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 シェルニティは、ずっと眠れずにいた。

 が、意を決して、荷造りをしている。

 今夜のうちに、この家から去ると決めたのだ。

 

(とりあえず、ブレインバーグの屋敷に戻ってからね。先のことを考えるのは)

 

 もとより、1度は実家に帰らなければならないと思っていた。

 この家以外に、シェルニティには行く「アテ」がない。

 実家に帰り、人のいない領地で暮らす許しを得る。

 どういうふうに生活していくかは、実家を出てから考えることにした。

 

(確か、飛び領地として辺境地に近い場所があったはず。管理小屋が壊れていないといいのだけれど)

 

 ブレインバーグの領地のほとんどは、王都に近い場所にある。

 ただ、なんらかの理由で元の領主が管理できなくなった土地を、建前上、任されていた。

 そういう土地は王都から離れており、ひと続きとなっていないため「飛び領地」と呼ばれる。

 

 屋敷のある「飛び領地」もあるが、ブレインバーグの持つ土地にはなかった。

 地図の上では、管理小屋しか記載されていなかったのを覚えている。

 住んでいる者はおらず、放置されているので、壊れている可能性がある。

 レックスモアの見張り小屋も放置され続け、屋根が崩れ落ちていた。

 

「その場合は、お父さまに、お願いして直していただくしかないわね」

 

 いくら両親の態度が改められたとはいえ、シェルニティには、親を頼る、という経験がない。

 甘えかたも知らないので、ともかく「丁寧にお願いしよう」と考えていた。

 両親からの「帰っておいで」との言葉は、頭から抜け落ちている。

 まるきり実感がなかったからだ。

 

 荷造りをすませ、部屋の扉を開く。

 荷物と言っても、たいしたものはなかった。

 民服のスカートについているポケットに、そっと手を当てる。

 そこには、彼にもらった銀色の笛を入れてあった。

 

 書き物机の上には、一応、書置きを残している。

 彼がくれた民服を持って出ているので、あとから代金を支払うというようなことと、今までのお礼をしたためておいた。

 

 階段を降りつつ、夜会の日のように、彼に見つかった時にどうするかを考える。

 さりとて、ブレインバーグの屋敷に帰ると言っても、彼は引き()めないだろうと思ってもいた。

 

(だって、彼は、私を王太子殿下にあずけたがっていたもの)

 

 庭の散策の前、アーヴィングに任せ、彼は、さっさと席を立っている。

 キットに案内されながら、2人で庭を見て回った。

 素晴らしい庭だったし、王太子との会話も楽しんでいる。

 王太子は礼儀正しく、優しかった。

 

 時折、キサティーロに花のことを訊ねたりしつつも、シェルニティの言葉に耳を傾けてくれている。

 今までの暮らしについて訊かれはしたが、とてもさりげなくて、いかにも好奇心からくる詮索といった雰囲気ではなかった。

 

 おかげで、テラスを離れる前にはあった緊張もほどけていたのだ。

 王太子とも自然に話せるようになっていた。

 そして、帰る間際、王太子に言われている。

 

 『今後、公爵の元を離れるつもりがあるのなら、僕のところに、来てはくれないだろうか。もちろん、きみを囲う、という意味ではないよ? きみに、僕を知ってもらいたいと思ってね』

 

 その言葉に対して、シェルニティは、はっきりと首を横に振った。

 彼の元を離れるつもりはある。

 けれど、1人で暮らそうと思っていると、そう答えたのだ。

 

 正直、彼女自身、とても不可思議な気分になった。

 今まで、言われたら言われたようにするのが「あたり前」だったからだ。

 従うのが当然で、断るなんてしたことがない。

 なのに、王太子の言葉に、うなずくことができなかった。

 

「彼、いないみたい」

 

 シェルニティは小さくつぶやいてから、家を出る。

 外には、あの日と同じ、アリスがいた。

 ホッとして、アリスに駆け寄る。

 

「アリス、この前と同じ、お願いをするわね」

 

 アリスが、じっとシェルニティを見つめていた。

 それから、脚を曲げ、その場に体を伏せる。

 

「まあ! あなた、すごく賢いわ。私の気持ちをわかってくれているみたい」

 

 アリスが立ったままだと、シェルニティは、アリスに乗ることはできない。

 が、伏せた状態のアリスの背は、低い位置にある。

 荷物を手に、アリスにまたがってみた。

 

「初めて、1人で、あなたに乗れたわ」

 

 『それでも、さらに、もう1つ、と考えるくらい、私は欲張りなのさ』

 

 ずきりと胸が痛む。

 この先、自分の「初めて」を、彼は、もう受け取ってはくれないのだ。

 なにしろ、彼は、王太子とシェルニティの仲立ちをしたのだから。

 

(いずれ、が来てしまったということよ。わかっていたわ。“ずっと”はないって)

 

 シェルニティは、アリスのたてがみを撫でた。

 彼が現れる様子はない。

 

「いい子ね、アリス。少し遠いのだけれど、私、ブレインバーグの屋敷に帰ろうと思っているの。連れて行ってくれる?」

 

 ぐんっと、視界が高くなる。

 アリスが立ち上がったのだ。

 首をそらせ、シェルニティを振り返ってくる。

 なぜか「本当にいいのか」と、問われている気がした。

 

「いいの。ここには……もう、いられないみたいだから……」

 

 アリスの首に、ぎゅっと抱き着く。

 ひどく胸が苦しかったのだ。

 そのシェルニティの頬を、アリスが、ぺろんと舐めた。

 感触に、少しだけ笑う。

 

「大好きよ、アリス。私、あなたには、気に入ってもらえているのね」

 

 アリスは彼の次だ、と、彼は言ったけれど。

 

(そうだったら良かったわ……でも、違うのでしょう?)

 

 もし、そうであれば、自分を手放そうなどとはしなかったはずだ。

 シェルニティは体を起こし、手綱を握った。

 なにもしなくても、アリスが歩き出す。

 シェルニティに方向はわからないが、アリスはわかっているらしかった。

 

「頼もしいわ。私の、お気に入り」

 

 アリスの耳が、ぴくぴくっと動く。

 夜道に、アリスの蹄の音だけが響いていた。

 森の小道を歩いて行く。

 

「星が、とても綺麗よ」

 

 見上げると、夏の夜空に、多くの小さな星が光っている。

 月も出ていたので、その光に隠されて見えない星もあるのだろう。

 森の中、しかも、夜なので、外気は涼しく、心地よかった。

 

「私ね。ここに来るまで、外が暑いってことも、よくわからずにいたの」

 

 シェルニティの住んでいた2つの屋敷には、おかかえ魔術師がいたからか、常に快適な室温が保たれていたのだ。

 シェルニティは、部屋から出たことがなかった。

 あの日、森に散策に行くまで、庭にすら出ていない。

 だから、知らなかったのだ。

 

「彼、また私の初めてを……手に入れて、いるわ……」

 

 とても気持ちのいい夜だというのに、初めて1人でアリスに乗れたというのに。

 なにかが足らないと感じて、胸が締めつけられる。

 

(きっと……これが、寂しいってことなのだわ……彼が、いないから……)


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