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一歩も踏み出せない話

作者: カツオドリ

 おや、どうしたんだい、こんな時間に。


 おはなしが聞きたい?そうだな、じゃあ、寝物語には向かないかもしれないけれど、ちょっと昔話に付き合ってくれるかい。

 そうだね、あれは私がまだ高校生だった頃の話だ。


 私は高校には電車で通っていた。と言っても、別に遠い所に行っていたとかいう訳じゃない。単にそっちの方が速かったというだけだ。

 あの日もいつもと同じように電車に乗って学校へ向かっていた。ただ、前の晩に夜更かしをしたのがたたったのか、気が付くと私は知らない駅にいた。その日に限って運よく、いや、運悪くかな、席に座れてしまったのも良くなかったかもしれない。


 まあ、要するに降りるべき駅を寝過ごしてしまったんだ。

 外を見ても畑と盛り上がった里山が見えるくらいで、他に目に付くものはぽつぽつとある民家くらいの物だった。


 いや、あのときはほんとうに焦ったよ。あの頃の私には毎日学校へ行って授業を受けないとっていう変な義務感みたいなものがあったからね。時刻は九時過ぎくらいだったかな、少なくとも十時はこえていなかったと思うよ。何時間眠っていたか定かじゃないけど、今から戻っても大遅刻は免れない。そんな時間だった。


 私は大慌てでその電車から降りた。いやはや、建材に木が使われた無人駅何てのは今でも見たことがあるのはその一度だけだ。駅のホームからでも車両から見たものと同じ、夏の盛りの青々と茂った畑らしきものが見えた。


 さて、私はここで一つ決めなければいけないことがあった。折り返しの電車を探してすぐに学校へ戻るか、それとも今日はもうさぼってしまうか、だ。


 さっき変な義務感が云々と言った端からこんなことをいうのは余りに一貫性が無いと思うかな。非日常感に酔いしれでもしたのかもしれない。ただ、その時はそちらを選ぶことに全く疑問を感じなかった。

 そう、結局私はその日学校をさぼることにしたんだ。今思い返してもどうしてそちらを選んだのかわからない。ただ確かな事として、私はそちらを選び、そしてあの一日限りの旅を始めたんだ。



 そうと決めてからの行動は割と早かったと思う。あの駅には乗り越し精算機なんてものもなかったから、失礼とは知りつつ駅と外とを区切る柵を乗り越えて外に出させてもらった。


 そうして私は駅から出たのだけど、当たり前のようにロータリーなんてものもなくて、ぴしりと生え育った畑と、土手の盛られた線路沿いにのっぺりと伸びる道ぐらいしかなかった。


 とても天気のいい晴れた日だった。私は、今日のこの日を私の冒険にしてやろうと意気込んではいたけれど、別にどこか目的地があるわけでもなかったので、線路沿いの道をたどっていくことにしたんだ。他に道はなかったし、来たばかりで畑に押し入るようなぶしつけさはさすがに持っていなかったからね。


 そうして線路に沿ってしばらく歩いていたわけだけれど、その間に何か私が面白いと感じるようなものは特になかった。横に線路、反対側には青く育った畑。新しく交差するような道もなく、たまに畑と畑を区切るように足の幅ぐらいの畔が道から伸びているだけだった。


 私は、段々とこの冒険に少しずつ飽き始めていた。今からすれば本当に贅沢な話だけれど、ほんの数十分前に感じていた高揚心なんて忘れ去って、その時の私が持っていたのは徒歩の疲れとこの選択への後悔だけだった。ついさっきまで輝いて見えた空も畑も今や私にとっては何の感慨もわかないものになっていた。平たく言うと、慣れてしまったんだ。この異常に。


 そんな気持ちを抱えながらさらに畔を数本後ろに見送ったが、いよいよ私の疲労も限界を迎えた。いや、まだ歩けはしたんだろう。ただ、変わらない景色に心の方が先に音を上げてしまった。私は仕方ないと首を振って、いつもの日常の方へ折り返そうとした。


 そんな時だ、あの少女に出会ったのは。


 もとの道へ戻ろうとした私の背に、風が一陣吹きつけた。振り返ってみると、初めからずっとそこにいたかのように堂々と彼女は立っていた。


 腰まで伸びた艶やかな黒い髪、浅く焼けた肌に好奇心に満ちた瞳。今生彼女のような美しい人間に会ったことはない。背の丈は私の胸ぐらいだったろうか。暑さを吹き飛ばすような風が彼女の髪をふわりと広げる。

 正直に言おう。見惚れていた。

 だから、めんどくさそうに髪を払う彼女に、ろくすっぽ働かない頭で何とか会話を始めようとして、


「君は、どこから来たんだい?」

 などと聞いた。


「あっち!」


 彼女は快活に畑の方を指さした。


「それよりあなたは?あなたはどこから来たの?ここら辺じゃ見たことない顔だけど外から来たの?」


「あ、ああ、私は電車に乗っていたら乗り過ごしてしまってね、ここから結構いったところに駅があるだろう。そこで降りてきたんだ。」


「けっこう?そんな遠いところに駅なんてあったかな?」


「いや、数十分歩くと着くんだが、行ったことがないかい。」


「なんだ、すぐ近くのところじゃない。え、でも、あそこ?ふーん、で、乗り過ごしてきたの?そっかそっか、じゃあわたしがここらへん案内してあげる」


 この申し出は私にとって福音以外の何者でもなかった。彼女のような女性と今日一日を過ごせるならばそれはなんと素晴らしい事だろう。だが、そういうわけにはいかない。


「いや、君には学校があるんじゃないのかい?それに会ったばかりの人にそんなことをさせるのは少し心苦しい。」


 そう、私に学校があるということは私よりも年下らしき彼女にも通わねばならない学校があるということ。それに何より彼女の申し出は唐突すぎた。彼女はなにか納得しているようだが私は何一つ得心していないのだ。


「いいからいいから。それに私は学校には行かなくていいから。それに、そんなことを言い出したら、じゃあ、お兄さんはどうなんですかってことになるよ。いいの?」


 しかし、そう言われてしまってはなんとも言えない。たしかに私もサボりを敢行している身分であるし、何より、私にこの話を断る理由は実の所無いのだ。


「じゃあ、お願いしようかな。君のお勧めの場所を見せてくれ。」


「いいよ、見せたげる。ついてきて!ほら、こっちこっち」


 こうして私は運良く旅先の道案内に出くわしたわけだ。



 その後すぐに、彼女がどうやって現れたのかが分かった。と言っても、なんてことはない。彼女はするりと畑の隙間に潜り込み、畔の上から私に手招きをした。なるほど、道が一本しかないと思っていたのは私だけだったという事だ。


 彼女は畔の上を縫うように進み、私は度々足を踏み外しかけ、そのたび、彼女の足を止めた。彼女は何やら鼻歌を歌っていたようだったが私には何の歌かは分からなかった。何回目か私が足を踏み外しかけたとき、ふと彼女が足元にかがんだ。


 そして何かを捕まえたようで喜んで私の方へ持ってきた。


「みてみて!」


「おぉ、なんだい?」


「クモ!」


 彼女の手の平に乗っていたのはいきなり捕まえられて驚いているような小さなクモだった。私は、元々虫と言うのがあまり得意な方ではなかった。彼女の持ってきたクモを教室で見つけたならば、おそらく逃げ惑う側に入っていただろう。ただ、彼女が持ってきたあの場で、そのクモに対して恐ろしいという気持ちは不思議と湧かなかった。


「よくこんな小さなクモを見つけられたね。」


 そう言って彼女をほめると


「え~こんなの簡単だよ?」


 そう言いつつも嬉しそうに笑う彼女が印象的だった。


「ところで今はどこに向かっているんだい?」


「ひみつ!」


 クモを逃がしながら彼女はそう答えた。



 その後、私は彼女にこの辺りの名所を案内してもらった。

 寂びれたバス停、道端に捨てられたタイヤ、苔むしたお地蔵様。どれも大したものではなかったが、彼女にとっては間違いなく名所であったし、それにまつわる彼女の話を聞くだけで何とも楽しい思いをすることができた。


 そうして、昼も過ぎて彼女がある里山へと入っていく頃には日も傾き始めていた。

 その頃には、いくら察しの悪い私でも彼女発のミステリーツアーがそろそろ終点に着こうという事は悟っていた。


 今日は彼女と共にいろいろな所を巡って歩き通しだった。

 ただ、不思議と彼女といると空腹をあまり感じなかった。

 この日のうちに彼女の隣は私にとってひどく居心地のいい場所になっていたのだろう。

 だから、木の枝を振りながら進む彼女に、何か話の起点になればと気になっていたことを気安く聞くこともできた。


「なぁ、私と出会ったとき何やら納得していたようだったけれど、何を納得していたんだい。」


 彼女の手が止まった。

 その質問を聞いて振り返った彼女の顔は、私にはひどく寂しげに見えた。


「どうか、したのかな」


「ううん、お兄さんとはまた会えたらいいなって」


 どうかしていない訳がない表情だった。それに質問の答えにだってなっていない。だが、私にはそれ以上踏み込むことはできなかった。ほんの数時間の積み重ねでは、その一歩を踏み出すことは私には無理だった。


 再び歩き始めた彼女が話しかけてくる。


「ねーねー」


「なんだい。」


「お兄さんはさ、何で今日学校をお休みしたの?」


 その問いには、何か正解があったのだろうか。私には何もわからず、ただその時に思いついたままに話すしかなかった。


「飽きていたのかもね、当たり前に生きるのに」


「ふーん、そっか。」


 彼女が返した答えはひどく淡白だった。


「ついたよ!」


 彼女が快哉を叫ぶ。

 ふと顔を上げると彼女が光の中にいた。

 里山の頂上、そこだけ木々が割れ、遠くの方まで見渡せる。

 夕日に燃える里山のふくらみ達、畑の青も今だけは黄金色に染まっている。

 その光景の中にいる彼女はこちらを見て笑っている。

 その笑顔はひどくきれいで———




 

 そうして私は目を覚ました。ちょうど列車が私の学校の最寄に着いたところのようだった。一瞬そこがどこなのか分からなかった。そして理解するにつれてそれを拒みたくなった。


 愕然とした。血の気が引くようだった。背筋が凍るようだった。

 今まで見ていたものが、全て夢だったなんて、それこそ質の悪い悪夢ではないかと絶望した。今見ている物が夢であれと望んだ。


 はたと我に帰る。早く列車から降りなければ。乗り過ごしてしまう。


 私は急いで荷物をまとめると列車から降りようとして、


 扉の前で足を止めた。


 もしかしたら、このまま降りなければあの駅にたどり着けるのではないか?


 ふと、そんな考えが脳裏によぎる。

 このまま一歩を踏み出さなければ、彼女にまた会えるのではないか?

 それがどれほど甘い夢かは理解している。いや、いたつもりだ。

 だが、それでも、いや、きっと。

 きっと、このまま乗り続けていれば彼女の元に辿り着けるだろう。

 確信めいた思いを抱えたまま私は発車のベルを耳にする。

 そうして私は———





 それで、どうしたかって?

 私は列車を降りた。

 いや、違うな、言葉は正しく使うべきだ。


 私は列車に乗り続けられなかった。


 笑える話だろう、あれほど非日常に期待を寄せながら、いざそれが目の前に来たら恐れをなして逃げ出したのさ。


 寂しげな彼女ともそれっきり。

 きっとあれはただの夢なのだと、このまま乗り続けていたってどこぞの終点のバカでかいターミナルにたどり着くだけだと自分に言い聞かせながら、私はあの駅を乗り過ごさなかった。


 いやはや、まだ降りたと言いきれたらどれほど幸せな事か。

 私は今でも、路線図を見てあの先に彼女がいたような駅はないと知った今でも、あのまま乗り続けていれば彼女に出会えたと、そう確信している。


 さて、もういい時間だ。


 寝物語には少し長すぎたかな、そろそろ寝なさい。





 願わくば、貴方が選択を迫られた時に正しい選択ができますように。

 何より、選択ができますように。

 それでは、おやすみなさい。


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