愛というのは 3
「ねえ、どうして髪と目の色を変えているの?」
審議のあとから、気になっていたことを聞いてみる。
彼は、審議の日に見せた姿を、あれきり見せていない。
初めて会った時と同じ、焦げ茶色の髪と目になっている。
シェルニティしかいなくても、だ。
彼の敷いてくれた布の上に、シェルニティは座っていた。
彼は、ごろんと横になっている。
肘をつき、手で顎を支える格好のまま、器用に肩をすくめた。
「あれは、あまり好まれないのでね。とくに女性には」
口調に、わずかな「翳り」を感じる。
なにか嫌なことでも思い出したようだ。
「放蕩していた頃に“フラれた”ことがあるみたいね」
シェルニティは、気軽な調子を保とうとして、1度も使ったことのない「新語」を使ってみる。
ロズウェルド王国には「民言葉の字引き」が2冊出版されており、貴族言葉とは違う表現が普及していた。
公で使われることはないそうだが、気楽な会話では好まれるとも聞く。
「放蕩していた頃は、“フラれた”ことなんかないさ」
彼は小さく笑いながら、そう言った。
けれど、どことなし自嘲する響きを、シェルニティは感じ取っている。
深入りしないほうがいい。
思いはしたが、気にせずにもいられなかった。
「私は、あなたの黒い髪も目も、素敵だと思ったわ」
彼が、ひょこんと眉を上げる。
瞳に、皮肉っぽさが漂っていた。
「そう思うのは、きみが、私の本質を知らないからだね」
突き放されるのには慣れている。
クリフォードからは、いつも突き放されていたのだ。
冷たくあしらわれるのだって、あたり前に受け止めてきた。
けれど、シェルニティは、今、ムっとしている。
「ええ、そうね。私は、私があなたのことを知らないってことを、ちゃんと知っているわ。あなたは、なんでもお見通しなのでしょうけれどね」
彼が、体を起こした。
視線を向けられているのはわかっていたが、あえて、目をそらせる。
「怒ったのかい?」
「これが不愉快という感覚なら、教えてくれてありがとう、と言うべきかしら」
体を寄せてきた彼の手が、シェルニティの頬にふれてきた。
不愉快さが融けていくほど、暖かい。
「シェリー、きみを不愉快にさせるつもりはなかったよ」
そっと、彼がシェルニティの右頬に口づけてくる。
唇のふれた場所から、彼の想いが伝わってくる気がした。
およそ、彼女に謝罪を示す人などいなかったので、シェルニティは、簡単に宥められてしまう。
それを、悔しいとも思わなかった。
彼女は、まだ「悔しい」を知らないのだ。
「私にとって、あまり楽しい話ではなかったものでね。八つ当たりだな」
「私、八つ当たりをされたの?」
「そうとも。きみが怒らないと、タカをくくっていたのさ」
彼が、シェルニティから体を離し、仰向けに寝転がる。
両腕を頭の下にして、木陰を作っている木を見上げていた。
「私には、妻がいた」
彼に妻がいたことより、過去のものとして語っているのに引っ掛かりを覚える。
35歳という年齢を考えれば、婚姻をしているのは、一般的なことだ。
かなり放蕩をしていたらしいので、未だ「妻」に縛られたくないというのは有り得たが、だとすれば、現状、1人暮らしなのは不自然だった。
しかも、王都から、こんなに離れた辺境地で。
「17の時だったよ、婚姻したのはね」
またも、過去形だ。
ということは、今現在、彼に「妻」はいないのだろう。
さりとて、シェルニティは、彼がクリフォードのように「婚姻の解消」するとは思えずにいる。
見ず知らずであった彼女にすら、ここまで親切にしてくれているのだ。
妻である女性を大事にしていなかったはずはない。
シェルニティには想像もできないような、幸せな生活だったのではなかろうか。
少なくとも、彼女は、彼と一緒に過ごす日々を楽しいと感じている。
「彼女は3つ年上で、私が20歳の時に死んだ。23だった」
どくん…と、心臓が音を立てた。
シェルニティには覚えのない感覚だ。
彼に、どう言葉をかければいいのかも、わからなくなる。
彼は「楽しくない話」だと言っていた。
(私が深追いして……不愉快な態度を取ったせいね……)
話したくもないことを、彼は話してくれている。
おそらく、シェルニティに対する気遣いからだろう。
八つ当たりであったと、証しようとしているに違いない。
今さら「もう話さなくていい」とは言えなかった。
自分が招いたことなのだ。
「その時に、私は“愛”というものを失った」
シェルニティには「愛」というものが、わからない。
与えられたことがなかったからだ。
虐げられたりはしておらず、衣食住にも困ることはなく、ほしいものはなんでも用意してもらえた。
が、「愛」は与えられていない。
「いや、これでは不公正になるな。そもそも、私に、失うべき“愛”があったのか、疑わしいのだからね」
「奥様を愛していたのではないの?」
「どうだろう。愛していると思っていた。だから、婚姻したのだが、どうにもね。我ながら、はっきりしない」
彼の妻が亡くなったことで、わからなくなったのか。
それとも、愛だと思っていたものが違っていたのか。
「それなら……私と似ているわね」
シェルニティにとっての「愛」は、漠然とした、ただの「言葉」に過ぎない。
不愉快という感覚すら、さっき知ったばかりなのだ。
愛なんて不可解過ぎる。
「どういった感覚のものなのか、どうなれば“愛”がある、ということになるのか。私には、まるきりわからないもの」
「とても悩ましい命題だと思うよ、きみ。だが、まぁ、それほど深刻に考える必要はないさ。わからなくても、生きてはいける」
寝転がっている彼を、シェルニティは、じっと見つめた。
彼は、唯一、最初から彼女を真正面から見てくれた人だ。
その時に言われた言葉を思い出す。
「死なないということは、生きている、ということ。生きているうちは、生きていればいい、だったわね」
この言葉に、シェルニティは「なにも死ぬことはない」と思えたのだ。
必要とされなくても、人は生きられるのだと。
生きていてもかまわないのだと。
「話の締めくくりに、きみの問いに答えておこう」
彼が、体を起こして、シェルニティのほうに顔を向ける。
そして、なんでもなさそうに、軽く肩をすくめた。
「彼女は、私の“素”の姿を、ひどく嫌っていた」