マイ・ファミリー3
ニ日後の昼下がり、ルビーは城壁の上でたそがれていた。春も半ばの心地よい風を浴びながら、現状の身の上についてぼんやりと考えている。
相談した翌日、ブレスは有言実行とばかりにソドムを買ってしまった。本来罷り通らない要求をシーラ王が飲んだ事情については、荒れに荒れた王国復興のため多額の資金が必要になること、そして指定された土地が実質的に魔女の治める〈北の最果て〉との境目に位置していることが上げられる。
恐ろしい魔女と竜の棲む〈北の最果て〉。国王としては、かの有名な刻印の魔術師が自国と北海の境界に立つならば、竜脈の死んだ生産性の無い小領土ソドムを売り渡すことにひとつの未練もなかった。
彼の立場から見れば「都合の良い監視役が自ら名乗り出てきた」と言える。
通常、国家は国外の人間に土地を売らない。シーラ国王とブレス──西の王弟オリビア・ウォルグリス間の取引も、シーラ王国の損失に繋がらないように多重の条件付きである。
条件のうちには、彼の死後にはソドムをシーラ王国へ即時返還することも含まれている。シーラ国王ヨアンジョルクは、ブレスが不死者であることを知らずに契約を結んだのだった。
そうして、あっさりと欲しいものを手中に収めたブレスはといえば。
「じゃあ、私は君にあの土地の運営を委託するから。書類上の持ち主は私だけど、事実上の管理はルビーが行う。悪いようになっても責任はとってあげるけど、それは最後の手段と思うように。きちんと真面目に取り組むこと。学ばせてもらいなさい」
と、実にお軽くソドムをルビーへ明け渡してしまった。これによってルビーは、ソドムの事実上の領主となった──果たしてそれでいいのか?
「私のものになってしまった。全部」
『いらないなら放り出しちゃえばいいじゃないか、そんなもの。人間が勝手に結んだ約束なんかなくったって、あの谷と丘はお前の縄張りなんだから』
「プーカ……でも」
例えそうであったとしても、それはルビーが「人間でいる」限りは罷り通らない理屈だ。当分の間は人間として、魔術師としてブレスに師事するのだと決めた以上、彼に任された契約を放り出すわけにはいかない。
ルビーはふしゅうとため息を溢し、城壁に立ち上がる。些か精彩に欠けた赤目を眇め、遠くソドムの方角を見つめた。
「とにかく皆さんに話してみるしかない。師匠──師匠、お側をあけてしまって仮にも従者なのにアレなのですが、私今からまたソドムに行ってきます。あ、秘書官には内緒にしておいて下さい。あの人まだちゃんと休まなきゃですし、私怒られたくないですし」
片腕を人面獅子に喰いちぎられ、瀕死の重傷を負った身であったとしても、鬼の秘書官イルダは未だに怖い。
翡翠の〈耳〉を介してブレスへ報告をする。間を置かずに、笑い混じりの穏やかな声音が、言ってらっしゃいとルビーを送り出した。
彼には予測済みだったのだろう。
「これはこれはお館様。お顔を見せてくださって爺は嬉しゅうございます」
満面の笑み、手揉みしながら迎えに現れた使用人頭を、ルビーは渋面で見つめ返した。
我を忘れた竜の暴走により破壊されたソドム、もとより住民の限られた僻地ではあるが、この「爺」はルビーの居所を感知するがごとくどこへでもやってくるので不可思議だ。
この使用人頭は、ルビーをお館様と呼ぶ。
系譜を辿れば、ルビーの実の父親が人でありし頃にソドムの当地者であったことに執着しているようだが、もはやその地下屋敷も谷の崩落で埋まっている。
現在、ソドムの民は、高谷に布を張った仮暮らしだった。それでもしぶとく生き延びている彼らの姿に、かつては自らも山暮らしをしていたルビーも感じるものはある──が。
「……爺とやら。この間の話の続きなのですが」
「と、申しますと?」
「カエル妖精の件です。ヴォドニーク達との取引が原因で、金銀宝石の出所を周囲に不審がられていると」
ああはい、と使用人頭は頷く。
「……知り合いの魔道官が言うには、財のうち少しを税として納めれば、違法にはならないそうです。ですから取引自体は、引き続きおこなっても大丈夫」
「それは何よりの報せです」
「ただ、その。それがもとで何か、近隣の人たちと問題がおこった場合は、過失はソドムにあることになってしまうそうです。ソドムが責任を負う……そうなった場合に備えて、責任者がいなければならない。住民同士では収まりがつかないから、顔のでかいひとが要るという」
「そこでお館様がその責任者とやらに就任するというわけですな」
「いえ……それは本当にどうしようもない時の最後の手段で。私としてはソドムの皆さんのなかから話し合いで決めていただければいちばん良いのではと思うというか、おい、こら。笑うのをやめてください、爺」
にこにこと、やたら嬉しげに老人はルビーを見つめている。ふたりは吹きっさらしの丘に向かい立ち、しばらくそうして視線を交えた。
「みなの意を問うまでもなく、あなた様以外に相応しき方はおりません。我々はソドムへ仕える民。あなた様は大旦那様直系のご息女。並々ならぬ力を御身に宿し、お役目をつとめるためこの世に生じたのですから」
「だとしても、土地の運営については、私は完全に無能ですよ」
「では、僭越ながらこの私めが御手伝いをいたしましょう」
「貴様が、ですか?」
「そうですとも。代々のご子息ご息女を教育し、旦那様がたに仕え、細々ながらもソドムの経営を支えてきましたのは、我々家僕でございます」
あ、とルビーは声を上げた。「学ばせてもらいなさい」と魔道の師が言ったのはこの事か。
経営能力など、はじめから求められていなかったのである。彼らソドムの民が次の主に必須とするものを、ルビーは既に備えている。
「私、知らないことを知るのは嫌いじゃないです」
「そうでしょうそうでしょう」
「本業があるので、屋敷を空けてばかりになると思う。それでもいいのでしょうか」
「空けるもなにも、まず屋敷を作り直すところから始めねばなりませんね」
「ふむ? たしかに」
地下屋敷は埋まってしまった。現在ソドムは更地も同然だ。
ルビーは腕を組み、少しばかり首を傾け空を見上げた。やたらと清々しいまっさらな天と地を、嫌いではないと思う。
「更地の領主様ですか。それは悪くない」
ルビーはついに答えを出した。皺の深い顔にさらに皺をきざみ、老人が嬉しげに笑う。
とはいえ、この使用人頭ひとりの意見とも限らない。さしあたってはこの不便きわまりない地に住み続ける変わり者全員を集めて、住民の総意を確かめるべきだろう。
提案を言いつけようとしたルビーを、しかし使用人頭が遮った。彼は着古した上着の胸に手を当てて膝をつくと、同じ手でルビーの編み上げブーツに触れる。
踵のあたりに数秒指先を留めたのちに自身の眉間を撫で下ろす動作は、シーラ王国に伝わる古い忠誠の誓いだった。
「お帰りなさいませ。お館様」
「お館様では──いや。もうそれでいいか」
頑固に否定してきた呼称を、屋敷が無くなってから受け入れるとは妙な話だ。ため息まじりに諦めると、ルビーはすとんとその場にしゃがんだ。
「それでもわたしは教わる立場です。ひとを跪かせて悦に入る趣味はないので、そういうのは無しで頼む」
「形式はととのえるべきかと」
「そうなのですか? では必要最低限で」
「はい。承知いたしました」
「ふむ。では」
何から始めよう。衣食住やら街道やら畑作りやら、仕事は山積みだが人手が足りない。
ふたりは丘に並び、ソドムの今後を語らう。奇しくも自身の起源の地を預かることとなったルビーにとって、彼らはふたつめの家族となった。
ふたつめの帰るべき場所──といえば聞えは良いが、家族は家族でも扶養家族である。使用人頭と段取りを決めながらも、ルビーの脳内では新たな現実問題が膨らみ続けている。
さしあたっての問題はそう、まず第一にはカネだ。
稼がねばならない。どうしたものか?
中央大陸の最北端に、ルビーのセカンドファミリーが爆誕した。
次話「食うに困らず」