罪人と断罪 4
彼は、シェルニティを抱き上げる。
傷は癒えているものの、恐ろしい目にあったのだ。
「きみは、ゆっくり休まなければね、シェリー」
点門を開き、森の家に帰る。
ソファに、シェルニティを横たえた。
傍に跪いて、額に口づけをする。
「帰ってきたのね。なんだか安心したら、私……」
「少し眠るといい。起きたら、苺のデザートを作ってあげよう」
「それは、楽しみだわ……」
シェルニティの目が、ゆっくりと閉じていた。
呼吸も、ゆるやかになっている。
「……あなたと……ずっと……一緒が……いいわ……」
「私も、きみとずっと一緒にいたいよ、シェリー」
軽い寝息が聞こえてきた。
彼は、シェルニティに口づけてから、立ち上がる。
彼女を見つめていた時とは、表情が、がらりと変わっていた。
開きっ放しだった点門を抜け、さっきの場所に戻る。
すぐに点門を閉じた。
レックスモアの屋敷の「地下だった」ところだ。
城塞を基にしていた屋敷は、すでにない。
辺り一面が、更地になっている。
彼が吹き飛ばし、砂礫に変えたからだ。
余波がどこまで及んでいるかに、興味はなかった。
彼は、両手を、ズボンのポケットに入れ、瓦礫の上を、ひょいひょいと歩く。
壁際に、クリフォードが倒れていた。
昏倒しているクリフォードに、あえて軽い治癒を施し、目を覚まさせる。
「きみには、何度も警告を与えた」
「こ、公爵……」
「私の忠告を無視するだけの覚悟はあったはずだ」
クリフォードは、周囲を見回し、震えだした。
屋敷が跡形もなくなっていることに気づいたのだ。
もちろん、誰が、それをやったかなど、容易にわかる。
今、クリフォードの目の前にいる人物以外にはいない。
「きみは、彼女を殴ったね、クリフォード」
殴っただけではなく、蹴ったりもしただろう。
そして、顔をナイフで切り刻んだ。
シェルニティの「見ないで」という小さな声を思い出す。
彼女は、体の痛みより、彼に「醜い」と思われることを恐れていた。
愛する男性に、己の無残な顔を見せるのを恥じたからだ。
元々、外見に引け目のあったシェルニティにとって、それが、どれほど心の痛みとなったことか。
それでも、シェルニティは、泣かずにいた。
「私の笛を壊したね、クリフォード」
彼の瞳は、深い闇の黒へと変わっている。
いっさいの感情を持たない、漆黒の闇だ。
シェルニティは、泣いていた。
出会ってから、初めてだ。
彼との繋がりが切れてしまうと、涙を、ぽろぽろと、こぼしていた。
周囲の人々から疎まれ、無視され続けても、彼女は己の境遇を受け入れている。
傷つくことも、泣くことも、誰を恨むこともなく。
その彼女が、初めて「悲しい」を知った。
そして、傷つき、泣いたのだ。
「赦しなど乞うな」
クリフォードの体が、ぶくぶくと膨れ上がっていく。
溺れてでもいるかのように、両手で、空を掻いていた。
その体が、ぐじゅっと破裂する。
同時に、べしょっと床に広がった。
シェルニティの頬にあった痣のように、グネグネとした姿になっている。
そのどす黒く広がった体の中に、青い目だけが残されていた。
瞼はなく、半分は肉に埋もれている。
平たく広がった体を、ぐにょぐにょさせ、身動きをとろうとしていた。
「老い先長い人生を、その姿で生きていくがいい」
言い捨ててから、彼は、視線を別の場所に向ける。
彼にとって、姿を隠している魔術師を見つけることなど、造作もない。
広域であればともかく、近距離であれば、その魔力を明確に感じられる。
どれほど優秀であろうが、彼の感知をかいくぐれはしないのだ。
むしろ、魔力感知できない者のほうが厄介なくらいだった。
「転移ができず、困っているのじゃないか?」
屋敷を吹き飛ばしながら、彼は、転移疎外もかけている。
誰も逃がすつもりはなく、けれど、シェルニティを最優先にするのが当然だったからだ。
彼は、右手をポケットから出し、ピンッと軽く指を弾く。
壁際から、ローブ姿の魔術師が転がり出てきた。
床に這いつくばっていたが、すぐに体を起こす。
それから、口元を緩ませた。
「ローエルハイドの目を、かいくぐれるとは思っていませんでしたよ」
「そうかい」
「ですが、あなたに、私は殺せません」
「殺すなどと言った覚えはないがね」
ローブの下で、魔術師が、にやにやと嗤う。
その理由を、彼は知っていたが、どうでもよかった。
「気づいておられるのではないですか?」
「きみの頭が悪いということには、気づいているとも」
「あれは、そう簡単に解除はできません。できたとしても、短時間では……」
「きみが、かけるべきは、アリスだったのだがねえ」
魔術師の、にやにや嗤いが消える。
彼は、心底、どうでもいいと思いながら、説明をした。
「彼女の傍にいた馬だよ、馬。彼女は、あの放蕩馬を、いたく気に入っていてさ。さすがに、あれが死ぬのは困る。私は、彼女を悲しませたくはないのでね」
「彼女自身が死ぬのは、どうなのです?」
「彼女は、死にやしないさ」
シェルニティには、梱魄という魔術がかけられている。
抱き起こした時に気づいた。
特定の相手と魂を繋ぎ、自分が死ぬと相手も死ぬようにできる魔術だ。
つまり、普通なら、この魔術師が死ねば、シェルニティも死ぬ。
「絶対防御という、私の得意な魔術がある。領域にもかけられるが」
彼は、ひょこんと眉をあげてみせた。
魔術師の顔が蒼褪めていく。
絶対防御は、領域だけでなく「個」にかけることもできるのだ。
かけられた者は、どんな魔術や物理的な攻撃からも守られる。
家に帰る前、彼は、すでに、その魔術を、シェルニティにかけていた。
「前にも、その手を使った魔術師がいたらしいが、彼は、頭が良かった。大事な者ではなく、大事な者が大事にしている相手にかけたそうだからね」
アリスにかけられていたら、彼も、少しばかり困ったことになっていただろう。
魔術師を殺せばアリスが死に、アリスが死ねば、彼女が悲しむ。
魔術は、万能ではない。
命がわずかにでも残されていれば治癒できるが、死人を生き返らせることはできないのだ。
とはいえ、そもそも、彼には、魔術師を殺してやるような親切心の持ち合わせはなかったのだけれど、それはともかく。
「………いっ………な、なにを……」
「きみは死にたがるだろうが、期待には沿えない」
「い……ぎ……っ……」
魔術師が呻きながら、膝を折った。
そこで、さらに悲鳴をあげる。
体を丸め、床に転がる魔術師の姿を、彼は、冷ややかに見下ろしていた。
「彼女は、とても痛い思いをした。きみは“痛み”が、どういうものかを、知っておくべきだ」
ローブがはだけ、フードも外れている。
若い美麗な男のようだが、今は涙や鼻水、涎で、見る影もない。
「まだ、ほんの5倍程度だ。これから、きみの痛覚は、少しずつ精度をあげていくことになる。自死にも、勇気がいるだろうねえ。だが、安心したまえ。自然治癒を施しておいたから、きみは死なないよ。おそらく、そう、5百年くらいは」
今時点でも、わずかな衣擦れですら、激痛を伴うはずだ。
なにかにふれているだけでも、耐え難い苦痛に違いない。
「そこの、ドロドロと一緒に、仲良く人生を楽しめ」
クリフォードであった「物体」を一瞥し、彼は、体を返す。
もう2人のことなど、どうでもよかった。
点門を改めて開き、彼は、家に帰る。
すぐに、シェルニティの元に駆け寄り、手を握った。
「ただいま、私の愛しいシェリー」
手のぬくもりに安心する。
まだ眠っている彼女の頬に、彼は、そっと口づけた。