入学前の一騒ぎ その1
一年ぶりの投稿です。よろしくお願いします。
お腹に響くような重い音を立てて鉄扉が閉められた。すぐに鍵をかける音が続く。
「・・・・・・どうしてこうなっちゃったんだろ」
思わずため息が漏れた。
いや、原因はわかっている。この国の王子を襲った(ように見えることをした)のだ。留置所に入れられて当然だろう。
備え付けの椅子に腰を下ろして天井を見上げる。そして、ため息をもう一つ。
「入学前に買い物とか用事済ませるだけのはずだったのになあ」
私はヴェセンテル王国の辺境の領地をもつアリウス男爵家の娘、リリア・ディ・アリウス。
私が住むヴェセンテル王国は何代か前の王様の意向により、教育熱心だ。
王族、貴族の子弟はある年齢になると原則として王立ヴェセント学園に通わなければいけなくなる。貴族でなくても、試験を受けて優秀な成績を出せば入学できる。貴族や市民の優秀な指定を態々学園に集めて教育するってのは、王家への忠誠心を植え付けようという意図もあるのだろうけど。
辺境の村にも寺子屋というか子供に読み書きを教える施設が作られ、王都ともなれば裕福な市民の子弟向けの王立学園受験のための予備校まであると聞く。どちらも国から補助金が出ているはずだ。
20年近く前の”事件”によって各地を治める領主が激減し、未だに充分な統治ができていない土地があることも影響しているのだろう。優秀な官吏・代官、そして領主の養成は急務なのだ。
そして、私も16歳になったので学園に入学することになり、辺境の地から王都までやってきたのだ。辺境の田舎貴族の娘からすると「いい迷惑」という感じなのだが。
今日は明日の入学式前に用を済ませておこうと街に出かけたのだが、ある事件に巻き込まれたというか、関わってしまった。
「王子様がらみの事件、というか王位継承争いよね、たぶん。そんなの巻き込まれるなんて。退学……というか、入学取り消しかなあ。それはそれでいいけど。まあ、その前に不敬罪でギロチンとかありそうだなあ」
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今朝早く、私は学園の寮を出た。
冒険者ギルド王都支部への登録やら、細々とした買い物をするためだ。
冒険者というのは、簡単に言えば何でも屋だ。薬の原料となる草や動物を獲ってきたり、遺跡に潜って古代のお宝を取ってきたり。行商の護衛もするし、魔獣と呼ばれるモンスターの退治もする。魔獣退治は本来、国や領主の仕事なのだが。
で、冒険者ギルドというのは、そういった冒険者に仕事を紹介したり、動向の管理をしたりする組織だ。
私はアリウス男爵領のギルドですでに登録しているのだが、王都にある学園に入学したため、こちらでも登録というか挨拶をする必要があったのだった。
冒険者ギルドでの登録は簡単に済んだ。学園生でも冒険者ギルドに登録して小遣い稼ぎをする人はそれなりにいるらしく、特別珍しがられたりはしなかった。
後はちょっとした買い物をして学生寮に帰るだけ。寮で生活するのに必要なものは一通りそろえて来たつもりだったが、実際に暮らし始めてみると買っておきたいものが出てきたのだ。
3年間も学園に通わなければならないのは億劫だったが、こうなった以上は仕方ない。せっかくだから、友人を作ったりこちらでしかできないことをしてみよう。そんなことを考えながら、ぶらぶら歩いている時だった。
私のすぐ脇を凄い勢いで馬車が走り過ぎた。荷台に幌をかけてベンチを置いただけの乗り合い馬車だ。そんな馬車が暴走すればどうなるか。
荷台から貴族の従僕と思しき少年が悲鳴を上げて目の前で転げ落ちてくるのが見えた。
私はとっさにその少年に怪我をしないように【衝撃吸収】の魔法をかけると馬車を追いかけた。御者が特に慌てる風もなく馬を操っているのが見えたからだ。そして、乗り合い馬車の向こう先には一台の箱馬車。
このままではぶつかる、というよりはぶつけるつもりで走っている。
止める方法もないし間に合わないことも分かっていたが、何とかしなければという変な使命感で追いかける。
馬車がぶつかる寸前、御者が飛び降りるのが見えた。激突の瞬間、乗り合い馬車の荷台から2、3人転がり落ちた。私は彼らが地面に落ちる前にさっきと同じ【衝撃吸収】をかけた。複数人に同時にかけたので効果は薄いかもしれないが、大怪我はしないはずだ。
問題は相手の馬車の方。荷台に幌がかかっているだけのようなこっちの馬車よりも頑丈なはずの箱馬車がバラバラに壊れ、放り出された人がうめいているのが見えた。その数3人。
身なりのいい、自分と同年代の青年二人と御者だ。特に御者の状態がひどいようだ。生きてはいるようだがぐったりとしたまま動かない。
私は先ず青年の一人に近づいた。
そのとき、私は背後から殺気を感じ、とっさに横に跳んだ。さっきまで私がいたところを短剣を持った男が通り過ぎる。たたらを踏んで振り返ったのは乗り合い馬車の御者。いや、正確には御者の振りをしていた刺客か。
私にそんなのが差し向けられる理由はないから、狙われたのはたぶん箱馬車の青年の方。
再び腰だめに短剣を構えて刺客が突っ込んでくる。狙うなら、私じゃなくあっちに行けばいいのに、と思ったが仕方ない。私は男の腕と襟をつかむと素早く足を払って投げ飛ばした。
相手の突進の勢いも利用して男の後頭部を石畳に思いっきり叩きつける。ゴッという鈍い音がして、男は動かなくなった。叩きつける直前にほんの少しだけ力を抜いておいたから死んではいないはずだ。
「この男見張っておいてください」
刺客が手放した短剣を人のいない方に蹴り飛ばしてから、大きな怪我をしていない方の青年に声をかけ、もう一人の方に向かった。
こちらの青年はおそらく右肩を脱臼している。
「ちょっと痛いかもしれませんが、暴れないでくださいね」
「え?」
肩を押さえて呻いている青年の後ろから声をかけ、その腕と肩をつかんだ。有無を言わさず、外れた関節をはめ込む。ゴキッという鈍い感触がして肩がはまった。
「ウグッ!?」
これでよし。後は治癒魔法をかければ大丈夫だろう。
なんとなく顔に見覚えがあり、国の重要人物だった気もするが、時間をかけてはいられない。急いで処置しなくては命にかかわる人がいるのだ。
私は立ち上がると御者の方に歩きながら、右手を天に向けた。
「【癒しの雨】」
私の言葉に応えて、空から光の雨が降り注いだ。水と慈愛の女神が授けてくれる魔法の内、範囲治癒魔法の上位版【癒しの雨】だ。記憶では普通の【範囲治癒】しか使えなかったはずだが、何故か使える気がした。そして、本当に使えた。
まあいい。細かいことを考えるのは後回しだ。
これで、ほとんどの人の傷は癒えたはずだ。後は御者の人一人だ。
御者は肋骨が何本か折れ、内臓も傷ついているようだった。さっきの脱臼もそうだが、治癒魔法を使ってもこういうのを治すのは手間がかかる。
実は脱臼はそのまま治癒魔法をかけるより、外れた関節をはめてから魔法をかけた方が時間がかからないことを経験上知っている。骨折も骨の位置を整えてから魔法をかけた方がいいのだが、一刻を争う今はそんなことは言っていられない。とりあえず延命処置としての治癒魔法が必要な状況だ。
私は御者の腹部に手を当てると【治癒】に意識を集中した。
感覚的には30分だが、実際の時間はたぶん10分もかかっていなかっただろう。【治癒】で内臓も肋骨もある程度治ったのを感じ取って、私は治癒魔法をかけるのを止め、大きく息をついた。これで死ぬことはないはずだ。
これで良し、と一つ頷いて顔を上げると目の前に斧槍ハルバードが突きつけられてた。いや、正面からだけでなく、四方から矛先を向けられている気配がする。もう少し顔を上げると衛兵の引きつった顔が見えた。この事件の犯人が私だと勘違いしたか。それとも町中で魔法を使ったのが拙かったか。
ちらっと御曹司の方を見れば、まだ肩を押さえたまま膝を突いていた。連れの青年は御曹司の体を支えながら私をにらみつけている。
その近くで刺客が衛兵に取り押さえられているのも見えた。できれば御曹司からもう少し離しておいて欲しかったが、一安心ではある。そういえば、見張るよう青年たちに声をかけたのは私だった。
いや、今はそんなことを考えている場合じゃ無い。私はゆっくりと両手を挙げて逆らう意思がないことを示した。