来客に困惑 1
イノックエルは、彼が「送る」ことを、頑なに固辞した。
送ると言っても、王宮内にある、ブレインバーグの別宅の前に点門を開くだけのことだ。
彼からすると、なにほどのこともない。
さっさと帰ってもらうためにはらう労力と思えば、安いくらいだった。
失礼にあたると思い避けたのか、動揺するあまり思い至らなかったのか。
いずれにせよ、イノックエルは、おかかえ魔術師を使わず、馬車で来ていた。
もちろん、この辺りに「点」など作らせてはいないので、どの道、途中からは、馬車を使うことにはなっただろう。
だとしても、レックスモアの屋敷近くになら、点門を開けたはずだ。
(婚姻解消を申し立ててきた、元義理の息子に馬車を借りたくなかった……というより、レックスモアに近づきたくなかったのかもしれないな)
クリフォード・レックスモアが、貴族内で、今後、どう扱われるかを考えれば、なんとなくイノックエルの行動も納得できる。
元義理の息子という肩書すら剥奪したいと思っているに違いない。
ブレインバーグは、レックスモアの後ろ盾を外れ、一切の手を引くはずだ。
「お父さま、急いでらしたのね」
「夕食も断られてしまったし、きっと大切な用事があったのだろう」
シェルニティは、父親の、早々の帰宅を、残念がってはいないようだった。
なにかを思い出したのか、彼女が首をかしげる。
「お父さまは、なぜ、あれほど狼狽えてらしたのかしら」
「私の手料理が美味しいと、きみが言ってくれた時かな?」
「そうよ。あなたが、お父さまを夕食に誘っていたでしょう? でも、ここには、勤め人がいないから、お父さまが、心配なさるのじゃないかと思ったの。だから、あなたの料理が美味しいと教えてさしあげたのだけれど」
彼には、イノックエルの心情が、よく理解できた。
仮に、勤め人がいないとしても、まさか彼が料理をするとは思っていなかった。
その上、娘は、平然と、彼に料理をさせている。
泡を吹いて倒れなかっただけでも、案外、イノックエルは「肝が据わっている」のかもしれない。
「彼の舌は肥えているから、私に恥をかかせないように気を遣っていたのじゃないかなあ。それが、狼狽えているように見えたのかもしれないよ?」
「あなたの料理は、ブレインバーグの屋敷のものより美味しいのに、理解してもらえなくて残念ね」
「いいさ。私には、王宮ご用達の料理人の肩書はついていない。きみの父親がどうということではなく、貴族は誰しも、立場や肩書に弱いものだろう?」
「そういうところはあるわ。あら? でも、あなただって貴族でしょう?」
彼は、ひょこんと眉を上げる。
そして、彼女の服の襟元を指先でつついた。
「きみが着ているのは、なにかな?」
「民服よ?」
「私もだ」
「ああ、そういうことね」
シェルニティが、くすくすと笑う。
彼女が笑うと、周りまで明るくなる気がした。
たとえ夕暮れ時でも。
「貴族らしくない、貴族。そうでしょう?」
「そうとも。きみとご同類さ」
彼も貴族教育は、しっかりと受けている。
が、それは貴族を知るため、という理由からだ。
貴族になるためではない。
彼の両親も、貴族らしくない貴族だった。
ローエルハイドは、代々、そんな調子なのだと聞いている。
なんでもそつなくやりこなせるのに、なんとも性分に合わないのだ。
同類と言ったものの、彼女と自分は違うと、わかっていた。
彼女の場合、知識はあるが、実践が伴っていないだけだろう。
「私を、あまり良いもののように思ってはいけないよ、シェリー」
もし、彼女の両親が、別の育てかたをしていたら、彼女は、こうなっていない。
ほかの貴族令嬢よりずっと「貴族らしく」生きられたはずだ。
うつむくことなく、顔を上げ、堂々と振る舞っている彼女を想像する。
本当には、そうあるべきなのかもしれない、と思った。
「なぜ? あなたは、私に、とても良くしてくれているわ」
「そうでもないさ」
彼は、ソファの背もたれに、深く体をあずける。
そして、太い木の並ぶ天井を見上げた。
彼女が、どう反応するかはわからない。
それでも本当のことを言わないのは不公正に過ぎる。
「審議の時、クリフォード・レックスモアは写真を、提供していた」
「写真? ええと……模画という魔術を使うのだったかしら?」
「そうだよ。きみには、看髄と模画の魔術が、かけられていたのさ」
看髄は、かけられた相手が見ている者や、その周りの景色が見える魔術だ。
それに、模画を連動させれば、看髄のかかっている者の周囲を写し撮れる。
おそらく、シェルニティが崖から飛び降りた日、無事に帰ってきた彼女に、クリフォードが、魔術師を使って、かけさせたのだろう。
彼が気づかないはずはないのだが、審議の日まで、彼が何者かをクリフォードは知らなかったので、用心できなくてもしかたがない。
「つまり、きみに不義の汚名が着せられるのを、私は知っていたのだよ。もっとも階段を踏み外す魔術を使ったわけではないがね」
偶然、彼女が階段を踏み外し、彼が支えた。
口づけたくなったのは無意識だが、彼女に魔術がかけられているのを、意識していなかったわけではない。
知っていて、かつ、可能であるにもかかわらず、魔術の解除はしなかった。
彼女に対する審議は、起きるべくして起きた、ということなのだ。
「それは、今でもかかっているの?」
「いや、審議が終わったあと、すぐに解除したよ」
「自分では、気づけないものなのね」
彼は、体を起こし、彼女を見つめる。
シェルニティの様子は、さっきまでと、なんら変わらない。
「わかっているのかな、きみは」
「わかっているわ。あなたは知っていて、魔術を解除しなかったのでしょう?」
「そのせいで、きみは不義の汚名を着せられるはめになった」
「でも、その汚名は、あなたが一身に受けてしまったわよね?」
「そもそも、きみに、着せられるべき汚名などない」
2人の間には、何事も起きてはいないのだ。
いくらなんでも、重臣らだって、収穫や釣りを「不義」とは認めないだろう。
「だが、私は、彼らに、きみと私が親密な関係だと誤解をさせた」
「そうだったの? 私、ちっとも気がつかなかったわ。でも、あなた、嘘はついていなかったと思うのだけれど」
「嘘はね、ついていないよ。ただし、事実を、すっかり述べたわけでもない。省略したところもあったのさ」
そうすることで、重臣らが「勝手に」誤解をした。
さりとて、彼らが誤解することも、彼の推測通り。
積極的に、誤解を招く「省略」をしたとも言える。
「そうら、ね。私は、いいものではないのだよ」
「そうかしら? 結局、私の望みは叶ったのだから、お礼を言いたいくらいだわ」
「望み?」
シェルニティが、彼の真似でもするかのように、軽く肩をすくめた。
それから、とてもあっけらかんと言う。
「不義でもどうでもかまわないから、早く婚姻を解消してくれないかしらと思っていたの。婚姻を解消されれば、レックスモアに帰らずにすむし、隠れて、あなたと会う必要もなくなるのにって。審議の間中、そればかり考えていたわ」
その言葉に、彼の胸が熱くなる。
ぎゅっと、締めつけられるような痛みも感じた。
「ね。結局、あなたは、良いことをしたのよ?」
にっこりする彼女を、思わず抱き寄せる。
シェルニティの「傷つかなさ」と「屈託のなさ」に、彼は救われていた。
が、それらは、己が不遇の身だと気づかせてもらえなかった彼女の境遇による。
これから、彼女は外の世界を知っていくことになるのだ。
そして、本来の、彼女のあるべき姿に戻っていく。
その時、今と同じように笑ってくれるかどうかは、わからない。
「シェリー、私のお気に入り。きみは、とても暖かいね」