帰りたいのは 4
なんだか、あれよあれよという間に、身の振りかたが決められていた。
シェルニティは、流れていく会話を、ただ聞いていただけだ。
(本当に、これでいいのかしら? 笛を吹いたのは、私なのに)
彼の発言に、嘘は、ひとつもない。
彼が誘ったというのも、シェルニティに選択肢がなかったというのも、事実ではある。
とはいえ、周囲は勘違いをしているらしかった。
2人の間に、何事かが生じていると判断されているのだ。
不義、という言葉の意味を、シェルニティとて知らないわけではない。
婚姻相手以外と、男女のいとなみを行ったことを指す。
が、シェルニティと彼とは、ベッドをともにしてはいなかった。
なぜクリフォードが誤解したのかはともかく、デタラメを事実にされては、彼に迷惑をかけてしまう。
(理由はなんであれ、婚姻の解消は、私には望ましいことだけれど)
身に覚えのない罪を着せられ、責任を取らされる彼は、どう思うだろうか。
せめて、彼とベッドをともにしていないことだけは、明らかにすべきではないかと、そう思った。
国王までもが、彼を誤解している。
(どこかで放蕩をしていたとしても、私の前では紳士だったわ)
乱暴をはたらこうとしたことはなかったし、着替えを覗くことすらしなかった。
足場が悪いところでは手を繋ぎもしたが、不必要なふれあいは、いっさいない。
(だって、そもそも、彼は私に興味がないのだもの。ベッドをともにしたいなんて思っているはずがないのよね)
だいたい、この場にいる男性たちにしても、なぜ、そんな突拍子もない勘違いができるのだろうか。
彼ら自身、1度も、まともにシェルニティを見ていなかった。
最初に室内に足を踏み入れた際ざわついて以降、視線を向けられてはいない。
彼女の「痣」に不快をいだいているからだ。
父親ですら、シェルニティを見ずにいる。
彼女を、ベッドに誘いたいかどうか。
彼女と、積極的に性的な関係を持ちたいと思うかどうか。
己の身に置き換えて考えてみれば、簡単にわかるはずだ。
そんなことを思う男性は、今、この場にはいないだろう。
だから、勘違いする理由を、シェルニティは、理解できずにいる。
あげく、彼女の生活を、彼に担わせようとしていた。
もちろん、彼の家には行きたい。
されど、それは、彼に責任を負わせることとは違う。
婚姻が解消されたので、レックスモア侯爵家には帰れない。
だとしても、実家であるブレインバーグ公爵家には帰れる。
シェルニティは、そこから彼の家を訪れようと考えていたのだ。
今までのように、隠れて出て行く必要もないだろうと。
(いくら気に入ってもらっているといっても、そこまで迷惑はかけられないわ)
なにより、彼だけが悪者のように言われていることに、胸が痛む。
実際、笛を吹き、彼を呼んだのはシェルニティだった。
彼は、迎えに来てくれたに過ぎない。
そして、世界の広さと楽しみかたを教えてくれた。
なにも悪いことはしていないのだ。
「あ、あの……」
彼女は、ともかく、みんなの勘違いを正しておこうと口を開く。
とたん、今まで外されていた、周囲の視線が、シェルニティに集まった。
咄嗟に、いつもの癖で、うつむく。
人に見られることには慣れていない。
それでも、なんとか言葉を続けようとした。
彼の「冤罪」を、少しでも晴らしたかったのだ。
「わ、私と彼……こ、公爵様は……」
「あ、あ、きみ」
彼の声が、彼女の発言を遮る。
わずかに上げた視線の先で、彼が歩み寄って来るのが見えた。
シェルニティの前まで来て、跪く。
膝に置いていた彼女の両手が、彼の手につつまれた。
「シェリー、きみの言いたいことはわかっているつもりだ」
シェルニティは、少し首をかしげる。
彼は、いつ自分の名を知ったのだろう。
愛称で呼ばれたことなんてなかったけれど、それはともかく。
「だがね、今は、その苺好きな口を閉じておいで」
ちょっぴり困って、彼に目線で「ハテナ」を投げてみる。
でも、このままでは、あなたが悪者にされてしまうのよ?と。
「きみに係る迷惑なら、私は、すすんで引き受けるさ。わかるだろう、シェリー」
彼が前かがみになり、シェルニティの耳元に口を寄せてきた。
傍からは、頬に口づけでもしているように見えるが、彼女は気づいていない。
内緒話だと捉えている。
実際、その通りだった。
「きみに収穫を手伝ってもらえるのは、ありがたいのだよ。魚だって2人で釣ったほうが多く獲れる。それに、アリスも喜ぶだろうしね」
耳元で、小さな笑い声が聞こえる。
つまり、彼は「人手」がほしいらしい。
そのために「冤罪」を受け入れるのは、どうかと思う。
が、もしかすると「ローエルハイド」であるがために、人が寄りつかないのかもしれないと、思い直した。
(ローエルハイドは特別な貴族ですものね。話だけで恐がっている人が多いのかもしれないわ)
それに、彼は辺境の森で暮らしている。
高位の貴族屋敷の勤め人は、下位の貴族であることも多い。
好んで夜会に出向く貴族令嬢や王都に慣れている者にとっては、暮らしにくいと感じるだろう。
人目を避けたいシェルニティには快適でも。
「だが、そうだね。きみにも、“選ぶ”権利はあるのだから、口を封じるべきではなかったな。ついさっき、隣の彼に、指摘されたばかりだ」
言いながらも、彼は、クリフォードを見ていない。
シェルニティだけを、じっと見つめている。
「きみは、どうしたい? 私としては、ここ何日かと同じように、私の家で着替えをしてくれると嬉しく思うよ?」
「本当を言うと、もうずっと、あなたの家で着替えがしたいと思っていたの」
民服に慣れると、どうにもドレスは重くて、動きづらく感じられた。
いちいち裾を持ち上げなければならないのも、面倒だ。
彼の迷惑にならないのなら、早く帰りたいというのが本音だった。
「シェリー、私のお気に入り。きみが、そう言ってくれると期待していた」
彼が、にっこりと微笑む。
そして、握った彼女の両手を捧げるようにして、手の甲に口づけた。
シェルニティは、さっき彼がしたのを真似て、彼の耳元に口を寄せる。
「本当に、ご迷惑ではないかしら?」
「きみが、崖から降ってくること以外に、迷惑なことなどないさ」
「あれは2度としないわ。魚が逃げてしまうものね」
釣りを教わり、いかに魚が警戒心が強いかも知った。
人影が水面に映るだけで逃げてしまうことも少なくないのだ。
(本当に、あのバスケット、なぜ落ちてきたのかしら? あれでは、彼が、粘っても無駄だと言うわけだわ)
シェルニティは、部屋に閉じこもっての生活をしていたが、教われば、教わっただけ身につけることができている。
生来の勘の良さと好奇心が、彼女を後押ししていた。
「私と一緒に帰る。それで、いいね、シェリー」
「いいわ。私用のイスも、とても気に入っているもの」
彼が片手をシェルニティの手から離し、左頬にふれてくる。
それから、右の頬に、はっきりと口づけをした。