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まるでタイムカプセルに遺されたような

作者: ムルモーマ

主催からweb再録の許可が出た為、投稿します。

1.


 二つの似通った細長い石が木の洞に置いてある。

 一つは横に、もう一つはそれに立てかけるように縦に。

 中を覗けば、使われていない石がもう二つ。

「まだ使われているのか、それとも……」

 そこはアスファルトの敷かれた道路からは一つ外れた、枯れ葉が積もる、人も殆ど通らない狭い道。

 その道から更に外れて、雑木林の中、一際太く高く伸びる老齢な木。

 遠くの道路から車が走る音が時折聞こえて来る。木漏れ日の下、じわじわと蝉が鳴いていた。


*


 社会人になってから数年。盆休みに実家に帰って来れば、田舎の安い土地の広い日本家屋が出迎える。

 エアコンの効いた狭いアパートとは違って、未だエアコンの無い実家は屋内に居ても暑い日はじわじわと汗を掻く。

 高校生まではこの実家で暮らしていたはずなのに、どうやってこの暑さと向き合っていたのかも思い出せない。

 そんな中、ひたすらにある暇な時間。

 実家に置いてある漫画やらもそこまで読む気にならず、外に出る事にする。今日は日差しは強いが、風も吹いていた。暑いのには変わりないが、何をするにも気怠さのある蒸し暑さではなかった。

 旧友に特に連絡などもせず、ただ何となくで通っていた小学校の方まで歩いて行く。

 広い国道には出ず、住宅街である中道をのんびりと歩く。車がすれ違うのもやっとな幅の、アスファルトが良くひび割れている道路。殆どの家が昭和から建っているような古さを見せつけて来て、他にあるのは墓が沢山ある寺やら、小さい公園やら、材木屋やら。

 洒落たものなど一切なく、強いて人が入りそうな所と言えば、駄菓子屋が一件。老夫婦が営んでいたそこは、盆休みだからかシャッターを降ろしていた。

 そんな、ただの田舎の中道。時々車とギリギリですれ違う。小中学生が自転車で元気に走り去って行く。木も多く、日陰は多い。またその分蝉が多く鳴いており、小便を掛けられないか少し怯える。公園を見ると小学生の数人がこんな暑い外でスイッチを持ち寄って遊んでおり、隅の方で鳩が数匹首を振りながら歩いていた。

 そんな公園から響く平和な罵声を片耳に入れながら、同級生の家の前を幾つか過ぎる。成人式にも大学から帰って来ず、その結果、同級生達への大して連絡手段も持っていない自分は、そんな彼等彼女等の今など知りもしなかった。

 加えて言えば、名前も記憶から飛んでいる位に興味も無かった。

 汗もだらだらと止まらなくなってくる頃、元々は田んぼだった場所は埋め立てられて、遮音性など皆無そうな安っぽいアパートが建っている光景に出くわす。

 それから国道に出ると、車が数多く走っていた。一応、海沿いで観光地でもある地元は、盆には海水浴に数多の観光客が来る土地でもあった。

 けれど悲しく人口は減り続けている。市の中で一日一人生まれなくなったと聞いたのはいつだったか。

 そして、自分のように地元を捨てて都会で働く人も多い。

 結局、都会の便利さにはどう足掻いたところで敵わないところが多い。

 そんな事を思いながら、小学校に着いた。

 とは言え、セキュリティやらが騒がれるようになった今となっては、昔とは違って自由に校庭に入る事も出来ない。

 父親も通っていた程に古く、今となってはその教室の半分も使われていないであろうでかい校舎と、岩山やら鉄棒やらブランコやらが見えるだだっ広い校庭を柵の外から眺めるだけ。

「……もう三、三、四……、十年以上前なのか」

 大学卒業から遡っても、ここに通っていたのはそれ程の時間が経っている。

 思い出される記憶は思わず遠い目をしてしまうようなものが多い。けれど、結構鮮明なままだった。

 記憶というのは多分、数年と数十年の間に大差がない。


*


 汗はだらだらと流れて続けていた。タオルを持って来ているとは言え、そのタオルももう十分に湿気ている。学校の近くには卒業式の時などにも卸されている洋菓子屋などが多少あったりするが、別に空腹でもなく、また汗塗れな状態でその店やらに入る気にはなれなかった。

 自販機でジュースを買って飲み干し、それで帰る事にした。

 三十分程の往復。時間潰しとしてはそう大したものでもなかったが、帰ったらシャワーでも浴びれば、多少は涼しくなっているはずだ。それから遅い昼寝でもしよう。

 また国道から中道へと足を進める。帰りはちょっと逸れて行きとは別の道を歩く。

 学校から結構遠くの方に住んでいた自分は、時によって一緒に帰る同級生が違い、それに合わせて帰り道を決めていた。

 そんな幾つかの帰り道の中で、アスファルトにも舗装されておらず、いつでも枯れ葉に覆われている裏道があった。どういう道なのかも知らないけれど、先は荒れた空き地に細々と繋がっている。

 今でもあるかは分からなかったが、行ってみれば普通にまだあった。

 枯れ葉だらけなのも変わらず、他に誰も人が通っている訳でもない裏道。片方からはアパートの裏側が見える。

「そう言えば……」

 裏道からも外れて雑木林に足を踏み入れる。雑草が生い茂り、碌に手入れもされていない。こんな道を歩いてばかりいたら、すぐにズボンが草の種やら汁塗れになってしまう。

 ……小学生の時は、そんな事全く気にしなかったな。

 そう思いながら、やや大きい木に手を掛けた。その前だけは草が生えていない。踏み慣らされた痕があった。

 その木の洞には小学生の時、待ち合わせの約束に使っていた細長い石がそのまま幾つか置いてあった。

「まだ使われているのか、それとも……」

 石の置き方やどの石を使うかで誰とどこで遊ぶのかを決めて、そう言う秘密の暗号を仲間内で共有する事で盛り上がったりしたものだった。

 別に同級生の中だけで取り決めていた事で、下級生に教えたりだとかそんな事は自分はしていなかったが、もし連綿と続いていたのならば、それはとても面白い事だと思う。

 頭を下げて、ちゃんと中を覗けば石が他にも幾つかと、それから折りたたまれた紙とペン。

「……」

 余り、そういう事をしてはいけないのかもしれないが。気になって手に取ってしまった。


―――――

あかぐすくえなれざかわくたーい?えだのらはりてさすいなゆおいきすんうこねなのでもた。

―――――


 六角形の鉛筆の絵と共に、小学生らしい拙い字でそんな訳の分からない言葉が書かれていた。

 ホラー映画のシチュエーションのようで背筋がぞく、と震えた。

 ただ、ちゃんと見直してみれば。

「……簡単な暗号だな、これ」

 確か、どこかの古代文明で使われていたとか言うヤツだ。

 紙自体も劣化などしておらず、つい最近でも誰かが作った暗号の解読を身内で楽しんでいる事が伺えた。

 恐怖は一瞬で氷解して、その代わりに悪戯心が騒いで来る。

 不審者っぽいかもしれないが、解いてしまう事位は許されるだろうと。

 けれど諳んじて答えを出すのは流石に難しく、スマホを取り出してメモ帳の機能を使いながら解読する。そして出て来た文章を眺めて、少し考えてから、紙にこう書き込んだ。


"丸ごと甘く煮込まれたペコロスが美味しい"


 小学生はペコロスという具材を知っているかも含めて、先に誰かに解かれているのを見つけた時の事を想像すると、少し面白かった。

 紙とペンを元の木の洞の中に戻して、今度こそ帰る事にした。

 道に出れば未だ暑かったが、最も暑い時間は過ぎ始めているように感じられる。

「食いたくなってきたな」

 今日の夜飯は決まっているとしても、明日の夜飯はそれにしよう。ここらの田舎のスーパーでペコロスやらが売っているかどうかは正直余り期待出来ないが。


2.


 二日後。有給も使って長めの盆休みではあるが、今日も今日とて暑い。少し早く切り上げて都会のアパートに帰ろうかとも思う。

 その方がクーラーが効いて快適だし、好きな時に起きてゲーム三昧でも何でも出来る。外はアスファルト地獄だが。

 ただ、今日に限っては風が吹いていないのもあって、都会のアスファルト地獄にも似通っている昼時は本当に何もやる気にならないし、挙句の果てに今日は風すら吹いていない。蒸し暑いし、汗はだらだらと流れるだけ。

 やっぱり夏は嫌いだ。冬の方が良い。物も簡単に腐って臭い始める事もなければ、着込むだけで快適になる。夏は裸になっても快適にはならない。蒸発して熱を奪ってくれるはずの汗は、この湿気大国では体を不快、不潔にさせるだけのものだ。洗濯物も溜め込めない。

 雪国に住んでいないからこその台詞なのかは分からないが、とにかく。

 今日も外に出る事にした。もう少し遠出して、駅の方まで行こう。ちゃんと汗を拭うタオルも用意して。

 それに、あの紙がどうなっているかも気になっていた。

「紙とペンは……一応持って行くか」

 ポケットにノートの切れ端とボールペンを入れて、タオルも数枚用意して、外に出る。

 クソ暑い。ただ、家の中でじっとしてダラダラ汗を掻くよりは、外に出ている方がよっぽど良い。


*


 盆の終わりに近いこの日、車は相変わらず走っている。どちらかと言えば帰りの方……都会へと向かう方が混んでいる。

 国道も混んでいるが、家の前の道路もぼちぼちと混んでいる。脱走した犬のクロが轢かれ、首輪だけ付けて基本自由にさせていた猫のクロも轢かれた道路。

 そんな歩道も狭い道をだらだらと歩くとやはりすぐに汗がどばどば出て来る。拭っても拭っても拭いきれない。

 飲み物は、きっと一本買ったでは足りないだろう。

 中道へと入り、そして十分と少しばかり歩いたところで裏道の入り口である空き地に着く。

 ポイ捨てやらが多少目立つその一応私有地である場所の近くで、誰も見ていない事を確認してから足を運んだ。

 裏道は相変わらず誰も居ない。

 けれど木の洞の近くまで来ると、先日より草が強く掻き分けられているのに気付いた。

 この二日の内に、誰かが来た事は確実なようだ。

 そして、その洞の中を覗く。石が違う形で置いてあって、また先日とは違う質の折り畳まれた紙が奥にあった。

 手に取って開いてみる。


―――――

HSCSFESC'MOK'ALC MG'krOMNALPDALHEC' CA'LINkrLISIHESCMNK'FECA LCPDLC'BEKHEGAMGS

―――――


「お、新しい暗号だ」

 前のように絵などのヒントは無いが、ぱっと見で置換式のものだろうと思えた。そして眺めていると何となく、何に置換するのかが分かって来る。

 色々と特徴的だし、だからこそ前回と違ってヒントも無いのだろう。

「小学生では習わないと思うが……いや、中学生でも習ったっけ?」

 まあ、こんな暗号を思いつく位だ。頭も良いのだろう。単純ではあるが。

 ただ……この暗号は解読するのに時間が掛かる。写真だけ撮って、駅まで行く事にした。

 流石に多少の観光地でもある主要な駅の近隣には、ファストフード店やら飲食店、居酒屋やらがぼちぼちとある。あの辺りはこの地元で暮らしていた時にもそんなに積極的に訪れる場所でも無かったからそう詳しくはないけれど。

 裏道を出てだらだらと歩く。小学校を過ぎて更に先の駅まで。道中、自販機でペットボトルのジュースを買って一気に飲み干す。

「…………」

 隣のゴミ箱は溢れていた。暫くの間回収されていない様子だった。

 仕方なく持って行く事にする。

 住宅街がある程度続いた後、駅が近付いて来るに連れて道が開けて来る。スーパーがあり、自販機がある。ペットボトルを捨てた。

 一つ目のタオルがもう絞れる程になり、ビニール袋のタオルと入れ替える。二つじゃ足りなさそうな予感が確実さを持ち始める。

 帰りはバスでも使うか? いや、田舎のバスは……バス停あった、うわ、二時間に一本。

 タクシーで金使いたくもないし、親呼んで来てもらうのも嫌だし、少し考えないとな。

 駅までもう暫く。着いたら着いたで、何でも美味しく食えそうだ。


*


 一時間半程歩いて、やっと駅に着く。田舎の一駅の距離は、都会の三駅分位の距離がある事を身を以て体感する。

 年に一度、潮騒祭りという名の花火大会も開かれるこの駅前は、盆休みの終わり頃とは言え、流石に活気があった。

 空いている席がある事を祈りつつ、店の前に格好付けた等身大のマスコットキャラクターが置いてあるファストフード店に入る。

 するとまず、クーラーの効いた冷たい空気が体を撫でた。汗を拭っておかなければ逆に凍えてしまいそうな程の涼しさだ。

 適当に品を頼んで座る。紙とペンを出し、スマホでその鍵となるものを検索する。

「……これ、そうか、骨が折れそうだ」

 解き方を間違えると、間違った文章が出来上がる。かと言って、一文字分ずつでスペースを空けて書いてしまうとそれは簡単過ぎる。

 暗号としては余り良くないが、クイズとしてならば中々に良く出来ている。

 注文のブザーが鳴り、取って戻る。ポテトを食べながらゆっくりと解いて行く。

「……」

 ハンバーガーを手に取り食べる。安っぽい味が、偶に食べるにはとても良い。

「……英語じゃないな」

 近くに部活帰りの高校生がぞろぞろとやって来た。ここの近くの高校は母校ではないが、懐かしさを感じる。

 同時に嫌な事も思い出す。部活なんて、良い思い出より悪い思い出の方が多いもんだ。

 けれど、やってなかったらやってなかったで、その悪い思い出になる出来事をもっと後に、より深い傷になる形で訪れる事になるのだろう。そう言い聞かせている。

 他愛ない駄弁りは良いBGM。暗号は次第に復号出来始める。

 半分位を復号出来た頃にはポテトが尽きている。ハンバーガーも残り少し。

 そして、気付く。

 この暗号は……自分が解き、そして返す事を想定されていた。

 氷がある程度解けて薄くなったコーラを飲んで復号を再開する。

 半分だけでもそれは分かった。バスの時間も考えていたのだけれど、帰りも歩かなければいけない。足も多少くたびれてはいるのだが。

 いつまでも実家に居る訳でもない。まだまだ有給も含めた盆休みはあるが、返事は早い方が良い。

「仕方ないな……」

 さっさと復号して帰りも歩こう。外はまだまだ明るいが、きっと今から帰っても日が落ち始める時間になっている。

 それに、街灯もないあの裏道を暗くなってから通るのは流石に嫌だった。


3.


 日頃大した運動をしていないからか、あれだけで足が筋肉痛になった。そんな日も数日が過ぎて、筋肉痛が収まった頃。

 都会へと、夏休みを終えてアパートへと戻るのも明日になった。

 今日は小雨模様。直近の暑さが嘘のように涼しく、傘を持って暗号が解かれたのかどうかを確認しに行く事にした。

 傘を差して、ぱらぱらと響いて来る雨音を聞きながら歩く。都会と違って狭い歩道は、車道の水溜まりに気を付けていないと水を引っ掛けられる。

 小学生の頃引っ掛けられて泣きながら帰った事もあったっけな。

 こんな小雨では水溜まりもまだまだ無いが、今となっては懐かしい。


 暗号の答えからして、自分が何者かであるかは、最初の暗号を解いた時点である程度察しを付けられていたようだった。

 あの木の洞を発見して使っていた小学生時代の同級生達が、暗号を置いていた今の小学生と関わりがある。

「とは言えなー……」

 その事実が分かったところで、大して気乗りがする訳でも無かった。

 あの暗号の答えとして、小学校を卒業した西暦を返したにせよ。

 大学時代に里帰りをして、社会人になってから里帰りをして、地元に残った同級生と再会するその度に段々と感じて来るようになった乖離は、余り心地いいものではない。

 空き地から裏道へと歩く。木が鬱蒼と茂るこの裏道に入れば、小雨程度は身に当たらなくなる。時々纏まった大粒が体に落ちて来るのを除けば。

 湿った草を掻き分ける。人が来る事が多かったからか、踏み慣らされた部分が最初来た時よりも遥かに多くなっている。

 木の洞を覗いてみれば中にはもう、すぐに目に付く場所に紙とペンが。


―――――

シ十日十月馬又虫タ又示

馬尺ソ一月リノ侍

ウロノロ山大可サ戌

―――――


「…………?」

 見当が付かない。カタカナと漢字が混じった良く分からない暗号。

 置換式でも、転置式でもない。

「うーん……?」

 ただ、別に絵も描かれていないという事は、これだけで解けるという事だ。

「ウロノロヤマタイカサイヌ?

 ウシウマ、ロジュウシャク? ノヒソ?」

 別に読んでみても縦に読んでも何か鍵になるような事が出て来そうな気配は無い。

 こういうのはきっと、何かに気付いたら一瞬で解けるヤツだ。要するにヒラメキとやらを必要とする、暗号というよりはクイズに近いもの。

 苦手なんだよなあ、こういうの。高校までは実家でクイズ番組とか良く見ていたりしたけれど、結局こういうのはドツボに嵌るともうお終い。先入観とも気付いていない、自らで築いてしまった前提が邪魔をして、幾ら時間を掛けても解けなくなる。

 馬、戌とあるけれど、別に十二支でも無いだろう。他の十二支も無いし、それに馬も別の漢字だったはずだし。

 後、そもそも……この暗号文、前の二つと明らかに筆跡が違うんだよな。もしかすると、自分の同級生が書いたものかもしれん。

 だとすると、その中で誰が書いたものかも分かったりするか?

 そういう所から攻めるのは邪道と言ってしまえば邪道だろうが。

「ナカタ……サトウ……シラユキ、ミヤザキ……タカネ……えーっと、女子も少しは居たよな、イワタ、シオタニ、クロサキ……えーっとその位かぁ?」

 それで全員かは分からないが。

 まあ、合計七、八人。当てはめていくにはそんなに時間も掛からない……?

「……あ、あ?」

 いや、こいつじゃない。でも、解き方はこれだ。

「…………」

 本当に分かってしまえばすぐだが、返信に困る文章が出て来た。確かに同級生だったし、相手も自分が同級生である事を確信している。

 少し悩んで、ふとフェイスブックを開いて本名で検索してみた。ヒットして眺めてみれば直近も投稿していて、そしてパリピだった。

 自分は陰キャである。


"明日には帰ってる"


「……帰るか」

 うん。帰ろう。

 そう思って戻ろうとすると、子供が目の前からやって来た。まだあどけない、けれど世界の広さも少しずつ知り始めている小学生高学年くらいの。

 茂みから出て来た自分に、立ち止まって聞いて来た。

「あ、あの……」

 一歩間違えたら、いや、そうじゃなくても不審者みたいなもんだよな。

 そんな事を思いながら、言い淀んでいるその子に聞いた。

「……暗号を書いてたの、君?」

「うん。おじさんが解いてたの? 塾の先生と同級生?」

 お、おじさん……。

 ……初めておじさん呼ばわりされた。まだ二十代なのに。

 自分でも驚く程に愕然としながらも、何となく顎を触ればこの盆休み中にだらだらと過ごし過ぎて伸びっぱなしの髭に触れた。

 そうだ、これに違いない。これに違いない、はずだ。

「……そうだよ」

「おじさん、今回の暗号も解けた?」

「まあね」

「ほんと!? えっと、ヒントくれない? ボク分からなかったんだ」

 何で解けなかったのか考えてみれば、思考が凝り固まってしまったのもあるだろうが、まだ知識量が少ないのもあるだろう。

 うーん……簡単に解けてしまう明確なヒントは幾つか思い浮かんでも、道筋になってくれるようなヒントは中々に難しい。

 ……そうだ。

「チラシとか張り紙とか色々見ると、もしかしたら分かるかもね」

「えー……」

 そんな要領を得ないヒントにあらかさまに不満そうな顔をする。

「答えより悩んだ時間の方が大切だよ。特に今の時期にとっては」

「教育ママみたいな事言っちゃって」

「勉強、大事だからね」

「どの位?」

 うーん。

「ゲームと同じ位かな」

「そんなに?」

「だって、ゲームの面白さも勉強しないと作れないもの」

「へー……」

 多少は納得してくれたみたいだ。

「じゃあ、おじさんは行くね。塾の先生にもよろしく」

「あ、おじさん、名前は?」

 自分の名前を教えると、最後に聞いてきた。

「また来る?」

「いや、もう明日には帰るんだ。おじさん、都会の方で仕事してるからね」

「また、会える?」

「さー、どうだか」

 はぐらかす自分にあんまりいい顔はされないが、思い出したようにまた口を開いた。

「あ、ペコロス、美味しかったよ。玉ねぎって、あそこまで甘くなるんだね」

「へぇ、それは良かった」

「また暗号作って置いておくから、帰って来たら覗きに来てね?」

「……まあ、気が向いたらね」

「待ってるからねー!」

 裏道から出れば、雨は本格的に降り出していた。

「……早めに解けて良かったな」

 傘からはぼつ、ばつ、と強い雨音が響いて来ていた。


*


 後日、どこからか嗅ぎ付けて来たのか、同級生にも碌に教えていないLINEに、そいつから唐突に友達申請が届いた。

 渋々許可してみれば、早速言葉が雨あられのように降り注いでくる。

 なし崩しに次帰って来た時に会う約束とされ、自分の事を根掘り葉掘り聞かれ。

「……解かなきゃ良かったかな……」

 実家に比べれば狭いアパートでそう独りごちても、精々出来る事と言えばスマホをベッドの上に放ってゲームを起動する程度だった。

小さい頃に『パスワードはひ・み・つ』とか読んでた時期があって、それで暗号とかに嵌ってたのを思い出しながら、というのと、地元の人達とはもう話が噛み合わない事が多いんだよなあっていうのを思いながら書いた。

そういう点で、暗号は簡単なものばっかりですね。

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