いつもの不幸せ 2
クリフォードは、実際、彼女とは2度と会いたくなかった。
婚姻の手続きで会わないわけにはいかなかったが、それ以降は、本当に会いたくないと、毎回、思っている。
用事がある時ですら、できる限り、執事やメイドたちに任せていた。
許されるのなら、シェルニティを部屋に幽閉しておきたいくらいだ。
(彼女が、罪でも犯してくれないものか)
食堂のイスに座り、長い足を組み替えながら、そう思う。
そして、苦々しくも思っていた。
爵位だけで判断すれば、シェルニティのほうが上位なのも気に食わない。
レックスモア侯爵家は、大昔は「辺境伯」の爵位を与えられていた。
だが、ロズウェルドの歴史に刻まれた、たった1度の戦争終結後、辺境伯の爵位は廃れている。
長らく、ロズウェルドに戦争をしかけてくる国はない。
そのため、国境の警備担当であることを明確にする「辺境伯」との爵位が、だんだんに、その意味を失っていったのだ。
だからと言って、貴族が、与えられた爵位を捨てるはずがない。
ほとんどの「辺境伯」が、位として同等と見做されていた「侯爵」に爵位替えをしている。
レックスモアも、そのひとつだった。
(既婚者という肩書など、私には不要だ)
クリフォードは、シェルニティを娶りたくて娶ったのではない。
彼は、放蕩な性質で、少し前までサロンに入り浸り。
昔から、気軽で後腐れのない関係を好んでいる。
やや薄目の金色の髪は、常に短く整えられ、陽射しにキラキラと輝いて美しい。
少し垂れた目の中には、澄んだ青色をした瞳がおさまっている。
鼻は小さく高く、どの角度から見ても、まっすぐにツンとしている。
唇が薄いのを、彼は少し気にしていたが、笑顔でさえいれば問題はなかった。
背は高く、すらりとしていて、それをまた貴族服が引き立てる。
クリフォードは、14歳の頃から女性に困ったことがない。
サロンで「選ぶ権利」を行使していたのは、いつも彼だったのだ。
なのに、14歳という歳若き妻を娶るはめになった。
クリフォードは、当時、28歳。
十歳以上も年下の「子供」になど興味はなかった。
もちろん、歳を気にせずにいられるほど、女性としての魅力があれば違っていたかもしれない。
が、シェルニティに、そんなものはないのだ。
そして、それ以前に、婚姻自体するつもりがなかった。
婚姻なんて、自分が40歳を過ぎてからでも遅くはない、と思っていたからだ。
はっきり言って、シェルニティとの婚姻は、クリフォードには、忌々しいとしか感じられない。
彼は、シェルニティと婚姻して4年になる。
未だに、彼女の父イノックエル・ブレインバーグに騙されたと恨んでいた。
実のところ、騙されたのではなく、クリフォードの自業自得なのだが、それを、彼は認めていないのだ。
(あのブリッジにも、なにか裏があったに違いない)
などと、4年も経つのに、未だ、根に持っている。
ほかの放蕩な子息仲間と、クリフォードは、ブリッジクラブに行っていた。
そこで、イノックエルが「勝負」を持ちかけてきたのだ。
上位の爵位を持つイノックエルに声をかけられ、断れるはずがない。
しかも、イノックエルは、大層な「条件」を提案してきた。
クリフォードが飛びつかずにはいられないような好条件だ。
少なくとも、その時には、そう思った。
1回勝負。
クリフォードが勝てば、サロンでの彼の「ツケ」を、イノックエルが清算する。
イノックエルが勝ったら、クリフォードは、彼の頼みを、なんでもひとつ聞く。
クリフォードは、放蕩ではあるが、頭は良いほうだ。
ブリッジも得意だった。
外見も相まって、周囲から褒められることが多く、自然、自信家に育っている。
それが、年々、過剰になっている自覚はなかった。
イノックエルは婚姻の手続きをする、その日まで、彼女とクリフォードを会わせようとはしなかった。
だが、約束を反故にした場合は「そういう男」だと周囲に喧伝し、2度とサロンへの出入りもさせない、といった具合に、釘だけは刺してきたのだ。
約束を守らないなどと喧伝されれば、当然に「ツケ」は効かなくなる。
ブレインバーグは、レックスモアより上位の公爵家だ。
いくらクリフォードが嘘だと言っても、下位の者の言葉は無視される。
当時、彼は、まだ当主ではなく、自由になる金も限られていた。
ツケが効かなくなると、大きな痛手を被る。
同時に、侯爵家の子息としての体裁を保つためでもあった。
レックスモアは中堅どころの貴族だが、下位貴族がいないわけではない。
取り巻きも、たいていは下位貴族の子息だ。
サロンでの支払いを「割り勘」などと言えはしなかった。
そのため、クリフォードは歯噛みするほど悔しくても、言いなりになるよりほかなかったのだ。
結果、彼は、イノックエルに負け、シェルニティと婚姻するはめになった。
(あれでは婚姻前に会わせようとするはずがない。逃げられないとわかっていても逃げたくなったさ)
食堂に入ってきたシェルニティを見て、舌打ちしたくなる。
彼女は、バサバサとした艶のない赤茶けた長い髪で、右の顔を隠していた。
それでも、ちらちらと「あれ」が見えている。
わずかに視界に入っただけで、不快感を覚えた。
(まるで腐った肉そのものだ)
色といい、形といい、不気味極まりない。
誰しもが目を背けたくなるのもわかる。
小さなものならまだしも、シェルニティのそれは、右頬を覆うほど大きいのだ。
どんなに濃い化粧をしようが、隠せなかった。
まるで、生き物のように浮かび上がってくる。
(ゾッとする)
クリフォードのシェルニティに対する評価は、初対面の時と変わっていない。
4年間、ずっと同じだ。
変わったことは、1度もなかった。
さりとて、シェルニティが、ブレインバーグの公爵令嬢であることは無視できずにいる。
彼女に非がない限り、追い出すことも、婚姻解消の申し立ても叶わない。
ブレインバーグに恥をかかせれば、報復されるに決まっている。
この際、イノックエルが、娘を愛していようがいまいが関係ないのだ。
シェルニティが、イノックエルの正妻の「長女」だということが問題だった。
たとえ、賭けの対象にする程度、しかも、サロンのツケと同額、と見做している娘であったとしても。
「シェルニティ、こちらに座れ」
彼女は、黙ってうなずく。
そして、クリフォードの示したイスに腰かけた。
彼の右斜め2つ隣の席だ。
シェルニティの姿を視界に入れながらでは、食事も喉を通らない。
だから、顔をそちらに向けなければ、ギリギリ目に入らない席を指定した。
「このかたがご正妻、奥様なのですね、クリフ様」
明るい軽やかな声が、隣から聞こえてくる。
とたん、クリフォードは表情を変え、優しいまなざしを、隣に向けた。