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ゆっくりな朝に 2

 クリフォードは、王都にある宿屋に来ている。

 当初は、リリアンナも同行させようかと思っていた。

 が、なにを理由に、婚姻解消が阻まれるか、わからない。

 そのため、用心して、彼女は屋敷に置いてきたのだ。

 連れて来なくて正解だった、と、心底、思っている。

 

(ローエルハイドがなんだという! 貴族としての役割も果たしていないくせに、出しゃばる権利などはないはずだ! 奴の、あの傲慢さ! 尊大さ! 少しばかり魔術に長けているからといって、己を中心に、世界を動かしているつもりか!)

 

 クリフォードは、魔術を使えない。

 だから、魔術師を雇っているわけだが、力の違いには気づかずにいた。

 自分のかかえている魔術師と同じように考えている。

 

 魔術師は、通常、爵位を持てない。

 唯一の例外が、ローエルハイドなのだ。

 さりとて、クリフォードは、魔術師に関して不勉強に過ぎた。

 重臣らが当然に心得ていることも、彼は知らずにいる。

 

(過去の栄光に(すが)っている、落ちぶれ貴族ごときが……そもそも、あの史実自体、所詮まがいものだろうに! 証拠に、領地には民がいないじゃないか!)

 

 かつての宰相ユージーン・ウィリュアートンの時代から、領民の移動が、ある程度認められるようになっている。

 生活が困窮したり、領主に不正があったりした場合、領地を移動できるのだ。

 

 逆に、暮らし易い領地には人気(にんき)が集まる。

 一大観光地であるサハシーなどは人気が高くて、何年も受け入れ待ちしなければならないほどだった。

 だから、彼の祖が、本当に「偉大な魔術師」であり「英雄」であったなら、民がぞくぞくと集まってきていたはずだ。

 が、実際には、ローエルハイドの持つ領地に、領民は、ただの1人もいない。

 

(公爵を気取っているが、王族に飼われている、ただの犬ころだ! 我々は領民の面倒を請け負い、税収を得ているというのにな! あいつは、なにもせずとも王族から金を巻き上げられるのだから、いい身分だよ!)

 

 クリフォードの考えは、ほとんど間違っているが、わずかに正しい部分もある。

 ローエルハイドには、王族から金が流れている、というところだ。

 ほかの貴族に、直接、王族が金を支払うことはない。

 貴族たちは、領地からの税収により、生活にかかるすべての費用を賄っている。

 そういう事情もあって、民を無碍にすることはできないのだけれども。

 

 その税収を自らの放蕩のために、クリフォードは使っていた。

 魔術師の雇い入れもそうだが、今夜も高級な宿屋に泊まっている。

 サハシーほどではなくとも、王都での高級宿屋は、相応に値が張るのだ。

 けれど、安宿に泊まるなんて、クリフォードの「自尊心」が許さなかった。

 

 その豪華な部屋のソファに深く腰を下ろし、彼は、さっきから、1人、心の中でジョザイア・ローエルハイドを罵っている。

 声を出さないのは、誰かに聞かれ、それがジョザイアの耳に入るのを恐れていたからだ。

 そうした、自分の弱さや小心さに、彼は目を向けようとはせずにいる。

 ひたすら、ジョザイアを呪うように、罵詈雑言を吐き続けていた。

 

 イスから吹き飛ばされ、床に這いつくばるはめになったのを恨んでいる。

 あれほど惨めったらしい気分にさせられたのは、生まれて初めてだ。

 爵位は侯爵だが、彼にとって、それは大きな問題にはなり得なかった。

 

 魔術師の知識こそないものの、クリフォードは、その他の知識や教養は身につけており、如才がなく、要領もいい。

 加えて、容姿も整っているので、侮られるといった経験が少なかったのだ。

 ブリッジに負けたのを4年も引きずっていたのは、そのせいとも言える。

 

 辺境地を出さえしなければ、彼は「王様」でいられた。

 

 サロンでの「貸し」があったため、王都でも、公爵子息から、それなりにもてなされてきたし、それらの家の代替わりが進めば、もっと手厚く遇されたのは間違いない。

 

(あんな女、くれてやったところで、痛くも痒くもない。むしろ、清々したさ)

 

 クリフォード自身、あの時、なぜ彼女の腕を掴もうとしたのかわからずにいる。

 ただ、シェルニティは常に、クリフォードの言うことに、うなずいてきた。

 そのため、あれほどあっさり立ち上がると思っていなかったのは、確かだ。

 少しの戸惑いもなく、ジョザイアについて行こうとした彼女に、クリフォードのほうが戸惑った。

 

(そうだ。今まで世話になっておきながら、ひと言もないなどと……恩知らずにもほどがある! 私に、声をかけるべきだったのだ、彼女は!)

 

 今度は、シェルニティが、罵倒の対象となる。

 自分自身が、今まで、彼女からの「返事」を求めて来なかったことは、記憶から消し去っていた。

 シェルニティは「いつも通り」の態度を取ったに過ぎないのだが、クリフォードには、それがわからない。

 

(爵位が上の男に言い寄られ、私を裏切っておいて、罪悪感の欠片もないとはな! あんな女でも、私は婚姻してやった。正妻の座を4年も与えてやったのだぞ!)

 

 実際的に、妻であったかどうかは、この際、関係なかった。

 婚姻した事実だけに、クリフォードは固執している。

 もとより、シェルニティを妻にすることさえなければ、こんな苦境に立たされることもなかったのだ。

 

 何歳くらいまで放蕩していたかはともかく、いずれリリアンナと知り合い、正妻として迎えいれていただろう。

 正妻の座が空いてさえいれば、なにも問題は生じなかった。

 シェルニティが居座っていたことが、元凶なのだ。

 

(崖から落ちて、死ねば良かったものを)

 

 平然と帰ってきたシェルニティの姿を思い出し、はらわたが煮えくり返る。

 握りこんだ両手にも力が入っていた。

 手のひらに爪が食い込んでいる。

 それでも、屈辱感のほうが強く、痛みも感じない。

 

(あんな女に……あんな……醜くて、ゾッとするような……あんな……)

 

 シェルニティの顔は、ほとんど思い出せなかった。

 目に浮かぶのは、右頬にあった、赤黒く気味の悪い痣だけだ。

 クリフォードは、頭を振って、その映像を振りはらう。

 思い出したくもなかった。

 

(今頃、2人で、私を嘲笑っているに違いない)

 

 審議の場で、大恥をかかされ、無様を(さら)したことが、クリフォードの妄想を駆り立てていた。

 重臣らは、彼に声をかけもせず、広間を去ったのだ。

 皆、一様に、クリフォードへと冷たい一瞥をくれてから。

 

(奴らだけではない。私は、貴族中の物笑いの種にされる。これでは、夜会に出ることもできはしないだろう)

 

 思う、クリフォードの脳裏に、リリアンナの笑顔がよぎる。

 彼女を、夜会に連れて行くと約束したことを思い出した。

 嬉しそうにしていたリリアンナに、いったい、どうして言えるだろうか。

 

 当面、夜会には行けそうにない、なんて。

 

 しかも、当面がいつまでになるかも、わからなかった。

 今日の審議は、重臣らの記憶に、いつまでも残るに違いない。

 そして、話の種に、あちらこちらで吹聴されるのは目に見えていた。

 

 なにしろ「ローエルハイド」が出てきたのだ。

 下手(へた)な演劇よりも、よほど「見ごたえ」があっただろう。

 その場では恐れおののいていても、過ぎてしまえば、恐怖も去る。

 定石通り「ここだけの話だが」と前置きをして、面白おかしく語るのだ。

 クリフォードだって、自分のことでなければ、そうしていた。

 

(ああ、畜生! あんな女のせいで、なぜ私がこんな目に……!!)

 

 シェルニティは、リリアンナとは違い、ベッドに誘うどころか夜会に連れて行くことすら、考えられもしなかった女だった。

 そんな女に、人生を台無しにされるなど、あってはならない。

 なにか、状況を覆す手立てがあるはずだ。

 

 考えを巡らせるクリフォードに、ひとつの光明が差す。

 それを光明としたのは、彼が、それなりに「貴族として」優秀だったからだ。

 クリフォードは、自分の思惑に満足する。

 

(いいか、ジョザイア・ローエルハイド。今度は、お前に大恥をかかせてやる)


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