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カナリア物語 × 閑話と外伝   作者: 鹿邑鳩子
ウォルグランドの日常
6/14

晩秋の深夜徘徊事件2

 

 見たことを口外するなと口止めをすると、アロウはなんとも微妙な表情を浮かべた。


「言いたいことがあるならば言え」

「……口に出しても私を殺さないと約束してくれ」

「お前は私をなんだと思っているのだ」


 仮にも身内をそう簡単に殺すはずが……とそこまで考えて、オリビアの安楽死を提案したターミガンに殺意を抱いたことを思い出した。


(そうか、そうだな。確かに私は主人のこととなると短絡的だ)


 まさかこの従兄弟の言葉でそれを自覚することになるとは。

 眉間を揉んで深く息を吐き、肩の力を抜く。

 約束する、とイルダは言った。アロウはほっと息を吐いて話し出す。


「隠して置くべき事案ではないと思う。オリビア様は王族なうえ、ウォルグランドにとって国王と同等かそれ以上の影響力を民に対して持っている。あの方に不調があるのならば、イルダひとりで抱えて良い問題ではない。従者の領分を越えているのではないだろうか」

「……」


 なるほど。尤もだ。

 だがしかしそれをこの従兄弟に指摘されると、どうも眉間に苛々とくるのはなぜなのだろうか。


 無言のまま目の前の男を眺めていると、たらりとアロウの額を汗が流れた。

 いけない。また無意識に相手を威圧してしまっている。

 控えなければ。


「そうだな。お前の言うことは尤もだ。私も宮廷医とネモ殿には相談したが、事はそう簡単な話でもないようだ。あれは単なる夢遊病などではない」


「そ、そうか……解って貰えて何よりだ」

「ああ。だが、アロウ。あまりオリビアの周りをうろつくのは今後控えることだな。あれは私の主人だ」


「ぐっ……オリビア様の従者がひとりでなければいけないという決まり事は無かったはずでは」

「そうか。貴様は私の主人の従者の座を狙っているのか。ほう」


「いやいや待ってくれ、狙っているなどと欲にまみれたような言い方をしないでくれ! 私はただあの方のお力になりたいと思っているだけであってだな!」


「えー……そこのお二方。少々声が高いですよ」


 質のいい衣に魔術師の黒ローブを羽織った珍妙な姿でやって来た男は、言うまでもない、ネモである。

 先ほども窓越しにオリビアの様子をじっと観察していたので、そのうちやってくるだろうとは思っていた。


「とにかく、勝手に口外をするな。陛下には私から話す」

「わかった、わかったから……!」


 じろりと睨むと、アロウはまた逃げるように去っていった。

 油断ならない従兄弟だ。


 オリビアに近づく者が増えると、イルダは裏切り者が出ないよう始終見張らなくてはならない。

 警戒心が皆無なお人好しを主人に持つと、従者を増やすことにも慎重にならざるを得ないのだ。


 側近を選び間違えると最悪主人が死ぬ。

 イルダが慎重になるのは当然である──はずだ。


 相変わらずくまの濃い目でそそくさと逃げてゆくアロウを見送ったネモは、くるりとイルダに首を向けた。


「なにもあそこまで、脅さなくとも良いのでは?」

「脅してなどいない。単なる警告だ」

「はあ……まあ、なんでも結構ですけれども。先ほどのオリビア殿下のご様子について、お伺いしても?」

「その件を報告するために、これからフェイン陛下の執務室へ向かうところだ……ああ、その前に食事を届けなければ」


 手が足りない。

 身の回りの世話をする人間を、ひとりくらいは付けるべきか。


(……いいや、それでは始終気がかりで仕事にならない)


 やはり駄目だ。いちいちオリビアの身の安全を確かめていたら、それこそ仕事が増えてしまう。

 はあ、とため息をこぼしてイルダは食堂へ向かった。

 寝不足気味のイルダの背を見送りながら、ネモは黒髪をいじりつつ、呟く。


「本当に、過保護ですねぇ」




 湯気のたつ麦粥とオムレツ、少食な主人でも摘みやすく栄養価の高いナッツやイチジクなどをバスケットにつめて持っていくと、オリビアは書物から顔も上げずに「置いといて」と言った。

 これは食べる気のない時の反応だ。


「また鳥にでもくれてやるつもりか。きちんと食べるのを確認するまで私は下がらぬぞ」

「……ああそう」


 はあ、と疲れた様子でつむじを木に押し付け、オリビアは目を閉じる。

 なにやら機嫌が良くない。

 また熱でもあるのかと翳したイルダの手を、オリビアは振り払った。


「よせ。そんなんじゃない」

「……だが、しかし」

「食べればいいんだろう、食べれば」


 まるでさっさとイルダを追い払いたいような言い草だ。

 億劫そうに素焼きのクルミを口に放り込み、ろくに噛まずに茶で流し込む。


「やはり様子がおかしい。何があった、オリビア」

「別に。イルダたちこそ、俺に隠し事してるじゃないか。俺の方が訊きたい。何かあったんだろう」

「それは……貴方に話すような事では、ない」


 今はまだ話せない。

 ろくに原因も解決方法も解っていない。

 話したところで負担が増えるだけだ。


 イルダの答えを聞いたオリビアは、その横顔にらしくもない乾いた笑みを浮かべた。

 そう、と低く呟き、顔を背ける。


「なんだ。友人のイルダはいなくなってしまったのか。今の君はただの従者だ。そうならそうと、言ってくれれば良かったのに」

「……!」


 イルダは従者だ。そんなことは自覚している。

 それなのにこの痛みはなんだ。

 突き放されて傷ついたとでも言うのか。この自分が?

 親しみと忠誠を両皿に乗せた天秤が、どっちつかずにゆらゆらと傾く。


「ごめん、変なこと言った。聞かなかったことにしてくれ」


 そう呟いたっきり無言で朝食を食べ始めたオリビアに、イルダは何も答えることが出来なかった。




 表情に出さないでいたつもりたったが、ネモの目は誤魔化せなかった。

 戻るなり「喧嘩でもしたのですか」と目を瞬いた男に、イルダは苦笑いを浮かべて首を振る。


「隠し事をしているだろうと指摘をされて、話せないと答えたのだが……どうやらそれで主人の信用を失ってしまったようだ」

「……らしくないですね」

「ああ。しっかりしなければいけないのに」

「違う。あなたではなく、オリビア殿下の方がですよ。やはりおかしい」


 思いもよらない言葉だった。

 訳が分からず眉根を寄せるイルダに向けて、ネモは続ける。


「彼は航海の最中からフェイン陛下に秘密があることを知っていたにも関わらず、戦が終わるまで信じて待てたような底抜けのお人好しですよ。今更、あなたが話してくれない事のひとつやふたつがあったからと言って、態度に出すような方でしょうか?」


 そう言われてみればそうかも知れないが、オリビアだって人間なのだから機嫌や性格は変わるだろう。

 困惑して黙り込んだイルダに、ネモは眉間を押さえて首を振る。


「イルダ、貴方は主人のこととなると、見えるものも見えなくなる傾向があります。ひとりで彼の身の回りのすべてを請け負うのは無理がある。それに、イルダには見えなかったものがもうひとりには見える、ということもあるでしょう。側近を増やしなさい。オリビア殿下のためにも、貴方のためにも」


 すぐに決めずとも結構ですから、と言い残して、ネモは中庭へ向かって歩いて行く。


 イルダは細く息を吐きながら、フェインの執務室へと向かった。

 主人の問題を解決するためには、とにかく王に事情を話して暇をもらわなければ。




「なにかあったのだろうとは思っていたが、まさかそんなおかしな事になっていたとは」


 話を聞いたフェインは執務机に肘をついて額を覆った。

 レシャもターミガンも程度の差こそあれ似たような面もちだ。


「……何と言いますか、オリビア殿下は本当に話題に事欠かないお方ですな」

「今度は夢遊病とは……しかし話を伺うに、単なる一過性の症状とも思えません」

「わかった、イルダ。その件が解決するまで出仕はせずとも良い。オリビアを優先してくれ」

「……はい」

「他にも気がかりがあるのですね?」


 イルダの煮え切らない返事に、レシャがすぐさま言及した。

 双子の兄弟の目は誤魔化せないし、レシャはイルダに遠慮をしない。


「実は、オリビア殿下の側近を増やすべきなのではないかと……私ひとりでは、私が殉死した際に引継も出来ません。現時点でも、人手が足りないと思うこともございます。ですが」


「殿下のお側に置けるほど、信用の置ける者に心当たりがないということか」

「……はい」


 こうなることを想定していなかった、昨日までの自分の傲慢さを恥じるばかりだった。

 私が付ければ良かったのですが、と呟くレシャに、ターミガンは首を振る。


「お前にはウォルグリア家次期当主として、陛下のお側に居てもらわねば困る。経験を積まなければ」


「ええ、解っています。しかし、困りましたね。どこの誰とも知らぬ者を突然側仕えにしたところで、オリビア様もお困りになるでしょうし……あ」


 心当たりのあった様子で声を上げるレシャに、イルダは顔を上げた。

 だれかいるのか。

 信用が置けて、オリビアともそこそこ交流がある魔術師が。


「アロウがいるではありませんか。よく殿下とも話しておられます」

「……アロウ、か」


 微妙な反応を示したのはイルダだけではなかった。

 実父であるターミガンも、似たような面持ちで眉間を寄せている。


「陛下、アロウは未熟です。王家のお方に仕えるには、魔術の熟練も人間としての度量も到底足りませぬ」


「ですが叔父上、未熟だからといって人は勝手に育つようなものではありません。現に私だって、未熟だからこそ叔父上の下についてこうして陛下にお仕えしているのではありませんか」


 レシャの言い分を聞いたフェインが、頬杖を付いたままちらりとレシャを見やる。

 その水色の目に感心が過ぎるのを、イルダは見た。

 レシャは成長している。それに引き替え、自分はどうだろうか。


「アロウとオリビアの双方が望むのならば、アロウでかまわぬと私は思うけれどね。教育係は必要だろうが、それだってイルダがずっと見ている必要はない。レシャやターミガンにだってそれは可能だ。むしろひとりから学ぶより多くの者から学ぶ方が好ましい。考え方や価値観が偏る」


「陛下のご意見もレシャの言い分も正しい。であるならば、ひとまず暫定として、試用期間を設けるというのはどうだ、イルダ。その間にひとつでも粗相があれば、アロウの雇用は見送りとする」


「ではその間、オリビアに書を届ける魔術師を何人か見繕うとしよう。アロウが駄目だったときの控えとして」


「それならばオリビア様も、城の魔術師たちと交流が出来ますね。書を届けるだけならば、毒の混入の心配もありませんし」


 フェインとレシャとターミガンの間で話が進んでいく。

 ああ、これはもう決定事項なのだ。

 イルダにそれ以上の名案があるわけでもない。


 アロウの試用か。気の乗らない話だが、選べるほど人がいないので仕方がない。

 ウォルグランドはどこも人手不足だ。


「わかりました。では、アロウには叔父上から言いつけて下さりますか。オリビア様には、私から伝えますので」

「そうしよう」

「それでは……しばらく席を空けます事をお許し頂き、ありがとうございます。私の力の及ばぬばかりにご迷惑をおかけ致し、申し訳ござません」


 さし当たっての側近問題はひとまず解決したものの、なんだか執務室に来る前よりも気が重くなった気がする。


 中庭のオリビアのもとへ戻りながら、イルダは深々とため息を吐いた。



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