冤罪の功罪 4
「いけないねえ。当事者を、1人、忘れて審議を開いてしまうなんて、きみらしくない落ち度だよ、リカラス」
声に、リカラス以外の全員が、ハッとした様子を見せる。
王宮内の審議室に、いきなり男が現れたのだから、当然の反応だ。
彼は、軽く肩をすくめる。
同時に、幼馴染みの声が響いた。
高い位置に据えられたイスから立ち上がっている。
「お、お、お前という奴はっ!! お前が放蕩者だと知ってはおったが、これほどとはっ!! 人妻に手を出すなどと、不逞にもほどがあろう!!」
「ランディ、ランディ、私をそれほど評価しないでくれたまえ。幼馴染みの言葉であっても、さすがに照れるじゃあないか」
「褒めてはおらんっ!! 罵っておるのだ!!」
「そうかい」
軽く言いながら、彼は、軽く手をはらう仕草をみせた。
なにもなかった場所に、クリフォードたちが座っているのと同じイスが現れる。
彼は、ゆっくりと、そのイスに腰かけた。
王族と向き合い、左に重臣、右にクリフォードたちを見据える格好になる。
「申し訳ございません。こちらにおいでになられるとは思わず、連絡を差し控えておりました」
リカが、真面目くさった顔で謝罪の言葉を述べ、頭を下げた。
とはいえ、これは、彼らにとって「予定通り」だったのだ。
審議については、昨夜のうちに、アリスから聞かされている。
「だいたい、なぜ審議の場に、“お忍び”で来ておる?! こそこそしておるのは、己の不逞が露見したからであろう!!」
現国王であり、彼の幼馴染み、フィランディ・ガルベリー。
眩しい金髪に、焦げ茶色の瞳の彼は、こと「不逞」に関しては、寛大さを失う。
真面目で一途なのだ、彼の幼馴染みは。
いささか間は抜けているけれど。
「服さえ変えれば、“お忍び”だと思っている、きみと一緒にしないでほしいなあ。これは、写真の男と、私が同一だと示すためさ」
彼は、自分の前髪を、ちょいと指で軽く弾いてみせた。
重臣たちが、慌てた様子で、写真と彼とを見比べている。
「さて、それでは、もういいかな。確認はすんだだろう?」
ふわっと彼の髪が揺らいだ。
瞬間、髪と瞳の色が「元の」色に戻る。
黒髪、黒眼。
重臣とクリフォードの顔から、ざぁっと血の気が引いていた。
彼は、その姿だけで、場を支配できるのだ。
この世界に、たった1人「人ならざる者」と呼ばれる存在。
彼の持つ力の大きさを知らない者は、この国にはいない。
いや、諸外国も含めて、誰もが知っている。
自然の脅威にも匹敵し、その力を己の意思でもって、彼は操るのだ。
偉大であり、特異な魔術師の末裔。
「ジョザイア・ローエルハイド!! 申し開きがあるのなら言ってみよ!!」
「ご紹介にあずかり、光栄の極みだね、ありがとう、ランディ」
「お前は、いずれ、その軽口で、俺の血管を切れさせる気であろう!」
「そうなったら、私が繋ぎ合わせてやるさ」
国王相手だろうが、彼は阿ったりはしない。
国王も、彼を平気で罵倒するのだけれど、それはともかく。
「いいから、大人しくしていたまえよ、きみ。私の話を聞けば、血の巡りも少しは落ち着くだろうからね」
彼にも「言い分」がある、と納得したのか、国王が口を閉じた。
彼の幼馴染みは、納得しさえすれば、大人しくなるのだ。
もとより、本気で喧嘩をしていたわけでもないし。
「それにしても、ずいぶん遅れてしまった。審議の場に出向くのに、洒落のめして来ないわけにもいかないだろう? だが、最近、正装なんてものとは無縁でねえ。一張羅を引っ張り出すのに、時間がかかってしまった」
「すでに裁定はくだされておりますが、いかがいたしますか?」
「ああ、それはかまわないのだよ、リカラス」
リカのシルクハットに、ちらっと視線を向ける。
その中に、なにか小さな動物になったアリスが潜んでいるに違いない。
(そういえば、リカは虫を嫌っていたね。アリスは気にしないのだろうが)
室内でシルクハットというのも微妙ではあるが、髪の中を虫に這い回られるよりマシだと妥協したのだろう。
彼は、リカのことも、よく知っていた。
アリスがリカを置いて彼の元に行くので、置いて行かれたリカがぐずって困る。
ウィリュアートンの当主から相談され、幼い頃は、彼がリカを点門で迎えに行っていた。
今でも、時々は、迎えに行ったりしている。
リカがうるさい、と「アリスが」ぐずるので。
望んだわけではないが、彼の元には、問題をかかえた子供が集まってくる。
彼自身の血が引きつけていると知っていたので、無碍にはできなかった。
ローエルハイドは、特殊な家柄だ。
王族やウィリュアートンとも、血縁関係にある。
そのため、時々、ローエルハイド自体の血や、そこにまつわる能力を授かる子が産まれるのだ。
その子らが、本流である彼に、引き寄せられるのは当然のことだった。
実際、アリスは誰からも教わっていないのに、彼の元を突然に訪れている。
5歳という幼さにもかかわらず。
「私は、彼女の名誉さえ守られれば、それでいいと考えている」
彼は、足を組み、わざとらしく両手を広げてみせた。
重臣たちは、揃って戸惑いの表情を浮かべている。
平然としているのは、事情を知っているリカだけだ。
「それは、彼女が不義をはたらいたのではない、ということでしょうか?」
「行為自体を否定するものではないがね」
「彼女の本意ではなかったと?」
「真正面からの指摘には、はなはだ心が痛むよ。リカラス、きみに同情心があるのなら、婉曲な言いかたで、私を救ってくれてもいいのじゃないかい?」
会話自体は、打ち合わせたものではなかった。
きっとシルクハットの中で、アリスは面白がっている。
リカならば、まさしく「婉曲」な言いかたくらい心得ているのだから。
さりとて、リカは堅物で、おまけに「兄」に、こよなく忠実なのだ。
(麗しき兄弟愛と言いたいところだが、アリスには仕置きが必要だな)
わざと、リカに、にっこりしてみせる。
シルクハットの中で、アリスは、びくっとしていることだろう。
尾に火をつけられかねないと。
「私は、彼女を気に入っている」
言葉に、その場が静まり返った。
彼は、いったん軽口をやめる。
「ところで、諸君。“私が”気に入るということが、どういうことか。知らない者が、この中にいるかい?」
知らないのは、クリフォードくらいのものだ。
王族はもとより、重臣らも、その意味を知っている。
さらに、顔色を悪くしていることから、それは明らかだった。
彼は、少しだけうつむき、小さく笑う。
そして、軽口に戻ることにした。
(あまり脅かすと、あとでランディに、なにを言われるか。彼の小言は厄介だ)
フィランディ・ガルベリーは、本当に真面目な「国王」なのだ。
貴族も己が民として扱っていた。
その民を脅かせば、たとえ「人ならざる者」であれ、正当な苦言を呈してくる。
「実際、彼女を誘ったのは、私なのだよ」
彼は、嘘をついていない。
あとは、周りが、それをどう受け止めるか、というだけの話だった。