夜会と視線 4
すうっと、なめらかに滑り出すような足さばき。
彼のリードは、とても心地良かった。
くるっくるっと数回、回ったあと、横に飛ぶようにステップを踏む。
そのステップを踏みつつ、横に体を流して行く。
膝を曲げ、足首より上のあたりで、軽く交差。
その足で、床を、コンコンと軽く蹴る。
床を駆けるように、速いステップ。
少しゆっくりな足さばき。
曲に乗って、シェルニティは、体を動かしている。
(パートナーがいると、ダンスも楽しいものなのね)
練習では、いつも、腕の位置やステップや教わるだけだった。
1人で踊り、指摘をされたら直す。
教えていたほうも、シェルニティが、誰ともダンスをすることはない、と考えていたようだ。
あえて、パートナーのいる練習はしてくれなかった。
「うまいじゃないか。通り一遍、だなんて、よく言えたね」
「楽しいから、上達しているのかも」
「今、この瞬間にかい?」
「そうよ」
見られているのはわかっていたが、周囲の目も、気にならない。
彼の笑みにつられ、くすくすと笑う。
明るい曲調に、なおさら、気分が高揚していた。
軽快に、ステップを踏みつつ、ホールを横切って行く。
2人のほかに踊っている者はいなかったが、シェルニティは、気づかない。
彼の手のぬくもりや、優しいリードにだけ意識が向いている。
なにより、ダンスを楽しんでいた。
「どうすればいいかしら」
「もう1曲。そうだろう?」
「なんだか、楽しくなってきたの」
「いいさ、何曲でも。きみが、今夜は、もう十分って、音を上げるまで」
また曲調が変わる。
今度は、少しの甘さと、ピリッとした雰囲気の曲だ。
「タンゴとはね」
「あら? まさか、あなた、苦手なの?」
「とんでもない。きみの背中の心配をしていたのさ」
「私、体はやわらかいから、心配いらないわ」
握り合った互いの手を、体の前に突き出す。
足を交差させるようにしながら、前に進む。
そこから、横回転したのだが、彼のリードで、体が軽く感じた。
少し足を止め、シェルニティは、背を後ろにそらせる。
彼の腕に支えられているため、なんの心配もなかった。
互いの顔を見つめ合ってから、パッと前を向く。
最初のターンに戻ったのだ。
(……違うわ。パートナーがいるから楽しいのではなくて……)
彼とだから楽しいのだと、気づく。
自然と、口元がほころんでいた。
踊りつつ、何度も、彼の顔を見つめる。
優しく穏やかな表情を浮かべ、彼も、シェルニティを見つめ返してきた。
ずっと、なんてないのに、ずっとこうしていたい。
こんなにも、ぴったりと息が合っている。
まるで、感情までもが重なっているように感じた。
さりとて、彼が「ずっと」を望んでいないのも知っている。
シェルニティだって、ずっとなどない、とわかってはいるのだ。
ちょうど曲が途切れた。
周囲から、大きな拍手が送られる。
それでも、シェルニティは、気づいていた。
みんなが拍手を送っているのは「彼」にだけ、だと。
ホールの中央に立っていてさえ、まともにシェルニティを見る人はいない。
ただ、彼女自身は、それを気にせずにいる。
人から称賛されるなんて、思っていないし、期待もしていなかった。
ただ、ダンスが楽しかった、と感じている。
それだけで、十分に満足できていた。
「少し休憩を入れてから、また踊るかい?」
「それは、いい考えね。速い曲を立て続けに踊ったから、喉が渇いてしまって」
「私もだよ。テーブル席に行こうか」
彼の腕に手を回し、壁際に備えられていたテーブル席に移動した。
いつものように、彼がイスを引いてくれ、シェルニティが座る。
向かいに腰かけてから、彼は、軽く指を鳴らした。
近くにいた給仕が、すっ飛んでくる。
「ピムスを頼むよ。私はスタンダード、彼女には、苺とオレンジの入ったものを」
すっ飛んできたのと同じ速さで、テーブルから離れた。
急ぎで注文をしたようには思えなかったので、自分のせいかも、と思う。
屋敷の給仕も、シェルニティを見ずにすむよう、さっさとテーブルを離れるのが常だった。
ぴん、ぴん!
軽い音がして、びっくりする。
彼が、シェルニティの顔の前で、指を鳴らしたのだ。
「給仕の彼ばかり見ていないで、私を見てほしいね」
「あまりに急いでいる様子だったから、どうしたのかと思って見ていただけよ?」
「きっと、きみの喉がカラカラだってことに気づいて、慌てていたのだろうさ」
そうだろうか。
シェルニティは、少し苦笑いを浮かべる。
彼の心遣いはありがたいし、シェルニティの心を落ち着かせるものではあった。
けれど、この場に、自分がそぐわないのは、事実なのだ。
「シェリー、きみは、自分というものを、ちゃんと示している」
「そうね……でも、だからと言って、私の評価が変わるわけではないわ」
彼を見つめ、軽く肩をすくめてみせる。
彼の癖がうつってきたのかもしれない。
「評価されたいわけではないのよ? ただ、いちいち私が“人気者”ではないってことを、教えてくれなくてもいいのにって、思うの」
「それなら、私も人気者ではないがね」
「そうかしら? ご令嬢たちの目は、あなたに釘付けみたいだけれど?」
「きみの目を、私に釘付けにしない限り、人気があるなんて思えないな」
慌てて去って行った給仕が、戻ってきてテーブルにグラスを置いて行く。
中に沈んでいるイチゴを見て、シェルニティは、小さく笑った。
「そうだったわ。私は、アリスに人気があったのよね」
「アリスは、私の次だよ、シェリー」
彼のまなざしに、なんだか、胸が、どきどきする。
シェルニティには、恋も愛もわからない。
なのに、彼の瞳に「特別」なものを感じた。
ような気がする。
「こちらに、おいででしたのね」
声に、シェルニティは、そちらを見て驚く。
妹のエリスティが、立っていたからだ。
おかしな話だが、妹とは、ほとんど面識がない。
クリフォードやリリアンナのほうが、顔を合わせた「回数」が多いほどだった。
父に似た金髪と、彼女の母と同じ青い瞳をしている。
シェルニティの、鉄に浮いた錆びのような色の髪とは違い、艶もあった。
濃い緑色のドレスの胸元は、大きく盛り上がっている。
赤くて大きな宝石のついたネックレスが、首元を飾っていた。
「どちらさまかな?」
彼の顔から、笑みが消える。
口調はやわらかいものの、どこか冷たさが漂っていた。
こういう時、いつもシェルニティは思うのだ。
こんな声は、彼らしくない。
もちろん、それは、彼女にとっての「彼らしくない」なのだけれども。
シェルニティとの会話では、初めて会った日ですら「冷たさ」はなかった。
辛辣でありながらも、気遣いが含まれていたのだ。
少なくとも、今のように扉を、ぴしゃんと閉めたような声音ではなかった。
「あの……妹なの。妹のエリスティよ」
「ふぅん。ちっとも似ていないな」
「お母さまが違うからでしょうね」
父は、シェルニティの母、つまり正妻を伴っている。
そのため、エリスティの母は、ここには来ていない。
妹の母は、父の迎えた側室なのだ。
「きみに挨拶をしないのが、ブレインバーグの家風らしい」
彼が、静かな口調で、けれど、吐いて捨てるように言った。




