に現しているものだが。動きやすい衣服に雪に備えた深靴。白を基調として衣装はいかにも身分の高いものが纏う上質なものだが。

 全然、そんなことにかまっていない態度で。

「よいしょっ、と」

明るくいうと、へたれこんで倒れている多分黒髪の相手を肩にかるく担ぎ上げる。

それでも反応がないあたり、意識は失われているようだ。尤も、それでも生きてはいるようだが。

 ――生きてるよなあ、…だって。

思いながら、ずたぼろの相手を肩にかついで立ち上がると歩き出す。掲示板に書き込んでよかったとおもう。確かに、屋敷や王宮に運んだら怒られていただろう。

 よごれてるもんなあ、…。

その汚れが上質な衣についていることに関してはまったくなにも考えず。

 まあ、どこかに運んで汚れを落とそう。

風呂に入れるには汚すぎる。だからといって、水浴などできる温度の河は存在しない。それでもどうにかしないとこれはどうにもならないだろうから、と。

 前に、氷蒼狼連れて行ったときとか、…怒られたもんなあ。…

怪我をした獣を家に連れ帰ったら、弟に沢山怒られたのを思い出して視線を伏せる。

 一度怒りだしたら、弟はきびしいのだ。

ちなみに、そうして視線を伏せて黙っていると、非常に見栄えのする外見の為に、憂いなど帯びてみえたりする。

 沈黙さえしていれば、その美しさは神話の英雄ともいわれるほどに美形なかれである。

 そして、そのかれは結局、―――。

「わりい、洗うのにいい場所しらないかな?」

つまり、現在、氷華国中枢である王宮備え執務室などがある宮殿にではなく。一応は、住んでいる屋敷でもない処。

 かれ自身が所属する場所。

 氷華軍司令塔――つまりは軍部の中枢である塔まできて。

「ひろったんだけど、あんまり汚いから、きれいにしたいんだが、洗えるかな?」

「…――――将、…」

「うん?」

予想された事態に、それでも内心がっくりとしてかれに見つめられた将校が肩を落とす。

「どした?深狼?」

鮮やかな翠瞳が、不思議そうにみる。

対して、深狼と呼ばれた将校は、額を押さえてしみじみと深く息をつく。

「いえ、―――…やっぱり、こちらに連れてこられたんですね?」

「ああ!そういえば、おまえたちの忠告は役に立ったぞ!やっぱり、直接もっていったら、弟に怒られるからな!」

「…ですか、…。光華様―――」

「うん?」

明るい翠瞳に見事な白銀の髪。無表情であれば逆にその美貌が際立つだろうが。

いまは、その無邪気なあかるさの方が先に立つ。

 光華――氷華国将軍、光華将。

 その肩には、ぼろぼろの黒衣――多分だが――を着た得体のしれないぼろぼろな姿の人らしき存在。

「…それが、王、なんですか?」

しかして、掲示板の書き込みをもとに訊ねると。

明るく笑顔で、はっきりと光華がいった言葉を、深狼は聞きたくなかったとおもった。

「うん、そうなんだ!王をひろった!」

「…将、…」

そんなもん、ひろっちゃいけません、と。

弟である宰相殿ではないけれど。

身分差もあり、上官でもある光華将にいえることではないけれど。

 そんなもの、捨ててきてください、と。

いえなくて苦悩する、苦労性の副官。

光華付きの副官。そして、氷華軍司令塔を普段から統括している深狼だが。

「いえ、これを洗えと?」

「あんまりきたないだろ?このままだと周りが汚れるしまずいだろ?」

弟に怒られるし、といっている光華。

「あの掲示板はしかしたすかるな!」

だから、こっちもってきた!と無邪気にいっている超絶美形な光華に、しみじみとまだ肩に担いでいるぼろ布を纏った存在をみる。

 あの掲示板には、部下の仕事をふやさないでください、とも書き込んだんですが、…。

そんなことをおもっても、この事態が覆るわけでもない。

「わかりました」

「頼むな!」

額を押さえて、それから背後を振り向く。塔の入り口に迎えに出た深狼以外には、警備の兵が二名。

「手伝ってくれ」

その二名を呼び、光華からぼろぞうきん――もとい、肩に担ぐ相手を受け取ろうとするが。

「おれが運ぶ」

「光華様?」

訝しむ深狼に、光華がわらう。

「だって、一応これでも王だろう?おれが運ばないと、不敬とやらになるかもってな?」

「…――――」

何故、かれがこんなものを王といっているのか?それを問う前に、とりあえず事態を収拾してしまおう、と深狼は考えて。

 そのことを、後に深く後悔するのだが。

 ともあれ。

「わかりました。こちらへ、―――旅の後に、荷牛馬を洗う場所を使いましょう。…流石に人用を使っては、あとで怒られるでしょう」

「そうだよなー、おれも、洗い場にすぐもってくのは無理だとおもってたんだ。牛馬用なら、確かにいいな!温泉も出てるし!」

「ですね、…しかし、世話をなさるおつもりなんですか?」

「うん。一応、あらってごはんあげて、くらいはするつもりだけど?」

「そうですか、…」

前にも氷蒼狼を拾ってきたときの騒ぎを思い出して、深狼が先を歩き出しながらしみじみとする。

 やはり、こちらで世話をすることになったな、…。

掲示板で無責任にいっていたかれらは、別部署になるから確実に世話をするのはこちらなのだ。

 氷華国きっての苦労人といわれている光華将付副官深狼随将。

 それにしても、何だって王を名乗るものなどを、――――。

 そう考えていたかれは知らなかった。


 光華が王をひろった、といっている意味を。







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