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罪人と断罪 2

 視界に、真っ暗な空があった。

 なぜかはともかく、それが「空」だと、わかる。

 わずかな風が、シェルニティの髪を揺らしていた。

 なにかが、サラサラと流れていく。

 

「な、なにが……」

 

 シェルニティを殴っていた、クリフォードの手が止まる。

 立ち上がっているようだった。

 半分ほどしか開かない目に、クリフォードの膝あたりが映っている。

 それが、急に消えた。

 

 バンッ!

 

 大きな音が聞こえる。

 ガシャンという、物が壊れるような音もした。

 クリフォードの声が、聞こえなくなる。

 代わりに違う声が聞こえた。

 

「シェリー!」

 

 抱き起こされるのを感じる。

 薄く開いた目に、今度は、彼の姿が映った。

 動かない体をなんとか動かし、顔を背ける。

 体のあちこちが痛んでいたが、どうでもよかった。

 

「見ないで……私……」

 

 きっと酷い顔になっている。

 以前と同じか、もっと酷い有り様だろう。

 そんな姿を、彼に見られたくなかった。

 

「きみの美しさは外見ではない。だが、傷を、そのままにしておく気もない」

 

 ふわっと、暖かい光につつまれる。

 夜会の時と似ていた。

 濃い緑の光が、シェルニティを(おお)っているのだ。

 痛みが、すぐに引いていく。

 

「ああ、シェリー」

 

 ぎゅっと、抱き締められた。

 少しずつ感覚が戻ってくる。

 

 彼の腕、彼の胸。

 

 ぬくもりに、シェルニティは、そっと手を伸ばした。

 彼の体を抱きしめ返す。

 審議のあと、リリアンナが来たために、できなかったことだ。

 ダンスで、体を寄せあうのとは違う。

 

「きみが、泡になって消えてしまったのじゃないかと……」

 

 彼の体が小さく震えていた。

 ぴったりとくっついて、彼の胸に頬を押しつける。

 よほど心配をさせてしまったようだ。

 はっきりと伝わってくる鼓動が、ひどくせわしない。

 

「きみを、このような目に合わせてしまって、すまない」

 

 シェルニティは、ほんの少し、驚いていた。

 彼は、謝罪を示すことはあれど、明確に、それを言葉にはせずにいたからだ。

 シェルニティにとっては、意思を示してくれるだけで十分だったので、気にしていなかったけれども。

 

「あなたが謝ることではないでしょう?」

 

 自分が、彼の留守中に出て行こうとしたせいで、こうなっている。

 顔を見ると、彼に(すが)ってしまいそうな気がした。

 けれど、彼は「ずっと」はないと、最初からシェルニティに伝えている。

 そして、あとの生活の心配までしてくれていた。

 

 彼との「ずっと」を願い、拒絶されるのを恐れたのは、シェルニティの都合だ。

 けして、彼のせいではない。

 彼が、常に公平で、誠実であったと知っている。

 

「いいや、私は愚かだった。とても愚かだったのだよ」

 

 苦しげに言う、彼の腕の力が強くなった。

 まだ彼の鼓動は、ひどく速い。

 

「そのせいで、きみを傷つけてしまった」

 

 傷つけたのは、クリフォードだ。

 それで思い出す。

 とたん、喉が、小さく上下した。

 ひくっひくっと、しゃくりあげ出す。

 頬にも、涙が伝い落ちていた。

 

「シェリー、シェリー、泣かないでくれ」

 

 少し体を離した彼が、シェルニティの両頬を手でつつんでくる。

 視界は涙で、うすぼやけていた。

 それでも、彼が、ひどく心配そうな表情を浮かべているのは、わかる。

 

「きみを泣かせたのは、どこのどいつだい? 私が、懲らしめてあげるよ。もし、それが私なら、どのような罰でも受ける。だから、どうか、お願いだ、泣かないでおくれ、シェリー」

 

 言葉に、胸が、きゅっとなった。

 自分はまだ、彼の「お気に入り」ではあるのだろう。

 けれど、彼との「ずっと」はない。

 シェルニティは、そう思っていた。

 

「ち、違う、の……ふ、笛が……」

 

 近くの床に投げ出されていた笛に、視線を向ける。

 ひしゃげてしまっているのが見えて、なおさらに、涙がこぼれた。

 悲しくてしかたがない。

 彼が手を伸ばすと、引き寄せられた笛が、彼の手の中におさまった。

 

「こ、これでは……あなたを、呼べ、呼べ、ないわ……」

 

 たったひとつの、彼との繋がり。

 

 シェルニティにとっては、心の支えとも成り得る品だったのだ。

 その笛を、彼が、きゅっと握り締めた。

 

「きみが、これを気に入っているのなら、何度でも直すよ」

 

 開かれた手には、元通りになった笛が乗せられている。

 差し出されたそれを、シェルニティは受け取って、胸にいだいた。

 

「ただ、その笛がなくとも、私は、いつでも、きみの(そば)に飛んで来る」

 

 彼が、シェルニティの頭を、ゆっくりと撫でる。

 それから、額に口づけをした。

 

「少し、言いかたを間違えてしまったな」

 

 にっこりされて、シェルニティは、目をしばたたかせる。

 その瞳から、涙が転がり落ちた。

 

「笛があろうとなかろうと、私は、いつでも、ずっと、きみの傍にいる」

「そうなの?」

「そうとも」

 

 彼は、嘘はつかない。

 できない約束もしない。

 

「前に、きみは、“ずっと”には、愛が関係していると言ったね」

「そうよ。ずっと一緒にいるには、愛が必要なのじゃないかと言ったわ」

「きみの言う通りだ」

「とても悩ましい命題ね」

「そうでもないさ」

 

 きょとんとしているシェルニティの唇に、彼の唇が重なる。

 とても優しくて、やはり、とても暖かかった。

 彼のくれるものは、いつだって暖かいのだ。

 

「きみの傍にいさせてくれるかい? 私の愛しいシェリー」

「そこに、愛があるのなら、いいわ」

 

 また、軽く口づけられる。

 それから、彼は、シェルニティに、告げた。

 

「きみだけを愛しているよ。私の、たった1人の愛する女性、シェルニティ・ブレインバーグ」


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