晩秋の深夜徘徊事件5
※R15
人は、秘密を共有することによって、繋がりが強化される生き物である。
共犯者意識やクロージング効果と呼ばれるそれは、特定の人物と故意に親しくなりたい場合などに、宮廷魔術師たちがよく使う手だ。
城壁の上で夕日を眺めながら、イルダはレシャとアロウと並んでたそがれていた。
三人は思いがけずにとある秘密を共有した。
あまりにもひどい現実だった。
表沙汰には出来ないので秘密となった。
そしてその秘密は、ひとりひとりで抱えるには少々負担が大きすぎたのだった。
あの後、ネモの召喚したラミアは長いすに腰を落ち着けたネモとシエスタの足下にうずくまり、それを始めた。
意識がなければ認知は歪められないので、オリビアは目覚めていた。
気付けばいつの間にか寝台にいたオリビアは、訳が分からずに困惑していたが、ラミアの術が発動したその瞬間、明らかに顔つきが変わった。
王弟の身が色んな意味で心配で壁際に控えていた三人の宮廷魔術師たちは、オリビアがメロエに変化したその瞬間を見て鳥肌を立てた。
国家にとって大切な王弟のなかに、確かにあの皇女の破片が生きていたのだということを目の当たりにしたのだ。
だがしかし、そこまでであった。
宮廷魔術師たちの冷静な思考回路は、そこからいくらももたずに焼ききれてしまった。
宙に向かってふわりと笑いかけ、腕をのばして幻覚を抱擁したオリビアは、そのまま寝台に沈み込むとくすくすと笑い声を立てた。
はじめはまだましだった。「もう、くすぐったい」とか「あなたったら」とか、甘い会話を楽しんでいるらしいオリビアの声に、イルダはなにやら落ち着かない気分にさせられて眉間を寄せる。
問題はその後だ。
次第に息づかいが乱れ、荒くなり、熱っぽい吐息のなかに「だめ」やら「恥ずかしい」やらの単語が混じり始める。
そのあたりでアロウが脱落し、俯いて耳を塞いだ。
レシャはと言えば、視線が寝台に釘付けになっていた。
寝台の天幕は開けられたまま、丸見えなのである。
服は着ている。着てはいるが、ひきつる首筋やのけぞる背中、震える顎や寝台の上に広がって乱れる綺麗な赤毛やらが、何から何まで見えている。
いまこうしている間にもびくんと跳ね上がるオリビアの身体が、無防備にも人目にさらされて続けているのだ。
いけない。よろしくない。
衝撃で目が離せなくなってしまったらしい双子の兄弟の様子に、イルダは無言で立ち上がって寝台の天幕を閉める。
シエスタ女医の不満げな声がイルダを咎めたが、そんなものは無視するに限る。
そのうち熱をはらんで乱れた呼気のなかに、艶っぽい母音が混じり始めた。
具体的に言うと「あ」とか「いい」とか「うあ」とかである。
微かな音量だが紛れもない喘ぎ声に、レシャがぶるぶると震えながら俯いて耳を塞いだ。
アロウと並んで同じ姿勢をとるレシャの姿に、イルダは限界だと思った。
顔を上げてみれば、ネモは術に集中しているので長いすに腰を下ろしたまま瞑目して微動だにせず、シエスタはシエスタで妄想を膨らませてにまにまとにやけながら頬を上気させている。
イルダの隣で撃沈している二名とは違い、彼女は明らかにその熱っぽい諸々の音を聞いて楽しんでいた。
この女をオリビアに近づけるのは今後は控えることにしよう。
密かに決意を固めたそのとき、「あ……っ」という一際追い詰められた弱々しい声が、天幕のなかから聞こえてきた。
なにひとつ見えないが、何がどうなったのか同じ男として解ってしまった。
この瞬間イルダは撃沈した。
だめだ。無理だ。毒だ。
解っている。喘いでいるのは主人ではなくメロエである。
しかし身体はオリビアだ。
オリビアの身体でそういう幻覚を見ているのだから、オリビアの身体が反応して当然なのだ。
うつむき、立ち上がり、アロウとレシャの襟首を掴んで部屋を出て、扉に〈防音〉の印をでかでかと描き、イルダはその場に座り込んだ。
ウォルグリア家の上位宮廷魔術師三名が、王弟の私室の前で頭を抱えて座り込むという珍事である。
通りがかりの人々は、何かあったのだろうと思いつつも、けして声はかけずに通り過ぎてゆくばかりであった。
だってあのオリビア様だもの、何が起こっても仕方がない。
そんな心中を人々の生温かい視線から察しつつ、イルダたちは事が済むのを待ったのだった。
側にいられなくても扉を守ることくらいはしよう。
あんなあられもない声を他人に聞かせるわけにはいかない。
名誉に関わることだ。
それがイルダの、精一杯の忠義であった。
そして昼過ぎから始まったそれが終わったのが、日も沈みかけた夕刻である。
ネモはやりきった顔をしていた。シエスタも別の意味で満足げだった。
オリビアといえば、疲れて微睡んでいた。
そりゃあ何時間もあれでは疲れもするだろう。
窓が開け放たれて換気された部屋の一角には、汗やらなにやらの体液で湿ったシーツと衣服が丸められて置いてあった。
あれは燃やそう。今日の記憶とともに。
なんだか見る度に思い出してはいけないものを思い出してしまいそうだ。
「それでメロエは……」
精神的に疲れ切ったままイルダが問えば、ネモは「とりあえず引っ込んだようですよ」となんとも適当な答えを寄越した。
頸動脈をさばいてやろうかと思ったが、一歩踏み出したところをレシャに腕を捕まれて思いとどまった。
ネモはエトルリアの賓客なのだ。
公衆の面前で手を出せば国際問題になってしまう。
やるならば人目を避けてやらなければ──ではなく、一応これでも主人を助けてくれたのだから、此度のことは不問としなければいけない。
しかし助けてくれたとはいえ、実際には指一本触れてすらいなのに、なんだか大事な主人を汚されたような気分である。
この形容し難い気持ちはなんだろうか。
どうにか荒ぶる感情を抑えつけていると、ううん、とうめき声を上げてオリビアが寝返りをうつ。
気怠げな声で名を呼ばれたので側に寄れば、夜着に着替えさせられたオリビアは、可哀想なくらいかすれきった声で「水をくれ」と呟いた。
いったいどれだけ幻にせめ抜かれてしまったのだろうか。
いや止そう、考えてはいけない。
あれはメロエだったのだから。
「なんでまた寝てるんだ……どうも記憶が飛んでいる気がするんだけど、なにかあった……?」
「なにも無かったとも」
平然を装い、水差しからミントをつけてあったレモン水をグラスに注いで渡す。
オリビアは一息にそれを飲み干して、はあ、と疲労混じりにため息をついた。
そして彼は、あれ、と首を傾げる。
「どうかしたのか」
「いや……胸のもやもやが消えてる。ここ最近ずっと、わけもなく苛々したり悲しかったり不安になったりしていたんだけど、それがいなくなった……? よくわからないや。やたら疲れているのに気分はいい。変だな」
「そうか……」
その言葉を聞いたイルダの中に過ぎったのは、安堵だった。
もちろん複雑な心境ではあるが、なにはともあれ主人の意識に干渉していたあの皇女は、どこかに戻っていったのだ。
それならそれで、いいじゃないか。
だがしかし、二度と出てきてくれるなよ。
再び羽枕に沈み込んで目を閉じた主人に背を向けて、イルダはオリビアの私室を出た。
こうして事件は幕を閉じたのである。
巻き込まれた三人の年若い宮廷魔術師たちは、結局その日は暇をもらい、城壁の上で沈みゆく日光と風を浴びてたそがれつつ、すり減ったものの回復に努めている。
「なあ、イルダ」
おもむろにアロウが口を開いた。
無言のまま横目を向ければ、従兄弟は遠くを見つめながら何かを悟ったような声音でこう言った。
「父上からオリビア様のお側に仕えることを命じられた時、私は考えなしに喜んでしまったが、今ならば解る。あの方にお仕えすることは並大抵の仕事ではない。私はイルダをその……尊敬する」
そうか。それはどうも。
未熟で迂闊で面倒な従兄弟だと思っていたが、ここ最近でアロウも変わったのかもしれない。
そうでなければ、レシャもアロウを庇いはしなかっただろう。
「今回のことで私は痛感したよ。オリビア様に仕えるには、私では力不足過ぎる。だから、もう少し実力と年齢を重ねてから再度立候補しようかと思う。それで……」
「待て」
イルダはがしりとアロウの肩を掴む。
力不足であることなど今更だ。
実力と年を重ねてから出直すだと?
イルダは不敵に唇をつり上げる。
人手がほしいのは今なのだ。逃がしはしない。
「アロウ。お前は今回の件でオリビアがどういうお方であるかを、しかと理解したはずだ。私に言わせれば、それを知ってなおあの方に仕えたいと思うのならば、十分にその資格はあると私には思える」
「し、しかしだな」
「お前はあの方の痴態を見てしまったことを忘れているようだな。本来ならば口止めに息の根を止めているところだが、お前は身内だ。私は身内をむやみやたらに殺したくはない」
「殺したくはない……殺しはしない、ではなく?」
そうだとも。
ふっと笑みを浮かべて、イルダは述べる。
「アロウ。私の手を汚させないでくれ」
「もっと平和的な要求の仕方を知らないのか!?」
恐怖の悲鳴を上げるアロウに、憐れみの目を向けつつも苦笑気味のレシャ。
犬猿の仲であったレイダの息子たちとターミガンの息子は、こうして互いを隔てる壁を壊したのだった。
以来、現在に至るまで、オリビアが深夜に徘徊したという記録は残されていない。
晩秋の深夜徘徊事件 終
周りをこれだけ振り回していながら一切覚えていない王弟殿下。
皇女は昇天した。
シエスタはイルダに変態の烙印を押された。
ネモはネモである。
気苦労を共にして、ちょっとだけ仲良くなった三人なのでした。
番外編の更新は今日で一時停止ですが、そのうち再開する予定です。
面白ければ、ブクマ等で応援よろしくお願いします。
2022/12/24
クリスマスイブにこんな話を投稿してしまってすまない。