とにかく明るい鰯田
とにかく明るい鰯田
私は、子宮内膜症、子宮筋腫、月経困難症に長年悩まされてきた。
今回、根治を目指して、子宮全摘手術を受けた。腫れやすく、常に痛みのある左卵巣も摘出した。
私が入院したのは大きな総合病院だ。
スーツケースをゴロゴロ言わせながら、ひとりで入院手続きをした。
入院手続きには1時間以上かかり、病室に着いた時には疲れ果てていた。
もし、これから入院するという人がいるなら、ひとりではなく、誰かに付き添ってもらって入院することをオススメする。
手術当日は、手術台まで自分で歩いていき、自分でのぼった。
医療もののドラマで見るような手術台の上に、ものすごく大きなライトがあった。
BGMにj-popがかかっていた。
先生や看護師たちも、笑い合ったり、談笑したりしていて、リラックスできるムードだった。
麻酔が入り、だんだん視界がグルグルしてきて…
「鰯田さん!起きてください!」
と言われた時には、もう、全てが終わっていた。
翌日の午前から、歩行練習が始まった。
というか、私は全身麻酔の覚めた手術直後から寝返りの練習を自主的に開始していた。
手術直後は…
・手の甲に点滴(手術用のぶっとい針)
・胸やお腹に心電図
・尿道カテーテル
・爪の先にサチュレーション(酸素値をはかる)
・両ふくらはぎにフットポンプ(血栓予防)
がつけられていた。
↑お腹激痛。体がんじがらめ。
その状態で、寝返りの練習をせっせとしていたのである。
我ながら、努力家であると思う。
手術翌日から、私は歩行練習に励んだ。
心電図、サチュレーション、フットポンプ…と次々に外された。
歩けば歩くほど回復が早いと聞いていたから、私は歩いた。
もちろん、激痛だ。それでも歩いた。
尿道カテーテルが外され、自力でトイレも行った。
術後2日目、ごはんが出た。
半分以上食べられたら点滴が外せると聞いた。
ごはんは、お粥だった。
私は白米が嫌いだ…。
しかし、必死で食べた。
意外なことに、「なんて美味しいんだ!」と思った。
むしろ、食事を作ってくれる人、運んできてくれる人に、本当に感謝した。
点滴が外れ、シャワーが解禁された。
お湯で体が洗えることに、心から感謝した。
術後3日目。
とにかく歩いた。
歩くほどに痛みが引いていった。
看護師さんたちと、どんどん仲良くなっていった。
ふだんなら考えられないくらいの量のごはんを、ほぼ完食できるようになっていった。
「いただきます。」
「ごちそうさまでした。」
自然と手を合わせて言っていた。
ごはんが食べられることは、当たり前のことではなく、ありがたいことなのだと知った。
歯磨きや洗顔の動作が、2日目よりスムーズになった。
この日の夜にやっと、少しだけ動画を見られる余裕が生まれた。
本当にしんどい時は、文字さえ見るのがつらく、思考の全部が痛みに支配されるのだなと思った。
術後4日目。
夫が迎えに来てくれて、私は退院した。
私は、手術台に寝て、大きなライトに照らされた時、
「私は生かされていたのだ。」
とすごい勢いで理解した。
私を助けるための手術のチームが組まれていて、たくさんの医者や看護師が私を囲んでいた。
ー今だけじゃない。
ー今までも、たくさんの人たちに支えてもらって、たくさんの人たちに力を尽くしてもらっていたのだ…。
自分ひとりの力で生きてきたなんてことは、絶対ないのだ。
私はいつもたくさんの人たちに、生かしてもらってきたのだ。
それから、術後、病棟を歩いていた時、
「私は生きることを許された存在だったんだ。」
と感じた。
隣の産科では、新しい命が生まれていた。
私の入院していた婦人科病棟には、子宮がんや子宮頸がんのおばあちゃんたちがたくさんいた。
そして、子どもを産めなくなった私。
それぞれ生があり、人生がある。
でも、それぞれに優劣はないのだと分かった。
もともと私は、子どもを産めないことにとても劣等感を持っていた。
こんなに生産性のない自分が、生きていていいのかと毎日落ち込んでいた時期があった。
しかし、病棟では、新生児の産声が響く中、がん兼認知症の患者が「おかあさーん!おかあさーん!」と叫ぶ。
これからこの世に羽ばたいていく若い命と、今まさに死の瀬戸際にいる命。
それらに挟まっている私…。
「この世に生を受けたものは、皆、生きることを許された存在だったんだ。私は生きていていいんだ。」と、強く思った。
シャワーに行く途中、新生児を抱いた金髪の若い男性がいた。
小さな可愛い赤ちゃん。
ずっと優しい声で話しかけている、新米のお父さん。
いつもなら、胸がズキッとしただろう。
羨ましいと思っただろう。
しかし、私が思ったのは、
「おめでとう。」
という温かな言葉だった。
自然と浮かんできた。
私はもう、自分のことを悲観せず、劣等感を持たず、生きていけると思う。
それぞれに、それぞれの人生があると分かったので、他人と比較することなく、生きていけると思う。
きっと私は諦めやすく、心が折れやすかった。
でも、これからは、何事も諦めない。
きっと私は傲慢で、わがままだった。
でも、これからは、いつも自分を省みる。
きっと私は人の好意を無駄にしていた。
でも、これからは、自分がたくさんの愛を与えられていることをちゃんと自覚する。
きっと私は、恵まれすぎていた。
でも、当たり前にできていたことは、全然当たり前じゃなかった。たくさんの人の努力と誠実さで成り立っていた。
この手術は、私の人生観を丸ごと変えた。
私は、これからは、周りの人たちへの感謝をいつも忘れず、もっと丁寧に生きていこうと思う。
8年間、妊活時以外は毎日飲んでいたホルモン剤も、飲まなくて良くなった。
きっと一生分の苦しみを受け終わったのだ。
また、きっと一生分の痛みも受け終わったのだ。
これからは、楽しいことがたくさん待ってると希望を持つ。
これからは、『とにかく明るい鰯田』として、何があっても負けないで、前向きに、笑って、どんなことも楽しんで…。
生きて、生きて、生き抜いていこうと思う。