16 闇の光 2
闇の光 2
絶望は其処にある。
明日が本当にくるかなど、訊くことも愚かな疑問だ。
本当に朝を信じることが。
信じられることこそが稀有なことだと、
そう誰もが知っていることではないか?
そう、…。
唯、それだけのことなんだ。
と、そうおもう。
思いながら、笑みを浮かべる。
剣を手に握る。
暗闇に目を凝らす。
行く手に待ち受けるのは、それは敵だ。
切り払い、薙ぎ、突き通し、――――。
けれど尽きることはないかと思える数の敵だが。
屍が、どれほど積み重ねられようとも。
背にする城壁は、既に退路が断たれたという証拠か。
ならば、それもいい。
待ち受けよう、切り倒し、切り伏せ、―――。
幾らかでも、その数を削り落としておこう。
待つものが、いるのだから。
引き継ぐものが、―――。
そうだ。
薄く満足に近い笑みを、血と煙とに汚れ、全身に負った傷に血に塗れながらも笑んでいたのだ。
どこかに、明るい光を、闇の晴れたあとに覗く陽の光を思わせる。
鮮やかな笑みを零して。
光華は、ゆったりとさえみえる動きで、手にした剣を構えていた。
――――――
1 静華
熱と疲労、身体を毒が巡るあの感覚。
これを平気だなどというつもりもないが。
氷華の都の見晴らし窓に手を掛け、帰還の祝いを言祝ぐ長老を無下に退け、
迎えに急いで戻った静華の訪問を告げにきた侍従に伝言も持たせずに追い返し。
風に髪をなびかせ、光華は疲弊して色を無くした氷華の都を見詰めていた。
―――この短い間とはいえ、古き都を出て、戦を離れ、そうして。
緑の地を、蒼い空を。
豊かな聖妖精達の住まう地を眺め、その恩恵に短くとも与った身にとって、
この古き都の、氷華の都の抱く疲弊はどのようなものか、と。
皮肉にほろ苦いものが光華の頬に落ちる。
思えば、吾千達の優しさが怖かった。
聖妖精の優美さが、鍛冶翁の強情でありながら素朴な親切が。
地を這い、苦しく敵の探索から逃れる道が、どれほど有り難かったことだろう?
あの旅で、いつも朗らかではあろうとした。
無闇に吾千達を怯えさせて得るものなどない。
けれど、あの豊かさが、無邪気さが。計算のされない無防備なしあわせな姿が。
まるで忘れさせそうで恐ろしかった。
いまでもだ。
この氷華の都に降る苦難を、いまも襲う悲劇を、襲われる嘆きを、苦しみを。
あの一刻に忘れてしまいそうなことが、恐ろしかった。
何を馬鹿なと、あんたなら笑うだろうか?
いや、案外あんたなら、俺の王なら。笑いはせずに、真顔で頷くかもしれないが、と。
あんたはやはり結構真面目だ。
他に虐げられた民の苦難などといつも考えてるから、あんないつも仏頂面で老けてみえるんだろうな。
そう、それでもあの王は、光華の民を忘れられずに、
苦難に遭う――そう、かれが笑っている瞬間にも苦しんで戦っている――同胞を忘れられずに、
唯、ときに吾千達とたわいのない話に笑うことさえ、恐ろしく思えてしまう姿を笑わぬだろう。
まあ、あんたは真面目すぎるが。
笑んで、眼下を眺めておもう。
白を延々と連ねる氷華の都、何処か既に生きながら墓標に近いと、
豊かな緑の地を知ったあとでは思えてしまう都を。
いや、既にあの旅に出る以前、それは解っていたのだと。
そう知ってしまえる故郷を眼下に収めて。
そうして、光華は、苦笑しつつ振り向いていた。
軽く桟に手を掛ける。そのくらいの細工は出来るものだ。
尤も、聡い弟には、常にきっとばれてしまっていることだろうが。
「光華、お久し振りです。御無事で良くお戻りになりました。」
光華がではいつ会いに来い、と侍従に伝言を与えなかったから、
その侍従が戸惑っていたのを知っていたが。
まあ、兄が会いたい気分でなかろうとどうだろうと、この弟は遠慮などする類の神経はしていない。
に、と笑みを返してみせながら、
光華は見た目と周囲の評価などより、実際には随分と丈夫な神経を持つ弟にいう。
「何も急いで戻ることもないんだぞ?辺境から戻るのは手間だったろうに。
で、あちらはいまどうなんだ?」
「…光華、――。あなたはまったく御変わりのない。安心いたしました。
急に前触れもなく戻られるなり、父とわたくしに会いたいから急いでよこせなどといわれるとは、―――鬼が霍乱でも起したのかと。」
戻る必要はなかったという光華に、呼ばれたのはそちらでしょう、と皮肉を絡めて指摘しながら、
その眸に僅かに潜む懸念に光華は内心苦笑した。
やはり、静華を謀るのは難しいか?
少しばかり面白いのだが、と。
微笑しながら、首を傾げてみせる。
「そうだったか?ま、いいじゃないか。兄弟水入らずも、親子三人揃うのも久し振りだぞ?」
兄の輝く瞳に、何か悪い予感を覚えながらも、それに気を取られて、何か、―――何か微かに触れる薄い気配に似たものが、隠れてしまうのを静華は感じる。
…困ったものですが。この方は、存在自体が太陽のように眩しい、…。
もとより、わたくしの先見も、予見も何もかも、古の方々に比すべくもありませんが、
…それをより一層困難にしてしまうこの方こそは、困ったものです。
或いは、より知りたいと、――その身を護り、安泰とし、…傷一つ本当は負わせたくはないと想うほどに、大切にすぎる存在で光華が静華にとってあるからこそ、よりその未来が予見し難い、というものであるのかもしれなかったが。…
否、もとより未来など予見出来ても仕方が無い。この兄でなくともそうおもうだろう。
避けえない未来など、知ってなんの理が存在することか?
静華が知りたいのは、薄い予見により避け得る未来だった。
危難を予感させる、危機を回避させる為の薄い気配だ。
先見というにも、予見というにも薄いものだが。
――けれど、貴方は、それを困難にさせてしまわれる、…―――。
静華の瞳に浮かぶ苦悩を知るのかどうか。
兄は気楽に笑んで静華にいうのだ。
「議会の召集まではしてないぞ?そいつは親父の仕事だからな。」
「――――光華、…。貴方は、何を考えておられるんです?」
「いや、別に考えなどしていないが。」
「…――――つまり、この度はどのような爆弾を持ち帰られたのです?」
韜晦する光華に、その笑顔に誤魔化されずにそう問い返す辺りは静華だろう。
尤も、兄もそれをわかって問い掛けているのだが。
「静華、正直に答えてやろうか?」
悪戯気に笑う兄に、静華は沈黙して視線を伏せた。
に、と瞳を輝かせて笑む兄は、とても眩しいくらい、…性質がわるかった。
「兄上、――…。」
「誰もいないのに、その呼び掛けはないんじゃないか?」
「…光華、まったく、あなたは、――…。」
あきれて、額に手を当てていう静華に、けれど次に光華がいう台詞の予測はついていなかったろう。
そう、この兄がどれほど予測がつかず、はっきりって気紛れな嵐が時に急に晴れ上がるような天ほども行先のわからない、大層困った存在であったとしてもだ。
何より戦が好きで、女性には目もくれず。
戦いに率先していき、敵に破壊と死をもたらすことを喜びとするといわれ。
我を曲げず、自尊心が何より高く、衆を頼まず己が先立つことを当然とする、―――。
我がままで、己を何より恃み、人に頼らず、――――。
そうして、己を最後の一兵とし。
戦陣に切り入るなら初めとし、戦場を引き退くのなら最後になさるのだ。
鮮やかで、我が強く、己を曲げず。
誰もに困ったといわせながら、愛される存在―――。
することに予測がつかず、侍従が振り回され議会が紛糾するのも、
この方を前にすると珍しいことでは全然ないが。
「…光華?」
油断していた、とおもった。
「うん、静華。」
実はな、と楽しげにいう兄に、もっと警戒するべきだった、と。
目眩のようなものを覚えながら、静華はおもっていた。…
「何を、…兄上?」
「だから、その呼び方はおかしいだろうに。」
いまどき、は、兄上とか弟よ、とかいう呼び掛けは、
他国の貴人が相手の会話でもなければいわないんだぞ、と。
昔まだ二人が少年の頃に、これは静都との交流でなにやら覚えてきたらしい光華がいって以来の決まりなのだが。いやつまり、二人の間だけでの冗談だ。
本来をいうなら、別にいまどきのはやりとかではなく、
兄弟同士で他人を挟むでもないのに兄上などと呼ぶのは見当違いだ。
余程厳格な家庭に育ったのなら別だが。
して、多分、宰相家はその厳格な家庭に充分当て嵌まる教育環境だったのだが。
そのはずだが。
兄上は常に飛び出しておいででした、…と。
ついうっかり、いらない過去のいろいろを思い出してから、静華はあらためて問うていた。
「…光華、つまり、――あなたは、…。」
恐れ多くてうっかりくちには出来ない、と反射的に静華が口篭もるその単語を。
いや、確かに光華のいう通り、口にするにしても唯の単語だろうが。
「…何口篭もってるんだ?唯の言葉だぞ…?いえないんじゃ、報告とかしずらいじゃないか。
まあ、呼びなれてないだけかもしれないけどな。なれれば普通になるぞ?」
…兄上、と、つい突っ込まれそうになる呼び掛けをくちに封じる。
「俺の王が後から来る。だから、決戦だ。悪いが、都の総力を振り絞り尽くしてもらう。
戦いの刻だ、静華」
輝かしい瞳、鮮やかな光をおもわせる光華の瞳に。
性質の悪い笑みに、そのとんでもない内容を、至極あっさり扱うそのありさまに。
「――決戦、ですか?」
けれど、それ以上問うことはせず、静華も応じて返していたのだ。
「そう、決戦だ。…我が王が戻られる、それまでに」
に、と光華が笑む。
鮮やかな笑みで、静華をみる。
見晴らし窓の桟に手を掛け、軽く座り、風に髪を靡かせる気軽な様で。
「…敵を削りつくす。王が戻るまでに、
あいつが相手をする分がなくなるくらいにしておくのが理想だな」
にや、と悪戯気に笑むのだから。
「…わかりました。では、議会の召集はわたくしがしましょう。
…父上は最近健康が優れませんしね」
「頼むぞ。静華」
笑みに、仕方がない、と天を仰ぐ。
見晴らし窓に、桟に少しばかりつよく食い込んでいるこのひとの指はみないことにして。
退出にもその刻というものはあるのだ。
一礼し、兄をその眸に収め、いつまでもこうしてその輝かしい笑みを、
その姿をみていられたら、と思い。
想って、そのことに不意を突かれて、
静華は顔色を無くし、傍目にも蒼くなっているだろう己に動揺しながら。
「…――それでは、後程、」
兄の目にも異様に映ったろうに、と。
動揺を、そしてそれを押し殺せなかったことに
さらに揺れを抱えながら静華は兄の前から退出していた。
…――――兄上、…。
それは幻だ、…――唯の、―――。
予見ではなく、まして先見ではない。
それはありえない、…。
静華は動揺を押し殺しながら扉を閉め、後に下がり階段を降りながら。
闇に浮上がるありありとした予見を、その姿を押し殺そうと務めていた。
…唯の、先人ほどに力のない、…―――。
予見は、先見は望まないときほど強く訪れる。
そういったのは誰だったか。或いは、そう書かれた書物を読んだのか?
いま静華には思い出せなかった。
…兄が。
闇に、白く色を失い斃れる、――――傷付き、血に汚れ黒く煤け、…
――蒼白く色を失う容貌。
白く投げ出された四肢、微かにひらいたまま、動きをとめたくちびる。
汚れ傷付き、闇に失われ動かない姿が、…――――。
先人は、予見の才をだからなくしたのだろう。
持ってなどいたくない力だ。
静華は、浮かぶ涙を堪えながら、―――誰もいない塔の階段を降りていた。
こんなときばかりは、あのひとのとても人に慕われるくせに
どこか独りでいつも居たがる習癖も助かると思う。
かれを最後に見返した瞳は。
聡いあのひとは。
階段を降りる、一段ずつ。
「…わたくしは、―――」
わかってしまったろう、かれが何をみたのかを。
あのひとは昔から聡すぎる。
人の心持を、心情を、瞳を見ただけで容易く読取ってしまう。
それに、血の力など少しも必要でないのだから。
「困った方だ、…」
この戦で、この光華自身が運んで来た戦の行末が決着をみるなかで。
光華自身が運んだこの運命で。
それでも、いうだろう。
「あなたは、いわれるのでしょうね、…」
喩え、それがもっとはっきりと、
例えば、戦の決着の果て、貴方は命を落とすのだと、――そういわれたとしてもいうのだ。
わかっている、くちにしなくとも。
それはよいことだろうか?呪いだろうか?
静華は、静かに塔を降りていた。光塔が降りる足音を反映し、他の響きを静かに吸取る。
喩え、それでもあなたはいうでしょう、…。
――では、それがなされねばならないことなのだろう?
そんな残酷を、あっさりと。
笑顔でいう、わかっている。
――ときに、憎みたくなります、…。あなたを。
できはしないのだが。
光華はいうだろう。喩え、戦を起すことで、
静華の予見が、いま見た幻が現実となると予言されても。
或いは不可避の現実だと、例えば囮になれば犠牲が必要であるように、
そう、必定の、と告げられたとしても。
とても、あなたは残酷だ、…。いつも。
いつも、とても残酷だった。それは、そうこの旅に。
光の啓示を受けた旅へと、静華を置いていったことからさえ、そうなのだが。
その旅に、けれど、留めるだけの予感を静華は持てなかった。
だから、この度はどれほど安堵したことか。
兄は戻って来たのだ。
けれど、もし、…。
静華は、議会の召集を出来るだけ短い時で行わなければ、とほろ苦い思いを抱えながら。
塔の扉を守護していた角に落ち着いた笑みをみせ、警護を労い次の行先を告げていた。――――




