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ゆっくりな朝に 4

 どうして父が訪ねてきたのか、シェルニティは、不思議に思っている。

 審議の場にいたのは、知っていた。

 とても加減が悪そうにしていたのを覚えている。

 おそらく「不名誉」な婚姻解消に、激していたのだろう。

 父もクリフォードと同じく、彼女をまともに見ない派なのだ。

 

(実家に帰らずにすんで良かった、と思っていたのに。だって、きっと叱られるに決まっているもの。もしかして、私をお叱りになるために、いらしたのかしら?)

 

 シェルニティはこれが「気が滅入る」という気分なのだろうか、と思った。

 父の訪ねてきた理由が「お叱り」なら、彼の前で叱られることになる。

 クリフォードと婚姻後、叱られること自体には慣れ始めていたが、彼に、そんな自分の姿を、見られたくないと感じていた。

 

 父とは、昔から、顔を合わせないようにしていた。

 髪を結い上げたことすらない。

 顔の右半分を隠すために、いつもおろしている。

 

 彼女は、そっと髪で顔を隠しながら、うつむいた。

 左側に座っている彼からも、顔を背ける形にはなるが、いたしかたがない。

 叱られるとわかっていて、堂々としていることなどできなかったのだ。

 

「シェリー、ねえ、きみ」

 

 くいっと顎を手で持ち上げられる。

 そのまま、彼のほうに顔を向けられた。

 彼が、にっこりと微笑んでくる。

 

「ここで、そういう態度はいただけないな。せめて私の顔は見ていてくれなくちゃいけないよ」

 

 ふわりと、彼女の心が楽になった。

 彼が言うのなら、顔を上げていても大丈夫だと思える。

 父は望まないとしても、彼は、それを望んでくれているのだから。

 

「いいかい?」

「わかったわ」

「よろしい」

 

 シェルニティは顔を上げ、彼の横顔を見つめる。

 クリフォードのような美形とは違うものの、とても「素敵」だと思った。

 精悍で凛々しく、どんなことにでも笑って対処してしまいそうな雰囲気がある。

 国王は彼を「放蕩者」だと罵っていたが、彼の「放蕩」に、自ら進んでつきあいたがる女性は多かったに違いない。

 

(だって、本当に素敵だもの。それに、彼は、人を笑わせるのも得意みたい)

 

 彼とは、ユーモアと機知に富んだ会話ができる。

 話すのが楽しいと感じたのも、彼との会話が初めてだ。

 そもそも、シェルニティは誰ともまともに会話なんてしたことはなかったし。

 ただ、それでも、彼が特別に楽しい会話のできる人だということは、わかる。

 

「それで、どこまで話していたっけ? ああ、そうだ。きみが、とてつもなく今回のことを大事(おおごと)にとらえていて、外聞が悪いって嘆いている最中(さいちゅう)だったね」

「い、いえ……そ、そのような……滅相もないことで……」

 

 なぜだか、父はイスで体を小さくしていた。

 膝に置いたシルハットを握る手も、小刻みに震えている。

 それほど激昂しているのだろうか、と少し心配になった。

 自分ともども、彼が責められるのではないか、と思ったのだ。

 

「本当にさ、きみが、大変な苦境に陥ったと嘆く気持ちを、私は、もっともなことだと、理解しているよ、イノックエル」

 

 父がここまで来たのは、それほど、差し迫った事態になっているということかもしれない。

 シェルニティの不義ではない、との結果になっていても、婚姻が解消された事実は変わらないのだ。

 

「ところで、その服は、きみに、とても良く似合っているね」

 

 唐突に、彼がシェルニティを見て、そう言った。

 今日も、彼女は、彼の用意してくれた民服を着ている。

 

「私も気に入っているわ。すごく動き易くて便利だもの」

「確かに、それはそうだな。きみを乗せる時に、ドレスは裾がね」

「邪魔でしょう? 私も、最初、そう思ったのよ」

 

 初めて、アリスに乗せてもらった時のことだ。

 あの日は、びしょ濡れになったドレスを乾かしてもらった。

 そのドレスのまま、アリスに乗っている。

 民服とは違い、ドレスは、本当に足元まですっぽりと(おお)ってしまう。

 

「あなたが腰を抱いていてくれなければ、落ちるところだったわ」

「わかるよ。乗せる時も、ちょっとばかり、手こずったからね」

 

 言いながら、彼が楽しげに、ぷっと笑った。

 シェルニティと話している際、時々、こういうことがある。

 なにも面白いことを言った覚えがないので、きょとんとしてしまうのだけれど。

 

「イノックエル、見ての通り、私たちは仲良くしている。わかるね?」

「え、ええ、もちろんですとも……いやはや、私にはどうにも……」

「きみがどう思っているか、いちいち言ってもらう必要はない」

 

 またも、唐突に、彼の口調が厳しいものに変わった。

 ぴしゃりといった感じに、父の言葉を断ち切っている。

 

「それはともかく、きみを苦境に立たせっ放しでいるのも気が引けるのでね。これを渡しておこう」

 

 彼が、どこからともなく、2つの箱を取り出し、テーブルの上に置いた。

 それぞれ、青い色と赤い色で、同じくらいの長方形をしている。

 さほど大きくはない。

 

「開いて、中を確かめてくれたまえ」

「か、かしこまりました」

 

 父が青い箱を手に取り、開いている。

 とたん、目が転がり落ちるのではないかというくらい、見開かれた。

 

「こ、これは……」

「いいかい、それが、彼女の値段ではない、ということを、しっかりと覚えておくことだ。あくまでも、きみの苦境を回避するための品に過ぎないのだとね」

「わ、わかっており、おります、公爵様」

 

 箱の蓋が邪魔になり、シェルニティには中身が見えない。

 父が驚くような高価なものだろうか。

 おそらく宝石の類だと察してはいたが、公爵家の当主を務めている父が驚くほどの値段というと、相当なものになる。

 

「赤いほうは、きみの奥方に。ともあれ、きみたちは、彼女の両親なのだから」

「お、お、お気遣い、心から、か、感……」

「今は、いいよ、イノックエル。そのうち、きみたちは、もっと深く、彼女に感謝することになるさ。その時まで、その言葉は取っておくことだ」

 

 シェルニティは、彼の横顔を、じっと見つめた。

 彼も公爵という立場なのは、わかっている。

 が、この辺境地で自給自足をしているほどだし、勤め人だっていない。

 いくら英雄の子孫であれ、生活に困窮していないとは限らないのだ。

 

「心配いらないよ、シェリー。それほど高価なものではないのでね」

「そうなの? お父さまが驚いていらっしゃるから、高価な品だとばかり」

「彼が驚いているのは、我が家の紋章が刻んであることではないかな」

「紋章? ローエルハイドの?」

「まぁ、それほど威厳のある紋章ではないが、一応は、“英雄”とされている家系の紋章なのでね。一定の効果はあるのさ。とくに貴族の間では」

 

 そうか、とシェルニティも納得する。

 彼は、父が「外聞」を、大層に気にしていたと言っていた。

 確かに、父は、そういう人だ。

 が、ローエルハイドの紋章入りの品を見せれば、父は大いに自慢できるだろう。

 彼の言うように、ローエルハイドは「英雄」として、今でも誉れ高い。

 

「中身は、しがないタイピンと髪飾りなのだよ。宝石も、たいした品とは言えないな。なにしろ、私の手造りなのでね」

 

 彼が、軽く肩をすくめてみせる。

 この辺りには鉱山があるのだろう。

 そこから原石を掘り出して、造ったものに違いない。

 

「あなたって、手先が器用よね。良い職人になれるのじゃないかしら」

 

 言葉に、彼が声を上げて笑った。

 やはり、彼女は、きょとんとなる。

 その向かい側で、彼女の父が、ぶっ倒れかけていることにも気づかず。


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