晩秋の深夜徘徊事件4
オリビアに薬を嗅がせて眠らせ、半裸に剥かれかけていたアロウ共々部屋へ連れ戻すと、ネモは宮廷医のシエスタを呼びに出て行った。
担いで運んだ主人を寝台に寝かせて一息ついたイルダは、まるで暴漢に襲われて怯えた生娘のような有様の従兄弟に横目を向ける。
「あれはどういうことだ、こっ、子供がほしいなどと、オリビア様はそういうお方だったのか!? あんな人畜無害そうな顔で!?」
「黙れ。やかましい。ネモ殿がもどり次第説明してやるからおとなしく待っていろ」
「イルダ……イルダはまさかもう、ヒィッ」
くだらない妄想を始めたアロウを睨んで黙らせる。
イルダだって頭が痛い。正直なところこの件に関わって平気でいられるのは、年かさの魔術師と禁欲の縛りを受けていない一般人だけだ。
こちらの気苦労も知らずにすやすやと眠りこけているオリビアを眺めているうちに、理不尽さに腹が立ってくる。
宮廷魔術師をこれだけ振り回しておいて、この主人はなにひとつ覚えていないのだから。
未だ鳥肌を立てている混乱状態のアロウと寝不足で頭が働かない自らの為に、薬草茶をいれて待っていると、ネモはシエスタとともになんとレシャまでをも連れて戻ってきた。
気まずそうな目でアロウをちらりと見たレシャは、困惑と羞恥心の混じり合った様子でぽつりと呟く。
「あの……実は、王の執務室から中庭の様子を見てしまって……」
「なに!? 父上や陛下にまで見られていたのか!?」
「いや、それはそうならないように視線を誘導していたから、恐らく大丈夫だとは思うが」
茶がこぼれる勢いで立ち上がったアロウは、レシャを救世主のような目で見つめて「神よ感謝します」と呟いた。
これはそうとう精神がやられている。
「ずいぶんと面白……ではなくて、困った事になっているらしいですわね」
女医シエスタは興味深そうに眠っているオリビアをのぞき込み、手首を取って首を傾げる。
「こうして間近でみると、本当に可愛らしいかた。天使のような寝顔。あと十年も育てばさぞかし女泣かせの色男になったでしょうに」
「仮にも王弟殿下をよこしまな目で見るのはやめて頂きたいのだが」
「全くだ、それに可愛くなど無かった、そんな生ぬるい色気では、ぐはぁっ」
「アロウが新たな性癖に目覚めてしまう前に、なんとかしてやらねばなりませんねぇ」
殴って黙らせた従兄弟が床に膝を着くのを横目に、ネモはシエスタの隣に立つ。
「ちょっと熱っぽいですわね。これは昨年受けた呪いの影響ですかしら」
「ええ、秋の終わり頃に最初の呪いを受けられたので。恐らく心身共に元気でいる時は、皇女も表には出て来れなかったのでしょう。呪いの影響で咳込み始めた晩秋の頃より、少しずつオリビア殿下の気力が削がれていった結果、ついに抑えきれなくなって表に現れたといったところか。呪いを吹き込んだ張本人ですから、時期的な結びつきもありますしね。様々な要因が重なったのでしょう」
「一生こうなのだろうか」
薬草茶を飲み干し、イルダは切実に問う。
オリビアがこれではまずい。非常にまずい。
王族としても刻印の魔術師としても、オリビアはもはやウォルグランドにとって欠かせない人物だ。
そんな彼が帝国を崩壊させた魔女の意識を抱えているだなんて、もし万が一にでも情報が漏れてしまえば大混乱が起こるに決まっている。
「言ったでしょう。未練があるから強く残っているのです。それを晴らしてしまえば、満足して戻っていきます」
「戻る? どこへ」
「さあ、それはやってみないことには、なんとも。天か夜の国かはたまたオリビア殿下の魂の底へ沈殿していくのか……」
死後の物事は生ある者には未知の領域だ。
本を読めば解るという話でもない。
「ですけど、満足と言ったって。無理ではなくて? 皇女の未練は男性の体では叶えられないことですわ。子供がほしいと言ったって……ねぇ?」
「そうですね。人体には出来ることと出来ないことがありますからね」
当然だが男性体で出産は出来ない。
カタツムリのように雌雄同体であるならばいざ知らず。
あの、と控えめに手を上げたのはアロウだった。
押し倒された衝撃から何とか立ち直ったアロウは、おずおずと意見を述べる。
「要は、過程が大切なのではないでしょうか。皇女は繰り返し愛されたかったと言っていました。子供というのはあくまで結果というか、その象徴であって、皇女の望みはあの……そういう……そういうことなのでは……」
尻すぼみに消えていく声。ネモとシエスタは顔を見合わせる。
「一理ある」
「試してみる価値はありますわね」
「軽はずみになんの話をしているのだ!!」
あまりにもあっさりと頷いたふたりに、とうとうイルダの我慢の堤防が決壊した。
このままではオリビアの貞操(?)が本人の意思の無いままに失われてしまう。
それはそんなふうに簡単に「試してみて」いいような事ではない。
「落ち着きなさい、イルダ。子、という結果を重視しないのであれば、なにも本当に殿下を……失敬、皇女を抱く必要はありません。いるではありませんか、便利な生き物が、この西には」
レシャに羽交い締めにされたイルダは、胡乱な目で目の前の男を見つめた。
今度は何を企んでいるのか。
先ほどの一言のせいで、イルダのなかのネモへの信頼が早くも崩れ始めている。
「便利な生き物、だと?」
「そうです。認知に干渉し、男を幻惑する。幻を見ていることには、解かれてからでなければ決して気づけない。敵に回せば厄介ですが、使役としては有能な魔物」
「……まさか」
「そのまさかです。ラミアですよ、ラミア」
イルダの背を、嫌な汗がたらりと流れた。
ネモの策とは、オリビアのなかに混ざってしまったメロエの未練を、ラミアの幻覚によって満たしてしまおうというものだった。
なんでもこの男はあの戦のさなかで、ちゃっかりラミアを使役に下していたらしい。
中央にはいない魔物なので逃す手は無かった、とは本人の言である。
ラミアの幻覚は現実と見分けが付かない。
その理由は、彼女たちの魔力が対象の認知に干渉するからだ。
例えば、人が赤という色を赤として認識出来るのは、視覚から得た情報を脳が解析して知識と照合し「赤である」と認知する為である。
ラミアの魔力はその認知を歪め、赤を青に、人間を怪物に、あらゆるものを様々に歪めてしまう。
故に術に掛かっている者にとってはそれが現実となり、術に掛かっていない者がそれを外側からみるとただ錯乱しているようにしか見えない。
そういった特殊な性質を持つラミアを、魔術師が使役に下すとどういうことが出来るようになるか、と言えば。
「見せたいように見せることが出来るのです。ラミアと思念が繋がっているわけですから、例えば皇女の想い人であった先王の顔を私が覚えて、皇女の望むように想像する。頬を撫でるとか優しげに笑いかけるとか愛の言葉を囁くとかですね。それをラミアがその通りに皇女に見せるわけです」
「……はあ」
ということはメロエが望む夫婦の営みがネモの脳内で詳細に展開されるわけなのだが、この男は大丈夫なのだろうか。
一瞬気が遠のいたイルダの横で、アロウが顔を覆って座り込み、反対側ではレシャが赤面して「破廉恥な」と呟いている。
イルダは思った。いままでネモの良い面にしか世話になって来なかったが、この男、実は少々おかしいのではなかろうかと。
「これならば幻覚ですから、オリビア殿下の体は汚れません。解決です。もちろん皇女が満足してくれればの話なので、私、頑張りますね」
「そう、です、ね?」
いつも通り平然としているネモから一歩遠ざかるイルダの視界の端で、シエスタがうきうきと長いすを引きずって寝台の前へ運んで来る。
「わたくし、ここで鑑賞させて頂きますわ。だってほら、ネモ様は男性ですし、そちらの方面に疎い魔術師の方ですし、女性の望みの深淵まで理解があるとは思えませんもの」
「なんと、失敬な。私だってそこそこ……」
そんな話は聞きたくない。
「もういいですから、やるのだったら早くすませて下さい」
容量オーバーした頭を押さえながら、レシャが窓際まで下がりつつ呟いた。
頭を冷やしたいのだろう。その気持ちはよくわかる。
「そうですね。では」
ネモは己の影から、ラミアを呼び出した。
そこから先が地獄だった。