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カナリア物語 × 閑話と外伝   作者: 鹿邑鳩子
炎上のイフリータ閑話 
13/14

マイ・ファミリー 2



「師匠、こんばんは。ソドムの領主になりませんか?」

「……はい?」


 部屋を訪ねるなり唐突な勧誘を浴びせられ、ブレスは当然ながら呆気にとられた。

 愛しの黒猫、猫妖精ケットシーミシェリーの繊細で艶やかな長毛にブラシをかけていた至福の時が、わけの解らない弟子の一言ですっかり吹き飛ばされてしまっている。


 ぽかんと口を開けたまま固まっている魔道の師へ向けて歩きながら、ルビーはトルマリスより聞き出した意見を早口に述べた。


「であるからして、ソドムには領主が必要なのです。領主が居れば問題解決です。でもソドムズ家はウィリアムさんが最後で、だれも残っていないのです。だから師匠が領主になってください。師匠だったら誰も文句なんか言いません。そんな度胸がある人間がいたらびっくりである」

「……えっと」

「ありがとうございます。では私、これからソドムの皆さんにご領主さまができましたと報告に行ってきますのでさようなら」

「待て待て勝手に話を進めるんじゃない!! だいたいこんな時間に女の子がひとりで出掛けるなんて危ないでしょ!?」

『そいつは女の子のくくりに入るのかしら』


 くるりと踵を返した弟子を引き留めるべく、ブレスは必死に駆け寄った。

 宿主とのあまやかな夜を邪魔された黒猫が白けた様子で立ち上がり、衣装箪笥の上へ跳び移ってそっぽを向く。


 息を切らしたブレスの手は、部屋を出る寸前のルビーの袖をどうにか掴んだ。

 とたんに鼻にみしりと皺を寄せて振り向いたルビーへ、ブレスは疲れきって諫言をこぼす。


「ひとに責任を押しつけることと、助けを求めることは違う」

「……べつに、私は」

「君がその席におさまればいいだけのことだって、本当は解っているだろう?」

「むむぐゥ」


 そう、問題はまさにそれだった。ルビーは領主の椅子など、微塵も欲しくないのである。




 ブレスは手ずから茶を入れて、改まった様子で着席した。王宮の長椅子は羊の毛を詰めたなめし革のクッションを小振りな寝台サイズの長椅子に敷き詰め、手触りの良いアーミンの毛皮のカバーを掛けた一級品の品物だ。


 ルビーは示されるままに彼の隣に座る。ひとふたりぶんの間隔をあけたのは、ブレスの守護妖精ミシェリーが衣装箪笥の上で不機嫌にふたりを監視していたからだった。

 ルビーはふと、愚痴をこぼした。


「だって務まるわけがないじゃないですか。私が出来ることは戦うことと清めることだけ」

「学ぶ気があれば、大抵の物事はなんとかなる。少しずつでもやってみればいいじゃない」

「やってみればいい。そんな軽い気持ちで始めてもし失敗したら、私、ソドムの人たちに顔向け出来ないです」

「どうして?」

「それは、う……」


 言葉につまった。済んだ色の双眸が、ルビーが心中を語り出す時を静かに待っている。

 頑固に口を噤む弟子を見かねたのだろう、ブレスは「まあお茶でも飲んで」と微かに笑って空気を和らげた。


「以前に迷ったことがあったな。私も」


 甘い。口内に広がっていく蜂蜜の、濃厚な甘みに舌が痺れる。同時にゆるんでしまった緊張の合間にブレスの言葉が滑り込む。


「私も、弟子を取ろうか取るまいか迷っていた。大切な友人の頼みでなければ断っていたかも知れない。大切なものを増やして、もし守りきれなかったらと思うととても怖かったから」

「……はい。たぶん私も、それなんだと思います。頭では、なんとなく解っている」

「うん」

「師匠、エチカ、ウォルフ。秘書官とアロウ、それからエルシオンでできた友達とラケルタと、モルン……ほかにもいっぱい。私はみんなが大切で、よくわからない役目とかもあって、わりといっぱいいっぱいで」


 これ以上大切なものを増やしては手が回らないと思ってしまう。


「師匠に丸投げしたら楽になると思いました。でもそうでもなかった。ソドムの皆さんがどうしているか、この先ずっと気に掛けながらでも後ろめたくて近づけないままでいるのは、嫌な感じがします。なんか……」

「なんか嫌?」

「それです」


 ルビーはすとんと頷く。ブレスは気の抜けた調子で笑った。


「じゃあ、もう答えは出た。彼らのお望み通り、君がソドムの管理者になってあげるといい」

「百万歩くらい気持ちを譲ってそうするとして、となると手続きとかが必要になるわけですか?」

「ああ。問題はそれかもね……なにしろ君は」


 人間じゃないし。

 と言い掛け口を閉ざし、ブレスの言わんとすることを察したルビーはまたしても顔面に皺を寄せる。押し問答をしても問題は解決しないので、微妙な空気をごまかすようにふたりはティーカップを手に取った。


「……師匠なら、どうしますか」

「私? そうだねぇ……私だったら」


 ブレスは微かに首を傾げた。若緑色の双眸が数秒、物思いに虚空をさまよう。


「そうだな。私だったらとりあえず買う」

「買う?」

「うん。ソドムを買う」

「……師匠……」


 今度はルビーが虚空を眺めた。この、一見十代後半の好青年に見える人物の正体が、異国の王族であると知っているが故の隔たりが、なぜだか今夜はやたらと虚しい。


「この金持ちめが……金持ちの横暴の権化、ひとの良さそうな顔をした魔王、ひとでなし。このひとでなし。ひとでなしの極み」

「あはは、ルビー。そういうことは思っていても口に出さないの。困った子だねえ」

「王族の富豪サマに何言われてもぜんぜん響かないです」

「え、君……もしかして私が王国の財産を好き勝手使っているから手持ちが豊かだと思っていたの?」

「違うんですか?」

「そ……そんな……そんなふうに弟子に思われていたなんて……ひどい、なんてことだ」


 ルビーはこれっぽっちも知らなかったが、世間ではそれを「横領」と呼ぶ。

 衣装箪笥の上で無視を決め込んでいた黒猫妖精が、心的外傷をくらった宿主をフスンと鼻で笑った。


 なにやら深刻そうに悩み始めてしまったブレスを、ルビーはじっとりと眺める。

 ため息を吐きたいのはルビーのほうである。この件については、どうにも彼は頼りにならないようだ。

 仕方がない。他をあたろう。


 しかしながら、勝手に席を立とうとしたルビーの腕を、ブレスはぱしりと掴んだ。誤解は早急に解かねばならない。


「いい、ルビー。私の資金はひとりの魔術師として個人的に引き受けた仕事の報酬であって、ウォルグランドの国庫にはいっさい手を出していない。あれは民の血税だ。必要を迫られたときに彼らのために使うものなんだ。私はむしろ国として引き受けた仕事を介して国家の貯えを増やしているくらいだ。一回滅んで復興したうちの国は磐石とは言い難い。まだどう転ぶかも判らない。だからこそ私は絶対に国を裏切るような不正なんかしない。わかったね」

「師匠、そんなにお金持ち自慢がしたいのですか。弟子イビりですか。ぱわはらですか。稼げる男あぴぃるですか。いい加減にしろ」

「違うっ!! だから──いやちょっと待てよ……?」


 座りなさいと促され、ルビーは仕方なく再び横並びに腰をおろした。無駄に手触りの良い、最高級の毛皮の長椅子だ。非常に不愉快である。

 ブレスは暫く眉根を寄せて黙り込んだのちに顔を上げた。


「根本的な問題を解決しよう。君には稼ぐ手段が必要だ」

「かせぐしゅだん。稼ぐ手段?」

「ルビーは自力でお金を稼いだこと、ないでしょ」

「……お金って、私でも、稼げるんですか……?」

「…………稼げないと思っていたの?」


 またしても微妙な沈黙が流れた。

 どうやら両者の常識には、深い深い隔たりがある──とは、今更だろうか。



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