小さな願い
夕方の商店街は、夏祭りの飾りが取り外されかけていて、通りの隅にはまだ紙提灯の明かりがひとつだけ残っていた。風に揺れるその赤い光を眺めながら、彼はゆっくりと歩いていた。
そのとき、背後から響く声に足が止まった。数人の若者たちが笑い合っている。笑いの矛先にされていたのは、彼の前を歩く少女だった。少女は淡い黄色のワンピースに、少し色褪せたリュックを背負っている。その姿に、若者の一人がからかうように言葉を投げ、仲間がどっと笑い声を上げた。
少女は振り返らず、声を浴びせられたまま歩みを進めた。その背中は、耳に届いた嘲笑をすべて吸い込んで消そうとするかのように、静かで、かえって痛々しかった。
彼は歩調を合わせながら、心のどこかにひっかかるものを感じていた。あの子の服や持ち物は、確かに流行のものではない。けれど、それを笑い飛ばす権利が誰にあるだろう。人が自分の好きなものを選び、それを身につけて歩くこと。それはただの小さな自由にすぎないのに、それを「間違い」に見せかけようとする笑いの方が、彼にはよほど醜く映った。
彼自身、かつて似た経験をしたことがある。高校生の頃、夢中で描いていた絵を、誰かに鼻で笑われた。そのとき、自分の絵そのものよりも、自分の心の一番柔らかな部分を否定されたような気がした。あれから何年経っても、その痛みは薄れず、時折思い出の隙間から顔を覗かせる。
少女の背中を見つめながら、彼は思った。誰かが本当に大切にしているものは、たとえ自分に理解できなくても、尊重するべきなのだと。そこにこそ、その人の生き方や時間の積み重ねが宿っているのだから。
提灯の光が完全に消えるころ、少女は角を曲がって視界から消えた。彼はしばらくその場に立ち尽くし、静かな夜風に身を委ねた。遠くでまだ若者たちの笑い声が聞こえていたが、不思議とそれは届かなくなっていた。ただ胸の奥に、消えない願いがひとつ、静かに灯っていた。
──人が大切にするものを、笑いではなく温かな眼差しで見守れる世界であってほしい。
そう思いながら、彼は再び歩き出した。