後ほど 4
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「邪魔してしまったかな?」
圧倒的なオーラを纏い、その訪問者は現れた。
明らかに自分達とは違うオーラに、部屋にいる全ての人間が、自然と膝を折り頭を下げた。私に対して礼儀を尽くさなかった公爵様ですら、見事な挨拶を行なっている。
家格が下である私に礼儀を尽くす必要なんてないとはいえ、人によって態度を変えることがこんなにも心象を悪くするとはいい学びになりそうだ。
「全員頭を上げて。ここに私の大切な婚約者候補と夜会では滅多に見れない噂の公爵様がいると聞いてね」
涼しげに微笑みながら、その人は私のそばに向かって来る。スラリとした長い脚では、到着するのも一瞬だ。近づいてくるその人の姿に、目の前に立つ姉の身体に力が入るのが見えた。
『王太子殿下にご挨拶申し上げます』
もう一度、丁寧にお辞儀をする。公爵様に見せたような、そんな簡易的なものではない。じっくりと頭を下げ、それから顔を上げれば、思っていたよりも近い距離にその人は立っていた。
「リディアナ嬢は、今日も美しいね」
『恐れ入ります』
私の亜麻色の髪に、この国の王太子であるその人、ルーカス様がそっと触れた。王太子妃候補だと紹介されたあの日から、顔を合わせるたびにルーカス様が欠かさないことだった。
ルーカス様は私に美しいと言うけれど、言っている本人のほうが遥かに美しいことは明らかだ。王族特有の白金の髪が眩しくて、目を閉じてしまわないでいることで精一杯だ。
「殿下」
私とルーカス様のやりとりを眺めていた公爵様が痺れを切らして、声をかける。
「ああ、テリル。珍しいね、君がこんなとこにいるなんて」
「…たまには夜会に出ませんと母がうるさいもので」
「あはは、ご隠居されたと聞いたけど、まだまだ頭が上がらないようだね。母というものはどこも同じらしい」
クスクスと柔らかく笑いながら、ルーカス様はソファに腰を下ろす。座って、とルーカス様に促され、私たちもその場に腰を下ろした。
すかさず、殿下の侍従が殿下の前にグラスを置く。シュワシュワとシャンパンの泡が小さく弾けていた。…シャンパンか。泡を眺めていれば、私の視界の端にかげりができる。それぞれ公爵様、姉、私にも同じシャンパンが用意されていた。
…なるほど、確信犯か。
「珍しい組み合わせだけれど、リディアナ嬢とは何の話を?」
「…彼女の妹と聞いたのでご挨拶を」
軽く乾杯をしたあと、おもむろにルーカス様は口を開いた。公爵様の言葉に、自然と視線が姉へと集まる。
「リディアナ嬢の姉君?」
「あ…、えと、バークレイ・トロワ・ルチアナでございます」
辿々しい挨拶に、ルーカス様は優しく微笑んだ。挨拶なんてされたかしら?なんて、とぼけて言ってやりたかったけど、私も同じようににこりと微笑んだ。
「ああ、リディアナ嬢は、双子だったね。珍しい髪の色も、瞳の色も同じだ」
『ご紹介が遅れてしまい、申し訳ありません。早々に殿下にはご紹介したかったのですけれど、お姉さまは今、バークレイにおりませんで、中々機会を持てずでして』
「気にすることはないよ。それだけ、フェリクス領は過ごしやすいのかな?」
微笑みを崩さないまま、ルーカス様は公爵様へ視線を向ける。その悪戯っぽい視線に公爵様はどことなく気まずそうで、すぐに視線を逸らしてしまった。
「…過ごしやすいですわ。少なくともバークレイよりは」
返事をしたのは意外にも姉の方だった。昔の姉であれば、こんな時はただ黙ってやり過ごすだけなのに。先ほどまでの会話からしてみれば、嫌味の乗ったその言葉に思わずクスッと微笑む。
『それもそうですわね。バークレイは神が雪を降らす街と19代皇帝陛下が仰られた街です。夏以外は寒くて寒くてたまりませんもの』
「まだ僕はバークレイへは行ったことがないけど、それに比べるとフェリクス領は随分と暖かいのだろうね」
『あら殿下、それでしたら春の終わりにでもいらしてくださいな。雪解けの風景が圧巻ですのよ』
「それはぜひ行ってみたいね」
当たり障りのない会話とはまさに今のようなやりとりを言うのだろう。実現されることはないであろう殿下の訪問。考えただけでため息が漏れそうだし、こんな会話をあの父が聞けばなんて言うことか。
必ず殿下をお連れしろと息を巻くはずだ。
もっと言えば、王太子妃候補ではなく、早く王太子妃になれと口酸っぱく言われるだろう。
早く足元を固めろと父は顔を合わせるたびに念を押す。王太子妃の選定については自身が一番理解しているだろうにも関わらず、だ。
そう思うと、姉の言っていることも正しいのかもしれない。
バークレイよりは過ごしやすい、と。
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