解かれた秘密に 3
クリフォードは、あまりの屈辱感に、身の震える思いがしていた。
実際に、震えているかどうかまで、頭が回っていない。
目の前で、王太子とシェルニティが踊っている。
周囲の目を気にした様子もなく、王太子は、にこやかに微笑んでいた。
相手がシェルニティでさえなければ「気があるのかもしれない」と勘繰っていたに違いない。
それほどに、王太子は「よそ見」をしていないのだ。
ちらりと、周りに視線を走らせることもなかった。
ひたすらに、シェルニティだけに視線を向けている。
そして、時折、楽しげに笑っていた。
(リリアンナを紹介できていれば、こんなことには……)
紹介しかけた時に、折悪く、2人がやってきた。
そのせいで、リリアンナを紹介できずじまいになっている。
すぐに2人はダンスを始めてしまい、周りは、それを見ているしかなかった。
ジョザイア・ローエルハイドと並んで踊ることなどできるわけがない。
仮に、並べる者がいるとすれば、王族である王太子くらいだ。
けれど、王太子も、彼らを見ているだけだった。
大勢の令嬢から、視線を向けられているのはわかっていただろうに、誰にも声をかけずにいたのだ。
もちろん、クリフォードは、2人がテーブル席に着くのを確認したあと、王太子を探した。
リリアンナを紹介し、王太子の最初のダンスパートナーにする予定だったのだ。
彼女は、このホール内の、どの令嬢よりも美しい。
王太子と踊ることで、より視線を集められる。
なにより、クリフォードは、そんな美しい妻を持った男として、羨望のまなざしを向けられるはずだった。
王太子とて、きちんとリリアンナを知れば、彼女の虜になっただろう。
王族からも羨ましがられる存在と成り得たのに。
(どこまでも、私の邪魔をする。忌々しい女だ)
けれど、ひとつだけ、クリフォードの思惑通りに運んでいることがある。
周囲の目だ。
いくらローエルハイドの隣にいようと、シェルニティは無視されている。
誰も、シェルニティについて、ふれようとはしない。
きっと夜会後には、噂が立つ。
ローエルハイド公爵は奇怪な嗜好の持ち主である、と。
もとより、ローエルハイド公爵家は異端だ。
ほかの貴族との関わりは、ほとんどないに等しい。
表に出てくることもないため、貴族の格好の餌食となる。
早晩、醜聞にまみれることだろう。
その結果として、ローエルハイド公爵家の名は貶められるのだ。
かつての「栄光」も、役には立たなくなる。
うまくいけば、王族との縁が切られる可能性もあった。
いかに王族であろうと、貴族からの突き上げを無視することはできない。
イノックエルは必死で食い止めようとするだろうけれども。
(ウィリュアートンの宰相は、ローエルハイドに興味がなさそうだった。兄のほうは王宮には関わっていない。ならば、ほかの貴族と足並みを揃えるだろう)
ほんの少しだけ気分が良くなる。
王太子は王族だ。
あの「可哀想な」女を、民として大事にしていると思わせたいのかもしれない。
とくに、アーヴィング王太子は、新参なのだ。
貴族に、いいところを見せ、認められたいと考えても不思議はない。
思えば、納得もできる。
クリフォードは、自分の勝手な想像を真実に置き換え、心の中で嗤った。
クリフォードの中では、シェルニティが気に入られるなど、有り得ないのだ。
ジョザイアはともかく。
(奴は、放蕩者だから、ものめずらしいものに飛びついたのだろうがな)
グラスを手に、ジョザイアは、踊っている2人を見ている。
令嬢らは声をかけたそうにしているが、本人は、視線を無視していた。
そのくらいは、クリフォードにも、わかる。
遊蕩を考えるのであれば、最も、魅力的だと思う相手からの視線には、きちんと応えるからだ。
「クリフ様、主催者として、ご挨拶に行かないわけにはいかないのでしょうね」
リリアンナが、憂鬱そうな口調でつぶやく。
以前、ジョザイアの家に行った際、不躾な視線を向けられたに違いない。
彼女の美しさに、放蕩な男が涎を垂らすのは、当然だ。
本当は、リリアンナを、ジョザイアには近づけたくなかった。
が、優越感が、クリフォードを刺激している。
「しかたがないさ。私が招いたのだからね」
ジョザイアを、嫉妬させたくなったのだ。
醜い女を隣に侍らせているしかないジョザイアは、美しい妻を腕にしている自分を、さぞ羨ましがるに違いない。
表面上は取り繕うとしても。
クリフォードはリリアンナを伴い、ジョザイアに歩み寄った。
2人も、彼と同じく、手にグラスを持っている。
「ご挨拶が遅れまして、申し訳ございません、公爵様」
ジョザイアが、彼らのほうへと体を向けた。
そして、クリフォードに、気のいい笑みを浮かべる。
「私のほうから挨拶に行くべきだったのだろうがね。つい2人のダンスに見惚れてしまっていたよ」
などと、見え透いたことを言う。
おそらく、自らの連れが、周囲に無視される存在だと、今さらに気づき、恥じているのだと、クリフォードは思った。
虚勢を張るから大恥をかくのだ、とも。
「お招きしたのは私なのですから、お気になさらず。ですが、よろしいのですか?」
「なにがだい?」
「彼女は、“あなたの”お気に入りでしょう? ほかの男性と踊らせて、心穏やかではないのでは?」
むしろ、王太子に救われている状況だと思いつつ、当てこすりを口にする。
ジョザイアが腹を立てたとしても、ここには大勢の貴族がいた。
なにか事を起こせば、無様を晒すことになる。
貴族の端くれであるなら、その程度はわかるだろう。
つまり、どれほどの魔術師かはともかく、ここで手は出せない、ということ。
「きみは、王宮にいる魔術師より、ずっと優れているようだ、クリフォード」
ジョザイアが、憂鬱そうな口ぶりで、そう言った。
それから、軽く肩をすくめる。
「実際、その通りでね。きみが覗き見たように、私の心は穏やかではないよ」
「公爵様も、ほかのご令嬢とのダンスを、お楽しみになれば気が晴れますわ」
「ええ、そうですとも。なんなら、私の……」
「ええと、きみは……誰だったかな?」
ジョザイアは、リリアンナを見て、首をかしげていた。
そのわざとらしさに、カッとなる。
リリアンナの顔からは、血の気が失せていた。
「いやはや、私は、私の“お気に入り”にしか、興味がないものでね。この小さな脳に、刻んでおこうとはしているのだが、顔も名も、すぐに忘れてしまうのだよ。とりわけ重要でないと判断した場合には。わかるだろう、きみ。放蕩者の悪い資質ってやつさ。興味の有る無しで、すっかり判断しちまうのだから、嫌になるねえ」
上着のポケットに入っている白手袋が、頭をかすめる。
それくらいに、クリフォードは激昂していたのだ。
リリアンナだけではなく、クリフォード自身のことも馬鹿にされている。
ジョザイアは、クリフォードが放蕩していたのを知っているのだ。
さっきの当てこすりなど比にならないほど、辛辣な皮肉だった。
「おや? 顔色が良くないな。ここは、人が多過ぎて空気が薄くなっているから、気をつけなくちゃあいけないよ。時折、テラスに出て、こざっぱりした空気を吸わないと、ぶっ倒れるはめになる」
「お気遣いをどうも、公爵」
「だが、せっかく招かれたのだから、私も、なにかしらの芸を披露しようと思っていたところなのでね。テラスに出るのは、それからにしてもらえるかい?」
言うと、ジョザイアは、グラスを近場のテーブルの上に置く。
そして、2人から離れて、ダンスホールの真ん中辺りへと歩いて行った。