家族の食卓 1
キサティーロに案内され、食堂に向かう。
森の家とは違い、とても広い。
玄関ホールには上階に繋がる階段があり、その横を抜け、さらに進む。
途中にも、多くの扉があった。
ブレインバーグの屋敷より小さ目ではあるが、とても上品な造りをしている。
それに、なぜだか「優しい」雰囲気を感じた。
内装が丸みを帯びているからかもしれない。
普通は角張っているような部分の「角」も丸く削られている。
たとえば、扉や階段の縁とか。
(そういえば、さっきの階段も直線的ではなかったわね)
なめらかな曲線を描き、上階に繋がっていた。
角度も緩やかであった気がする。
室内全体に「人を気遣っている」という雰囲気があるのだ。
派手な装飾や歴代当主の肖像画はなく、代わりに色鮮やかな花が飾られている。
(こちらもこちらで、居心地が良さそうだわ)
ブレインバーグの屋敷は虚飾的であったし、レックスモアは城塞であったせいか寒々しかった。
比べると、ここは、暖かみを感じられる。
貴族の屋敷に、こうした違いがあるとは知らなかった。
「ねえ、キット。こちらの敷地は広いと思うのだけれど、お屋敷自体が、それほど大きくないのは、どうしてかしら?」
貴族教育を受ける中で、王都の造りも学んでいる。
貴族屋敷の立ち並ぶ一角で、ローエルハイドの敷地は、かなり広かったはずだ。
「ローエルハイド公爵家は、お屋敷より、お庭のほうが広いからです。敷地内に、勤め人の家もございますし、もとより、屋敷に住まわれているのは、公爵様だけにございます。であれば、広い屋敷は不要でございましょう」
キサティーロの淡々とした口調にも、シェルニティは気分を害したりはしない。
今までの屋敷の勤め人とは違い、拒絶感がないからだ。
たぶん、誰に対しても、こんなふうなのだろうと、容易に推測できる。
シェルニティだけではなく、彼と話していた時だって、今と変わらなかった。
「お屋敷の中に、勤め人の住まいはないのね」
「いえ、独り者は、屋敷の奥に、それぞれ部屋がございます。敷地内に建てられているのは、家族を持った者の家となります」
「それは、勤め人だけの家ということ?」
「ここは、長く勤める者が多くおります。婚姻しても、辞める者は、ほとんどおりませんので、通い易いようにと、家が与えられるのです」
勤め人に家を与える貴族なんて聞いたことがない。
高位の貴族になればなるほど、その下位貴族の者が勤め人となる。
公爵家であれば、伯爵家から雇い入れることすらめずらしくないのだ。
少なくとも、男爵家や子爵家から雇い入れる。
侯爵や伯爵家などは、平民の勤め人もいるが、それは財政的な問題に過ぎない。
「ここの勤め人に、貴族はいないの?」
貴族の勤め人は、婚姻すると、どちらかの実家に戻る。
男性の場合、そのまま務めることが多いものの、実家から通うのが通例だった。
シェルニティは、平民の勤め人については詳しくない。
ブレインバーグもレックスモアも平民の勤め人はいなかったし、貴族教育でも、その暮らしまでは教わっていなかったからだ。
「爵位を持つ者はおりますが、婚姻しても実家に戻る者はおりません」
「よほど、ここが、居心地がいいのね」
わかる気がして、シェルニティは、くすくすと笑う。
彼女にしても、森の家から離れがたくなっていた。
あの生活に慣れてしまうと、貴族の暮らしには戻れない。
というより、戻りたくなくなっている。
「あなたは、婚姻しているのでしょう、キット?」
「……はい」
「ご子息がいるのよね?」
「…………おります」
「奥様を愛しているのね」
「………………………………はい」
なぜかキサティーロの返答が、少しずつ遅くなっていた。
隣を歩いているキサティーロの耳の縁が、赤くなっているのにも気づかない。
シェルニティは、長く続いている婚姻には愛が関わっている、と思っている。
さりとて、彼女には「愛」のなんたるかが、わかっていなかった。
だから、なんのてらいもなく、その言葉を口にできるのだ。
が、そこで思い出す。
彼も、かつては婚姻をしていた。
妻を亡くしたことで、愛がわからなくなったらしいけれども。
「彼から聞いているわ。彼の奥様は、亡くなられたそうね。確かに、彼1人で住むには十分な広さだわ。山の家でも、十分なくらいですもの」
「婚姻中、お2人は別宅で暮らしておられ、こちらでは過ごされておりません」
「え? 奥様は?」
「別宅におられました。ここに顔を出されたことは、1度もございません」
意味がわからない。
シェルニティには、婚姻をすると相手の屋敷に移り住むものとの認識がある。
そのように教わっていた。
側室や愛妾ならば、別宅となるのも、わかる。
けれど、彼は「妻」と言った。
それは「正妻」を意味するのだ。
もしかすると、誰にも邪魔されず、2人きりで暮らしたかったのかもしれない。
彼は、料理も掃除も、1人で、なんでもできるので。
「もったいない気もするわね。ここは居心地が良さそうだし、たとえ、2人きりでいたかったとしても、時々は、帰ってくればよかったのに」
ぴたっと、キサティーロが足を止める。
つられて、シェルニティも足を止めた。
「シェルニティ様、旦那様は、お昼を先にと仰っておられましたが、おそらくまだ時間がかかると存じます。先に、テラスで、お茶になさってはいかがでしょう」
「そうするわ。テラスから、お庭は見える?」
「ご覧いただけます」
「それは素敵ね。山には、自然の花畑があるけれど、お庭とは違うでしょう?」
「そうですね。とくに、ローエルハイドの庭には、めずらしい花も多く咲いております。のちほど、旦那様に、ゆっくり、ご案内させましょう」
言葉に、シェルニティは笑う。
さっきもそうだったが、彼は、キサティーロに頭が上がらないようなのだ。
そして、キサティーロも、それを知っている。
長年のつきあい、とでもいうものがあるのだろう。
シェルニティには、わからないつきあいかただけれど、それはともかく。
黒髪、黒眼の者は、世界にたった1人だけ。
その1人が「人ならざる者」と呼ばれていると「史実教育」で学んでいた。
シェルニティは、審議で、クリフォードが吹き飛ばされたのを目にもしている。
とはいえ、恐ろしいとは感じていない。
実際の力の大きさを知らないからではなく、彼を知っているからだ。
彼は偏食家で、貴族に偏見を持ち、時に冷淡になる。
上級魔術師の中でも使える者が少ないはずの点門を簡単に開き、視線ひとつで、場を凍りつかせたりもする。
が、シェルニティは、それを重視していなかった。
彼は、大事なものと、そうでないものとを「区別」している。
そして、大事なものを守っている。
おそらく、それだけのことなのだ。
少なくとも、シェルニティにとっては「それだけのこと」のほうが重要だった。
(どんなに大きな力を持っていても、世界中の人を守るなんてできないもの。彼はできないことをできると言ったり、約束したりはしない)
守りたいものを、確実に守る。
放蕩をしていたという割に、彼は誠実なのだ。
その「大事なもの」の中に、今はまだ自分も含まれている。
それが、嬉しかった。
「あなたの前では、かの有名な“人ならざる者”も形無しね」
「私も、そう自負しておりましたが、考えを改めます」
「あら? なぜ?」
「シェルニティ様には敵わないと気づいたからです」
自分は、なにもしていない。
きょとんとするシェルニティに、キサティーロが改めたように頭を下げてくる。
「ローエルハイドに、ようこそおいでくださいました、シェルニティ様」