18 闇の光 4
捨てられていた。
孤児として、沙漠の焼け付く中に捨てられてから生きてきた。
光を思わせる金の髪をもった人達の中で、かれは異端だった。
漆黒の瞳は闇を想わせ、漆黒の髪は唯緩やかに波打ちその身を覆い――かれの髪を切る世話をするものはいなかった―――痩せた四肢をそのままに放置され、沙漠にかれは命を落とす筈であった。
生き延びたのは、聖霊の気まぐれだ。
沙漠で、倒れ伏したかれを見て、あきれて聖霊のつぶやいた言葉がいまでも耳に残っている。
「…――おやおや、人間にはこまったものだねえ、…伝説の魂が、やっと姿を現したというのに、捨て去るとはね?」
砂色の髪が直ぐに伸びて身を覆い、身を覆う砂色の衣と混じり脚先より沙漠の砂とつながっているようにも想える。
優美な姿は人のように性別を意識させることなく、細い指先はあくまで美しい。
その指先が、かれに差し向けられたのを、茫と意識を失いそうになりながら動けずにみていた。それは、いつでも同じ習性だった。
生き抜く為に、かれの世話をすることをよしとしない生命体――人族、というのだろうが――の中で、かれは唯、耳を澄まし、息を潜め、或いはときに気配をうかがい相手の挙動を慎重に観察することで生き延びてきたのだ。
そうして、漆黒の眸が無言で手を差し伸べる相手を見つめているのをみて、おかしげに聖霊が微笑った。
「おやまあ、…面白いものだね?…案外、人がこれを捨ててくれてよかったというものかな?」
それは実に愉しげな声で、―――。
僅かに、おもわずかれが眉を顰めてしまっても仕方ないというものだっただろう。
その反応すら、面白げに見つめて聖霊がいう。
「そうだね?何にしても、きみの生命を保存してあげよう、――ああ、人の場合は保存とはいわないのかな?でも、きみはある意味、人ではないしねえ…。それにしても、本当に困ったものだよ。本来なら、きみは人の王家で、とても大切に育てられなければならないものだったのだけれど」
そうして、手がそっと延べられたとき、かれの身体が宙に浮いて、思わずも驚いて瞬いていた。半身を起こそうとして浮いたまま身じろぎも叶わないことをしって相手を正面から見つめる。
大きく眉を寄せてみるかれを見て、楽しそうに砂色の髪をした聖霊は笑った。
沙漠に楽しげな声が響く。
「わたしは、聖霊。きみを、―――きみたちの言葉で言うなら、保護してあげよう」
そして、そっと声にせずに続けた声を聞いて、かれは眉を顰めた。
――闇の王よ、…と。
正確に読み取れたわけではない。
唯、その言葉は伝承として、かれのように放置されて生きてきたこどもにさえ、伝わっている古からの伝承だったのだ。
わすれることのできない、人という種族が生き延びる為に語られ続けてきた、…――伝承のものがたり、…―――
こどもに伝えられ続けるお伽噺のように、懐かしく恐ろしい約束の物語。
「…――一体、なにを」
そう言葉にしようとした。
そのとき、けれど。
かれを保護するという聖霊の手がかざされたそれだけで、抗う術もなくかれは眠りにつかされていたのだ。―――
…―――遠い記憶だ。
闇王と、いまは呼ばれる身として。
「どうされました?」
身近に、気遣う声に微苦笑を漏らし闇王は振り向く。
往く末を計る為に、分水嶺となる峠に立ち荒野と森林の境目を、山脈の遙かを見つめていた。
これから往く道は険しいものだ。
だが、その冥暗道などと、おどろおどろしくも呼ばれる道を往くことができなければ、目指す勝利は遠く消える。
そうでなくては、何故、光華を先に一人で行かせ、こうしてこの険しい道を来たものであるのか。
内心に抱える怒りを抑え、深く闇を増す黒瞳――漆黒の眸に深い闇を押さえ込み、小さく応える。
「大丈夫だ。…道の往く末を計っていた。それだけのことだ」
おそらく、間に合いはしないが、と。
深い憂いと、苦しみを抱きながらも笑んで、闇王が言葉にするのに、吾千がうなずいた。
「お邪魔をして申し訳ありません。ですが、千歳が暗雲が近づいてきていると申しております」
頭を下げていう吾千にうなずく。
「わかった、急ごう」
「はい」
踵を返し、闇王が峠から歩を返す。
既に道は厳しい寒さと激しい冷たさの風に襲われる場所に差し掛かっている。
闇は深い。厳しさはこれよりいやます。
還ることは本来ならば出来ない道へと、彼らはこれから入ろうというのだ。
それでも。
そして、―――…。
「光華」
遠く天を仰ぎその方角をみる。
最早、道は遠く異なり、間に合うことだけはない。それは己の小さな先き見でもわかってしまっていることなのだ。
それだけのことだ。
戦の道を、闇の侵食を。儚き命の人の子が生き延びる道を見つけることは容易くはない。
そうして、…―――。
光華は、…。
あれは、それでも人だ。…
「千歳、吾千。急ぐぞ」
「は」
頭を下げ、かれらが改めて闇王を見あげる。細々と森の奥につながっているのはその道だ。
唯、一つ。
先き見に、その厄介な予見に現れた唯一の手段となる道なのだ。
行くしかないのはわかっていた。
それが、光華の命を、…――――。
戦の中に、おそらく命を散らすとしても。
それしか、方法がなかっただけのことだ。
厳しい表情で、闇王は森の道を進み始めていた。
暗く、冥界を行くとも思われる昏い道。
闇を往くのに、命を失うのに、相応しい道だ。
その道を求め往く者達は伝えられるが、いまだ還ったものはないと。
そう伝えられる冥暗王の支配するともいわれる道を、浅く笑んで闇王は進み始めていた。行くしかないのだ。他に道はない。
そうして、それで光華を失うことになろうとも。
――――…それこそが、おまえの望みだ、光華。…
人に捨てられた。
そして、聖霊に救われ、命永らえた。
かくして、いまがある。
だから、人という種族を救う為に、この道を往くことになるなどと以前は少しも思ってはいなかったが。
―――…まったくな、…。
何か色々と光華は誤解もしているが。
おれが、人族を助けるとしたら、おまえの望み以外にはないのだがな?
皮肉に笑んで、森の道を辿る。
そうして、唐突に開けた景色にも、闇王は動揺などはしていなかった。
沙漠だ。
みえたのは、沙漠、…――――。
そう、子供の頃に、まだ幼いとさえいえた頃に、人族達に捨てられたその沙漠だ。
道は、何処にもみえない、…――――。
「そうか」
獰猛に笑んでいた。
そこに、供にあったはずの吾千達の姿はない。苦笑して、おもう。
無事に、かれらも道を克服できればいいがな?
まあ、まずは己の心配からか、と皮肉に笑んで。
己の敵を映すという。
伝承通りの道が変化した有様に闇王は向き合っていた。
冥暗道には、別名がある。
誰そ彼れ、と。
黄昏に昏く道で誰がかれともわからぬ道になるという。
故に、迷いの道、――であり。
己の闇を見つける道でもあるのだと。
そして、何故かそれは残る闇の中から、己の持つ―――「それ」を見つけることが出来たもののみが、往くことを得、かくして辿ることを得る道であるのだという。
故に、名を。
別けの道、という。
とても単純な名で恐ろしくさえない呼び名だが。
沙漠に、闇王は立っていた。
幻想の道、幻想の光景だと聞き知ってはいる。だが、そこに現れる誘惑に、或いは己の辿ったはずのもう一つの道を得ることに。
その欲望に、逆らえるものがいるものだろうか?
闇王は、…――――。
その前に立つ、少年。
小さなこどもの姿をした己が指し示す。
沙漠の背後に広がるその光景に、微笑んでいた。
薄く微笑むのは仕方もない。
少年が指し示す先には、それまでに暮らしていた場所に記憶していた、人族達の。
その屍が、無造作につみかさねられていたからだ。




