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カナリア物語 × 閑話と外伝   作者: 鹿邑鳩子
ウォルグランドの日常
3/14

ターミガンの息子 後編

 

 まずい。従兄弟が来た。

 真っ先に動いたのはアロウだった。すぐさま元の顔に戻り、ドアに描いた〈封〉の印を散らす。


 青い炎を上げて魔力が燃え尽きると、間を開けずにドアが開いた。

 イルダはアロウを見て怪訝に眉根を寄せる。


「書庫にこもって何をしている。見回りの任はどうした」

「私が書庫へ立ち寄ったことがそれほどおかしいか。任のついでに読み物を返却しに来ただけだが?」

「ドアを封じて、か?」

「ひとりの時間を邪魔だてされるのが嫌いでね」


 すらすらと嘘をつく。じろりと青い目で睥睨(へいげい)され、気圧されそうになる己を抑えつける。

 気迫で負けていては話にならない。


 いくらこの従兄弟が先代当主に負けず劣らずの他者を威圧する目の持ち主でも、アロウは屈しない。


「まあいい。書を返却しに来たのならば用件は済んだだろう。そこを退け。私は中に用がある」

「おやおや。ひとの寄り道を非難しておきながら、王弟の側近ともあろう貴方が勤務中に書庫を訪れるとは、これ如何に」

「書に用があるのでは無い。私の主人が中にいる可能性がある、のだが」


 不審げに細められる青い目の、鋭さと冷たさと言ったら真冬の風のようだった。

 思わずゴクリと喉が鳴る。


「貴様……先程から何か妙だな。私に書庫に入られて不都合な理由でもあるのか? よもや私の主人に、手出しをした訳ではあるまいな」


 室温が二十度は下がった気がした。気のせいであることはわかっている。

 全てはこの、吹き出すような殺気のせいだ。


 まずい。身体が動かない。

 従兄弟を怒らせてしまった。

 こんなつもりではなかったのに。


 その時、書庫の奥からコンコンと咳き込むような音が聞こえてきた。

 途端にはっと顔を上げ、イルダはアロウを押し退けて書庫へ入っていった。


 威圧から解放されて滲んだ汗を拭い、なんとなしに従兄弟の後を追うと、探していた王弟が書棚にもたれ掛かるようにして床に座り、書物を抱えて咳き込んでいた。


「オリビア」

「いや、違う……大丈夫だ、埃っぽくて。掃除が足りてないんじゃないか、この棚」

「手を見せろ」

「は? ……ああ」


 口元を覆っていた手を開き、従兄弟は安堵の表情を浮かべた。

 気の緩んだその横顔は、先程まで冷めきった目で殺気を撒き散らしていた人間とはとても思えない。


「血が付いた手で貴重な文献に触るわけないじゃないか」


 疲れたような声音のその一言に、アロウは王弟が肺に呪いを受けていた事を思い出した。

 そう、たしか父ターミガンは言っていた。


 肺に受肉した呪いは既に喀血するほど悪化しており、残念だが王弟殿下の命はあと幾ばくももたないだろう、と。


 幸いその肺の呪いは取り除かれたものの、いつまた息を吹き返すとも知れないと聞く。

 従兄弟はそんな主人の身体を案じているのだ。

 アロウは少しだけイルダに憐れみを寄せた。

 主人がそんなでは、気が休まる暇もないだろう。


(だがしかしオリビア、だと? 上下関係に厳しいあのイルダが、王族を呼び捨てに?)


 猫なで声でオリビア様と呼びかけていた自分が馬鹿みたいじゃないか。

 一方で「あんな従兄弟は気色悪すぎる」と頭の冷静な部分が判断を下す。ごもっとも。


「文献が読みたいのならば部屋へ運ぶから、こんな人気のない部屋にひとりで入るのはよせ」

「わかってない。こういうのの楽しさは自分で探して手に取るところから始まっているんだ」

「話を聞け。ひとりで入るなと言っているのだ。入るなら私かレシャを連れて入れ」

「でも、職務中に呼び出すのは気が引けるし」

「職務中に姿をくらまされる方が余程問題ですが、なにか?」


 おや敬語になった、と思うと同時に従兄弟と向き合っていた王弟の顔がひくりと固まった。

 従兄弟の様子を伺えば、横顔に苛立ちの片鱗が現れている。

 とはいえ、先程アロウを睨んでいたあの目の冷たさには到底及ばない。


 アロウは思った。

 なるほど、この段階で引けば従兄弟を怒らせずに済むのか、と。

 大人しく頷いた王弟オリビアを見下ろして微かな溜息をつき、イルダは床に膝を着いたままアロウを見上げた。


 もはやその目に殺意はない。凍ってもいない。

 従兄弟が見上げたことで、オリビアの視線までもがアロウへと向く。

 明るい緑の目が不思議なものを見るように、じっとアロウを見上げている。


(これは……まずい……)


 従兄弟になりすましていたことが知れれば、今度こそ間違いなくアロウはイルダに締めあげられる。

 尋問で済めばいいが、下手をしたら殺されるかもしれない。


 きっとこの従兄弟のことだ、爪を一枚一枚剥がされたあと指を一本ずつゆっくりと切り落として切り口を火で炙り……。


「部屋へ戻る」


 だらだらと冷や汗を流していたアロウは、オリビアのその一言で我に返った。

 ああ、と応えたイルダが文献を受け取って立ち上がる。

 痩せた身体を気遣うように支えて立たせ、衣服や髪についた埃を丁寧に払う。


 忠臣だった。ウォルグリア家の狂犬が忠犬になっていた。

 凶悪な従兄弟を飼い慣らしたのがこの王弟だとすれば、オリビアは恐るべき人たらしだ。


 最後にちらりとアロウを振り向き、王弟オリビアは書庫を去っていった。




 そして三日後の現在に至るまで従兄弟からの制裁が一切なかったことを鑑みるに、オリビアは書庫での成りすましを従兄弟に話さなかったのだ。


 その王弟は現在、中庭で大人しく書を読んでいる。

 私室で大人しくしていることが出来ないオリビアも、日差しが差し込み風の通る中庭でならば暇に煩わされずに過ごせるようだ。


 やはり魔術師だからだろうか。

 ああして日光や風を浴び、大地に触れ、水と戯れて夜には月光を浴び、魔術師は肉体の摩耗を癒し、力を蓄えるのだ。


 ウォルグランド随一の魔術師に、部屋で大人しく眠っていろと強要するのは酷な事なのかも知れない。


 中庭に面した側道の柱の影に立ち、じっと従兄弟の主人を観察していると、不意にちらりと緑の目が向けられた。

 気配を消していたので気づかないものだと決めてかかっていたが、しっかり把握されていたようだ。


 気づかれてしまっては仕方がない。

 ここでじろじろと眺めていたら、従兄弟の〈耳〉へ通報されてしまうかも知れない。

 そうなればアロウに明日は無い。


 挨拶に行くしかあるまい。

 先日の謝罪もしなければ。


 諦めて足を向けると、オリビアはやや頭上を仰ぎ、ついでアロウを手招きした。

 中庭の木に保たれて芝生に座るオリビアの面は静かだ。


 何を考えているのかわからない。

 じりじりと警戒して距離を詰めるアロウを見、オリビアの表情に苦笑が浮かんだ。


(こうして見ると、フェイン陛下によく似ておられる)


 普段はぼんやりとした顔をしているせいで気づかなかった。

 その割には警戒しているのが馬鹿馬鹿しくなるような気の抜けた姿だ。


 不思議だ。よく似ているのに全く違う。

 なんだろうか、この生き物は。


 一馬身ほど距離をとって跪くと、オリビアは「そんな形式張らなくていいんだけどな」とやや困ったように呟いた。

 そう言われても王家に仕える身の上、そういうわけにはいかない。


「イルダに聞いたよ。従兄弟なんだってね」

「は。ターミガンが三子、アロウと申します」

「三子? キマイラとふたりだと聞いたけど」

「兄は冬の戦で死にました故」

「……そうか」


 沈み込んだ声音に、知らされていなかったのだと気づいた。

 考えが足らなかった。あの父だ。

 面識もない身内の死を、戦で手傷を負った王族にわざわざ報せるはずもない。

 余計なことを言った。己の無神経さが嫌になる。


 ああ、だからか。

 だから自分は、姉や従兄弟のように主人を持つことが出来ないのか。

 考えが足らなくて、人を思いやることが出来ないから。


 単に主人を持つ資格がなかっただけじゃないか。

 自己嫌悪に俯いていると、思いもよらない言葉が聞こえてきた。


「守ってやれなくてすまなかった」

「守……は?」

「俺にもっと経験があればきっと……もっとたくさんの人を生きて家に帰せたはずなんだ。一度の〈呪い返し〉で魔物を(ほふ)るくらい、強力な〈呪い返し〉の印を作ることだって、その気になれば出来ただろう。例えば〈強化〉や〈乗算〉の印と組み合わせて」


 なんだその〈呪い返し〉は。

 もはや〈呪い百倍返し〉ではなかろうか。

 ぞっとする。怖すぎる。

 そんな印の魔術具を身につけている人間がこの世の中に横行したら、魔術なんて怖くて使えなくなる。


「中途半端に敵も味方も救おうとしたから、その甘さのぶんだけ人が死んだ。アロウの兄さんが死んでしまったのは、俺の甘さのせいだ。すまない」

「違います」


 反射的に否定していた。

 顔を上げて、身を乗り出して、アロウは立場も表情を取り繕うことも忘れて反論する。


「フェザントが……兄が死んだのは己が役割を果たしたからです。最期まで誇り高く戦ったからです。守るだけでは戦は勝てません。殿下がどれほど強力な守りをかけようとも、前線で戦うものから死者を出さない戦などあり得ない。兄は後悔などしなかった。兄を憐れまないでください」


 アロウを見つめていた見開かれた緑の目から、一粒の涙が落ちた。

 呆然とするアロウを前に、オリビアは我に返って顔を伏せる。


「……あ……すまない、はは……恥ずかしいところを見られてしまった。ちょっと向こうを見ていてくれ、すぐ泣き止むから」

「オ、オリビア殿下……出過ぎた口を……」


 まずい、王弟を泣かせてしまった。なぜ泣いた。

 理由はさっぱり解らないが確実なことがひとつある。

 従兄弟に殺されるということだ。


 こんな現場を目撃されたらおしまいだ。

 まさか居ないだろうな。


 人目を気にして意識を走らせると、頭上に殺気を感知した。

 居る。奴が居る。しっかり見ている。

 きっと国王の執務室の窓辺だ。

 この中庭は場所にもよるが、執務室から丸見えなのだから。


(父上、申し訳ありません……私の人生は終了致しました……)


 跡取りは姉が居るから大丈夫。

 男児が居なくなってしまったのは少々痛いが、やらかしてしまったものは仕方がない。

 あとは命の火が従兄弟に刈り取られるのを粛々と待つばかりである。


(出来れば苦しまないようにさくっと死なせてほしいものだが、きっと主人に甘いあのイルダのことだ、ぐっちゃぐちゃにされるのだろうな……)


 きっと人間かどうかも判別がつかなくなるに違いない。

 アロウは虚しく空を見上げた。

 兄上、不出来な弟が遠からずそちらに参ります。


「アロウ」


 王弟の呼びかけに、早くも根の国へ向かいかけていた意識が引き戻された。

 目を向けると何故か手招きされている。

 ほとんど無意識に側によると、「手を」と訳の分からないことを要求された。


 手をどうしろと? 犬の真似事でもさせて死の間際のアロウを辱めようとでも言うのか。

 もうどうにでもなれ。

 アロウは言われた通りにオリビアの手の平に「お手」をした。


 次は三回まわれとかキャンと吠えろとか要求されるのかなァと死んだ目で空を眺めていると、何やら手首に腕輪がはめられた。


 オリビアの手首からアロウの手首へ移動されたそれには、金色に染められた守りの印の数々が刻印されている。


「あの……殿下? これはいったい」

「だってアロウが死んでしまったら悲しいもの」

「は?」

「ずっと思っていたんだ。イルダやレシャはちゃんと皆に受け入れられているのかなって。ふたりってさ、いつも影みたいに王族に張り付いているだろう。他にちゃんと……仕事以外の居場所はあるのかなって。でも、アロウみたいな従兄弟が居るんだったら、きっと大丈夫だ」


 何を言っているのかさっぱり解らない。

 王族の側にあることが宮廷魔術師の存在意義だ。

 他に居場所を作るだって? 

 そんな教育はされた覚えがない。


「居場所はひとつじゃ駄目なんだよ。アロウ、君は特定の主人を持たない宮廷魔術師なんだろう? だったらその立場を生かして、あのふたりが孤立しないように、その……面倒を見てやってくれないだろうか」


「面倒を見る……私が?」


「ああ。イルダもレシャも、不器用だからさ。きっとアロウみたいな繋ぎ役がいないと、いつか必ずふたりだけになってしまう。ターミガンがいるうちは、まだ大丈夫だろうけど」


 それはつまり、ターミガンが引退した後、その位置にアロウを置きたいということか。

 面倒を見る? 実力では到底敵わない相手だ。

 だが、悪くない。むしろ良い。


 魔術師の価値は求められるものによって変動する。

 イルダにはない価値がアロウにはある。

 その価値を、オリビアは見出してくれたのだろう。


「……ご期待に応えられるよう、尽くします」


 気づけばアロウは、胸に手を置いて誓いを立てていた。

 ありがとうと淡く微笑み、オリビアはアロウの肩に触れた。


 この気持ちはなんだろうか。

 ついぞ感じたことのなかった妙な感情が「陰険」と「根暗」の隙間に滑り込む。

 感情の名前はついにわからなかったが、ひとつ確かにあたたかい、と思った。




 こうしてアロウは、顔無しの宮廷魔術師であることに拘らなくなった。

 結局アロウも、冷徹な従兄弟を手懐けたオリビアの「人たらし」に屈したのだ。


 負けて気分が良くなったのは初めてだった。

 王弟オリビアは本当に不思議な生き物だ。理解できない。


(だが、悪くない)


 アロウは今日も中庭のオリビアに書物を届けながら、しみじみと実感するのだった。


 アロウのきょうだい格差の拗らせ劣等感は、こうして解消されたのだった。

 彼の中でイルダは鬼です。

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