愛というのは 2
かぽっかぽっとアリスの足音とともに、森を抜けて行く。
途中から、少しずつなだらかな登り勾配が続いていた。
今日は、シェルニティと一緒に遠出をすることにしたのだ。
彼女には、いろんな風景を見ておいてほしい、と思っている。
リリアンナが来てから、5日が経っていた。
シェルニティの態度は、その前後で、変わっていない。
おそらく、彼女にもわかっている。
ここにいるのは「しばらくの間」だけだということを、だ。
周囲が納得する程度の期間が過ぎるまで、と、彼は考えている。
あまりに早いと、それこそ、彼女が、彼に「捨てられた」と思われるからだ。
それなりの時間を過ごしたあと、お互いに納得ずくで関係を終わらせた、ということにするのがいい。
遅くとも半年、そのくらいがちょうどいいだろう。
それでも、口さがない者は、彼女が捨てられたことにしたがる。
彼は、それも見越して、もうひとつ、彼女を守る手立てを考えていた。
誰にも、シェルニティの名に傷をつけさせはしない。
そう決めている。
(きっと、彼女は、気にしやしないのだろうがね)
シェルニティは、体裁を気にしてはいなかった。
婚姻解消の申し立てに蒼褪めるどころか、喜んだというのだから。
彼女にとって、外聞など、どうでもいいのだろう。
もとより、気にしなければならないような生活をしてきていない。
貴族の、華やかで、くだらない様式美は、ほかの貴族との関わりから生じる。
人と関わらない暮らしをしてきたシェルニティには無縁の世界。
貴族を理解しているにもかかわらず、彼女が、少しも貴族らしくないのは、それが理由だ。
「かなり遠くまで来たけれど、アリス、大丈夫? 疲れていない? お水を飲んだほうが良くはないかしら?」
歩きながら、アリスが、こちらに頭を向け、振り返る。
シェルニティの意見に賛成のようだが、彼は却下。
この程度の距離では、アリスが「疲れない」と知っていた。
「もう少しで着くからね。その時でいいだろう」
また恨みがましい目で見られる。
が、無視した。
アリスも、彼がどこに向かっているかは、承知している。
もうすぐ着くのも、わかっているはずだ。
「そうなの? アリス、もう少し頑張ってね」
彼は、さりげなく、シェルニティの腰に回した腕で、彼女を引き寄せる。
たいてい、こういう時、シェルニティは、アリスに口づけるからだ。
何度かは、見逃してしまったこともある。
アリスも、事あるごとに、シェルニティの頬を舐めようとするし。
いずれ離れる日が来るとしても、彼女が、彼の「お気に入り」であることには、変わりはない。
変わらないだろう、と思う。
だから、一緒にいるうちは、アリスであれ、手出しさせるつもりはなかった。
(馬の姿だから、多少は、目こぼしせざるを得ないがね)
なにしろ、シェルニティが、大層に、アリスを気に入ってしまっている。
馬を相手に、シェルニティを注意するわけにはいかない。
とんだ「ヤキモチ妬き」だと思われる。
「ああ、ほら、着いたよ」
「まあ! すごいわ! こんな場所があったなんて!」
シェルニティの目が、きらきらと輝いていた。
森を抜けきったところだ。
小高い丘になっており、遠くまで見渡せる。
「あれは、なに? 赤い絨毯のようで、とても美しいわね」
「冬場は枯草の集まりに過ぎない、ただの荒野だ。ただし、夏場のいっとき、花を咲かせ、私たちの目を楽しませてくれるのさ」
「花なの? あんなに、たくさん……」
「近くで見ると、小さな花が密集しているのが、わかるのだけれどね。さすがに、あそこまで行くには、時間がかかり過ぎる」
それに、風景としてなら、ここから見るほうが美しく感じられるのだ。
とはいえ、魔術を使えば、一瞬で行ける。
アリスに乗り、ゆっくり歩いて行くと、時間がかかるというだけだった。
シェルニティが望むのなら、点門を開いてもいい、とは思っている。
「行きたいかい?」
聞くと、彼女が首を横に振った。
目の前の景色に、じっと視線を注いでいる。
その横顔を、彼は見つめた。
ちょうど右頬が目に入る。
この大きな痣のせいで、シェルニティは「いない者」として扱われてきたのだ。
貴族は、総じて「美しい」ものを好む。
装飾品や絵画と同等に、人の外見にも、それを期待するところがあった。
そのため、異質なものや醜いと感じるものを嫌う傾向も強い。
シェルニティの両親は、娘の「痣」を、どれほど嫌悪したことか。
想像するのは容易かった。
クリフォードも婚姻したくてしたのではない。
彼は、ブリッジの件についても知っていた。
だが、やはり「くだらない」と思い、その時は、不要な情報として、切り捨てていたのだ。
シェルニティと知り合い、改めて、それらの情報を記憶から引き出している。
「いつか、自分で行くわ。だから、今は、いいの」
彼女の瞳には、最初にはなかった「意思」が宿りつつあった。
こうやって、彼女は、どんどん成長していく。
知らなかった世界を知り、生きる意味を、己の中に見出していくのだろう。
元々、持っていた知識や教養も、そんな彼女の後押しをするに違いない。
そして、旅立って行く。
ちくりと胸が痛んだが、彼は、それを受け入れていた。
シェルニティは、確かに彼の「お気に入り」ではある。
が、彼女を愛してはいない。
ただ気に入っている、というだけでは、人生の約束をすることはできなかった。
「さあ、降りて、昼食にしよう」
「昼食? バスケットを持って来ているようには見えな……」
「思い出したかな?」
「ええ、あなたは魔術師」
「そういうことだ」
シェルニティをアリスから降ろし、木陰に導く。
そこに布を敷き、昼食を「用意」した。
彼には、魔術発動に動作は不要。
なにもしていないように見えたのだろう。
彼女が、目を見開いている。
「いくら頑張っても無理だったが、ようやく、きみを驚かせることができたね」
「そうね。すごく驚いたわ。あなた、今までも、こうやって料理をしていたの?」
「ほかはともかく、掃除と料理は、魔術を使うことにしている」
軽く肩をすくめると、シェルニティが笑った。
今まで、料理は奥の部屋で用意をしていたため、彼が「調理」していると思っていたようだ。
「それは困ったわね。私、あなたに料理も教わろうと思っていたのよ?」
「少しは、“手”で作る料理も教えられると思うよ。時々は、魔術なしで作ったりもしているからね。ただ、デザートは諦めてくれるかい?」
答えると、彼女が、また笑う。
本当に、シェルニティは、見違えるほど、よく笑うようになっていた。
そもそも、こういう性格の下地はあったのかもしれない。
表に出す機会を与えられなかっただけで。
「ああ、そうだわ。先に、アリスに、お水をあげなくちゃ。魔術で、お料理が冷めないようにしておいてね」
「仰せのままに」
彼は、胸に手をあて、わざと、恭しくお辞儀をしてみせた。
笑っている彼女を、もっと笑わせたかったのだ。