帰りたいのは 3
(にーさん、僕、もう帰っていいですか?)
(いいわけねーだろ、もうちっと辛抱しろよ)
(僕は、馬鹿な奴が大嫌いです)
(ああ、知ってるよ。オレだってキライだね)
クリフォード・レックスモアは、稀と言えるほどの「馬鹿」だ。
双子の意見は、一致している。
ローエルハイドを相手に、選択肢なんてありはしないのに。
アリスは、シルクハットの端から、わずかに顔を出す。
リカに虫は嫌だと言われたので、小さなネズミに変転していた。
ほかの重臣たちは、さすがに理解しているらしい。
全員、石像のように固まっている。
顔色も真っ白だし。
時々、こういう「馬鹿」がいるのだ、とアリスは思った。
ローエルハイドの本質を、ちっともわかっちゃいないのだ。
ウィリュアートンが屋敷としている城の地下道の土壁にも、その「見本」が、未だめり込んでいる。
もう3百年が経とうとしているのに。
クリフォードの動向に、全員が注視していた。
なので、リカと内緒話をしている。
2人は、魔術師ではないため、魔術を使っての会話はできないのだ。
(いっそ消されてしまえばいいのに)
(お前、そーいうトコ、物騒だよな。堅物のくせに)
(堅物だからですよ。虚偽の審議申し立てをしたのですから、罰せられて当然ではありませんか)
(まぁ、そう言うなって。もうすぐ終わるだろ)
立ちあがっている彼に、視線を向ける。
口元に、薄く笑みを浮かべていた。
それを見て「ふぅん」と思う。
その表情から、彼の心情を察したからだ。
(にーさん、公爵様は、ずいぶん不愉快になっておられますね)
(あの人は、お前より“馬鹿”がキライなのサ)
元々、クリフォードなど、どうでもいいと思っていたのだろう。
なのに「馬鹿」が、わざわざ彼の癇に障ることを言った。
周囲の反応を見ていれば、己の取るべき行動はわかってしかるべきなのに。
(しかしねえ、にーさん。公爵様は、はっきり“気に入り”だと仰ったのですよ? 黙って引くのが当然ではありませんか?)
(ローエルハイドを伝説みたく思って、舐めてる奴もいるからな)
(正気とは思えません)
ローエルハイドは、貴族でありながら、何者にも縛られていない。
王宮どころか、国ですらも、彼にとっては、どうでもいいのだ。
いつでも国替えのできる立場でもあった。
普通、魔術師は「与える者」である国王から魔力を授かっている。
国王と契約しなければ、魔力は与えられず、いずれは魔力を失うのだ。
つまり、魔術師は、否応なく契約に縛られることになる。
が、彼は、その契約を必要としない。
彼自身が、どんな魔術師よりも大きな魔力を持っている。
魔術も自由自在だし、彼にしか使えないようなものも多かった。
その気になれば、彼は、この国の、いや、世界の頂点に立つこともできるのだ。
王宮魔術師や近衛騎士が総がかりでも、彼の指先ひとつで簡単に消されてしまうだろう。
とはいえ、彼だけでなく、ローエルハイドは、基本的に表舞台には立たない。
普段は、とても、ひっそりしている。
いるのだかいないのだか、といった具合だ。
そのせいか、ローエルハイドを伝説のものとしてしか見ない者もいた。
史実に記載されている内容も、王族の「騙り」によるものだと思っている。
隣国との戦争を、たった1人の魔術師が、魔術1発で終結させただなんて。
今となっては、伝説とされてもしかたがないような話だ。
実際に、見ていないのだから、信じられない気持ちもわかる気はする。
さりとて、実際に見た者に、明日は来ない。
(そろそろかなー)
リカに指示して、自分が間に入っても良かったのだが、アリスは、面倒を、人に丸投げする主義だった。
自分以外に引き受けてくれる者がいるのなら、黙っていたほうが楽。
思うそばから、声がする。
「結局のところ、お前の放蕩の結果だということではないか」
国王フィランディ・ガルベリーだった。
もちろん、アリスは、国王との面識もある。
ウィリュアートン公爵家は王族とも懇意なのだ。
なぜだかアリスは、真面目で頭もいいのに、どこか間が抜けている、この国王が、ちょっぴり苦手だった。
アリスの「無礼」に小言も言わないし、変転での王宮の出入りも、自由にさせてくれているのだけれども。
「彼女の貞淑さを、彼が疑うなんて、まさかにも思ってやしなかったのさ」
「お前が、誘わねば、こうはなっておらん」
「もっともだね、ランディ。きみは、正しい」
アリスの思った通りの展開になっている。
今、この場で、まともに彼とやり合えるのは、国王しかいない。
彼を少しも恐れない、ある意味では、国王らしい国王だ。
アリスも、彼を恐ろしいとは思っていなかった。
けれど、彼と国王との間には、特別な絆があるように感じられる。
「では、すべては、お前の責だ。そうであろう?」
「嫌味な言いかたをするものじゃないよ。私が、否定しないと知っているくせに、念押しをするなんて、ちょいと意地悪に過ぎやしないかい?」
クリフォードは、まだ「死にそう」な顔をしているが、室内の空気は、がらりと変わっている。
重臣たちも、呼吸するのを思い出したようだ。
ただ1人、イノックエル・ブレインバーグを除いて。
「ともかく、裁定はくだされている。お前の責であろうが、覆りはせぬのだ」
「だとすれば、私は、どうすればいいのかね?」
「むろん、己が責を取れ」
彼が、軽く肩をすくめる。
アリスにしてみれば「予定調和」といった感じしかしない。
打ち合わせてはいなかったのだろうが、これがこの2人のやりかたなのだ。
お互いに「手の裡」を、わずかな会話で見せ合っている。
(にーさんの言われた通りになりましたね)
リカが、どことなく嬉しそうに、そう言った。
アリスに理解できないことがあるとすれば、やはり弟の、この感覚だ。
先読みをされたり、裏をかかれたりするのは、アリスにとっては不愉快な事態。
彼のすることですら「ちゃんと」分かっていたい、と思うくらいだった。
常に「解」を持っていなければ、足場がグラついているようで、落ち着かない。
が、リカは、なんとも思っていないのだ。
というより、アリスからの指示や、先読みされることを喜んでいる。
たぶん、生まれた順番ではなく、こういう面で、リカは「弟」なのだろう。
(リカ、言っとくけど、オレだって、お前がいなきゃやってけねーんだぜ?)
(わかっていますよ? 僕たちは2人で一人前ってことでしょう?)
(そーいうコト)
やはり、弟に危険なことはさせられない、と思った。
半身もがれて生きていける人間はいないのだから。
「よろしいでしょうか、陛下」
リカの言葉に、国王が、うむと鷹揚にうなずく。
重臣たちが、とたん、ぎょっとした顔で、リカを見た。
この2人の会話に口を挟むなんて、というところ。
これで、リカを軽んじる者はいなくなるに違いない。
この審議におけるアリスにとっての最大の「利」だ。
だからと言って、クリフォードの馬鹿に感謝なんてしないが、それはともかく。
「彼女のレックスモア侯爵家との婚姻は解消されました。そして、ローエルハイド公爵様には、その責がございます」
「で、あろう」
「つきましては、今後の彼女の生活を、公爵様に担っていただく、ということではいかがでしょうか」
国王が、納得したように、うむ、とうなずいた。
そして、彼は、リカに、いや、アリスに向かってだろう、小さく笑ってみせる。