夕食時まで 4
クリフォードは、またしても苛立っている。
婚姻解消の申し立てをしてから十日も経つのに、王宮から音沙汰がないからだ。
彼としては、決めた以上、早く決着をつけてしまいたかった。
国王との謁見まで、ひと月と迫っている。
かと言って、王宮に催促をすることもできない。
彼は、リリアンナの部屋にいた。
ソファに座っていても、くつろげずにいる。
彼女とベッドをともにしている時だけは、不安を解消できた。
そのため、ここに入り浸っている。
とはいえ、欲望に溺れていない間は、不安に責め立てられていた。
頭から、その不安を追いはらうことができないのだ。
婚姻の解消が認められなければ、シェルニティを同伴せざるを得ない。
考えただけで、背筋が寒くなった。
謁見の場にいる自分に対する嘲笑が聞こえてくる。
憐みと蔑みの視線に刺し貫かれる感覚もした。
「クリフ様? お顔の色が優れませんけれど……」
「いや、大丈夫だ。少し、気分が悪くてね」
隣に座っていたリリアンナの手を握る。
少しだけ安堵した。
自分のかかえている不安は、彼女がいれば解消できるのだ。
リリアンナを正妻にできさえすれば、すべてうまくいく。
問題なのは時間だけだった。
申し立てが認められれば、審議となる。
民はともかく、貴族が婚姻を破棄する場合、審議による裁定が必要なのだ。
クリフォードが「婚姻を解消する」と言ったところで、公のものとはされない。
側室を迎えるにも手続きが必要とされるほど、貴族にとっての女性選びは「公」のものと位置づけられている。
なにしろ貴族の生活は、民の税によって賄われているのだ。
勤め人たちの給金のみならず、妻たちの髪飾り1つに至るまで、すべてが、収められた税により支払われていた。
婚姻の際にかかる費用だって、相応にかかる。
簡単に、婚姻を繰り返せば、民に不審をいだかれるのは当然だった。
そのためにこそ「審議」が行われる。
婚姻の解消に、正当性を持たせるためだ。
審議の内容はどうあれ、下された裁定には、それなりの信憑性が付加される。
国の重臣たちが認めたのだから、正しかったのだろうと。
クリフォードがほしいのは、その裁定結果に過ぎない。
認められるのは、わかっているのだ。
婚姻の解消自体、申し立てる者は、それほど多くなかった。
本来、体裁の良くないことだからだ。
それを承知で申し立てていると、重臣たちも心得ている。
だから、たいていは認められて終わり。
最も高位の公爵家であろうと、下位貴族がいなければ成り立たない。
重臣らも、無駄に、ほかの貴族と軋轢を生みたくはないのだ。
(同じ家の者に長く宰相を任せるから、こういう不手際が起こるのだろう!)
現宰相は、27歳。
辺境地におり、なおかつ、爵位が侯爵であるクリフォードは、実際に、現宰相と会ったことはなかった。
大派閥ウィリュアートン公爵家の当主ではあるが、若輩であるのは間違いない。
(リカラス・ウィリュアートン……確か、双子の弟だったな。兄は王宮に寄りつきもしないそうじゃないか。それでは、まともに政などできなくて当然だ)
辺境地にいても、噂は耳に入ってくる。
リリアンナと知り合う前まで、彼は放蕩三昧。
わざわざ魔術師を雇い、王都に出かけていたくらいなのだ。
馬車を使うと3日もかかる距離が、魔術では2,3歩の距離にまで縮められる。
クリフォードは、そのためだけに、高い給金をはらい、魔術師をかかえていた。
リリアンナを側室に迎え、放蕩から興味が失せたあと、いったんは、高級取りの魔術師を解雇しようかとも考えたが、結局、考え直している。
魔術師のいる便利な生活に慣れてしまったからだ。
そして、今回も役に立つだろう。
クリフォードの申し立てが受け入れられた際、すぐに王宮に行くことができる。
馬車で3日もかけている時間が惜しかった。
悠長に構えている暇はないのだ。
「あの……私のことでしたら、ご心配なさらないでくださいね。男爵という身分で、側室にまでしていただけただけで、私は……」
「リリー、私は、きみを正妻にしたいのだよ。きみこそ、私に相応しい妻だと思っている」
リリアンナの健気さに、胸を打たれる。
同時に、シェルニティに対して、憎しみすら覚えた。
クリフォードにとっては、望まない婚姻であり、望まない妻だった。
外見もさることながら、性格も気に入らない。
話しかけても反応は薄く、シェルニティはうなずくことくらいしかしないのだ。
自分がそうさせているなどと、クリフォードは思っていなかった。
爵位が下位であるため、シェルニティに馬鹿にされていると感じている。
手をあげることこそなかったが、物をぶつけたくなったことが幾度もあった。
「シェルニティ様との婚姻を解消されると、クリフ様は、後ろ盾を失うことになります。私のために、クリフ様が、困難な立場に立たされるのではないかと、それが心配でならないのです」
「リリー……たとえ、どのような困難があろうと、かまわない。きみの純粋さが、私を癒してくれるからね」
リリアンナの手を握り締めた時だ。
コンコンと、扉が叩かれる。
音に、ハッとなって、入るよう指示した。
執事が、クリフォードの元に歩み寄ってくる。
手には、封書を持っていた。
ただ、逡巡しているような表情を浮かべている。
王宮からの通知であれば、こんな顔はしていないはずだ。
そう判断して、クリフォードは、眉をひそめた。
ようやく通知が来たと思ったので、落胆の気持ちが大きくなっている。
それでも、執事から封書を受け取った。
「誰からだ?」
「魔術師が、それを旦那様にと、私に渡してきたのです」
「魔術師? 雇い入れをしている者か?」
「さようにございます」
魔術師は爵位を持たないため、いくら高級取りであろうが、立場は下になる。
こちらから呼ばない限り、向こうから話しかけてきたりはしない。
だから、執事を通して、封書を渡してきたのだろう。
とはいえ、何か言いつけてあった記憶はなかった。
眉をひそめたまま、クリフォードは、封書を開く。
「これは…………」
「まあ……なんという……」
隣にいたリリアンナにも見えてしまったらしい。
口を押さえ、顔をしかめている。
純粋な彼女には受け入れがたいことのはずだ。
が、クリフォードからすれば「吉報」以外のなにものでもない。
立ち上がり、リリアンナの部屋にもある書き物机に向かう。
引き出しから新しい封筒を取り出して、中身を移し替え、改めて封をした。
それを執事に渡す。
「すぐに、これを王宮に届けさせろ。魔術師を使い、一刻も早く、だ」
「かしこまりました、旦那様」
なにが入っていたのかはわからなくとも、主の気持ちを察したのだろう。
執事が、受け取った封書を手に、すぐさま退室する。
扉の閉まる音を待たず、クリフォードは、リリアンナの隣に戻った。
不快そうな表情の彼女の手を握り直す。
「そう悪いことではないよ、リリー」
「ですが、クリフ様……」
「私たち2人の将来を考えれば、むしろ都合がいいとも言える」
あれが王宮に届けば、すぐに連絡が来るに違いない。
審議が開かれ、クリフォードの願いは叶えられる。
婚姻の解消は間近だ。
彼は、リリーの唇に、口づけを落とす。
そして、微笑んでみせた。
「謁見の同伴者として、きみのドレスを新調しなければね」